豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年08月27日 12時25分34秒 | 日記
 ( Vol 1115 ) どんなことも 完全は あり得ない

いま 完全 万全と 思っても そうではない

時代と共に 変化し 技術進歩する

いま 安全 万全 と思っているのは いま という 時間の中での 知識にすぎない

広島の土砂災害も ある意味 人災である

土石流が起きたところには 防災のための 砂防ダムが設けられていた

しかし その砂防ダムも 用をなさなかった

結果的には 想像を超えていた という いい訳でしかできない

このような ことは 過去何回も 起き 経験してきている

しかし 技術者は 奢れてしまう

これで 完璧だと

完璧なことなど ありえはしない

なぜ 事故が起きるのか

事故の要因は たくさんある

その要因に対して 完璧に対処できて はじめて 完璧という 言葉を使える


しかし 安易に 技術者達は 使う

まるで 自己陶酔


原発事故も 同じ


完璧はない

その上で ものごとを 考えることが 大切ではないか


現代社会は ハードな面を 重要視しすぎた

もっと ソフト面に 目を向ける必要が ある


壊れる ことを 前提に考えること ではないか


私たち 人間は 自然の中に 生きている

それを 知るべき 意識すべき ではないか

自然を 押さえ込むことを 考えてきたが 

ここで 方向転換 すべきではないか

自然との共生を 考えるべきではないか


人間だけが 自然と 離れた 意識を持ってきた

そこに 問題がある

人間も 自然の中に 生きている

どんなに 頑強な都市を 構築しても 自然に襲われる

そして 自然の驚異に震える

その繰り返しを してきた

それでも 完璧を求める

どこか 違っている


自然は 人間の想像を 遙かに超えている

これからも 人間の想像を超え 人間社会を脅かすだろう

その自然の驚異と どう向き合えばいいのか

科学者たちは もっと謙虚になって ことにかかるべきではないか

人間の力は 自然の力には 及ばない

ということを しっかりと 意識する ことではないか


いままでの 被害を もう一度 振り返ってほしい

被害を 大きくしたのは 人災である

技術者 科学者の 奢りが 招いた ともいえる

人間の想像を超えたことも 起きるのだ と 言い聞かせた 行動が求められるのではないか








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豊前善三のつれづれ日記

2014年08月24日 16時52分28秒 | 日記
 ( Vol 1114 ) 最近の登山ブームの陰で 旅行業者の登山マナー違反が目立つ 他の登山者 関係者へ配慮してほしい


最近 登山ブームで 初心者の登山者を 多く見受ける

その中で 特に目立つのが 初心者向け 旅行業者の登山ツアー

登山ツアーを企画した 旅行業者は 一人の引率者に 20人から30人の初心者を募集
山で出会うと マナーや登山テクニックの講習をせずに 入山してきていることが分かる

長野県山岳遭難防止対策協会は マナーに関して 「山登り10訓」というリーフレットを 配布している

ウエブサイトからも ダウンロード できる

その中身は
その 1 命の道しるべ 登山計画書の届け
その 2 登りたい山より 登れる山 自分に見合った山選び
その 3 体力・装備・知識の総合力で 頂きめざす 登る前から体調管理
その 4 山のマナーは命のマナー あいさつ交わし情報交換
その 5 年齢考え ひかえめ登山 過去の体力 過去のもの
その 6 ヘルメット 命を守る必需品 頭部の事故が命取り
その 7 山の天気は生死を分ける 天気予報は命のお守り
その 8 山頂は通過点 下山道こそ 細心注意
その 9 登山はスポーツ 観光気分が遭難まねく
その10 もしもに備える 山岳保険

各項目には もっと詳しいことが書いてあるので リーフレットを読んでほしい


ここで ツアー会社による マナー違反は 引率者が 30人に1人 という無謀な計画である
参加者の多くが 中高年であるのも 注意点である

山岳遭難者全体の 78.5%が 40歳以上の中高年登山者であるということ 意識してほしい
また 60歳以上の遭難者は 46.6% である ということを 意識してほしい

