豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2017年01月06日 14時27分33秒 | 日記
l ( Vol 1534 ) 日本老年学会は 高齢者の定義を 75歳以上にとの提案 これは高齢化社会への警鐘でもあるようにも受け取れる

高齢化社会といわれはじめ いま社会の高齢化を無視できない状態になっている


そもそも なぜ年齢によって 高齢者という特別枠を設けなくてはならないのか


そこに疑問を抱く


年を重ねるごとに 人の力は変化してくる

年齢も 60歳以上になってくると 思いもかけない体調の変化に見舞われる

その変化には 個人差がある


人の平均寿命も 社会の安定とともに 高くなっている

日本の平均寿命は 男女とも 80歳を超えるまでになっている


街中を見ても 60歳以上の人たちを 多く見かけるようになった


それだけ 60歳以上の人の存在が大きくなったということだろう

また それだけ多くなると 年寄りらしさも変わってくる


60歳以上の集団の中においては 老いるということを受け入れられないものも出てきている

第二の人生を謳歌するという行動が見受けられ始めている


それが 65歳以上から 75歳以上へと 定義を変更したらどうかという ことが起きたのではないか


現に 60歳以上の人たちは 元気がいい


低い山などに行くと 60 70 80歳代 の人々は 元気に登山を楽しんでいる


この社会の変化には 驚く

高齢化社会とは どんな社会のだろうか と考えるとき

60歳以上が 人口の30%を占めるようになり 核家族化が進んだ社会では 老いたと言ってはいられなくなる

老いてもなお 自立が求められる

ましてや 年金だけでは 安心して暮らせない 世の中になっているのである


元気な人は 生涯現役 を望み スポーツに励むようになるようだ


これは良いことなのか悪いことなのか 判断はつかない


今や 高齢化社会では 高齢者という定義すら 当てはまらない 社会になりつつあるのではないか


安倍政権が掲げる 一億総活力とする言葉からも 誰もが 働ける人は 働く社会になっていかざるを得なくなりつつあるのではないか



高齢者の括りを変更することによる 狙いはどこにあるのか


そこが不明である

そのことに 疑問を感じる


ただ元気だからで判断するのは いかがなものか


1960年代は 定年制度も 全体に広がっていなかった

公務員などは 管理職以外は 定年がなかったのである


1970年代に入ってから すべてにおいて定年が取り入れられて 高齢者ということを 意識するようになったのではないか


定年がなければ 高齢者の定義も 意味がなさなくなるのではないか


社会保障の在り方にまでも 考える必要があるのではないか




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豊前善三つれづれ日記

2017年01月06日 14時09分34秒 | 日記
( Vol 1533 ) 恫喝行動を動画サイトに投稿 問題となっている このような投稿は相応しくない

動画投稿サイトは 使い方によっては 素晴らしいことをもたらす

しかし 動画サイトには 厳しい制限がないので 犯罪につながる発信にもなっている

今回 報道された宅配業者への恫喝行動を撮った動画配信は 負の部分である

容疑者の動機は 不満を動画サイトに載せたかった という


動画サイトは 私的な場ではない 公共的な場である

誰もが 制限なしに 見ることができる


このことを考えると 今回のような 不満のはけ口として 利用するのは 妥当ではない 避けるべきではないか


最近感じるのは このような不満のはけ口として 動画サイトが利用されるという 好ましくない 行動が見られることを 残念に思う


「PPAP」のような 世界中を ハッピーにさせる動画もある


動画サイトに投稿する ことについては 理性をもって 行動することが大切なのではないか


ただ目立つ ということで なんでもありでは 困る


自制し いい影響を与えるものを 動画サイトに投稿してほしいものである





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