前回のブログで「カニ穴パンチ」のことを「1974年に大学の同級生数人で始めたバンド・・・」と書いたら、同級生で今は教授になっているI君から「74年のバンドには名前が無かった」という指摘がありました。
最近の記憶だけでなく、若い頃の記憶もあいまいになってきています。
これはいかんと言う事で、記憶の糸を辿って行くと、だんだん思い出してきました。
74年の写真の中に75年から参加した人間が混じっていたので、頭の中がオーバーラップしていたようです。
まあ、殆ど同じ人間がやっているのだから、74年が「元祖カニ穴パンチ」、75年が「宗家カニ穴パンチ」だろうと勝手に決め、掲示板に訂正記事を出したのですが、果たして反応や如何に?、分家が幾つあるのか、知りたいものです。
と言う訳で上は、某I教授秘蔵(?)の「宗家カニ穴パンチ」オリジナルメンバーの写真です。若いですね・・・!、僕も始めて見ました。(忘れているだけかな・・・?)
ちなみに、右端でタンバリンを叩いているのは、若い頃の東京ロマンチカ「鶴岡雅義・・・?」、では無く大分県佐志生出身のS君です。彼はピアノを器用に弾きました。
S君とは色々な思い出があります。と言うか、このメンバーの皆といろいろな思い出があります。青春でしたね・・・!、時間は無限にあるような時代でした。
S君は器用な人でした。(まだ元気だよな!)僕の音楽生活で一番影響を受けた人かもしれません。男声合唱を一緒に歌い、「カニ穴パンチ」を2年やり、同じ研究室で毎日のように一緒にクラリネットを吹き(勉強は何時したんだ!)、挙句の果てにブラスバンドの全国大会にまで行きました。
彼は予選、地区大会、全国大会とクラリネット、バスクラリネット、アルトクラリネットと毎回違うパートを吹いていました。
僕はサードクラリネットで(この数ヶ月前に始めてクラリネットを持った!)、高校からブラバンをやっていた新入生のO君に「吹けるじゃないですか?、どんどん吹いてください!」等とおだてられながらやっていたのですが、そのうちに、「先輩、そこは無理に吹かなくっても良いです!」
全国大会では「先輩、そこは吹かないでください!!」
(金賞無しの銀賞になったのは僕が吹かなかったからかな・・・?)
とにもかくにも、半年ほどで僕のクラリネットは飛躍的に進歩したのは確かです。人間めげずにやっていれば進歩するものです!
下は75年11月、秋田の千秋公園での早朝練習風景です。(誰が撮ったのだろう?)