山での事故の責任意識がないに等しい



登り優先 山側待機ということが 守られていない

注意すれば 不満顔

引率指導者(ガイド)も 登山技術 知識が乏しい

三点確保 歩き方についての技術習得が 見られない


指導者は ルートの注意点を述べるが 注意点において指導者が一人一人を 面倒を見ず

指導者は かってに先頭を歩いて 行ってしまうという行動をとっている

何のための 指導者なのか 指導者の意識の低さ 責任のなさを感じる


山行行動においても

早出早着が 求められる中

遅い時間に出発 暗くなる時間に到着 という 無謀に近い行動をしている

昨今 ツアー登山者の 事故の報道を 目にすることが多くなってきている

その背景には 登山ツアー業者の無責任な登山計画が あるのではないか


登山ツアーについては ヨーロッパにおける登山ツアーを 参考にすべきではないか


無謀な登山ツアーは やめるべきではないか

いくら利益追求とはいえ 他の登山者 山小屋 山岳救助関係者への 迷惑を考えてほしい

登山ツアーガイド旅行業者は 長野県山岳遭難防止対策協会が作成した 「山登り10訓」を しっかりと読んで 実行してほしい

ツアーでの行動は 他の登山者の迷惑を考えて 10名以下を1グループとした 行動を考えてほしい

なお 参加登山者の安全を考えるならば 5人以下のグループで指導者2名という 構成で 行動してもらいたい

このような登山ツアー参加者が 登山知識のないまま 難易度の高いルートへ行くことは 遭難を招くことになる

ツアーを企画する旅行業者は 責任ある行動を とってもらいたい


中高年は 思ったほど 若者のような 体力 筋力 機敏な反応 はない

ツアー引率者は 参加者の 体力 筋力 とっさの反応について 配慮した対応が必要である

山の中で 事故を起こせば 他の人の助けが必要となる 他の人たちに迷惑をかけることになる

参加者 一人一人に 気を配り 丁寧な対応が必要である


観光地の街を 訪れるような気分の対応は 事故を誘発させる


一人一人が 山での事故を起こさない ようにするには どうしたらよいのか 責任のある行動を 求める


中高年者自身についても 同じようなことが 問われる

私は 大丈夫と思って 行動している 人たちが 大勢いる

とても困ったことである

中高年者は とっさの反応は 若き時より 劣化しているのを 忘れている

そのときに はっと 思っても もう遅い

避けられたことも 避けられず 事故を起こす

中高年は 自力での脱出は なかなか困難

誰かの 助けを借りなければ ならない

残念ながら 簡単には いかない

救助関係者の 手を借りなければならない


山が身近になるのは うれしいことである

だからといって 事故につながるような 行動は困る

山の事故を生じさせ 「山は 危険」という 印象を 与えてほしくない

一人一人が 注意し 慎重に行動して 山の良さを 味わってほしい ものである


鎖場における 鎖に頼った登山は 危険きわまりない

山は 足で登るもの

鎖に頼りすぎると 手で登ることになり 山の基本である 三点確保の原則を 守れなくなる

足下を不安定なところに置き バランスを不安定にして 危険な状態を生む


中高年者は 自分の体を 手の力 腕力で 支えることはできない 


どんなに 全ての点において 若いときより 劣化しているかを 自覚することが 必要である

だからこそ 慎重な行動を とってもらいたい ものである


もう一度 山の基本を 学んでほしい 意識してほしい


また 目立つのが 東京近郊から 日帰りで 行きやすい山へ 車で出かける 中高年者が多い

朝早く家を出てきて 休むことなく すぐに山に登り 山の疲れがとれないまま 車を運転して 帰宅 

とても 危険である

事故を起こさない方が 不思議である

山の計画は 家を出たときから 家に帰宅するまで である


山の魅力を 事故を起こさないで 楽しんでもらいたい  


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豊前善三のつれづれ日記

2014年08月22日 08時25分09秒 | 日記
 ( Vol 1113 ) 災害の経験が活かされていない 行政の責任をとりたくない姿勢に 憤りを感じる

自然災害は 過去何回も起きている

その都度 行政の防災について 問われる

行政は 後手後手 の対策

そこには 行政の責任 というものが見え隠れする

避難勧告して 外れたらどう責任をとるのか

なにか 行動して 責任をとわれないか

そのような 憶測が被害を大きくしている


行政は 公務員として 住民の生活を 安全に生活ができるよう努めなければならない

最低限の生活の保障 

ということを 非常に狭い解釈をしているのが 現状の行政ではないか

特に 公務員の姿勢は 腰掛けてきな姿勢に映る

今回の 広島で起きた 土砂災害に対する 広島県の対応には 疑問が残る

今回被害のあった箇所に対する 危険地域指定の検討が 過去なされたが その後消滅したという

このようなことは 住民の生活を守るという点から どうなのか

意識の希薄さを 感じる


日本全国で 様々な形で 自然災害が報告されている

その報告を 住民の生活の安全という視点から どう活かすかという 姿勢をもつことが必要なのではないか

また 報道についても 同じようなことが言えるのではないか

報道は 事実を報道するだけではなく 報道の責任において 注意喚起を促す独自の視点で 報道する姿勢も必要ではないか

行政が 発令していない中 報道が勝手に判断して 報道できない では 報道の使命はなにか と問いたくなる

報道は 報道の立場から 発信する

それが 報道の自由ではないか


