「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

秘密兵器!

2006年06月29日 | フォト日記
最近ようやくと時間ができて、あっちこっちと出歩いています。昨日は失業報告のため、かつてお世話になった企業を廻りました。途中有楽町の××カメラによって、新しく買ったデジカメのメモリーカードアダプター(CFカードに変換するため)を捜したのですが、何と6800円もすると言います。
何時も持ち歩いているザウルスに撮った写真を転送して、ホットスポットから送ろうと思ったのですが、あまりの高さにあきらめました。

前回書いた秘密兵器のことですが、それはブラザーのプリンタ複合機です。FAXもスキャナーも付いている上、これにはカードリーダのほとんどの種類が付いています。これがあるからXDカードと言う特殊なカードを使ったデジカメを買ったのですが、この複合機は全部付いて19800円でした。「ブラザーは偉い!」

今日はそのデジカメを使って初めて記念写真を撮りました。かつてロシア語(僕は休学中ですが)で机を並べたKさんが、出稼ぎ(?)先の上海から帰国したので、昔のの仲間で集まったのです。
Kさんは現在上海在住で人材派遣会社に勤めています。失業中の僕には、十分秘密兵器となりそうです。

他の女性2人も僕と違って外国語に堪能で、これまた秘密兵器の可能性を秘めています。
久しぶりに、楽しいひと時を過ごしました。認知症気味の脳に刺激を与えれくれた旧友たちに感謝!
シェーシェー!
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夏のような陽気です!

2006年06月27日 | 横浜散歩
デジカメが壊れたので新調しました。色が気に入ってずっとコダックを使っていたのですが、今度は国産のフジのFinePix A500という機種です。だからと言って、別に国粋主義者になった訳ではありません。

一世代前のカメラ(512万画素)なので安く売っていました。カメラ本体だけだと修理代以下です。しかし色はオートだとどうも気に入りません。

散歩しながら試し撮りをした結果、マニュアルモードで-2/3絞り露出補正をかけることにしました。アナログのリバーサルフィルムを使う要領です。
シャッターのレスポンスも以前よりは良いし、軽いし、なかなか良いカメラです。ただメモリーカードがフジ独特の形なので、カードリーダなりアダプターを買わないとパソコンに取り込むには不便です。

でも僕はこれを秘密兵器(この次まで内緒!)で克服しました。
まずは写真をご覧ください。
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デジカメが壊れたので

2006年06月23日 | フォト日記
長年使っていたデジカメ(コダックDC3800)が壊れてしまったので修理に出そうと、サービスステーションに持って行く事にしました。
最近のコンパクトなデジカメは小さいのは良いのですが、液晶画面だけでファインダーの付いた物があまりありません。僕は老眼なので液晶だと、かなり遠くに持って行かないとはっきり見えないのです。

だいたい写真の一つの楽しみは「覗き見る(?)」ことにあると思っている僕は、恥かしくてカメラを遠くにかざして撮る事などできません。
コダックのカメラには独特の色の美しさもあって、出来得るなら使って行きたいと思い、遠路はるばる、中央区の日本橋箱崎にあるサービスステーションに持って行きました。

駅は茅場町が一番近いのですが、僕は横須賀線を利用しているので、新日本橋からでも歩いて行けます、(30分近く掛かるかな?)
ところがどう間違えたのか、新日本橋ではなく東日本橋からの道順を調べてしまったのです。(脳ドックで頭は正常だと言われました)
着いてから気が付いたのですが、サービスステーションが閉まるまで40分ほどしかありません。

「ありゃ、タクシーで行くかな・・・?」、と思ったのですが、駅の案内図を見ると、人形町、箱崎と言った耳になじんだ地名が見えます。小伝馬町まで出れば何とか行けそうです。
「えい!、行ってみるか!」という事で、人形町、水天宮と言ったランドマークを頼りに歩くこと30分、目的地はすぐ分かりました。(まだ頭ははっきりしているぞ!)

