笑いまみれ・はなこば日記

笑うことを積極的に考える女の日記
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シルクの人生@ブラマヨとゆかいな仲間たち

2011年11月21日 | 面白い女性
ひさしぶりに
カテゴリー(女子)で書きたくなるネタを見つけた。

激アツトーク
ブラマヨとゆかいな仲間たち
のゲストは
吉本の美容番長こと
シルク
姉さん。
噂年齢50歳。

です。


しゃべくり007的うざい番宣といいいますか
別撮りのシルクインタビューが何度も流れていた。
「あれが生きてきた中でいちばん辛かった」
というような発言。
ああ
非常階段の話をするのか。
と思ったけど、
それを売りにするわけね?
と完全心は引いてました。
シルクさんに
ではなく、
番組自体にね。

シルクさんは元漫才師です。
ダウンタウンやトミーズの少し後輩。
二丁目劇場時代に活躍していた
女性コンビのツッコミ。
正統派のしゃべくり漫才だった
という印象です。
15年ほど前に相方のミヤコさんが肺がんで亡くなりました。
それを期にコンビは解散。
今に至る。

泣かせるつもり?
もうこれは
絶対に泣かないわよ。
感動すらしないかもしれない。と心を閉ざしてから見ました。

でもね。
泣いちゃったわ。
なに?
「やっぱり」ですって。
あのときの
心の閉じ方を見せてあげたいわ。
シャッターガラガラ。ですよ。
そっからの
泣き
ですから。
おんおん声出して泣いちゃったから。

なによりも
うさんくさい番組の宣伝方法を上回る
シルクさんの凛とした語り口に
泣けたのです。
別撮りのインタビューでは
「初めてくらいテレビで話した」「泣きそうになった」
と言ってはいたけど
客前のスタジオでは
まったくそんなそぶりはなかった。
しっかりとした
よどみのない語り口で
小中高、そして大学生から吉本に入るまでずっと幼馴染であった
ミヤコさんのことを
今でも自分の中に生きている
と爽やかに断言する姿は
毅然としていて美しく、
泣けてしまった。

いまはおまけのような人生だと思っている。

とシルクさんは言ってました。
ミヤコさんが亡くなって
死を受け入れられず
毎日夢の中に
「死んだことにされてんねんけど」
というミヤコさんが出てくる。
それで顔面が神経痛になり、
会社に暇をもらって
ニューヨークで療養することになり、
そこで美容と出会う。
サルサダンスもニューヨークで覚えたもの。
日本に帰ってきて
中田ボタンさんに
「ふっきれたな」と言われた。
と。

後輩にはみんな元気に生きてほしい
と願うシルクさんに
小杉さんが
そういう面があるのに
毎年
ヌードポスター出しているのが
わけわからん
と言われていました。
が、
わたしは
この回で
訳が分かってしまった。

シルクさんには
芸人としての欲がない。
というのが私の感じていたことです。
まず、前に出て笑いをとろうとしない。
そして
芸人にありがちな「おいしさ」は
恥じらいやひとりの女性としてのプライドの前で
全然負ける。
恋愛のことはNG。
年齢のことも
軽くかわす。
そんなことなら
笑いなど取れなくてもよい。
空気は読まなくて良い。
という雰囲気を感じるのです。
タレントさんや
女優さんには
ありがちなことですが、
がっつり芸人として生きていたのに
不思議でならなかったんです。
どうしてなんだろう。

たぶん、これは妄想なんですけど。

ミヤコさんが死んだ時点で
シルクさんの芸人としての人生は幕を閉じたのだ。

人前で笑いをとることは
コンビでないと
と思っているシルクさんが見えたのです。
深い深いコンビ愛が
にっこり笑った目の奥に垣間見え、
それゆえに
このひとは芸人としての欲を捨てたんだな。と。
そして
自分は自分として
その存在を確立しようと思ったのかもしれません。
きれいになる。
っていうのは
己を知ることです。
自分磨き
とはよく言ったもので
自分ありき
なんですよね。
だから
あのエロイカレンダーも
その瞬間の自分を残す
という考えをもとに
還暦まで撮る
とおっしゃっているのだと思います。

自分のヌードを撮ろうと思ったきかっけは
SEX AND THE CITY
とシルクさんはロンドンハーツでおっしゃってました。
サマンサがヌードポートレートを映すエピソードですね。
生きている証
の話と記憶してます…
ちがうかな。
そのヌード写真を玄関のとこに飾っておいて
デリバリーの兄ちゃんに
「いいケツっすね」
と言われて
チップはずむ
っていうことは
明確に覚えているんだけど。

だから
吉田さんが
これからは
シルクカレンダーを
「エロイ目で見る」
と宣言していたことは、あながち間違ってません。

では
この記事も
おいおい泣きながら書いたので
あんまりまとまってないけど。
このへんで~。