今日、二人の保護者の方から「十分間俳句は大変良い。ずっと続けて欲しい」との賛辞を戴いた。大変嬉しい。
私自身も「とてもよい」と思うから始めたのだし、続けているのだが、児童や保護者が支持してくれるかという心配はある。
週に、数十分という活動にしても、年間を通せば、何十時間かにはなる。「費用対効果」がなければならない。
みんなが良い俳句ができれば、誰もが納得するだろう。数ヶ月の活動の中では、二分の一から三分の一の確率である。
昨日、三年生で「これは合格」と思ったのは、9人だった。前回と重なっているのは、わずかであるが・・・・
俳句の種の「気付きがよい」たとえ、俳句は上手でなくても、気付きが良ければ、ノートを見て、「これは効果がある」と多くの方は考える可能性は高い。
私は、この気付く習慣というのは人生において極めて大事だと考えている。
もちろん、誰もが知らなかっためずらしい蝶々を発見することもあるかも知れない。しかし、そんなことは万分の一の話だ。
人生を幸せに導くのは、生活の中の何気ない出来事の意味を「発見」することである。
下世話な話をすれば、商売を成功させた人間は、ちょっとした出来事から商売の種を見つけたからにほかならない。
また、たとえて言えば、ニュートンのりんごの話である。人類がこの世に誕生して以来、誰もが見ていながら、その意味するところがわからなかった。その意味を見つけたとき、それは人類の「大発見」になったりするのだ。
今日ひどく感心した三年生の俳句は、
ラジオ体操いつも同じ人に会う 珠代
である。言われてみれば、「確かにそういうことってあるよね」と思う。
コロンブスの卵だ。この発見を発見として認識すること。
夏にしかいけないところおばあちゃんち 侑希
これも発見である。十分間俳句では、私はこういう俳句を最もよしとする。地味かも知れないが、ここには確かなその子なりの発見があるからだ。
しかし、発見しない日もある。苦しんで十分が無為に過ぎてしまう日もある。得意な子も苦手な子もいる。
保護者から見れば、
「得意なお子さんはいいけれど、うちの子は苦手だからかわいそう。十分間無駄よ。漢字練習でもしてくれた方がいいわ」
と言われてしまうかもしれない。
そう言われないように、もっと努力して、指導の仕方を工夫しなければならないと思っている。
子供に俳句を書かせるには自分でも作ってみなければと、2年ほど前から自身でも俳句を始めた。芭蕉記念館の下山宏子さんに勧められた倉橋洋村先生の勉強会に入っている。
今日も、その勉強会があった。その勉強会に出した私の句。
一日でローマは成らず蜉蝣飛ぶ
秋蝉のただ鳴く命果つるまで
ようやくに虫の天下となりにけり
お粗末でした。
私自身も「とてもよい」と思うから始めたのだし、続けているのだが、児童や保護者が支持してくれるかという心配はある。
週に、数十分という活動にしても、年間を通せば、何十時間かにはなる。「費用対効果」がなければならない。
みんなが良い俳句ができれば、誰もが納得するだろう。数ヶ月の活動の中では、二分の一から三分の一の確率である。
昨日、三年生で「これは合格」と思ったのは、9人だった。前回と重なっているのは、わずかであるが・・・・
俳句の種の「気付きがよい」たとえ、俳句は上手でなくても、気付きが良ければ、ノートを見て、「これは効果がある」と多くの方は考える可能性は高い。
私は、この気付く習慣というのは人生において極めて大事だと考えている。
もちろん、誰もが知らなかっためずらしい蝶々を発見することもあるかも知れない。しかし、そんなことは万分の一の話だ。
人生を幸せに導くのは、生活の中の何気ない出来事の意味を「発見」することである。
下世話な話をすれば、商売を成功させた人間は、ちょっとした出来事から商売の種を見つけたからにほかならない。
また、たとえて言えば、ニュートンのりんごの話である。人類がこの世に誕生して以来、誰もが見ていながら、その意味するところがわからなかった。その意味を見つけたとき、それは人類の「大発見」になったりするのだ。
今日ひどく感心した三年生の俳句は、
ラジオ体操いつも同じ人に会う 珠代
である。言われてみれば、「確かにそういうことってあるよね」と思う。
コロンブスの卵だ。この発見を発見として認識すること。
夏にしかいけないところおばあちゃんち 侑希
これも発見である。十分間俳句では、私はこういう俳句を最もよしとする。地味かも知れないが、ここには確かなその子なりの発見があるからだ。
しかし、発見しない日もある。苦しんで十分が無為に過ぎてしまう日もある。得意な子も苦手な子もいる。
保護者から見れば、
「得意なお子さんはいいけれど、うちの子は苦手だからかわいそう。十分間無駄よ。漢字練習でもしてくれた方がいいわ」
と言われてしまうかもしれない。
そう言われないように、もっと努力して、指導の仕方を工夫しなければならないと思っている。
子供に俳句を書かせるには自分でも作ってみなければと、2年ほど前から自身でも俳句を始めた。芭蕉記念館の下山宏子さんに勧められた倉橋洋村先生の勉強会に入っている。
今日も、その勉強会があった。その勉強会に出した私の句。
一日でローマは成らず蜉蝣飛ぶ
秋蝉のただ鳴く命果つるまで
ようやくに虫の天下となりにけり
お粗末でした。