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6日目;嘉峪関から井上靖の敦煌(沙州)へ

2012-06-21 14:48:59 | 旅行記

5月31日(木)嘉峪関のバスセンターから正面右の金葉賓館。ここ嘉峪関の長途汽車の情報が取れなくて、出たとこ勝負で来たのですが(隣の酒泉の情報は取れたのでいざという時は酒泉と腹くくって)、何の心配も無く狙ったとおりです。ましてや狙ったホテルの前とは!

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バスセンター。時計は全く狂っています。

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7時をすぎたところ、ホテルの横の漢方薬研究所?それじゃなくて、歩道に集まってる人、皆何か仕事はと待ってる人です、通る時は視線を感じます。

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まずは午後の敦煌行きのチケット手配。14:30いい時間帯です。寄存所にザック預けて。

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そこで朝食、拉麺、朝からはチョット、で包子のセイロ見つけて、希飯は?「有!」です。

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お米ではありません、高粱か稗?。この組み合わせの朝食が私には合ってるようです。5元?

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さてこれから嘉峪関に行きます。そんなに遠くない(5キロほど)なので町の見学かねて歩きます。

これは少し気になった看板、保温材料に石綿製品はないでしょう!

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建設現場、パイプ使ってネットをかけてるのですが・・・。

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出来たコンクリートの梁の上に乗ってその足元の型枠をはずしています。危ないぞ!

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小高い山裾の左に嘉峪関、ですが撮りたかったのは出来たばかりの拡幅道路?でなくその法面、ともかくまず通れるように、雨もそんなに降るところでないし・・・、今の中国。

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連続160度?左キレン山脈。

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関は右の小高い山塊を介して漠地となります。しかし過っての中国西域玄関口の町は鉄道基地を利用した工業都市、石油、石炭関連の多くの工場が見られます。

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このキレン山脈の水と鉄道。

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歩いてるとお寺の横に、幼稚園と表示した建物、早く来た子供?立ってる子は賢そう、目が違います。

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そしてそれなりに古そうなお寺。

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でも、観光の波が及ばない所は、これで精一杯でしょうか・・・。壁に書いていたのは由来、来歴でなく寄付者の名簿のようでした。

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この先が嘉峪関の入り口。オット電信柱が道を塞いでいますが・・・、暗くなると危険では?10年ほど前ですが、仕事で福建省に行った時、真っ暗な舗装道路を走っていると、突然車がバウンド、ダイヤはバスします。なんと道路に一抱えもある石が!その時の社長の消息、2,3年前に交通事故で亡くなったそう。これも今の中国。

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嘉峪関入口、何せどこも国有地ですから。

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周辺を大きく整備してテーマパーク?何だか違うような感じがしますが、それは私の勝手なノスタルジア。。

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老人票ゲット。

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テーマパークの中の水路には豊富な水。地形的にキレン山脈の水ではない、ではどこから?判りません。

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小高い丘の上に築かれています。

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けたたましいエンジン音、上空をライトプレインが飛びます。そう観光地なのです。

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でもいい雰囲気ですね。。

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そう、中国では今国内旅行ブーム。二の丸城門といった所。

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地図的には上辺が西。ここの関は明代の長城西の果ての関で、明代長城で唯一建設当時の姿で現存?する関とされています。大部分が版築で作られています。明は北に去った蒙古の再来を防ぐために多大の労力を費やしています。

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とりあえず上の方の崩壊を防ぐために?まさか当時の様子?。

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東の門への瓮城入り口。

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明の領土へ入っていく光化門。

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ここの石畳は溝が顕著に掘られていません、砂漠地帯なので車輪よりラクダや馬での行き来だった?

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内城西側柔遠門

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柔遠門外の瓮城に設けられた門、説明後半は意味不明ですが。

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嘉峪関門が見えます。

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この石のくぼみ具合が当時の様子のような気がします。行く人帰ってくる人、右通行?どうでもいいこと!

