5月25日(月):楡林と言う街。
5,6年前の写真?楡林城の輪郭が解るかと、南門の通りが過っての中軸線?3分の2ほど北に鼓楼。
南(下辺)広場に面した十字路、北西がバスセンター、ホテルは通りの南向。鎮北台は上辺外れ。
鎮北台からのバスを中行(行きで乗換えた中国銀行前)で下車、近くの鼓楼へ。
鼓楼からまず残ってる城壁を見ようと坂道を上がっていきます。旧市街の様子、道は3m少し煉瓦敷き、時として過っての家屋玄関後?共産党時代に入ってこういった屋敷には4,5世帯が入って、過っての面影はなくなります。
城内側城壁です、一般民家と一体?になって、おそらく城壁はヤオトンになってるでしょう。
東門にあたる城門かと、焼煉瓦(磚)で出来ています。
そして甕城も残っています。それなりに整備もしてるようですが、不便さを我慢して残してるなら、もう少しましな残しよう・・・(ついつい・・)。城壁の上へのアプローチは見当たりません。。
城外側は植樹や遊歩道も整備しています。城外側は煉瓦で覆っています、どこまで保護するのか難しい所です。
と、往くては、民家で遮られ、バス道路へ出ます。
バス道路、陸橋様の所から。路地の奥の城壁、なんだか登れそう・・・。こんな所で怪我したのでは、帰れなくなりそうで、諦めます。
城壁と一体の家屋。。と、煉瓦で覆われていない所の城壁に通路があります!(塀の中に古い通路?過っての抜け道?)、煉瓦は周りの家になった?・・・。
また城内に入ります。道は煉瓦敷き、3輪トラックも現役。。
お寺もあります、境内はそれなりに整備され、事務所的なものもあります。人々の生活のある方向性かと。。
街へと下って行きます。
旧市街のメインストリート、鼓楼と鐘楼の間に降りてきました。あまりにも暑くてアイス1元を買ったのですが、中国アイス?グミ的な物を凍らせた?
鐘楼?民国時代?それにしてもここ中で鐘を撞いたのでしょうか?発案者に訊いてみたいところです。
星明楼。
万佛楼。
通りの様子と文昌閣。そこに物語がないのでは写真撮って、見上げて、終わりです。
南門です。
と脇でのこの屋台、豚の切れ端?頭や足や内臓やらの部位を醤油でことこと煮詰めた?。
部位を指し示し、1斤、2斤と量を言ったり、これは何斤だとか親父がいいます。商談成立で、おやじが例の中華包丁でコマ切れにし、生ニンニクつぶして、キュウリ、なんだか薬味、なんだかタレを加えてボールで混ぜ馴染ませ、袋に入れてハイお待ちどうです。カーさんとの絶妙な掛け合い!脂身そのものですが。。
肉系少し不足?で、少し肉がついていそうな部位を、このくらいで・・・。はい4元!お買い上げ、意外にあります。。
途中で食べるわけにもいかず、まして食堂に持ち込めもできません。超市で冷えた青島卑酒4元買ってホテルで!ホテルの小姐に断って。。
ベットにシミつけたんでは、いくら罰金取られるか!洗面所で乾杯!です。オット、箸が・・(脂身そのもので手がギトギト)、歯ブラシの利用で。うまいうまいで完食!5時近くでは、本日の夕食はパスでした。
少しお腹にもたれてる?早々就寝!
今日使ったお金:6+30+66+7+1+115+20+1+1+15+1+1+4+4=272元
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます