江戸東京博物館で、浮世絵の歴史を一度に展望できるような素晴らしい浮世絵名品展が開かれている。
一昨年11月に開かれたボストン美術館展は、同じ浮世絵展でも、あの時は、江戸の誘惑と言うタイトルで、貴重な肉筆浮世絵絵画が主体であったが、今回は、殆ど門外不出の為に退色を免れた色彩鮮やかな版画や版本が展示されている。
先日、NHKで、写楽の役者絵を参考にして当時の歌舞伎の舞台を再現して、その役者のしぐさや見栄を切る瞬間をフリーズした作品の解説を行っていたが、今回の名品展にも、ポスターなどにも使われていた歌川国政の「市川蝦蔵の暫」など歌舞伎の舞台や役者絵が沢山展示されていて興味深かった。
今のモード雑誌やファッション雑誌に匹敵するのであろうが、浮世絵が、当時の最新の髪型や着物や装いを発信するビークルだったので、当然、遊女や歌舞伎役者の姿絵が多かったのであろう。
浮世絵が江戸文化の華として開花したのは、豪華な多色刷りの錦絵の完成であろうが、誇りの高い江戸の人間は絶対口にしないが、この素晴らしい江戸浮世絵を開花させたのが京都の絵師鈴木春信だと言うのが面白い。
狩野派の伝統を受け、光琳風の着物を着た胸元ポロリの京美人で優雅な京風エロチシズムを描いた京都の西川祐信と共に江戸に下って浮世絵師として活躍したと言うのだから、春信の浮世絵に雅と粋の風格が漂っているのも当然であろう。
春信の浮世絵は、かなりの作品が展示されているが、私は、「坐鋪八景 ぬり桶の暮雪」が面白いと思った。
乙女が、ぬり桶の上に広げた綿を帽子のようにしてかぶせて、雪を頂いた山の景色に見立てる手仕事をしている姿を描いた絵で、横に座ったキセルを持って立膝をした母親か女将と言った風情の女性が、出来上がったぬり桶の雪山を眺めている、そんなワンシーンだが、物語があって素晴らしい。
真っ白な綿だが、ナイフで切り込んだ版を重ねて刷っているので、良く見ると綿の輪郭線が見えたり、着物や帯の文様の繊細で微妙な美しさなど、彫師の巧みな技術に舌を巻く。
春信の他の絵では、真っ黒なバックに菊花を浮かび上がらせて二人の美人を配した「寄菊」、定家、寂蓮、西行と美人たちを描いた「見立三夕」など素晴らしい絵があったが、師匠の絵のエロチシズムは消えていて、女性像は、夫々細面の楚々とした美人になっているのが面白い。
テクニック的には、春信以前の二代目鳥居清信の「二代目市川団十郎の曽我五郎と初代袖崎伊勢野の化粧坂の少将」などの漆黒の黒が素晴らしい。
今話題の黒色強調のTVの画像と同じように、顔料に膠を入れて光沢を出して黒を浮き出させているのだが、この漆黒の部分の着物など、掘り込んだ模様を重ね刷りしているので、屈んで下から見上げると、複雑で綺麗な飾り文様が浮かび上がって美しい。
同じ色のべた塗りと思える細部にも、何層もの重ね刷りで模様や透かしなどを埋め込む芸の細やかさは、正に、日本の匠の技である。
浮世絵は、庶民のものだと公家や武家など支配階級などは蔑んでいたようだし、実際にも、庶民が楽しむブロマイドのような、あるいは、宣伝用のチラシや、絵暦のような普段の生活の中での庶民の楽しみの一つに過ぎなかったのだが、絵師や彫師や刷師の芸術性とテクニックははるかに高度な水準に達していたのである。
そうでなければ、19世紀のヨーロッパの芸術家をあれほど熱狂させてジャポニズムを開花させ、印象派絵画のさきがけになる筈がない。
しかし、悲しいかな、刷った顔料が退色の激しいものだったので、いくらボストン美術館の浮世絵の保存が素晴らしいと言っても、肉筆浮世絵の色彩豊かで鮮やかな美しさとは比べ物にならず、今回の浮世絵でも、紫色が残っていると嬉しくなるほどで、やはり、色彩が命であるから、デジタル化するなど、今時点でも急いで保存方法を考えるべきだと思う。