  

出た所、塞外の地、瓜州、沙州(敦煌)を経て西域へ。  

左、キレン山脈へ、土壁がわずかに見れます。 

そして右を見れば中国の人達の観光地、ここから飛んでたのか!結構取るんだろうに、お客は野次馬も含めてひきもきらない。「イヤー、チビッチャッタぞ!」なんて言ってるよう。。

後ろを振り返ると嘉峪関。4,5メートルもぐっていましたが、700年近いうちに砂が吹き寄せたのか?

1908年当時の嘉峪関(展示されていました)、この年スタインが敦煌から敦煌書物を運び出した。こんな状態では、持ち去られても無理は無いか・・・。

 

観光地化されては700年もった嘉峪関もへたり始めてるよう。沈下しています。   

補修していますが、当座の応急処置では取り返しがつかなくなるのでは。。

気のせいか、外に傾斜しているような?

一部の城壁基礎の補強?をしているようですが、テーマパークでなく文化財としての総合的な対応がいると思いますが・・・。

文化財ですぞ!資材置き場にしては・・・、マ!イイカ!!

この土壁がこの関から北へ。 

南はこの先、北大河で終わりです。

解体修理なんて言うのはお金持ち日本?での話し。 

上屋架けるのなら、架けた後で屋根を剥がなきゃ、雨降ったらどうするんだ!ア、雨降らないか!じゃ、何で上屋の下地を・・・。10:22おとーさん何やってるの!隠れて?

ここ内城広場では観光客用のアトラクション!

そして時間に合わせて?続々と観光客。

 

ここまで来ると将軍府といえども質素ですね。

将軍をかくも風刺します?役人へのあてつけ?まさか自分で自分は無いでしょう、サービスのつもりでは。それにしてもこの人、清代?辮髪です。

  

こちらは冠や服装は明代、しかし服についてる官位は清代、要するに昔の様子!

 

早く勤め済まして帰りたかったでしょう! 

嘉峪関見学終わり、まだ時間は10時半過ぎ、長城の果てに行きます。門票にはそこの入場も含まれてるようですが、足は・・・、で、出た所でタクシー交渉、またまた女性運転手で。60元でOK(4,50元がいいとこですが)。

嘉峪関が見えます。

長城を抜けます。

やがて長城第一墩の標識から進入。

線路の踏み切り、中国では車が通る時に上げてやる?クラクション鳴らすと係りの人が出てきて足で踏んで通行させます。何だか・・・。。

オ!ここもテーマパーク作り?で脇を抜けていきます。

と、しっかり料金所、チケット見せて穴あけてもらいます。

長城が延びています。

ここが明代長城の西の果て。感慨にふけるには向こうに見えるパオが邪魔? 

来年はここもテーマパークに生まれ変わってるでしょう! 

キレン山脈まで少しあるけど・・・。

乗ってきたタクシー、運転手の女性この後やってきて、先の写真を撮ってくれました。

なぜか運転手君、残った入場券頂戴と、なんにするんでしょう?もう一箇所あるのですが、たいしたことなさそうです。気持ちのいい運転手さんチップ10元に子供が居るというので白い恋人を心付け。

線路を長蛇の石炭貨車がゆっくりと走っています。

これは町の石炭売り、露天掘りかな?

時間はお昼少し前、昨日のお店は準備中、で先に銀行の場所訊いて1000元下ろします(飛行機が予定外)。

戻ると待っています、この頭美味しそうなのでビールのつまみにと、量り売り、1斤?沢山なので半分でと言うと、10元とか言っています、じゃイイカ。。

  

こんなにてんこ盛り!3分の1ほどで、例の清真火鍋に移ったら、もう戻れません。何せどれも量が多いので。これをここのパンに挟んだら美味しいだろうな~、でもお腹いっぱい。27元

12:30ネットカフェに入りますが、一軒目は女の子の店番、外人だと言うとキョトンとして、駄目だと。もう一軒と次に入ると、ハイよという感じでOK。オリンピックもやった万博もやった、世界の工場にもなった、でも何を恐れているのか、はやくまともに変わってほしいもの。自宅と韓国に所在報告。

