「ぐうたら ・フォト日記」

「ぐうたら」を生活信条とする、ぐうたらなフォト日記です。時々『写真の無い・フォト日記』にもなります。

日本的なもの

2005年06月30日 | フォト日記
今日はロシア語の授業でした。雨の中を朝から荷物をいっぱい持って川口まで行ったので、教科書と辞書は持たず、一旦自宅まで取りに帰りました。午後からは太陽が出て蒸し暑い天気になりました。「疲れたなぁ・・・、このまま半休を取って、授業もサボろうかな・・・?」という軟弱な気持ちが横切ったのですが、何とか気を取り直し、6時30分ぎりぎりに三田の外語に到着しました。
今日の出席者は5人です。当たる順番を確認して、次に来るところを辞書で調べていると(十分に予習できないほど忙しいのです・・・これ言い訳?)、日本家屋の紹介の文章で縁側の話が出てきました。ベランダとかバルコニーという言葉で説明しているのですが、それを訳しているAさんが「縁側って屋根がついているの?」と言ったところから話が脱線して来ました。

こうなると俄然元気が出てくるのが僕で、「付いてるよ、ひさしがあるでしょ!?、縁側って知ってる?、近所の人がちょっと訪ねてきて、内に上がらずに座って話しするためにあるんだよ!」、と知ったような話をすると、若き女性INさんが「サザエさんで誰々(?、僕には分からなかった)がお茶飲んでたりするアレ?」
68歳のSさんからは、「縁側といっても地方によって色々で、屋根の付いていない濡れ縁と言うのもあるんだよ!」と言う意見が出ました。
その間にもフランス語に堪能な若者K君がフランス語でのバルコニーとテラスの違いを説明したり、しっちゃかめっちゃかになって来ました。でも、これがこの授業の面白さです。20代の若者から68歳の老人(失礼!、僕よりも元気だな・・・)まで世代によって、ひとつの言葉でも様々なイメージがあるようです。
とにもかくにも、この「縁側」というものは、非常に日本的なもので、外国語で説明するのは難しいのでしょう。

だいたい「縁側」のある家なんてもう無いですよね・・・?、田舎に行けばあるのだろうけど、この30年くらいの間に、都会では見られなくなってきました。
僕の記憶の中でも、「廊下」と「縁側」の区別、「縁側」と「濡れ縁」の区別があやふやになっていて、辞書を引いて見ると、庭に面した廊下部分が「縁側」、その外の一段下がった板張りに足が付いた(分かりにくい表現かな?)部分が「濡れ縁」で、それがひさしの下になると言う関係でした。

ちなみに、縁側は単に「縁」とも言い、それは人間同士の「縁」に通じているようです。言葉が無くなって行くと人間関係が変わって行くのか、人間関係が変わって言葉が無くなって行くのか・・・?、考えさせられる問題ですね。


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ものについて

2005年06月26日 | フォト日記
思うところがあって父親の遺品(と言うには大げさですが・・・)の写真を撮り始めています。それは別に父親を偲ぶというのではなく、95歳まで生きた父親が使った物を通じて、人間にとっての「ものの持つ意味」について考えてみたいと思ったからです。

現代において、人と人との関係が希薄になっているように、人と物との関係も希薄になっているような気がします。
それは僕自身が使う物についても言えることで、コンピュータは長く使っても3年、時計に至っては、ほとんど使い捨てのような感覚で買い換えています。実際、直して使うよりは買ったほうが安くつくと言う、物作りの風潮もあるのですが、愛着の無いもの(愛着という言葉自体も、物に限らず使わなくなってきましたね・・・)が僕の身の回りにはあふれています。
父親が果たして「愛着を持って」使ったかどうかはわからないのですが、とにかく面と向かって眺めてみれば、何か見えてくるものがあるような気がするのです。

さて、上の写真ですが、もう25年ほど前に僕がある人からもらった、「しゃべる計算機」です。
小鳥の声が出たり、マークを見るとなにやら色々な音がでるようなのですが、父親は時刻を1時間ごとに知らせてくれることが気に入ったらしく、電池を自分で取り替えながら25年間使っていました。埃だらけで、ケースもでこぼこになっています。ついこの間も、まだ使いたいらしく、電池を取り替えたのですが、やはり時間の合わせ方は忘れていました。

父親は神田の電気学校に通っていたこともあると聞きました。機械が好きだったのかも知れません。あるいは息子から貰った「数少ないもの」という意味もあったのでしょうか・・・?