北川歌麿は、何故か、枕絵の印象が強いのだが、吉原で催されるにわか狂言で役を演じる三人の女芸者を描いた「青楼仁和嘉女芸者之部 扇売 団扇売 麦つき」など、特色の胸元から上をクローズアップで描く美人画が、小道具など工夫していて現在の肖像画写真の雰囲気で面白い。
顔の表情が、現代の女性に近いのは歌麿だけかも知れないと思った。
葛飾北斎の「冨嶽三十六景 山下白雨」が展示されていた。
山裾に稲妻が走る有名な赤富士の絵だが、広重の絵など日本の浮世絵の風景画は実に素晴らしいと思う。
実に斬新な構図や自然描写の巧みさは、油絵で画面を濃厚に塗り潰した絵画にはまねの出来ない簡潔さと空気の流れを一瞬にしてフリーズする素晴らしさがある。
風景画ではないが、歌川国芳の椿説弓張月を舞台にした「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」のダイナミックなスケールの大きさにびっくりした。
三枚の絵を繋ぎ合わせて、ドラクロア流の激しく逆巻く大海原に、助けに来た獰猛な形相の鰐鮫を画面上部全体に描き上げ、大波に翻弄される船上の為朝を沢山の天狗が飛来してきて助けると言う図だが、暗い画面に線描だけの白抜きの天狗を描くなど、その発想と躍動感漲るイマジネーションの豊かさには恐れ入る。
平日だったが、日中は人で一杯だったであろうが、私は、閉館間際の一時間半を狙って行くので、十分に楽しむことが出来た。
もう何十年も前に、ボストン美術館に行ったが、勿論、浮世絵など展示されていなかったであろう。
マネの真っ赤な豪華な日本の着物を纏って後ろを振り向いた西洋婦人を描いた絵だけが、何故か印象に残っている。
一昨年11月に開かれたボストン美術館展は、同じ浮世絵展でも、あの時は、江戸の誘惑と言うタイトルで、貴重な肉筆浮世絵絵画が主体であったが、今回は、殆ど門外不出の為に退色を免れた色彩鮮やかな版画や版本が展示されている。
先日、NHKで、写楽の役者絵を参考にして当時の歌舞伎の舞台を再現して、その役者のしぐさや見栄を切る瞬間をフリーズした作品の解説を行っていたが、今回の名品展にも、ポスターなどにも使われていた歌川国政の「市川蝦蔵の暫」など歌舞伎の舞台や役者絵が沢山展示されていて興味深かった。
今のモード雑誌やファッション雑誌に匹敵するのであろうが、浮世絵が、当時の最新の髪型や着物や装いを発信するビークルだったので、当然、遊女や歌舞伎役者の姿絵が多かったのであろう。
浮世絵が江戸文化の華として開花したのは、豪華な多色刷りの錦絵の完成であろうが、誇りの高い江戸の人間は絶対口にしないが、この素晴らしい江戸浮世絵を開花させたのが京都の絵師鈴木春信だと言うのが面白い。
狩野派の伝統を受け、光琳風の着物を着た胸元ポロリの京美人で優雅な京風エロチシズムを描いた京都の西川祐信と共に江戸に下って浮世絵師として活躍したと言うのだから、春信の浮世絵に雅と粋の風格が漂っているのも当然であろう。
春信の浮世絵は、かなりの作品が展示されているが、私は、「坐鋪八景 ぬり桶の暮雪」が面白いと思った。
乙女が、ぬり桶の上に広げた綿を帽子のようにしてかぶせて、雪を頂いた山の景色に見立てる手仕事をしている姿を描いた絵で、横に座ったキセルを持って立膝をした母親か女将と言った風情の女性が、出来上がったぬり桶の雪山を眺めている、そんなワンシーンだが、物語があって素晴らしい。
