Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#224 1981年・夏の甲子園 ②

2012年06月27日 | 1981 年 



荒木大輔(早稲田実業) … 今年のセンバツ大会では1回戦で早々に敗退。理由は明らかに練習不足だった。1年生での衝撃の甲子園デビューのお蔭で「ダイスケフィーバー」は加熱し荒木が動けば群集も一緒に大移動するなど、とても満足な練習など出来る環境ではなかった。三度目の甲子園での荒木の顔つきは少々逞しさが増していた。1回戦の高知高を1安打・10奪三振、2回戦の鳥取西高は本調子とは程遠い投球ながらも8回まで0封。鳥取西のエース・田子投手は1回戦で16奪三振の好投手だが記者から「田子投手を意識する?」と対決を煽られても「田子さんは外角高目で勝負するタイプ。ボクは外角低目が生命線の投手でタイプが全く違うので比較しても意味ないです」と冷静だった。

1点差の6回一死満塁のピンチに藤岡をカーブで、続く松田を直球でと公言通り外角低目の球で見事に打ち取った。「最後の直球は外すつもりが入っちゃった」と照れたがココ一番で見せた力強さは去年にはなかった「大人の顔」があった。試合後のギャルフィーバーは相変わらずだが宿舎や練習場では格段に静かになった事も荒木の気持ちを楽にしている。「女の子?もう沢山ですよ。でもまぁ、全くいないよりは少しはいてくれた方が励みになりますけど」と16歳の少年らしい笑顔で語った。



金村義明(報徳学園) … 噂の金村はやはり怪物だった。横浜高のエース長尾から2打席連続の本塁打。1本目は高々と舞い上がった、いわゆる乗せて運んだ典型的な軌跡の本塁打。2本目は外角へ逃げるカーブを左手1本で左中間へ運んだ。「長尾君はシュートがいいと聞いていたので踏み込んで打つ練習を繰り返しやった成果です。2本目は必ず外角中心になると思い投手寄りに立ってカーブを狙っていました」片や打たれた長尾は「2本とも勝負にいった球ではなかったのに・・脱帽です」と寧ろサバサバした表情。しかしこの2本で満足しないのが金村らしい。「当然3本目も狙ってました」と挑んだが勝負を避けられて不発に終わった。

思った事をズバズバ言う金村についたアダ名は「モハメド・アリ」とか。同室の東郷遊撃手によると「常々甲子園ではエエとこを見せて商品価値を上げたる、と言っていました」と言う通り金村の目標はプロ野球。母・かね子さんによれば東京の複数の大学から入学金免除の好条件で勧誘が来ているが本人はあくまでプロ一本だそうだ。「2本も打てたし次戦からは投手に専念します」言い忘れたが金村はエースでもある。



松本 豊(秋田経法大付属) … 「ノーヒット・ノーラン男」の工藤に「僕に彼くらいの身長があったら、もっと凄い球が投げられるよ。社会人でもプロでも胸を張って行ってやりますよ」と言わしめたのが松本だ。それ程の技術・体力に恵まれている。「あいつの泣き顔が見たい」とまで工藤に言わせるくらい、あの松本が簡単に負ける筈などないと思われていたが、志度商相手に延長10回サヨナラ負け。整列に向かう両校の選手をよそに腰を折り膝に両手をついたまま動かない。やおら砂を掴むと思いっきり投げ捨てた。

「強い相手と対戦したい」との願い通り1回戦・興南、2回戦・福島商と強敵と当たるも勝ち上がってきた。ただ投球内容は傍目には今ひとつ迫力不足と言われているが「勝つ為の投球を覚えた」と秋田経法付・古城監督は寧ろ成長の証だと言う。興南戦の8回、走者2人を置いて強打者・竹下と対戦した場面では快速球で三振を奪うなどココ一番では捻じ伏せる投球も健在だったが彼本来の豪腕ぶりは見せぬままに松本の夏は終わってしまった。



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#223 1981年・夏の甲子園 ①

2012年06月20日 | 1981 年 



工藤公康(名電高) … 102球目、長崎西・江頭のバットが空を切り山本捕手のミットが地上スレスレでこの外角カーブをガッチリ捕えた。史上19人目のノーヒット・ノーラン投手が誕生した瞬間だった。工藤は表情一つ変えず二歩、三歩とマウンドを降りかけてようやく笑顔を見せた。その顔は「甲子園の1勝」ではなく「地区予選の1勝」のようであった。「練習試合のつもりで投げました(工藤)」 とは随分クールな記録達成だった。この試合を見ていた人ならこの発言も頷けるだろう。それ位、工藤と長崎西打線の力の差は大きかった。工藤が投じるカーブにかすりもしないのだ。 「あんなカーブは見た事がありません(江頭)」「途中で球が消えました(別宮)」とベソをかくばかりで、5回あたりから場内は記録達成を予感していた。もちろんベンチ内の確信はそれ以上で普通なら投手を緊張させないようにするものだが、主将の中村は早くも2回に「いけるゾ、狙え!」とハッパをかけていた。

思えば試合前から予兆があった。ブルペンでの投球練習でカーブを投げたら「えらく曲がるので自分でも驚きました(工藤)」「投げる工藤が近く見えた。球が速く見える事はこれ迄にもあったけど近く見えたのは初めて(山本捕手)」さらにツキもあった。3回裏、別宮のセーフティバントを工藤がハンブルして出塁を許したが記録はエラー。球が変な回転をしてイレギュラーしたからだった。勿論、ツキだけでノーヒットに抑えた訳ではない。学校のグラウンドから合宿までの13kmを毎日ランニングをし、山本捕手との投球練習ではバッテリー間の中間点から投げ始めて10球連続でストライクが取れたら3歩下がって同じ事を繰り返した。投手板に着く頃には300球を要する時もあったという。日々の努力こそが「記録の母」なのである。




山本幸二(名電高) … そんな工藤投手の女房役が強肩・強打の山本幸二捕手だ。打席に入れば広島東洋カープの山本浩二選手で御馴染みの「コージ・マーチ」をブラスバンドが鳴らし始める。これは山本本人によるリクエストで「ちょっと恥ずかしいけど、山本浩二選手にあやかろうと思ったので頼みました」6回表カウント1-1からの3球目、長崎西・小阪投手が投じた緩いカーブを捉えると打球はライナーで左翼ラッキーゾーンへ飛び込んだ。大会前から騒がれていただけに「もしも打てなかったら・・・」と悩んでいただけに一塁を回った所で思わずバンザイをしていた。

守りでも工藤のノーヒット・ノーランを支える好リードと強肩で盗塁を阻止した。3回裏に四球で出た俊足の江頭を遠投109㍍の自慢の肩で刺した。「1回裏に出たランナーが走ってくれなくて見せ場が無かったから今度こそはと思っていました」とは大した自信。捕手としての目標がヤクルト・大矢捕手という山本の夢はプロ野球選手。「守りは大矢選手、打撃は谷沢選手(中日)が目標」という山本の評価は◎だ。




田子譲治(鳥取西) … 甲子園に来て一躍有名になったのが田子譲治投手だ。大会2日目の第3試合の対東奥義塾戦。初回先頭打者にヒットを許したのみで予選チーム打率 .367 の東奥打線から16奪三振、準完全試合の快投を演じた。「アダ名ですか?『9割9分』と呼ぶ人もいます。多分、僕がホラを吹くから9割9分アテに出来ないという事でしょう。今朝も完全試合をやって4本塁打を打つと宣言しましたけども、誰も相手にしてくれませんでした。今日は1本打たれたから99点です。自分ではエラーだと思っていますけど」と報道陣を笑わせた。

ホラは吹くがイガグリ頭に太い眉、目がいかにもイタズラ小僧といった感じでクリクリと動き回って憎めず「あの子は強豪校や名門校相手だったりすると実力以上の力を発揮するタイプ。だから、この大舞台でもきっと何かやらかすと思っていましたが、それにしても・・」と井上監督も驚きを隠せない。甲子園で自己の奪三振記録を3個も更新しヒットも打った。「田舎のマウンドより甲子園の方が投げやすかった」これもホラかもしれないが実にアッケラカンとしたもんだ。鳥取県青谷中学時代から投手で鳥取西高では2年生からエース。176㌢73㌔、お寿司屋さんの長男坊の好投手は全国的には無名でも意外と大物かもしれない。



3人ともドラフト指名されて揃ってプロ入りしましたが大成したのは工藤だけでした・・



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#222 遂にブレークした落合

2012年06月13日 | 1981 年 



1980年12月8日号  『ブレーク前のロッテ・落合博満』 の翌年、遂にブレークしました。


初出場 … オールスター戦に初出場したと思ったら何といきなり四番の重責を負った。普段は物怖じ
しない男もさすがに緊張したとか。「そりゃあロッテでも三番か五番ですからね。並み居る大先輩達を差し
置いて全パの四番はキツイですよ」と柄にも無くネガティブ。