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おみくじ

2005年06月22日 | フォト日記
越中島に仕事で出かけたのですが、道路が空いていたため40分も早く着いてしまいました。しからば息抜きに近くを散策しようと、深川の富岡八幡宮まで行ってみました。裏口から(駐車場がこっちにあるのです)入って行くと大きな相撲の碑が立っています。両国も近いせいか、ここはA級戦犯ではなく、力士を祀ってあるのでしょうか?
深川丼の看板を横目に、境内を散策してみました。自慢じゃないけど、神も仏も信じない方なので、隣国の嫌がる靖国参拝もした事がありません。花見途中でトイレを使った事があるくらいです。
「八幡様は手は叩くのかな・・・?」などと思いつつも、駐車料金の代わりにお賽銭100円を寄付してきました。
一緒に行った若者が、おみくじを引いたので、付き合いで僕もやってみると「大吉」でした。信仰心とおみくじの結果は、あまり関係ないようです。

マスコミに毎日のように出てくる宰相の影響なのか、靖国神社に参拝する若者が増えたと言うニュースを耳にしました。マスコミの持つプロパガンダの力を感じるとともに、人間には知るべき歴史がまだまだ沢山あるような気がしました。
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吟遊詩人

2005年06月20日 | フォト日記
ブラート・オクジャワという人はロシアの詩人です。その人の歌を僕は聞いたことが無かったのですが、前々から興味がありCDを探して見ました。
彼が自作の詩にメロディーをつけて歌ったのは1957年から3年間ほどの間だったようです。その後はブレジネフ体制の中で思想統制が行われ「歌う詩」を書かなくなったのですが、口伝えやテープの複製で60~70年代に野火のように全国に広がりました。
反権力・反軍国主義の寓意を潜ませたオクジャワの歌の数々は、ソ連崩壊後、民主化運動のシンボルになったそうです。
という訳で、今日はロシア語の授業の日です。慶應外語のキャンパスには『三田の吟遊詩人(を目指す人?)』の歌とウクレレが響き渡りました。
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動物園

2005年06月14日 | フォト日記
父親の葬儀も無事に終わり、久しぶりの休みです。散歩がてらに近所にある夢見ヶ崎動物公園に行って見ました。最近、立つレッサーパンダが評判になっていますが、ここのレッサーパンダはぐうたらであまり動きません。代わりにその横の檻で、立って小さなサルを見ている犬を見つけました。
この時期の動物園は生まれてまもない子供が居て、なかなか楽しい所です。そう言えば父親は戌年でした。
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コンピュータの引越し

2005年06月07日 | フォト日記
仕事が忙しい上に、コンピュータのリース期限が終わり、ここに来て新しいコンピュータに以前の環境を移し変えなければなりません。おかげで今日までの仕事を土曜日に終わらせて、昨日の月曜日は一日新旧のコンピュータをいじっていました。だいたい見通しがついたので、ロシア語の授業で「わにのゲーナの歌」を歌い(関係ないか・・・)息抜き、来週は何を歌うかな・・・?
今日は朝から川口での報告会、午後は越中島の技研によって、夕方からまた引越しです。6時近くになって一週間ほど前にやった仕事の修正が入りました。新しいコンピュータでやろうと思ったのですが、まだ環境が整っていないので断念、仕方なく古いコンピュータを、使いにくい姿勢(キーボードを膝の上において)で使い何とかクリアー、8時過ぎにようやく引越しが終わりました。
古いコンピュータのハードディスクのデータを消そうとフォーマットをしていると、ブラウザの「お気に入り」を移し忘れているのを思い出しました。「いけね~!」、かろうじてCドライブがまだ残っていたので、これも何とか無事に終了しました。忘れていることは無いだろうな・・・、と思っても、もうハードディスクはすべて消し去りました。「はたして無事に仕事が出来るのでしょうか?」
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