真っ白な綿だが、ナイフで切り込んだ版を重ねて刷っているので、良く見ると綿の輪郭線が見えたり、着物や帯の文様の繊細で微妙な美しさなど、彫師の巧みな技術に舌を巻く。
春信の他の絵では、真っ黒なバックに菊花を浮かび上がらせて二人の美人を配した「寄菊」、定家、寂蓮、西行と美人たちを描いた「見立三夕」など素晴らしい絵があったが、師匠の絵のエロチシズムは消えていて、女性像は、夫々細面の楚々とした美人になっているのが面白い。
テクニック的には、春信以前の二代目鳥居清信の「二代目市川団十郎の曽我五郎と初代袖崎伊勢野の化粧坂の少将」などの漆黒の黒が素晴らしい。
今話題の黒色強調のTVの画像と同じように、顔料に膠を入れて光沢を出して黒を浮き出させているのだが、この漆黒の部分の着物など、掘り込んだ模様を重ね刷りしているので、屈んで下から見上げると、複雑で綺麗な飾り文様が浮かび上がって美しい。
同じ色のべた塗りと思える細部にも、何層もの重ね刷りで模様や透かしなどを埋め込む芸の細やかさは、正に、日本の匠の技である。
浮世絵は、庶民のものだと公家や武家など支配階級などは蔑んでいたようだし、実際にも、庶民が楽しむブロマイドのような、あるいは、宣伝用のチラシや、絵暦のような普段の生活の中での庶民の楽しみの一つに過ぎなかったのだが、絵師や彫師や刷師の芸術性とテクニックははるかに高度な水準に達していたのである。
そうでなければ、19世紀のヨーロッパの芸術家をあれほど熱狂させてジャポニズムを開花させ、印象派絵画のさきがけになる筈がない。
しかし、悲しいかな、刷った顔料が退色の激しいものだったので、いくらボストン美術館の浮世絵の保存が素晴らしいと言っても、肉筆浮世絵の色彩豊かで鮮やかな美しさとは比べ物にならず、今回の浮世絵でも、紫色が残っていると嬉しくなるほどで、やはり、色彩が命であるから、デジタル化するなど、今時点でも急いで保存方法を考えるべきだと思う。
北川歌麿は、何故か、枕絵の印象が強いのだが、吉原で催されるにわか狂言で役を演じる三人の女芸者を描いた「青楼仁和嘉女芸者之部 扇売 団扇売 麦つき」など、特色の胸元から上をクローズアップで描く美人画が、小道具など工夫していて現在の肖像画写真の雰囲気で面白い。
顔の表情が、現代の女性に近いのは歌麿だけかも知れないと思った。
葛飾北斎の「冨嶽三十六景 山下白雨」が展示されていた。
山裾に稲妻が走る有名な赤富士の絵だが、広重の絵など日本の浮世絵の風景画は実に素晴らしいと思う。
実に斬新な構図や自然描写の巧みさは、油絵で画面を濃厚に塗り潰した絵画にはまねの出来ない簡潔さと空気の流れを一瞬にしてフリーズする素晴らしさがある。
風景画ではないが、歌川国芳の椿説弓張月を舞台にした「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」のダイナミックなスケールの大きさにびっくりした。
三枚の絵を繋ぎ合わせて、ドラクロア流の激しく逆巻く大海原に、助けに来た獰猛な形相の鰐鮫を画面上部全体に描き上げ、大波に翻弄される船上の為朝を沢山の天狗が飛来してきて助けると言う図だが、暗い画面に線描だけの白抜きの天狗を描くなど、その発想と躍動感漲るイマジネーションの豊かさには恐れ入る。
平日だったが、日中は人で一杯だったであろうが、私は、閉館間際の一時間半を狙って行くので、十分に楽しむことが出来た。
もう何十年も前に、ボストン美術館に行ったが、勿論、浮世絵など展示されていなかったであろう。
マネの真っ赤な豪華な日本の着物を纏って後ろを振り向いた西洋婦人を描いた絵だけが、何故か印象に残っている。