浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

暇人

2020-11-20 | 定年波止場

日本はこれから老齢化がどんどん進んで、世の中に老人があふれる時代がやってくる。

今でもあふれているのだが、更にあふれてくる。

老人は金はないが暇はある。

こうした金はないが暇はある老人のレジャーとして、いっときゲートボールが流行ったが、いつの間にか廃れた。

団体で何かをする、というのは頑固な老人たちには向かなかったのか、はたまた高齢になって動けなくなったか…

どちらかであろうと思われる。

なれば一人で、暇な時間に金をかけずに楽しく過ごすにはどうしたらいいか。

定年退職後に蕎麦を打つのもいいが、鉛筆を削る、というのも悪くないと思う。

心静かに鉛筆を左手に持ち、右手に持ったナイフの刃先を鉛筆の木部に当てる。

ナイフの背のところに左手の親指を当て、親指に力を込めて押していくと…

刃先はズリズリと木部を削っていって、一片の木屑がハラハラと下に落ちる。

ズリズリのところが楽しい。

そして懐かしい。

そうそう、かつてはこうやって鉛筆はナイフで削ったものだった。

木材とナイフの刃の相性の良さを改めて思い知る。

毎日5本、時間を決めて心静かに鉛筆を削る。

そして紙に俳句を書く。

キーボードで字を打つのではなく、鉛筆で紙に書くのが風流。

本日の一句。

若人は 万年筆を 知らんがな

季語がない。

お粗末。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隙間で生き残り

2020-11-20 | 日々是好日

「密はいけない」、ということになった。

「疎がいい」、ということになった。

疎とは「まばら」ということであり、「隙間」という意味でもあり、つまりディスタンスのことである。

コロナ禍でそういうことになった。

価値観というものは時代によって変わる。

どんどん変わる。

常に身構えていないと、そういう変化に気がつかないで恥をかくことになる。

コロナ禍以前の「密」は良いことに使われることが多かった。

「親密」「緻密」「濃密」。

いずれも好ましい状況を表している。

「密接」「密集」「密閉」の3密だってコロナ禍までは別に悪い意味ではなかった。

なので三者ともノホホンと暮らしていたら急に悪者にされてしまった。

「油断も隙もない」という格言があるが、これからの時代はまさにそういう時代になった。

「隙間」はディスタンスということだった。

コロナ禍の時代はディスタンスが大切、ということになった。

ディスタンスは「良いこと」ということになった。

だけど「油断も隙もない」の「隙」は「良くないこと」の意味で使われている。

「隙を見せる」の「隙」は、人に見せてはいけないものとして使われている。

もともとは悪者だがコロナ禍時代は良い者。

やはり時代とともに価値観は変わる。

「昨日の悪者が今日は覇者」、なんてこともアリの時代。

時代の早い流れにはついていけなくなってきたが、遅い流れは何とかついきたいと思うじじなのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする