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# 895 悲願の初優勝へ

2025年05月07日 | 1977 年 



『西本監督留任』このニュースはさほど人々をビックリさせるものではない。むしろ留任が当然の名監督をこんなに早く発表したのかという意地悪な感想の方が強いのである。それとも何か早々と留任を決めなければならない理由でもあったのだろうか?

最も固い西本監督の急拠発表の不思議
秋風が吹き始めると首スジのあたりがヒンヤリと感じる人が増えるのがプロ野球界。あのツルさん(鶴岡一人氏)でさえ「孫子の代まで絶対にプロ野球の監督はやらせたくない」と言うほど非情な世界なのだ。そんな中、長嶋監督(巨人)と共に絶対安泰と言われるのが西本監督(近鉄)。なのに…だ。近鉄球団は8月22日に大阪・森の宮の球団事務所で早々と西本監督の留任を正式に発表した。昨年暮れに富和宗一近畿日本鉄道社長(当時はオーナー代理副社長)、山崎弘海球団社長と西本監督の三者会談で球団側が5年契約を提示したが西本監督が「1年1年勝負している選手に示しがつかない」と1年契約を申し出て了承された経緯がある。

つまり契約延長は既定路線であるにも拘わらず、わざわざ異例の時期に留任を発表した意図は何だったのか。それは西本監督が今シーズン限りで近鉄を退団するらしいという噂が球界を駆け巡ったからだ。その為、フロント陣が西本監督に「売約済み」の札を焦って張り付けたのが真相だ。ではその噂の出処はどこだったのか。8月22日の契約延長の記者会見で富和オーナー代理がチラリと漏らした。「最近あるマスコミが西本監督がチームに嫌気がさして退団するようだと書いた。そこで私は佐伯オーナーの意向を汲んで近鉄はあくまで西本監督で優勝を目指すのだということを改めて確認しておく必要があった」と述べた。


" 西本辞める " の怪情報は意外な人が
留任発表の1週間ほど前、仙台・宮城球場でのロッテ戦の為に遠征中の野村監督が市内のホテルのロビーで南海担当記者と雑談中に「西さんが今年で辞めるで」と発言した。まさか、と記者たちは信用しなかったが「ワシが得た情報では西さんはスギ(杉浦投手コーチ)に後を任すらしいぞ」と追い打ちをかけた。球界人事に関しては情報通と定評がある野村監督の発言だけに記者たちは色めき立ち、すぐさま電話に飛びついたのは言うまでもない。「西本監督が辞める」仙台から大阪に飛び火したノムさん情報で近鉄球団周辺に徹底したマーク作戦が取られることになった。人間という者は奇妙なもので先入観でどんどん見方が変わる。

どんな大負けをしても西本監督は記者からの質問に淡々と答える。気に食わない質問にも嫌な顔をすることもなく。それは既にチームを見放しているかのようにも感じられた。もしかしたら本当に辞めるのかもしれない、と考える記者も増えた。「怒らない西本監督なんて○○を入れないコーヒーみたい」と冗談を言う阪急監督時代を知る各社ベテラン記者は直感的に何かあると取材を開始し、西本監督の周辺がキナ臭くなった。そんな空気を察した山崎球団社長が予定より早く留任を発表したのだ。8月22日の会見当日に練習を終えた西本監督を急遽、球団事務所に呼んで留任発表の了承を得るほど急な話だった。


敗戦続きにクールな西本監督のナゾ
前期シーズンから低迷が続き、猛練習をしても負ける。弱い、ボール球に手を出す、バントは失敗する。一体このザマはなんだ。西本監督の心に「俺の指導法が間違っているのか」という疑問が自然と湧いてきた。弱気になる西本監督の最大の原因が羽田選手の存在だ。羽田選手は西本監督就任1年目のシーズンに4打席連続本塁打を放つなど華々しいデビューを飾り、一体どんな大打者に成長するのかと期待が大きかったが羽田選手の気の弱さと体の柔軟性に欠けるなどでズルズルと時間だけが過ぎた。西本監督の持論であるダウンスイングを仕込んだがモノにならず、西本打法そのものの価値を左右する事態まで発展した。

その羽田選手が後期シーズンに入ると徐々に実力を発揮し4年かかって四番打者に成長した。指導者として1人でも育てられたら合格なのにそれが四番打者なら満点だ。内心では羽田選手が第二の長池選手になる目途がたったことで、たとえチーム成績が芳しくなくても西本監督の心は穏やかなのではないだろうか。他にも石渡・平野・栗橋・島本選手ら西本監督が期待する若手選手が少しずつではあるが成長していることも西本監督を上機嫌にさせているのだろう。「西本監督を喜ばせるのは簡単。若手選手が育ってくれば監督はヤニ下がる人だから」と担当記者は言う。





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