受付でカメラを見せると、「症状を確認して来ます。(僕の頭は正常だぞ!)」と言って奥に入ってしまいました。
しばらくして別の女の人が出てきて、基盤を交換する必要があるので2万円掛かってしまうと言います。
1万円は覚悟していたのですが、2万円とはね・・・!
多分その半分以上は技術料という名目で加算されると思うのですが、基盤の交換くらい、たいした技術では無いと思うのだけど・・・。

物が溢れ、ごみも溢れる中で、僕は音の技術者と言う環境問題に関わるエンジニアとして、せめて気に入った機械くらい修理して長く使いたいのですが、技術者の良心など無視される世の中になってしまったのでしょうか?
愕然として外に出て、来た方向と反対側をみると、どうも前に来たことがある風景なのです。「あれ?、たしかに来た事があるな・・・」、すぐ前に見える橋の向こうは永代橋のようです。

目の前の橋は豊海橋①と言う珍しい形体の橋で、建築か土木の大学のゼミでしょうか、学生と先生らしき人が写真を撮っていました。
永代橋を渡って門前仲町へ出ようとしたのですが、手前で隅田川の河畔に下りるとこれまた見覚えのある橋が見えます。

「高層マンションは佃島方面だし・・・」、東京駅から越中島へ行く時タクシーで通る中央大橋という吊り橋です。
という事は東京駅まで歩いて行けると言う事ですね・・・。通いなれた東京駅方面への道に出てしばらくすると、左側にレトロな橋が見えました。ものはついで、信号を渡ると南高橋②と言う橋でした。
そのすぐ先は八丁堀の駅です。という事は、銀座も近いのでは・・・?、欲望が広がってゆきます。

それから延々と1時間近く、ブラザーのショールーム③でプリンタ複合機を見て、銀座でコーヒーブレイク④、ついに新橋まで歩いてしまいました。
歩いたコースは中央上の赤丸(新日本橋)から、白く引いた線を辿って(①~④)、左下の緑丸(新橋)まで、5キロほどです。

「あ!、八重洲口のフィルムセンター⑤に寄ったのを忘れていました。」
歩いた距離も長いけど、文章も長いな・・・!?
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魅惑の横浜

2006年06月19日 | 横浜散歩
頭の写真は目障りだと思って、何かきれいな写真でも載せたかったのですが、なぜかデジカメが壊れてしまいました。
僕の脳の写真を複写した直後なのでショックです!
どういう事なのでしょうか?、でも5年は使ったのでもう寿命でしょうか?

脳の写真に、魅惑の横浜と言うコメントをいただいたので、横浜の風景は無いかと以前に撮った写真を探してみました。
馬車道から赤レンガ倉庫に行く途中の、万国橋から撮った黄昏の横浜です。
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記念写真?

2006年06月16日 | フォト日記
写真を撮るのは好きなのですが、撮られるのはどうも苦手です。
でも今日はビッグな記念写真を撮ってしまいました。

最近どうも物忘れや忘れ物が多く、ひょっとしたら認知症の兆候ではないかと心配で、脳ドックを受けたのです。
細長いベッドに横になり、頭と身体を固定され、MRIというガタガタ・ドンドンと、やたらうるさいトンネルの中に頭を突っ込んで25分程でしょうか?

それからまた30分待たされ、診察室で結果を言い渡されます。
いよいよ若年性(この言葉には憧れるなァ!)アルツハイマーの宣告を受けるのかと思ったら、先生は開口一番
「健康な脳ですね!」
「ン?」
「これが横から撮ったところで、ここが鼻、きれいな脳ですよ!」
「隙間があるかと思ったんですけど?」
「まだまだ大丈夫ですよ!、しわもあるし・・・、自信持っていいですよ!」

写真は40センチ角のフィルムに9コマずつ並んでいます。
「こんな小さな写真で分かるんですか?」
「大丈夫、大丈夫、自信持って良いですよ!、写真持って帰りますか?」
別に見ても分からないのですが、記念に貰ってきました。

と言う訳で、お墨付きを貰ったのですが、ロシア語の単語は全然覚えられないし・・・、これは単に努力が足りないと言う事だったのでしょうか?
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梅雨空ですが・・・

2006年06月14日 | フォト日記
関東地方が梅雨入りしたと聞いたのですが、雨はあまり降ってきません。
ただでさえ運動不足気味の僕は、雨が降り続く前に少しでも運動しておこうと、昨日は帰り道を2駅歩いて帰ることにしました。

