は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

成田闘争の元中核派メンバーに判決が下る。。。

2008-06-20 22:16:24 | ニュースから考える

1971年の成田闘争で警察官と衝突し公務執行妨害と凶器準備集合の罪に問われ、保釈中の79年から先月まで行方不明となっていた元活動家渡辺往勇被告(69)の公判が20日、千葉地裁で約29年ぶりに開かれ、荒木勝己裁判長(退官のため古田浩裁判長代読)は懲役1年6月、執行猶予4年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡した。 関係者によると、渡辺被告は元中核派メンバー。先月下旬、事件当時からの弁護士に突然、電話して東京都内の事務所を訪問。身元を隠し、建設現場の日雇い労働などで生計を立てていたが、「生活が立ちゆかなくなった」などと話し、今月3日に千葉地検に出頭した。 判決によると、渡辺被告は71年7月、成田空港建設予定地で強制執行に反対し、千葉地裁の執行官や警察官を竹やりで殴るなどした。 渡辺被告は事件翌月に起訴され、79年3月の公判に出廷せず行方不明となった。 【2008/06/20 10:54 共同通信】

ほほぅ。。逃げていた元中核派メンバーが出頭とねぇ。熱い戦いを繰り広げて来た成田闘争だったが、あれから既に40年近い歳月が経過してしまった。時間の経過は事件を風化させ、人々の記憶の片隅に追いやっていった。。

あの時代は、一方では学園紛争もあり、誰もが皆「問題意識」を高く持っていた時代だ。世界平和や人権の尊重を、みな真剣に考えていた。。

まっ。成田の問題は、それらと、一緒に片付けられるほど単純ではないと思うが、兎も角も、闘争を通じて、革命という見果てぬ夢を追い続けて来た老兵が、また一人捕まったということに他ならない。近く「よど号」の犯人も戻るという噂も出ているが、何れにしても、時の移ろいを感じさせる出来事と感じられた。。

確かに、あの頃から思えば、その後の世界は大きく変わった。盟主ソビエトが崩壊し、共産革命を目指して来た世界の活動家は、失望感と共に、急速にその勢いを失って行ったのも無理はない。。

なかでも当時、過激派の急先鋒として知られ、また恐れられて来たシリアのカダフィも、そしてキューバのカストロも、今では、みんなヨボヨボ爺さんである。そして考え方も実に丸くなった。。

出頭したこの男も、記事に依れば、『建設現場の日雇い労働などで生計を立てていたが、「生活が立ちゆかなくなった」などと話し、今月3日に千葉地検に出頭した』・・・とある。やはり、よる年波の前には、如何ともし難い現実があったようだ。。

とはいえ。30年以上も逃走し続けていたところに、この男の、一応の意地も感じ取れるが、最後は、矢折れ、刀折れ、頼みの意識も風化して、精根尽きたと見える。ここらが潮時と考えたのだろう。。

そして出された千葉地裁の判決は、『懲役1年6月、執行猶予4年』という或る種の「温情ある?」判決となった。。まっ、いいとこじゃないだろうか。だが闘争と逃亡に明け暮れた活動家の末路としては、何とも「ショボさ」の拭えない最後である。。。