目標 … シーズン前の目標は「130試合フル出場」だったが風邪で1試合欠場してしまい開幕早々に
目標達成は無くなってしまい新たに「本塁打25本」を掲げ、月5本をノルマにした。5・6・7月とあっさり
ノルマをクリアして7月30日現在、ソレイタ(日ハム)・門田(南海)に次ぐ3位21本で目標達成は確実だ。
西武戦・6本、日ハム戦・4本、阪急戦・4本、近鉄戦・4本、南海戦・3本と各チームから万遍なく打って
いる。


首位打者 … 島田誠(日ハム)や石毛(西武)のペースが落ちコンスタントに打ち続ける落合がトップに
踊り出た。「いやぁ、まいったね。追いかけるのは楽だけど追われるのはキツイっすよ。シーズン終盤なら
ともかく、まだ夏場ですからタイトルを意識するのはまだまだ先ですよ」と本人は無欲を強調するが周りの
期待はヒートアップしている。「アイツは球を捉える技術は既に持っている。リストが強く腕力に頼らず腰を
入れて打てるのもエエ。あとはアッパー気味なスイングをレベルスイングで脇を固めてインパクトの瞬間に
全神経を集中させられるように出来れば首位打者も夢ではない(山内監督)」


性格 … 少々秋田訛りが残ったおっとりした喋り方をする。細かい事には無頓着の面倒くさがり屋で
口下手だがアルコールが入ると饒舌になる。土地柄か酒は強く水割り10杯は軽い。「博満は7人兄弟の
末っ子で、きかん坊で負けん気は人一倍あったと思います。野球に熱中したかと思えばプイッと大学を
辞めて帰って来たりはしたけど、手のかかる子ではなかったです(父親・長蔵さん)」


東芝府中 … 東洋大学中退後、知人の紹介で東芝に入る。東芝時代は競馬場が近かったせいもあり
競走馬には詳しい。血統を語らせるとなかなかウルサイが馬券の的中率は定かではない。


女性観 … 「女性たるもの男子の職場に顔を出したりしてはならん」という一家言を持っている。だから
新婚の祐子夫人(25歳)は一度も球場へ来た事がない。「当たり前の話。男はグランドで命懸けで戦って
いるわけですから」


契約金 … 入団交渉で三宅スカウト部長は3千万円を用意していたが、切り出しの「2千5百万円」の
一声に、「ありがとうございます」とあっさりとハンコを押してしまい三宅部長を慌てさせた。この契約金で
横浜市鶴見区にマンションを購入したしっかり者。入団1年目は合宿所暮らしだったので実姉に代わりに
住んで管理してもらい、昨年オフの結婚と同時に新居に。


鈍足 … 小学生の頃に雪の中で走る自動車の後部につかまり遊んでいて転倒。その際に後輪で足を
轢かれた。100㍍走14秒台だった俊足が鈍くなったのはその事故のせいだと本人は信じている。


太く短く … 昨年のオープン戦で足を怪我して入院生活を送った時に、つくずくと体が資本と痛感した。
その為に怪我をしないように細心の注意を払っているが「野球に怪我は付き物」と長くプレー出来るとは
思っていない。プロ入りが遅かった分、稼げる時にタップリ稼いで引退後は何か商売でも・・と思っている。



「太く短く」どころか45歳までプレー出来ましたし、再婚相手の信子夫人は落合の女性観とは懸け離れた人でした。
思い通りに行かない人生の方が面白いのかもしれません。
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#221 第10回・日米大学野球選手権 

2012年06月06日 | 1981 年 



多くのプロ野球選手も出場経験のある日米大学野球選手権が、この年は日本で開催されました。日本が
過去9回の大会でアメリカに勝ち越したのは第1回・7回大会のみ。第1回大会では山口高志(関西大)の
好投と長崎慶二(法政大)・藤波行雄(中央大)・山下大輔(慶応大)などの好打者たちがアメリカ投手陣を
打ち崩し、第7回大会では松沼弟(東洋大)や高橋三千丈(明治大)らの好投手を揃えてアメリカを倒した。
今大会では第1戦が森岡と尾上、第2戦は全員野球、第4戦は仁村、そして優勝を決めた第5戦は宮本と
日替わりでヒーローが現れて3年ぶり3度目の優勝をした。第1回大会では元巨人のクロマティもアメリカ
代表に選ばれていて今大会に選抜されたメンバーの中にも後のドラフトで指名されてプロ入りした選手が
多くいました。


