熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

9.アカデミー・オブ・ミュージックでのコンサートの思い出(その1)

2021年01月04日 | 欧米クラシック漫歩
   私の若かりし頃の欧米音楽行脚も、今年も、フィラデルフィアから始まるのだが、このミラノスカラ座を模したフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックでのコンサート鑑賞は、厳しくて一瞬も手を抜けなかったウォートン・スクールでの学びの日々における、燭光とも言うべき至福の時間であった。
   フィラデルフィア管弦楽団の定期演奏会などが主体だったが、天下のコンサートホールであるから、世界中から、多くの著名な音楽家が来訪して、素晴らしい演奏を楽しませてくれていた。
   しかし、留学生の身であり資金は乏しく、限られた演奏会にしか行けなかったが、行ける時には無理をして出来るだけ良い席で聴くことにした。

   マリア・カラスが、ジュゼッペ・ディ・ステファーノを伴って、最後の世界コンサート・ツアーで、フィラデルフィアを訪れてきた。
   フィラデルフィア管弦楽団のメンバー・チケットの保有者に、カラスとのディナー付きチケットの案内状が来た。
   あの時には、たった100ドルの余裕がなくて、迷った挙句、25ドルのストール・サークルのチケットで満足せざるを得ず、今でも、残念に思っている。

   しかし、サークルの前列右端の席で、横からとはいえ、カラスとステファノとは、至近距離で、二人の姿と表情がよく観察できて、素晴らしい歌声が迫ってくる。
   コンサートと言え、オペラアリアの夕べであるから、結構、オペラの舞台を彷彿とさせる演技の入ったパーフォーマンスで、魅せてくれる。
   少し金属音的で張り詰めたカラスの声に甘いステファノの声・・・カルメンの最後のシーンのカラスの表情など鬼気迫る迫真の演技で、この時ほど、カラスの生の舞台を観たいと思ったことはない。
   アンコールの時に、先にカラスがステージに帰ってきたのに、ステファノはドアを閉めて出てこなかった。カラスは、「いじわる!」と言った表情で、ドアの方に向かって拳を作って叩くような仕草をしたのだが、何と色気があって瑞々しくて美しかったことか。歌だけではなく名優でもあったカラスの面目躍如の素晴らしいコンサートであった。

   この劇場では、別の機会に、カラスと覇を競ったレナータ・テバルディとフランコ・コレルリのジョイント・リサイタルを聴く機会があった。
   その頃、テバルディは引退気味だったが、コレルリは最盛期で、その前に、METでトーランドットのカラフで観ていたので感激で、歌のみならず実にスマートな舞台姿も抜群で、このテバルディのみならず、カラスさえ相棒に選び続けたと言うのが良く分かる。
   イタリア・オペラ最高峰のアリア・コンサートであるから、カラスとステファノのジョイントコンサート同様、楽しませて貰った。

   もう一つ、忘れられられなのが、寒い日の、フィッシャー・ディスカウのリサイタルで、ピアノ伴奏がイヨルク・ディムスのドイツ・リートの夕べである。
   極めて厳粛な演奏会で、直立不動のディスカウが、一語一語噛みしめながら、時には激しく、時には優しく語りかけるように端正に歌い続ける。席が前の方であったので、あのドイツ語独特の破裂音は勿論、ディスカウの静かな息遣いまで伝わってくる。それに、ディムスのピアノが限りなく美しい。終演後、楽屋に行ったのだが、人数制限で、私の前で打ち止めになった。

   実際のオペラやミュジーカルは、ニューヨークに出かけて、METやブロードウェイで観ていたのだが、これらのソリストのリサイタルは、非常に貴重な経験であった。
   その前に、シュワルツコップやジュゼッペ・ディ・ステファーノやマリオ・デル・モナコやハンス・ホッターなどのリサイタルを日本で聴いてはいたが、商業主義の大劇場での舞台で、しっくり来なかったが、しっとりとした美しい宮殿風のアカデミー・オブ・ミュージックでのコンサートは、感興十分であって楽しかった。
コメント
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