熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世界らん展・・・日本大賞2006はアンデスの可憐ならん

2006年02月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   週末まで、東京ドームで恒例の「世界らん展日本大賞2006」が開かれていて、華麗な花の祭典が繰り広げられている。
   らんとは、かくも華麗で豪華絢爛たる美しい花であったのかと感嘆させられる素晴しい饗宴。
しかし、あまりにもショー化されてしまっていて、何となく違和感を感じ始めていたところ、今回の日本大賞2006は、アンデスの山で育った原種2種を勾配した可憐なはなであった。
   故郷はアンデスの高地、寒いところだと言うが、蔵王山麓で、藩世英さんによって育てられたと言う。
   このらん展に向けてタイミングよく沢山の可憐な花をつけて咲いたので、日本の桧舞台に登場したのであるが、アンデスに住むインディオの人々の魂が里帰りしたのかも知れない。

   ブラジルのサンパウロに住んでいた時、何度か、ペルー、エクアドル、チリ、ボリビア等に出張したので、雪を被ったアンデス山脈の上を何度か飛んでだし、ボリビアでは、チチカカ湖の畔やアンデスの高原を歩いたこともある。
   空はぬけるように深く真っ青で、空気は肌に痛いほどピュアーである。
   そのアンデスの山の中の、鬱蒼とした森林の中に咲くのか、高原の岩場に咲くのか、らんを見たことがないので分からないが、あの人里遠く離れた地にひっそりと咲いていたらんの子孫が海と山を越えて東京に来た。
   生命の不思議、DNAの不思議、自然の摂理の不思議に胸を打たれながら、ジッと、「マスデバリア ツアカウ キャンデー ”ラブリー”」のピンクのストライプが入った白い可憐なアンデスらんを眺めていた。

   この世界らん展には、良く出かけて来るが、私が最初にらんの花を意識してみたのは、ブラジルに行ってからである。
   どんな花だったか全く忘れてしまったが、最初に強烈な印象を受けたのは、イグアスの滝を見に出かけた時に、鬱蒼としたジャングルの大木に絡み付いて咲いていたらんの花である。
   らんは、こんな所でこうして咲くのか、と思った。
   その後、ブラジルの植物園やらんの花栽培している農場などを訪れて、美しい花に触れた。
   
   帰国してからは、東南アジアに出かけることがあり、植物園に出かけた時にらんを見たり、バンコックやシンガポールの空港などに安いらんの花束が売られていたので買って帰る事もあった。
   ロンドンにいた時も、キューガーデン等を訪れてらんを見て少しづつらんに興味を持ち始めて、帰国してからは、結構熱心にらん展に出かけてシャッターを切っている。

   多少、植物を栽培していると分かるが、この世界らん展に、沢山の素晴しいらんが展示されているが、その背後には、栽培した人の大変な丹精と苦労、そして、花への限りない愛情が凝縮している筈である。
   はなの呼吸とささやきを感じながら、育てた人とらんの花との素晴しい対話が昇華したのが、これらの花かも知れない、そう思いながら、会場を歩いた。
   
コメント
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