尾上旭(中央大→中日)…派手な一発だった。9回まで3安打の無得点。森岡(明治大)の力投でどうにか
延長戦に突入した10回裏に尾上のサヨナラ本塁打が出て初戦に勝利した。 「いつものお前らしくないぞ、
何なんだコツコツ当てにいくバッティングは」 大会前の練習を見た中大・宮井監督に一喝された。体格は
1㍍75㌢68㌔と大きくないが思い切りの良さで東都大学リーグ現役最多の13本塁打を放つ豪快な打撃が
魅力の尾上だったが練習ではヨソ行きの打撃に終始していて「監督さんに言われて目の前のモヤモヤが
消えました。東都の面目に懸けても森岡の為にも打ちたかった。スタンドへ入ったのが見えた時は思わず
涙が出ちゃいました」 今大会では遊撃手に大学球界を代表する選手が2人選ばれた。明治大の平田と
尾上だ。島岡全日本監督も悩みに悩んで尾上を二塁へコンバートしてまで尾上の打撃を生かそうとした。
「あいつは大仕事をするタイプだと思ってた。狙い通りだよ」と島岡監督も、してやったりの表情。


西浦敏弘(近大→南海)…それは外人顔負けの凄まじいパワーだった。第2戦9回一死1・2塁の場面で
マイスター投手が投じた直球を叩き左翼スタンド中段まで届く本塁打を放った。「外人の球はもっと速いと
思っていたけど大した事なかった」とポパイが愛称の西浦はニコニコ顔。上腕部のチカラコブは40cmを
超えるほど盛り上がる。全日本大学選手権大会で2ホーマーした近大の主砲はまだ2年生だ。「よく喰うし
ありゃ国技館へ行っても通用する」と島岡監督もそのパワーに目をむく。しかし泣き所は守備で高校では
三塁、大学では一塁を守っているが本職レベルには程遠い。その為、守りの野球を標榜する島岡監督は
西(明大)を先発で起用しているがアメリカのパワーに対抗できる数少ない日本人選手の起用に気持ちが
揺れ始めている。


仁村薫(早大→巨人)…第4戦を勝ち一気に王手をかけたい第5戦は、第1戦同様に森岡とボスバーグの
投げ合いで延長戦ムードが漂う展開に。7回一死一・三塁で代打に起用されたのは投手が本職の仁村。
ボスバーグの2球目を叩くと打球は右中間スタンドへ飛び込んだ。「外寄りのチェンジアップ。抜けるとは
思ったけどまさか入るとは・・・」と本人もビックリ顔。実は仁村起用には裏話がある。確かに仁村は打者
顔負けの打撃技術を持っているが、さすがにこの様な緊迫した場面では荷が重い。島岡監督は仁村では
なく西浦を告げたつもりだったのだが、この試合の球審はアメリカ人。通常は国際試合の場合は背番号で
選手交代を告げるのだが、つい日頃の癖で名前で告げた為に「ニシウラ」を「ニムラ」と間違われたのだ。
怪我の功名となった仁村は「次は投手としても貢献したいです」と打者・二ムラにご満悦。


宮本賢治(亜大→ヤクルト)…優勝に王手をかけて臨んだ第5戦(札幌円山球場)、先発・宮本は必死の
形相だった。森岡、仁村でポンポンと2連勝した後の第3戦で負け投手。同じ下手投げの森岡が好投した
だけに「2度も負ける訳にはいかない」6回を3安打1失点、仁村に救援を仰いだものの優勝決定試合の
勝利投手に。「外人相手に初めて投げたが打球が飛ばないので拍子抜けしてしまった。自分の球がある
程度通用する事が分かって自信になった」 3試合11回投げて3失点の好成績を引っ提げて、卒業後は
プロ入りを目標としている。


平田勝男(明大→阪神)…タッチの差だった。あと1本ヒットが出ていれば主将として日本チームを優勝に
導いた功績に首位打者の栄誉まで付くところだった。毎試合安打の主砲・スタブスが3割6分で、平田は
3割4分5厘。自由に打てる三番打者と比べて制約の多い二番打者だった平田は分が悪かった。今年の
チームには去年の原辰徳(東海大→巨人)のような大物スター選手はいないが全員が良くまとまっている
そこには人当たりの良い性格と攻守で牽引した平田の存在を忘れてはならない。「首位打者なんて柄じゃ
ないです。今日で日米野球は終わり。少し休んだら秋へスタートです」と既に気持ちは切り替わっている。
最終戦でも豪快な一発を放った尾上とはドラフト会議で人気を二分する新たな戦いを繰り広げそうだ。





                                                 

他に白武佳久(日体大→広島)・木戸克彦(法大→阪神)・山沖之彦(専大→阪急)やアメリカチームには
後に横浜や阪神で活躍したジム・パチョレック(当時の表記は「パシオレック」)なども出場していました。




       
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