豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年09月29日 06時47分50秒 | 日記
 ( Vol 1131 ) 若者達の 政治参加 政治意識 を抱かせるには まず 大人達が 若者の声に 耳を傾ける 姿勢を持つ必要がある

よく耳にするのが 

「今の若者は・・・・」「今の若者は だめだ」
といった言葉を 聞くことがある

本当にそうだろうか

いつの時代も 若者は 同じようなことを 大人達から投げかけられる


考えてみると 

大人達は 大人達の尺度で ものごとを考え

常識の変化を 嫌い ついつい 口にしてしまう

保護主義的な発想から 口にしてしまう


本当に 若者は だめなのだろうか

そうではない

大人達が だめと決めつけている

常識を振りかざし 若者を批判するが 

その若者を 育てたのは 大人社会である


大人は 若者を育てる 努力をしてきただろうか

他人の子どもに 手を出さず 無関心 を決め込んできたのではないか


今から 60年ほど前は 他人の子どもを 大人達が 関心を持ち 育ててきた


今は それがない 

そこに 問題がある

大人達が 今日の若者の基盤を つくってきたとも言えるのではないか

若者は 社会のありようを 映したものでもある


若者を 育てる

その意識が 低い

そこが問題である

国政に参加はする意識は 大人だけの特権にしているところに 問題がある


子どもにも こどもなりの 考えはある

ただ それを聞こうとしていないだけである


政治は 大人に 政治家に 任せておけばいい と思っている


子どもは 人生経験が少ないので 知識がない 考えが足りない と はじめから除外している

それで 政治参加意識は 育つのだろうか

子どもの立場 目線から の考えも 参考になる

そこに気づいてほしい


どんな人にも それなりの考えは ある


ただ その考えを 聞くという 体制 姿勢がない

一握りの 常識を重要視した 保守的な 大人達によって すべての方向が 決められているのが 今までの 政治の歴史 ではなかっただろうか

いまこそ 考え方を 改めなければならない のではないか


参政権の年齢についても 考えなければならない

なぜ 20歳でなければならないのか

社会への旅立は 中学を卒業から始まる

義務教育が終われば もう社会人としての 資格 資質があると みなされている

なのにである

政治への参加 は 20歳

どうも 矛盾している


社会が 聞く耳をもつ という体制が できるのなら

参政権の年齢は もっと若くしても良いのではないか

試験的に 17歳からでもいいのではないか

それと同時に 議員への立候補も 参政権と同じ年齢にしたらどうか

なぜ 立候補の年齢が 違うのか

その理由も 正当な理由が 不明


国民全体に 政治参加を 求めるには

政治家が 国民にわかりやすい 考えてもらう 政治活動をする 国民の声を聞く姿勢をもつこと

大人たちは 若者の声を 聞く姿勢をもつこと


若者を 蔑視するような態度は 困る

若者を 一人前の 人間として 対等の人間として 扱い 向き合う姿勢が 必要である


若者は ちゃんと向き合えば すばらしい意見 考えを 持っている


いつからか 「若者は・・・・」と決めつけてきたところに 問題がある

あまりにも 軽率な言動を とってきたのではないか


若者への 政治意識を 求めるには まず 大人達 政治家 が 変わらなければならない


国民のための政治は 全ての人の考えを 聞く姿勢 が必要である



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