自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

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昆明から重慶

2007-09-01 16:50:43 | 旅行記

7月19日(11日目)雨。今日で雲南を離れます。お昼の列車では中途半端です、強い雨も降っているのでタクシーで駅へ直行13.5元。列車は12:21貴州省貴陽を経由して重慶まで1,100㌔、19時間40分の旅。中国省都の駅は皆その州の面子をかけているように・・・、利用者と少しアンバランスなのが今の中国でもあります。切符を持っていないと駅に入れません。そして改札は頑丈な格子で隔てられています。お客はまだ乗せてもらうといった感覚から・・・、逆に駅員は乗せてあげるといった感覚?遠距離交通手段としては格安です。中国国鉄の収支がどうなっているのか解かりませんが、戦後の日本の国鉄とはシステムそのものが違うので同じ轍を踏むことは無いでしょう。でも・・・。2007_072402422007_07240243

  発車が近ずくにつれ近辺は人でいっぱいに、30分前ほどになるとここの前に並び始めます。全席指定なのですが・・・、荷物を天秤棒で持ち込む人、一斗缶やバケツにお土産や食べ物入れて持ち込む人もいます。そしてやおら駅員さんが出てきて(たいがい女性)改札ですが、荷物が大きすぎてここを通るのに一苦労、切符を一人ずつ持っていなくて・・・。でも気が付いてみれば、収まるところに収まって、何事も無かったかのように。そしてゆっくり列車は発車します。

2007_07240244 谷あいをひたすら走ります。でも何処でも見事に畑、トウモロコシです。格差がひどい中、強制的な面があるにしても国土がこうして保たれているのは、それなりに政治が機能しているのではと思います。列車の中での食事はカップラーメン、昼も夜も、でも駅弁や車内販売の弁当も良かったかもただし結構な値段します(中国の金銭感覚で)。車内では本を読んだり(「隋唐演義」)、景色を見たりです。話しかけられれば話しますが・・・。貴州省都、貴陽は真夜中通過、朝途中駅 赶水では1時間半の遅れ、乗客が到着時間を乗務員に訊いていましたが ”10時頃じゃないかな!”(着くときは着くんだからといった感じです)。そう回復運転も無く9時過ぎに重慶駅に着きました。

列車から降りていると、前のおねーさんが話しかけてきます。呼び込みだとかには相手しませんが、同じ乗客、気になっているここからの三峡下りの船の手配。下調べでは切符売り場が特定できませんでした。オット!このおねーさんに切符売り場を教えてもらおうと、調べていた 重慶長航輪船公司 と書いているメモを見せて・・・。なんと!!おねーさん喚声と共にネームプレートを見せます。そこには汽船会社の名前が!”私に付いて来な!” ”一緒に行こう” 後はおねーさんの後ろから・・・。2007_07240245 2007_07240246

駅と駅前の様子。サスガ坂の町?2007_07240247

タクシーから建設中の朝天門大橋。駅から20分ほどですか2碼頭に面した事務所へ会社の名前?そこで24日に武昌からの列車に乗るので2泊3日の三峡下りで宣昌に着きたい旨伝えると、”三峡下りが600何元から・・・・” ”観光なしは2.3百元でないのか!” ”380元が観光なしの3等だが” ”それでいい!” ”武昌までバスも100元で用意できるよ” ”そしたらそれも!合計で480元?(オット持ちがね400元少し)、今持ち合わせが足りない” ”200元予約料で入れてくれ” そうしてもらった予約証?。2007_07240261

親切な小姐の顔もあることです(これがとんだ旅に・・・・?)。この予約証、会社名が入っていなくて赤いスタンプは拡大すると旅行会社?この時は全然気にしていません。”安い宿屋知らないか” ”あります、あります、今電話してあげます、OKです。彼女が案内してあげます。” ”その前に銀行に行きたいが、中国銀行近くに・・・” ”私が案内してあげる” 何から何まで親切にありがとうです。