でも、「みなとみらい」の入り口桜木町駅までは5・6分で着くのですが、そこから横浜駅まで歩くと、さらに20分程歩かなければなりません。
桜木町で一旦地下街にもぐってしまうと、電車に乗る誘惑に駆られてしまうので、駅前の歩道橋を渡るとランドマークタワーの方向が、暮れ始めた空に輝いて見えます。

「きれいだなァ・・・」と近未来的な風景を力に、空腹に耐え、何とか2キロ程を歩いて帰途に着きました。

今日は朝から目いっぱい働いたので(?)空腹に耐え切れず、帰宅してから自宅周辺を15分ほどジョギングしました。(と言っても走ったり歩いたりですが・・・)
無理をすると3日坊主になるので、雨が降らない日だけ、ほどほどにやるとしましょう!
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かん袋と赤福

2006年06月09日 | フォト日記
今日は仕事で鵠沼まで行きました。藤沢から江ノ電に乗って2つ目の、柳小路という駅で降りたのですが、帰りは電車が丁度出て行ったところだったので、何時も贔屓(?)にしてくれるお客さんと藤沢の駅まで歩くことにしました。

お客さんのM氏は三重県の出身だったので、道すがら先日の大阪での話をすると、三重という土地は名古屋に近いけど大阪の文化圏なのだそうです。言葉も大阪弁に近いようです。

藤沢に着いて、仕事の確認に喫茶店に入ったのですが、その席で天王寺から堺まで行って「かん袋」と言う店で「氷くるみ餅」を食べた話をすると、伊勢の「赤福」にも「赤福氷」と言うのがあって、やはり赤福の餅とあんこの上に氷をかけて食べるのだそうです。

面白いですね・・・!、お菓子一つでも、歴史や文化の関わりを辿って行くと、色々なことが見えてくるかも知れませんね?
歴史としては「かん袋」が豊臣秀吉の時代という事なので、「赤福」よりはるかに古いようです。

鳥羽と大阪・堺が船で繋がっていて文化はやはり西から来たのでしょうか?、ちなみに堺にお菓子屋さんが多いのは、千利休出生の地でお茶が盛んなのだそうです。司馬遼太郎の「街道をゆく」を読みたくなりました。(小泉八雲も読んでいなのに・・・!?)
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旅の終わり

2006年06月06日 | フォト日記
3日目位になると何故か旅にも飽きてきて、人に会う予定が無ければ岡山からそのまま帰ったかもしれません。
時間が自由になったせいなのか、はたまた列車や宿の設備が近代化されたせいか、よく分からないのですが、久しぶりの国内旅行をして、旅の居心地が僕にとって良くない方向に、変化しているような気がしました。

ローカル線のディーゼルカーの冷房の効いた室内で、ロングシートの座席に座りながら、しかもほとんどの窓が日除けのカーテンで閉めらたりしていると、閉所恐怖症気味の僕は、旅の開放感が抑制されてしまうようです。

そんなこんなで、3日目の土曜日は松江から岡山まで一気に移動してしまったのですが、4日目から古い友人に会い始めて、少し元気が出てきました。
日曜日は京都で、30年ぶりに古い友人に会いました。にしんそばを食べ、八坂神社から清水寺へ、学生時代さながらに歩いてゆくと、修学旅行シーズンなのでしょうか?、どこも人が一杯です。
夜、新大阪に戻り、これも30年来の友人に電話をし、翌日は夕方までの時間を天王寺界隈と、阪堺電車という昔ながらのちんちん電車(路面電車)に乗って過ごしました。
ホームページに出ていた「ちん電最中」と言う電車の形をした最中を探しに、知らないうちに、結局堺の方まで行ってしまいました。

