熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

チューリップやシクラメンの故郷イスラエル・・・花を訪ねる平山郁夫

2006年02月07日 | 海外生活と旅
   今日、BS『世界・わが心の旅「イスラエル””約束の地”に花咲いて」』で、画家平山郁夫さんの花行脚を放映していた。
   全部は見られなかったが、野生のシクラメンの花に囲まれて、地中海の風に吹かれながら、静かに花を写生されていた。
   自然の摂理を描きたいと言う。
   人々をバブルに狂奔させたチューリップもこの地中海の産で、白い小さな原種のチューリップが大地に咲いているのが映っていたが、オランダ人があんなに豪華な花に変えてしまって、自分達の国花にまでしてしまった。

   このパレスチナの地は、戦争の火薬庫であるが、ここで、ユダヤ教とキリスト教が生まれ、永い間のイスラムの支配の中に、20世紀にユダヤ人の国イスラエルが建国された。
   映画「栄光への脱出」を思い出す。

   ヨーロッパに8年間も居ながら、行きたかったがとうとうイスラエルには行かずじまいであった。
   ヒースローやスキポール空港でのイスラエル行きの飛行機の出国チェックは厳しさを極めていて、紛争など発生すると自動小銃を持って武装した兵士が立って居たりした。

   シュンペーターもドラッカーも、バーンスティンもオーマンディも、アインシュタインも、とにかく、偉大な人の多くはほとんどユダヤ人、ノーベル賞学者の3分の1以上はユダヤ人だと聞くが、素晴しい人材を輩出する民族である。
   イスラエルは、私には遠い国ではあるが、ささやかながら、私にも何人かのユダヤ人の思い出がある。

   ウォートン・スクールの院生の時、同じ課題を共同で研究していたジェイコブス・メンデルスゾーンは、私を、過ぎ越しのお祝いの日に、自宅へ招待してくれた。フィラデルフィアから車で2時間ほど田舎道を走った。
   あのソロモンのパス・オーバーの記念日だと思うが、当日、親族の男達が集まって、当時の貧しい同じ食べ物を食べながら経典を輪読する。
   何故か、私も呼ばれて、みんなと同じに長方形のテーブルについて、あの帽子を被って輪読に加わった。
   英語なので読めたが、ヘブライ語の固有名詞になると詰まって読めない。適当に発音して読んだら、隣の少年がクスリと笑ったのを覚えている。

   印象に残っているのは、ジェイコブスの部屋に入って見せてもらった家系図ツリーである。
   額に入った大きな楠木のような絵であったが、祖先から男系の子孫までビッシリと名前が書いてあった。
   端の方のJayと言う名前をさしてこれが自分だと言った。
   ここがアメリカ、ここがソ連、ここがイギリス、と言いながら、国別に親族の分布を説明してくれたが、真ん中に歪にちじれて切れてかたまっているところに来ると、ナチにやられたんだと顔を曇らせた。
   私は、ユダヤ人の結束の強さとナチに対する憎しみが尋常でないことを知って苦しかった。
   今でも飄々としてキャンパスを歩いていたJayを思い出す。音楽の才はあったのかどうか聞くのを忘れた。

   フィラデルフィアのインターナショナル・ハウスに住んでいた時、同じフロワーに住んでいたユダヤ人の医者が、私の部屋に来て、今日はエレベーターを使えない日なので、階段を駆け上がるまで上で非常ドアーを開けておいてくれと頼んできたことがある。
   治安が悪いので、常時、非常ドアは階段から部屋には入れないようになっていたのだが、この文明の世の中に、変な民族だと思ったことがある。

   名前は失念したが、アメリカの実業家ユダヤ人とブダペスト行きの飛行機で知り合った。少し、オープンになりかけていたが、ハンガリーも、まだ、鉄のカーテンの彼方でベルリンの壁崩壊前であった。
   初めてでビザがなかったので入管の手続きを助けてくれた。
   2~3日の内に連絡するので会おうと言って分かれた。
   気にしていなかったが、連絡して夜ホテルに来てくれた。食事の後、ナイトクラブに案内してくれて、ハンガリー事情を丁寧に教えてくれた。
   民族色を少し感じる綺麗な素晴しいショーをしていて、共産社会の裏を垣間見た気がした。
   お礼をしなければ思ってそう言ったが、わが祖国ハンガリーを愛してくれたらそれで良いと言って帰って行った。

   ダボスのフォーラムの別セミナーがアテネで開かれた時、オーストラリアの実業家ユダヤ人アブラハム氏と隣り合わせた。
   オーストラリアにはギリシャ移民が多いのだと言っていた。
   夜、彼のアテネのマンションでパーティーをやるので来いと招待を受けた。
   行ってみると、アテネ駐在オーストラリア大使など沢山の人が集まっていて、楽しそうに談笑していた。
   あのオナシスもマリア・カラスもギリシャ移民、何処に行こうと故郷を思う気持ちと民族の結束は強い。

   翌日、バスに乗ってデルフィに向かったが、ギリシャの大地は、イスラエルのように乾燥地帯で、平山画伯のイスラエルと良く似ている。
   廃墟に真っ赤な芥子の花が咲き乱れていて、何とも言えないほど旅情を誘う。
   殆ど人の居ないアポロン神殿で長い時間を過ごしたが、気の遠くなるほど静かで、ここで神の神託が行われたのかと思うと感無量だったが、何故か、真っ赤な芥子の花がいまだに瞼にちらついている。
   
コメント
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