は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

農道で2人が刺殺される。。。

2008-08-31 23:22:30 | ニュースから考える

千葉県我孫子市の農道で2人が刺殺された事件で、県警我孫子署は31日、殺人容疑で逃走中の住所不定、廃品回収業橋場茂樹容疑者(31)を逮捕した。前日に同容疑で逮捕した同市東我孫子、同橋場茂容疑者(61)の長男で、「刺した」と容疑を認めている。同署は動機や経緯を追及する。
 調べでは、茂樹容疑者らは29日夜、我孫子市北新田の農道で、茨城県取手市の電気工事士三戸英行さん(60)と千葉市花見川区の解体作業員平塚章さん(61)を刃物で刺し殺害した疑い。軽トラックに乗っていた際、三戸さんらの車とどちらが道を譲るかでトラブルとなったとみられる。 【時事通信社 JIJI ドットコム 2008/08/31-17:20】

地元の方なら、なお更、良くお分かりと思うが、千葉の道路整備は遅れている。記事は我孫子市だが、細い農道が幾重にも延びている光景は千葉の一般的な風景である。。

千葉の場合、多くの場所で、土地改良が進んだ。水田の区画整理により、間をキレイに縫うように、広域農道が整備されている。だがその道幅は非常に狭い。幹線は別にしても、交差する脇道などは、車2台が、ぎりぎりスレ違える程度のとこも多い。(農道だから無理もないが・・) 

記事の農道は、そうした農道よりも?更に狭い一般的な片側交互通行道路に近い道だったのではなかろうか。千葉県は農業が盛んで、これらの農道も、地元民にとっては大切な生活道路である。

千葉はまた、ゴルフ場も多く、首都圏からのゴルファが、近道として利用していることも多い。特にナビが普及したセイか?今では農道だろうが何だろうが、抜け道になると分かれば?・・バンバンと入ってくる時代である。

ちなみに笑い話などでは、千葉のことを「暴走半島」という。言わずと知れた「房総半島」に引っ掛けているのだが、暴走といっても?・・この場合の暴走は、一般にいう暴走族の暴走とは?少し意味が違う。

千葉でいう暴走とは、私的理解では、狭い農道をスリリングに?飛ばす地元暴走車のことと理解している。(勿論、ご多分に漏れず、ここにもバリバリの兄ちゃん等がいるとは思うが・・・)

千葉県の方が、ご覧になっていたら?誠に申し訳ないが、辛らつなことを言わせてもらえば?・・千葉のドライバーは「運転マナー」が悪過ぎる。譲り合いの精神にも乏しく、感覚的にもズボラである。他県の人が農道を利用する時は、よほど気をつけた方がいい。

まったく何を考えてるのか?慣れなのか?・・狭い農道を80キロ以上で平気で走っている人を良く見かける。流石に2台がスレ違う際は、50キロ程度に落とすが、それでも50キロである。2台がスレ違うにギリギリの道幅ですからねぇ。デンジャラスドライバーが多い。

私も以前の仕事柄、千葉の農道を頻繁に利用した経験を持つ。当時、根性試し気分で、彼等に負けず、トコトン突っ込んでいった経験がある。今でも忘れえぬ思い出に、対向車とのスレ違いざまに、互いのドアミラーが「パチン」と接触したことがあった。それでも相手は何事もなかったかのように、ルームミラーの視界からドンドン消えていった。^^

2台が通るにカツカツの道幅で、双方が50キロくらい出してスレ違うと、体感速度は100キロにもなる訳で、視覚的には、かなりのものがある。そんな状態だから?慌ててハンドルを切り損ねる者も多いのだろう?・・車が水田にっ込んでいる光景などは珍しくなかった。腕に覚えのない人は、対向車が来たら、道の端っこにでも寄って、「どうぞ!」と先を譲った方がよかろう。

私的には、そんな経験を幾度もつんでいるから?記事を見た途端に「ピン」と来た。なんせ譲り合いの精神に乏しい土地柄である。憶測にはなるが、お互いに「お前が下がれ!」と怒鳴り合っていたに違いない。

ケンカなれば?必ず双方に責めがあったハズだが、といって?殺してしまっては?どうしようもない。今となっては手遅れである。

この男は、反省しても反省し切れぬ大罪を犯してしまった。二人も殺した以上、この男には、何れ重大なる判決も覚悟せねばならない。今はただ、亡くなられた方々のご冥福を静かに祈るのみである。。

 

 

 


精神異常者による理不尽な殺傷事件が後を絶たない。。

2008-08-31 10:35:29 | 独り言

精神異常者による理不尽な殺傷事件が後を絶たない。そこで今回は、これまで私が感じてきた事を、過去のブログ記事から抜粋し加筆した。ひどい事件が多すぎるセイか?怒りに任せた記事も多かったが、まとめると概ねこうなる。

