誰にでも青春があった。
青春がなかった人はいない。
人は人生のどのあたりから青春を過去形で語るようになるのだろうか。
人生は大きく分けて赤ん坊時代、幼年時代、少年少女時代、青春時代、中年時代、老年時代に分けられる。
最近はこのあと認知時代というものを加える人もいる。
今どう思っていますか、自分の青春時代。
自分の友人たちは、当然ながら老人時代の入り口に立つ、老人見習い世代である。
そういう人たちの話題といえば、年金の話、病院の話、持病の話、持病を共有する人たちと共通の薬の話、お墓の話、最近は遺言がブームらしく遺言の話になっていく。
ここで議論が白熱し、とても青春時代の話が出てくる雰囲気ではない。
誰かがそんな話を持ち出したら、「今はそれどころじゃないの」と一蹴されるだけだ。
青春時代のことは、もっとも馴染まない話題といえる。
最近自費出版が盛んだと言われている。
自分の半生を自分で書いて自分で本にする。
けっこうお金もかかるらしいが、自分の半生を順序を追ってきちんと振り返ってみたい。
その思いは歳と共に強くなっていくようだ。
それが自費出版につながっていく。
自費出版で一冊の本にすれば、ちゃんと手に取ってちゃんと自分の半生記を読んでもらえると思っているようだが、話は逆で一読だされず、ただちに古紙回収の束の中に押し込まれる。
だが当人は決してそう思わないところに自費出版の不思議があり、自費出版はあとを絶たない。
大抵、生い立ちから書き始める
どこでどう生まれ、どう育って現在に至ったか。
つまり自伝である。
自伝には当然のことながら青春時代のことも書くことになる。
日に日に遠ざかっていく青春。
記憶がおぼろげになっていく青春。
いざ自伝を出すときになって、思い出そうにも思い出せない青春。
仲間内で酒を飲みかわすとき、お墓の話ばかりしないで、たまには青春時代の話を取り入れてはどうでしょうか。
と思って、そういう場で隙を図っては話を持ち出そうとするのだが、その都度「今はそれどころではない」
と、いうことになって、その都度一同は葬式の話になっていく。
青春時代を熱く語る老人は、もはやどこにもいないのだ。
今のうちに青春を語っておかないと、このあといつの間にか認知症の症状が始まり、語れなくなるかもしれない。
もしかしたら、今が自分の青春を再検証するラストチャンスかもしれない。
そうだ、いいこと考えた。
今この場を借りて、ここでわが青春を語ってしまおう。
はなはだ申し訳ないことであるが、そういうことにしたいと思うのであります。
つづく…