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浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

訃報は突然に

2021-03-12 | 定年波止場

わたくしも前期高齢者となったからには、これから何回お正月が迎えられるかわからない。

子供のころはお年玉がもらえて、親戚が集まって家でゲームをしたりと楽しかったので、正月はめでたい気持ちがあった。

お年玉がもらえない年齢になると、正月はどうでもよくなった。

ただ12月31日から、一日経っただけじゃないか、と思うようになる。

就職すると正月などは寝だめする時期になった。

しかしこの歳になると、正月を迎えられるのがとても大切に思われるようになってきた。

塩分だの糖質だのと食事制限を受けてるわけではないので、好きなものを食べたり飲んだりしてきたが、これからはそういうわけにもいかないだろう。

と考えるようになった。

同年代、あるいはお世話になった人たちの訃報が突然入ってくるようにもなった。

驚きとともに、いつかは自分にもその時が来ることだろうなぁ~。

などと思うのではあるが、まだしばらくは先のことだろう。

…などとタカをくくっているおバカさんなのであった。

 

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入浴方法

2021-03-10 | 定年波止場

若い頃は子供の頃からの習慣で、入浴するときは肩までちゃんとお湯につかっていた。

それがいつのころからか、お湯につかるのをやめて、シャワーのみにしていたが、きちんとお湯につかって身体を温めないと体調が悪くなるので、また復活した。

高齢者にとっての入浴は、ヒートショックなど命の危険をはらんでいて、自分もその枠内に足を突っ込みつつあるのを実感している。

高齢者に安全な入浴法は「湯温は41度以下で入浴時間は10分未満」らしい。

なので冬場は湯温41度、夏は40度にしている。

また身体を洗うのも、昔はタオルに石鹸をつけてごしごし洗っていたが、それは洗いすぎらしい。

石鹸の泡で皮膚を撫でるくらいで充分らしい。

入浴方法も年齢に応じて変えていかないと、身体にダメージがあると、この歳になってしみじみとわかるのであった。

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室内も危険がいっぱい

2021-03-06 | 定年波止場

10代、20代の頃と違い、徹夜ができなくなったとか、疲れが取れなくなったとか、30代になって年齢というものを感じるようになったりしたものだ。

還暦を過ぎると、そういったことを改めて言うほどでもなくなった。

当時は無理すると、その後の体調変化に驚いていたが、この歳になると無理をすることすらできないので、ただただ毎日がフラットな感じになっている。

そのなかで体調が今一つの日や、元気な日もあるといった感じなのだ。

高齢者の室内での死亡事故が、年間で交通事故死よりも多いと聞いたとき「へえ、そんなことがあるのか」と半信半疑だった。

でも還暦を過ぎると「そうかもしれない」と深く納得した。

何もない平らな場所でつまずいて転ぶのである。

それで膝や胴体を打ちつけたりする人も多く、今は打ち身程度で済んでいるけれど、タイミングが悪かったら一大事になるかもしれない。

加齢とともに反応が鈍くなり、想像もしていなかったアクシデントに見舞われる可能性も高くなった。

外に出るよりも家の中のほうが、危険がいっぱいなのである。

歳を重ねて一番衝撃だったのが、本来ならばリラックスできるはずの室内の生活が実は危ない、ということだったかもしれない。

外見、記憶の老化については理解していたが、こうなってしまうとは知らなかった。

ショックは受けたけれど、現実なのだから仕方がない。

何事があっても「なるほど、気をつけなければ」

とうなずく、対処法はこれしかないと淡々と受け入れ続けるいるのである。

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ほどほどに

2021-02-25 | 定年波止場

どんなふうに歳をとっていきたいか

…と尋ねられたら、病気とは無縁で元気溌剌として過ごしていきたいのではあるが、そううまくはいかないのが人生というものである。

そうなりたくない、と思う方向に進む場合もある。

若くても将来どうなるかはわからないし、それは中高年でも同じなのだけれど、日に日に人生の最期が近づいているのは間違いないのだ。

こうなりたい、こうしたいという希望はなく、とにかく重大な問題が起こらないように毎日過ごしていくこと。

普通に生活できればそれでよい。

老後の生活費については、何千万必要などといわれたり、一度生活ランクを上げると元には戻れないという人もいるが、そのあたりの順応性はあるので生活できる自信はある。

気持ちよく暮らしていくには、やはり体調が整っていないと難しいので、この点だけは気をつけていきたい。

それ以外は加齢によって様々な出来事が起こるだろうが、そのつど対処していく。

それでも体調が悪くなってしまったら仕方がないし、受け入れて暮らすしかないのだ。

とにかく自分のこれからがどうなるかは誰にもわからない。

推測だが、自分はこうなりたいと頑なに考え、また努力してしまう人が、そうならなかった場合に絶望してしまうのではないだろうか。

若いうちならともかく、中高年はすべて「ほどほど」にしておいたほうがいい。

なかには目標に向かって突っ走って成功する人もいるが、そういう人はほんの一握りである。

自分はこれからも毎日をゆるく過ごし、そのまま高齢者枠にゆるゆると入っていきたいと思っている。

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ケチらず人生を楽しむ

2021-02-24 | 定年波止場

基本的にお金はケチるよりも、使った方がいいと考えている。

それによって学ぶことが多いからだ。

満足感もあるだろうし、損したと思うこともあるだろう。

お金をたくさん貯めるのが人生の目的ならば、そうすればいいけれど、お金は人生を楽しむためにあるのではないだろうか。

貴方はケチか浪費家かと問われたら、後者だろう。

しかし、すってんてんになる度胸はないので、通帳の残高を眺めながら財布を開ける。

使ったお金は戻らないが、買いたいのを我慢してその分のお金が手元にあったとしても、だからどうなんだという気持ちがある。

自分がやったことは仕方がないので、それを反省するかしないかは本人次第だろう。

貯金はいくら持っていても、どれほど物を持っていたとしても、免状をたくさん持っていたとしても、すべてあの世には持っていけない。

40代、50代半ばくらいまでは、頭でわかっていても、現実問題としてそのような心境にはなれなかった。

さすがに還暦を過ぎると、人生のゴールが小さな山の向こうに見えてくる。

なるべく周囲の人の手を煩わせず、どうやって自分のゴールに到達するかを考えざるをえない。

これから先、新たに必要なものはほとんどないが、生活を楽しむためのものは買っていきたい、と思うのであった。

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記憶力衰退

2021-02-23 | 定年波止場

昔に比べて明らかに記憶力が衰えてきているので、意識して忘れないようにしないと危ないことになる。

忘れてもどうでもいい、芸能人の名前とか本のタイトルならいいのだけれど、そういったどうでもいいことばかり覚えていて、肝心な事柄を忘れがちになるのが怖い。

若い頃は何もしなくても覚えられたが、さすがに今は覚えようと思っても、それを文字で書いてまた頭に叩き込まないといけない。

それでもどこの穴から出ていっているのかわからないが、頭の中から消え去っている。

ただあわてふためくものの、すべてギリギリのところで思い出して事なきを得ているのは、運がいいからか、記憶が薄れているとはいえ、脳がふんばってくれているかのどちらかだ。

これから益々記憶に関しては不安があるので、とにかくこまめに「書く」ことで対処している。

 

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午後のひととき

2021-02-21 | 定年波止場

「午後の紅茶」という紅茶が売られている。

午後というからには、午前中に飲むよりも午後に飲んだ方がおいしく感じられる。

だがあえてこれを夜中に飲んだら、どういうことになるのか。

早朝に飲んだらどうなるのか。

イメージづくりが商品を売り出す基本なのでしょう。

「おーいお茶」という商品もある。

普通のお茶に「おーい」をつけただけだが、「おーい」をつけないお茶を引き離してヒット商品となった。

「午後の紅茶」も「おーいお茶」も、いまやロングセラー商品の定番となっている。

よく考えてみると、「おーい」はただ呼びかけているだけだから、どんな商品につけてもおかしくない。

「おーい羊かん」でもいいし、「おーい羊かんとお茶」でもいい。

こういうのはどうか。

「定年退職3年目のおとーさんの午後の羊かん」

ちょっとした哀愁があって、しみじみ感もあってなかなかいいじゃないか。

全国にはちょうど定年3年目というおとーさんがゴマンとおり、そのおとーさんたちが羊かんを食べれば当然お茶が欲しくなり、「おーいお茶」ということになる。

おかーさんも、それじゃわたしは「午後の紅茶」で、ということになり、定年3年目で暗かったおとーさんの家に久々に笑顔が。

 

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納豆のネバネバ

2021-02-17 | 定年波止場

ピザでも餅でもトロロ芋でも、引っ張ったりちょっと混ぜたりするだけで充分粘る。

納豆の場合は、混ぜれば混ぜるほど伸びて粘るという、本人の努力次第というところが違う。

本人の功績、手柄というところが違う。

最近は手柄が立てにくい世の中である。

特にサラリーマンは手柄が立てにくく、手柄が見えにくい。

明治、大正、昭和と日本男子の本懐は、立身出世であった。

故郷に錦であった。

仰げば尊し、我が師の恩、であった。

身を立て、名をあげ、やよ励めよ、であった。

定年退職後のおとうさんたちは、納豆に手柄を求めるのであった。

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体調管理

2021-02-06 | 定年波止場

昔はバテるのは「夏バテ」しかなかったのだが、最近は「梅雨バテ」「冬バテ」もあるそうだ。

考えてみれば人が一年中バテているような状態になってしまったようだ。

おかげさまでわたくしは、これまで問題もなく過ごせてきたことに感謝をしている。

朝起きて朝食の前に歯を磨くと、寝ている間に口内に入った雑菌を取り去るので良いと知って、それを実行しているが確かにいい。

身体もすっきりするような気がしている。

よい体調を維持するためには、日々の細かな対応が必要なのかもしれない。

なんでもバクバク食べられるのは、若い時のほんのいっときだけで、歳をとるとある程度コントロールしなくてはならない。

これも人それぞれの考え方だから「食べたいものを好きなだけ食べる」という人はそれでいい。

わたくしは長生きをしたいとは考えていない。

体調が不良、というのが嫌なのだ。

できれば体調良好の毎日が続き、気がついたら死んでいたというのがベストなのだが、まぁそううまくはいかないだろう。

甘いものを食べすぎたり、酒を飲みすぎ、あるいはきちんと食事を摂っていたりいなかったりもする。

それが改善されれば、格段に体調は変わっていくに違いない。

そういうことはみんなにわかってほしいけど、みんな何も考えないで、ただ食欲にまかせて食べればいいと思っているのである。

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残り二つ

2021-02-05 | 定年波止場

人生とは何か。

人間は若いうちは煩悩のかたまりである。

恋愛も、友人も、資産も、出世も、結婚も、子供も、子供の教育費をどうするも、朝から晩まで次から次へと考えながら生きていく。

そのうちだんだん歳をとっていく。

会社員ならば定年に近づいていく。

そうすると煩悩は一つ一つ減っていく。

もはや恋愛のことを考える必要はなく、出世も考える必要がなく、子供は成人していて教育費のことを考える必要もない。

残るは二つだけ。

二つのことだけを考えて生きることになる。

人生の終盤は、老後と年金の二つだけ。

あっという間の人生だ。

 

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