何の落ち度もなく、言われなき殺人により、命を落とせざるを得なかった者たち。その無念さは、察っして余りあるものがある。

それを裁く、司法も本来なら、「死刑」が相当な事件にも、刑法39条を盾に「無罪」にしてしまう暴挙が続いている。本来、正義の番人であるべきハズの裁判所が、危険な殺人者を無罪にしてしまっている。そして一方には、そんな殺人者を平気で擁護する弁護士の存在がある。これも困ったモンで、市民感情に照らして考えると?怒り心頭も甚だしい。ましてや?故人に至っては?なお更のことだろう。

ならば?・・無罪にした犯人が、この世で再び事件を起こした場合は、誰が責任取るのか?ということになる。「知らぬ存ぜぬ」では済まされない。感情的には、裁判官は道義上の責任を感じて、即時、丸坊主となり辞職するのが道理である。合わせて、そういう判決に至らしめた国の怠慢についても許しがたく、国家賠償に向かうは当然のことである。そのくらいの覚悟をもって裁判官は「無罪」判決を出すべきと考える。。

それでも尚、市民感情からすれば?間尺に合わないのが実状だが、・・今後、類似事件を未然に防ごうと考えた時、極論的には「彼らの全てを一網打尽的に隔離は出来ぬものか?」との考えも出て来る。それほど?凄惨を極める事件が多すぎるからである。しかしながら、冷静を取り戻せば?・・やはり彼らも病気。・・そこまでするのは?・・となる。

それでなくとも、日本には、長らく「ハンセン病患者」らを隔離してきた歴史があった。小泉さんが国としての謝罪を決断されたが、その反省を無にするわけにもいくまい。たとえ凄惨な事件を止める大儀が合ったとしても?・・隔離という重き処置は、そう易々と取るべき策ではない。

市民感情としては、隔離がムリなら?「せめて監視ぐらい出来ぬものか?」と思いがちである。しかしながら、その全てを網羅するとなると、とてもじゃないが、対象人数が膨大過ぎて・・人為的にも、経済的にも、到底、非現実である。となれば「監視カメラ」という?新たなる機動力を駆使して警戒に当たるのが?考えうる当面の策ではなかろうか。(ただ?そこに写ってはいても、守れないもどかしさは残るが・・)

なれば「市民という大量のマンパワーを動員した“監視システム”などは出来ぬものか」ともなるが?・・かの時代の「五人組制度」じゃないが、市民間の「疑心暗鬼」を増長し兼ねない事態が予想される。挙句の果ては、「差別」意識を拡大する流れとなる可能性も高い。しかも、これを皮切りに、あらゆる者を監視し合う社会へと?道を開く危険もある。そのような事になっては大変だ。

結局のところ。隔離も出来ず、監視もままならず、とくれば?・・「じゃぁ?どうすりゃぁいいんだ」となる。難しいテーマだから当然なのだが・・・そう考えると?問題の根本である病巣をまず「どげんかせんといかん」となる。

つまり、憲法や刑法の改正が急務なのである。時代にそぐわなくなった部分を修正することは、当然すぎる程に当然な行いである。しかし「分からず屋」たちの抵抗は強い。それゆえに暫くは「刑法改正」という微調整を続けながら、対応してゆくしかない。残念ながら・・・

いずれにしても?健常者も、病人も、ともに己の仕出かした犯罪には、法の下に「平等に責任を負う」というのが?・・万人の考える当然の道理である。事故などによる死傷と、刃物などによる故意的な殺傷を、一緒くたにして混同するような事ではいけない。

当面の対応になるが、消去法的に考えると?次に検討すべきは、病院の管理強化となる。少なくとも?今後は安易なる外出許可は絶対止めてもらいたいものだ。

これなら?やる気になれば?直ぐにでも実行可能なアクション・プログラムである。人道に配慮する必要もあるが、事件の多さに鑑み、少なくとも?病院は患者の安易なる外出許可だけは止めてもらいたい。これだけでも?・・かなりの事件を未然に防げるのではなかろうか?・・・

そして最後には、正当防衛の緩和処置である。一方的な「やられ損」を認める社会にしてはいけない。生存権は人間が生まれながらにして有する権利である。それを理由もなく、暴力で脅かそうとする者には、もともと毅然と跳ね除ける権利があるのだ。

海外を見渡せば、アメリカなどのように、銃による反撃を認めている国さえある。例え相手が病人であろうと?なかろうと?一切関係ないのである。自らの生命を脅かす理不尽なる行為には、例え相手が何びとであろうとも、それ相応の反撃が許されて当然なのである。それを法律で規制するのは?不平等も甚だしく、まるで法が悪に手を貸しているようで嘆かわしく感じられる。

この点は早急にも改めてもらいたいと感ずる。