今日は父親の四十九日の法要でした。納骨を済ませ、実家の祭壇を片付けていると兄が供物として供えていたピーナッツバターが目に付きました。晩年入れ歯で過ごしていたのですが、その入れ歯も合わなくなり、固いものが食べられなくなってしまいました。
食欲が無くなった時、栄養を考えてかこのピーナッツバターを匙ですくって食べていたのです。
いつも座っていたテーブルに、星型をした折り紙のようなものが幾つも残っていました。聞いてみるとこのピーナッツの中蓋の銀紙でした。食べた後捨てずに作っていたようです。どうやって折るのか良く分かりません。そう言えばタバコの銀紙で小さい鶴を折っていたのを見た事があります。手元にあるもので楽しむ術を心得て居たのかも知れません。いずれにしろ95歳まで生きるにはそれなりの努力をしていたのでしょう。
会食の席で、父親が若い頃神田の電機学校に通っていたという話が出て、子供の頃よく遊んでもらった叔父さんが「何勉強していたんだろうね?、聞きたかったな?」と言っていたのですが、おそらく大正の終わりか、昭和の初期、電機学校ではどんな事を勉強したのでしょうか?
昔のことは殆ど話さない父親でした。そういう意味では、年寄り臭くない95歳でした。
食欲が無くなった時、栄養を考えてかこのピーナッツバターを匙ですくって食べていたのです。
いつも座っていたテーブルに、星型をした折り紙のようなものが幾つも残っていました。聞いてみるとこのピーナッツの中蓋の銀紙でした。食べた後捨てずに作っていたようです。どうやって折るのか良く分かりません。そう言えばタバコの銀紙で小さい鶴を折っていたのを見た事があります。手元にあるもので楽しむ術を心得て居たのかも知れません。いずれにしろ95歳まで生きるにはそれなりの努力をしていたのでしょう。
会食の席で、父親が若い頃神田の電機学校に通っていたという話が出て、子供の頃よく遊んでもらった叔父さんが「何勉強していたんだろうね?、聞きたかったな?」と言っていたのですが、おそらく大正の終わりか、昭和の初期、電機学校ではどんな事を勉強したのでしょうか?
昔のことは殆ど話さない父親でした。そういう意味では、年寄り臭くない95歳でした。