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豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年12月14日 09時01分56秒 | 日記
( Vol 1524 ) また いじめ の報道があった 報道の仕方が淡白すぎないか


福島原発事故による避難した児童生徒への いじめ報道が相次いでいる

ここで気になるのが いじめ という定義認識である

報道によると 学校側において いじめは認められなかった という見解報道が目に付く

しかし 大事になってくると 学校側は 覆して いじめはあったと弁解


なぜこのようなことが起きるのか

その点についての 探求する姿勢の報道がほしい


学校側における いじめ という行為を どのように判断するか

いじめる側の言い分は 遊びのつもりでやっていた

というのが ほとんどである


しかし 現実は いじめになっている


この現状から考えると


いじめられている側から 窮状を訴えられたら いじめと 捉えて対処行動をとる という姿勢 を教員共通の意識として持つことではないか


ここが 欠けているから いじめは なくならない


いじめる児童生徒は 異口同音に 遊びだった という

この言い訳の言葉を 重く捉える必要がある



報道は いじめをなくすために どんな小さな いじめ に関する事件でも 報道として 取り上げていくことが 必要なのではないか


このことは 世間一般に 認識させる効果があり

学校 児童生徒 そして 家庭が いじめということについて 理解 認識 していくことになるのではないか




ここのところ 報道は 全体的に 淡白な報道の仕方をしている


できるならば 視聴者を 考えさせるような 報道の仕方を考えてほしいものである



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