寺地町と言う停留場の周囲は、お寺とお菓子屋さんが多く「ちん電最中」を買った後に入った喫茶店のご夫婦に聞くと、「かん袋」と言う店の「氷くるみ餅」と言うのが人気で、夏になると行列が出来てすぐ売切れてしまうとの事です。しからば行って見ようと言う事で、行って見るとなるほど帳場(と呼ぶほうが相応しい雰囲気)に列が出来ています。
僕らは初めてなので、どうやって注文してよいか分かりません。前に座っているご夫婦が、自分でお茶を運んできたので、聞いてみると列に並んでお金と交換に番号札をもらうシステムになっていました。
「だいぶ、待たはれました?」と聞かれたので、「今来たところですけど・・・」と言う事からひとしきり話が弾みました。
通天閣から、恵美須町、住吉神社、寺地町とちんちん電車に揺られながら、ここに来てやっと旅らしい雰囲気になってきました。

夕方、別の(これまた30年来の後輩)友人に会って話すと、「電車乗っているとほっとするでしょ?」、「うん、何か面白かったな・・・!」、「そう、あそこ行くとほっとするんです。」と言う事で、写真左上は天王寺駅前の停留所、右が住吉の太鼓橋、左下は「氷くるみ餅」、右が今回の旅の全荷物です。
4泊5日の旅の荷物としては小さいかも知れませんが、一応ノートパソコン、LANケーブル、モデム用のモジュラーケーブル、着替えとズボン、下着の替え、カメラ、デジカメ、ラジオ講座のテキストから水虫の薬、爪切まで、必要なものはすべて入っています。

宿は基本的にインターネットの使えるホテルを、前の日にネット予約するという形を取りました。パソコンを持って歩くと、必要な情報はインターネットで検索出来、メールも使えて便利なのですが、人とのコミュニケーションをとらなくなるような気がします。

事前に必要な情報を調べて、プリントアウトして持って行く形のほうが、旅は充実すると思います。基本的に、インフォメーションやホテルのフロントで聞けばよいのですが、相手が若い女性だったりすると、こちらの意図を汲んでもらえなかったりと言うことで、悲しい思い(?)をするかも知れません。しかし、粘り強く交渉していると経験豊かなおじさんが出てきて、気持ちよく出発出来るかも!

全体に感じたことですが、旅のハードは充実してもソフト面がいまひとつ、昔に比べると劣っていると思うのですが、それは旅に限ったことでは無いのかな?

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木次線には

2006年06月04日 | フォト日記
こんな列車が走っていました。松本清張原作の映画『砂の器』で有名になった亀嵩(かめだけ)駅のあるローカル線です。
乗ったのは初めてです。42年前は備中神代に出て伯備線経由で山陰本線の伯耆大山に出ました。

写真は出雲坂根駅ですれ違った「トロッコ号」です。写真を撮っていたら、逆方向の踏み切りの警報が鳴り始めました。
「トロッコ号」が出発すると思ったのですが、乗ってきたディーゼルカーを見ると運転手がこっちを見ています。一瞬方向感覚がなくなりました。(アルツハイマー!?」)

ともかく列車に戻ると、来た方向と逆に走り始めたのです。「ん!?」、思わず周りを見渡して、一緒に来た乗客を確認したのですが、どう見ても同じ顔ぶれです。
「あ!、スイッチバック?」
行った来たりしながら高度を稼ぐスイッチバック駅だったのです。
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42年の歳月

2006年06月03日 | フォト日記
モノクロームの写真は1964年8月6日に広島県の備後落合駅で撮った写真です。

今回の旅の唯一目的らしい目的が、中国山地の山の中の小駅を訪ねて、時の経過を確かめ、感傷に浸ろうと言うことだったのですが、鑑賞(?)さえせずに、この2カットを撮っただけで、5分後には三次行きの鈍行に飛び乗っていました。

ここで、しばらく撮影しようとフィルムも3本残しておいたのですが、なぜだか良く分かりません。車庫の建物か無くなっているのを見て、「あ~!、帰ろう!」と瞬間的に思いました。

次の列車だと2時間半待たなければなりません。
2時間半の感傷には耐えられないという自己防衛本能だったのか、自分のやっていることが馬鹿馬鹿しくなったのか、はたまた夏のピーカンの日差しの下で、良い写真など撮れる訳無いと判断したのか・・・。

ともかく、モノクロームを現像してから、何が見えてくるか、考えましょうか?
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