報道が ご用報道であってはならないのではないか

今回の 災害は 報道が独自の視点で 住民に注意喚起をしていたら 被害の度合いは違っていたのではないだろうか

東日本大震災における行政の対応は 惨憺たるものであった

そこから 何を学んだのだろうか と思う


それぞれが 責任を如何に回避した行動をとるか ということを考えているからではないか


責任をとる という意識のもと 行動してもらいたいものである


行政は なんのためにあるのか

報道は なんのためにあるのか


もう一度 考えてほしい



ハード面だけでは 補いきれない

何度 このような災害を 繰り返しているのだろうか

今回の被害者は 予想以上に 多い

このような被害をもたらした 責任を 重く受け止めてほしいものである


行政 報道 そして 住民

それぞれが 責任のある 意識をもってもらいたい


宅地造成業者についても 将来にわたって 責任を持つ姿勢が必要ではないか

造成して 住宅を売れば それでおしまい ではない

宅地造成するということは 都市計画

その小さな都市を 災害のない街に することである


今回の 災害をきっかけに すべての機関 業者 住民 は 責任と言うことを考えてほしい





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豊前善三のつれづれ日記

2014年08月21日 08時56分13秒 | 日記
 ( Vol 1113 ) 広島市北部の土石流から見える 日本の国土事情 自分の命を守るのは 自らの判断行動が必要

日本は 約70%が山林 住宅の背後に 山を抱えている

ヨーロッパのような緩やかな川の流れとは違い 日本の川は 一気に流れ落ちる

土壌も 広島のような雨に弱い土壌が 多い

日本は 地震だけではない 土石流にも 配慮する必要がある

そこには 歴史を振り返ると 被害状況が多く記されている


そうした中 どうすれば いいのか


行政が どの時点で 避難勧告を 出すか という点が問われるが

むしろ 住民自らの判断で 避難する 心がけが必要ではないか

日頃から 危険な地域については 行政は 住民に 危機意識をもたせる

ハード面の対策は 限りがある

災害が起きれば 想定外 という言葉を使うようなことが しばしば見受けられる


それだけ 災害対策は 困難


避難勧告前の 警報のときに 自主的避難を 行うという 習慣が必要ではないか


自然の驚異の前には なんの打つ手はない というのが現状である


行政は 地質学者 地震学者らの助言を受けて 危険地域の選定 避難者の受け入れ体制を 確立し その状況を住民に周知する必要がある


今回 被害にあった 広島市北部の住宅には 公営住宅もあった

行政としての 災害に対する意識は どうなっているのか


最近の気象状況を見ていると 異常ともとれるような状況が続いている


行政は 積極的な 災害に対する 意識を持つ必要があるのではないか

ハード面よりも ソフト面の 強化が 必要なのではないか


住民は 行政に頼りすぎている という点も気になる

住民は 自分で判断して 行動する その意識をもつことではないだろうか

日本の国土事情を考えれば 危険なところに住んでいる という意識を持つことである

自衛の意識を持ってほしい








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豊前善三のつれづれ日記

2014年08月20日 09時29分25秒 | 日記
 ( Vol 1112 ) 日本の政治家の 有り様をだめにしたの 長期自民党政権 反省してもらいたい

今日の 日本をつくってきたのは 自民党だ 

と自負する前に 自分たちの行動によって 国民の政治への関心の度を 低くさせた ことも 忘れてはならない

昨今 議員による不祥事は 事件にならないまでも 沢山起きている

それは 政治は 金がかかる という正当性を主張する 結果だろう

資金の流用を 堂々とやり 追求されれば 詭弁

そんなことで良いのだろうか

使途については 一円から全面公開 すべきではないか


また 今回 自民党政権は 強引なやり方を始めた

沖縄県辺野古沖の 測量である

このような類した行動を 自民党は繰り返してきた

国民を 力で 押さえ込む

有明海に臨む 諫早の堰についてもそうだ

今も この堰については 問題が続いている

自民党政権は 目先のことだけに囚われ 先をみていない

将来に対して 責任を持たない

政権の力に 行政は屈するという構図 は変わらない

とても残念である

国民と議論を交わす 

そのような姿勢こそが 大切ではないか

政治に参加 させるためには  考えさせる土壌をつくることではないか

力による抑制では無関心になる

今回のような 既成事実を作って 押し切ろうとするような 辺野古沖 ボーリング調査作業の開始には 憤りを感じる

自民党政権は 大いに反省してもらいたい


今日のような 政治に対する無関心な国民を つくったのは 自民党である

そのことを 自覚してほしい


その原因は もの申すな という 態度である

これは いまや日本全国 役所 議員 国民に 感染している


なにか 物言えば 煙たく思う


これでは 問題を解決できない 改善できない 自由に言う環境はできない

もっと 自由に言える 環境を と言いたい


意見を自由に言えることこそ 良い国がつくれるのではないか

意見を自由に言えることこそ 国民が政治に 関心をもつことができるのではないか


強い日本

それは 日本らしさの上でのことだ


それには 自分の考えが必要


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