十分間俳句

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町田市民文学館の遠藤周作展

2007-12-09 | ジュニア俳句
先日、町田市民文学館まで行った。16日まで催されている「遠藤周作とPaul Endo-母なるものへの旅-展」を観に行ったというわけだ。
単純に券をいただいたのに敬意を表したのだが、大変面白かった。
一つは、文学館を持っている町田という街についてである。この駅に降りたのは、恐らく生まれて初めてだ。何となく「田舎」という印象を持っていたが、とんでもない。一つの地方都市が形成されている。かなり巨大な地方都市だ。その町が文学館を持っている。
夏に弘前に行ったことを思いだした。この時は、ある文学者のお供をしたのだが、そこでは一つの文化圏が形成されていることに驚かされた。
町田市民文学館も今は、遠藤周作展であるが、普段の常設展では、郷里の文学者についての展示を行っているという。当たっているかどうかわかなないが、此処にも一つの文化圏が形成されているのではないかと感じた。
振り返って、江東区を見ると芭蕉記念館と波郷記念館という俳句の記念館を二つも持っているが、それが文化圏としてあるかというと甚だ疑問である。大東京の中に埋没して、地方文化圏は成立していないと言った方がよい。
二つめは、展示そのもについてである。幼少期から死に至るまで、膨大な量の資料が展示されている。
かつて読んだ遠藤周作の著作についても思い出した。
想定よりも入場者は少ないという話だが、それでもずいぶん多くの人が訪れている。
亡くなってから10年以上経っているのに、まだまだ彼の著作が読まれ、影響力を保っているという証拠だろう。
丁寧に展示がされ、説明もしっかりされている。よい仕事だと思ったが、私個人としては、資料の膨大さに圧倒されてしまった。
先日、芭蕉記念館の展示を魅せていただいた折、Nさんに無理をお願いして説明して貰った。芭蕉記念館にある物は、難しい資料なのだろうが、これが実によくわかった。
文学館なり記念館なりが、庶民の中に根を下ろすには、やり方を変えなければならないと思った。
今までは、展示をして、キャンプションをほどこし、さあ見てください。としたわけだが、わかってもらい、広めて貰うためには、ガイドが必要だということだ。恐らく、ボランティアを養成するということになるが、芭蕉か記念館もガイドを養成し、説明を行うと来館者は2割以上増加させることが可能なのではないかと考えた。
江東区に文化圏を形成するには、二つの記念館、とりわけ芭蕉記念館の活用が極めて重要な役割を果たすだろう。

町田市民文学館を訪れて考えたことはざっとそんなところだ。


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