2007_07240249 案内されたホテルは金文字の凱歌賓館でなく横に書いている?方のホテル(幼稚園もあるのかなー、そう色んなところで共用しているんです)。街中で一応は賓館、そこそこの部屋?です120元でした。2007_07240248

フロントだけ見るとそこそこのホテル?でもここはこのマンションの出入り通路でしたが(マ!何も問題ありません!)横の彼女が、くだんの親切な 小姐。この後彼女が ”そしたら280元私が会社に届けるので・・・” ”お!そうか、じゃあ お願い”と言ってお金渡しました。別れた後から・・・(フム?そんなに信用していいのかー、彼女いったい誰なのか?何も証拠が無いぞ!)、いやはや、この後翌日の受付まで私を悩ましました。結果は ”昨日280元彼女に渡したんだがー” ”アア!受け取った!ありがとうよ” で落着。そう彼女のような人が大半であって、悪い人は数人。引っかかる人はそういった人達の中にいるのでは?。でもこんな事は、相手に対してもある意味失礼かも、今後の戒めです。ただただ親切な彼女、ありがとう!!

重慶の街は嘉陵江が長江に合流するところ、二つの川に挟まれて突き出した岩陵の上に旧市街、映画「チョウヤンの酒家」?に街の様子の一面が現れています。そして新市街はその対岸に大きく展開しているようです。私は今回その旧市街鼻先朝天門近辺を歩いただけです。

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今は記念保存されているかって使われていたケイブルカー。こういったのが何箇所かあったようです。2007_07240257

階段を登っていく担ぎ屋さん?出稼ぎの人達が担ってるようです。昼食のとき彼らの集団が隣の食堂で食べていました(私の食堂は私一人、16元)、取り決めしているのでしょうが彼らの食欲を見ているとそのエネルギーに圧倒されました。

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街の中にあった小道の案内板、岩段と書いてありました。辿ったのですが途中で見失い高い岩山で遮られました。

両方の川にかかるロウプウエー、昔の交通手段や輸送手段を考えれば納得!ここ重慶を特徴つけています。河はあくまでも褐色!2007_07240253

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こちらは長江にかかっている方2007_07240255 、料金はここが2元、もう一方が1,5元。地元の人達の足?そして駅の真下の古い街の様子。2007_07240256

嘉陵江にかかっている方での重慶の街の様子。2007_072402592007_07240258 

この街の先端朝天門公園にある三峡連絡船乗り場。ここから地元の人が利用する連絡船が出ているようです。料金表、時刻表等が掲示されていましたし、散客(雑魚寝)?は百元代で、夜の11時かに出港して翌々日の早朝宣昌に着くとのこと。私はこちらを想定していたのですが・・・・。2007_072402602007_07240265

公園から長江側桟橋と連絡船。川岸に下りていくところの様子。左手に見える船がここの近辺を回る遊覧船。三峡ダムのバックウォーターが何処まで来ているのか?かなりの速さで水?は流れています。

遊覧船(20元2時間?)から街の様子や観光船。2007_072402662007_07240267 

川から見た朝天門の様子。2007_07240268

豪華観光船?

重慶という街:三峡の上流にもかかわらず大河長江の大きさ、支流とはいえ長江並みの嘉陵江、その両大河に対して手をねじ込んでいるかのような岩陵の街。街の周りには20近くにのぼる碼頭(係船設備)が、長江を上ってきた連絡船を迎えます。その町もいたるところで変わろうとしていますが、おそらくこの街の特徴から残っていく物も多いのでは。そしてそれを上手く取り入れた街になれば、中国で他に類を見ない得意な街として多くの人を引き付けるのではと思いますが、さてどうなりますか! ここは戦争中は蒋介石国民党重慶政府が置かれ、そのために日本軍の無差別爆撃を受けたところです。

さて次は長江三峡下りです。

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