13:10にはバスセンターに入って14:30の発車を待ちます。

嘉峪関に別れ、長城第一墩への国道をまた走り西域?へ。

日本が再生可能エネルギーをだとか、その買取価格はとか言ってる間に、この風車。エネルギー、資源、これはもう国家事業。いい悪いはともかく隣の国はかくも現実を乗り越えんと必死です。必死なんです、よその国は!ちなみに風車は国産のはず、去年沢山の製作中の風車が工場の脇に置かれているのを見ました。太陽光発電もメガ級を見ました。

先日の新聞に11年再生エネルギーへの各国の投資1位中国500億ドル日本は6,7位で90億ドルかです。そしては50年間投資してきた原子力では福島をもって、いとも簡単に、他人事のようにもう私たちは要らないと、私は初めから反対だったとか、騙されていたとか、女々しいこと言っては、被害者に回る、これは国民性なのか。。

  

と、走っていると、何だか車の調子が悪そう、こんな砂漠でソリャーナイゾ!負荷かけないように走ります。

オット、内陸へ運んでます、この様子!良い悪いとか、ルール違反だとか、言ってる間に、周りには誰もいなくなります。今日の隣の国。。

  

途中瓜州という町のバスセンターによって、フム?バスも調子戻った?

敦煌近くなるとまさに砂漠というか漠地、見渡す限りです。ここをラクダ、馬と限られた食料、水で旅する、まさに死をとしてでしょう。今はその生きるという事を賭けることが無くなった?

 

敦煌火車站の前を通って・・・、駅は町外れ?駅だけしかありません。やがて緑の中、敦煌の町に入りますが、すぐにバスセンター到着?エ!バスセンターは町の中のはずが・・・。

ともかく到着です、乗客は皆降ります。いったいここはどこなの?で、向かいに居たセンターの職員?かにグーグルをプリントアウトした地図で、現在地を教えてもらいます。宿の老板に聞くと、この状態で明日から正式営業と、では今日は?マ!イイカ!

マークしていたYH敦煌梦驼铃青年旅舍でなく、予備にマークしていたnongken hotelがすぐ近くにあります。昨日といい今日といい、問題あり、しかし問題なし。

部屋は単人間で100元押金50元、もっと安い多人間もありますが、とりあえず今夜はこれで。

ホテルの横にはこの水路にこの水。町の中を巡ってるようです。それにしても、子供遊べませんね、滑ったら最後多分にやばいですよ、半端な流れではありませんし、這い上がれません。

部屋はそれなりに清潔。 

水周りも問題なし、でも下がってるタオル雑巾だぞー、ホントに雑巾?タオル代わりに使ってしまいました、ハハハ!今回結構トイレットペーパーが常備していないところが多かったな~、持って行ったポケットティッシュを3,4個使いました。勿論流しません!ごみ籠へ!!健康状態の確認にやくだった?

テレビつけるとこれインベーダーゲーム?リラックスしたおっさんが映っています。

シャワー浴びて日も暮れたので町の見学と食事へ。ここの近くの夜市街、その近くの目指していたYHをチェックしに。

と、地図上では空地がこの様に様変わり、目指す夜市はこちらへ引越し?YHは見当たりませんでした。毎日変わっているんです。。そして沢山の人出と食べ物屋台やみやげ物屋台、毎日が縁日!

 

そこの一軒に、シシカバブと言っていましたが羊の串焼き5本にビール(氷的)、と手延べの焼きうどん?様を。愛想良かったのですが・・・、〆て70元はやられました。チョット油断して値段確かめないと倍がけきます!!マ!二度は無いお客だし?

  

チョットほろ苦く帰館22:15。明日も連泊すると女老板へ告げ、明日の莫高窟へのバス停を訊くとすぐ前から出てると。

今日使ったお金;73+6+5+60+60+10+27+3+100+70=414

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