Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 611 阪神を逐われて

2019年11月27日 | 1976 年 



勝ってばかりではいられない。いつかは負けるのが勝負の世界だが、何としてもバリバリと勝つところを見せて欲しいのが江夏投手。阪神を追い出され南海に新天地を見つけた江夏が散った。その日の風景である。

4月13日、甲子園球場の銀傘に歓声がこだまし今シーズン初めての阪神巨人戦に大観衆が熱狂していた同じ夜、京都・西京極球場のマウンドで阪急相手に苦悩に顔をゆがめる江夏の姿があった。関西地方は雨がいつ降り出してもおかしくない怪しい雲行きだった。外野スタンドに沿ってこんもり繁った樹々が青白いカクテル光線に照らされ輝きを増して、いかにも古都の郊外球場の雰囲気を醸し出していた。そんな雰囲気とは異質の声が響いた。「お~い野村よ、早く江夏を代えてやらんかい。マウンドで泣いとるやないか」パ・リーグの球場は大観衆が詰めかけて声を掻き消すセ・リーグとは違ってスタンドのファンの野次がダイレクトに両軍ベンチに届く。

また場内アナウンスが他球場の試合経過を知らせる。「阪神の投手は古沢から上田卓…」本当なら今頃は俺が大歓声に送られて王さんや張本さんをキリキリ舞いさせていた筈だ・・そんな思いが江夏の脳裏をよぎったかどうかは分からない。だが現実は自分でも理解できないほど江夏の左腕は縮み、往年の快速球は影を潜めていた。阪急とは3月28日、大津でのオープン戦で江夏は対戦していた。その時は3イニング・7安打・2失点。「ビデオで投球を録画されている。それが分かっていたので本来の投球が出来なかった。本番になれば今日とは違う投球内容になる(江夏)」と自信を見せていたのだが。

ペナントレースが始まりこの日が両軍の初顔合わせだった。6連勝し波に乗る阪急相手に野村監督は前日に2時間に及ぶミーティングで対策を練った。「この辺で止めないとこのまま阪急が走ってしまう。頼むぞユタカ」が野村監督がミーティングの最後に発した言葉だった。期待を背負った江夏だったが試合前に外野をランニングする姿はどこか気怠そうだった。捕手役の醍醐コーチが盛んにハッパをかけるが江夏の士気は上がっているようには見えなかった。先発に起用された捕手は野村監督ではなく和田だった。和田は江夏より3年前に阪神入りしていた元同僚である。あれから9年、2人はユニフォームを変えて再びバッテリーを組んだ。

しかし前日のミーティングで強調された福本に出塁を許すなという忠告を江夏は守れなかった。初回いきなり福本を四球で歩かすと大熊には左前打されピンチを招くが、後続をどうにか抑えて失点は逃れた。2回は森本の遊撃内野安打に続きウイリアムスの左中間二塁打や中沢の右前打などで3失点。5回には大熊に四球を許した後に高井に左中間本塁打を浴び、92球で降板した。オープン戦では打者の胸元を突く速球を投げず、変化球中心の探りを入れるような投球内容には賛否があった。「あえて速球を隠して本番に備えているんだ」「かつてのような速球はもう投げられないんだ」など評価はまちまちだった。

阪神時代には" 扱いにくい " " 反逆児 " などのイメージが定着していたが、南海に移籍後は努めて明るく振舞ってナインの和にも積極的に溶け込もうとする姿があった。南海での最初の登板は開幕シリーズの対太平洋3連戦。佐藤投手からバトンタッチして初セーブを記録した。ちょうど近鉄戦に勝ち越した直後の上田監督がこの江夏の起用法を見て「なるほど野村監督は江夏をこういった使い方をするのか」と感心した。初勝利は1万4千人が詰めかけた大阪球場での近鉄戦だった。8回 1/3 を 128球・3安打に抑える好投を見せて一部にあった不安視する声を自らの手で払拭した。

それだけにストップ・ザ・阪急を託されたが期待に応えることは出来なかった。用意周到に準備された筈の阪急戦だったが全てにリズムが狂い、持ち味の速球は遂に見られないまま5回で降板した。試合が6回を迎えた頃、西京極球場の三塁側ダグアウト裏にある薄暗くて窓ひとつない小部屋で江夏は記者からの取材を受けた。重苦しい雰囲気の中で江夏は「嫌な事は聞かないでくれよ」と自嘲気味に会見を始めた。「今日は南海に来て4試合目で初めて味わった屈辱や」とショートホープを燻らしながら喋り始めた。「福本さんに気を使い過ぎて投球内容が窮屈になってしまった。事前に用意しておいた対策を試す余裕すらなかった」と。

ポツリポツリと試合を振り返る。初めての球審で外角のきわどいコースはストライクにしない癖を見抜くのに時間を要した事。ダメ押しツーランを打たれた球は低目のボールになるフォークボールだったが、予想以上に高井選手の打撃技術が高かった事など極めて冷静に淡々と語った。現状の江夏の速球では阪急打線を抑えるのは難しいだろう。同じ投球フォーム、同じ腕の振りで球速を変えて投じる江夏特有の上手さを所々で垣間見せたが全体を通しては球速の衰えは隠せなかった。一塁走者のマルカーノを刺した牽制球などプレートさばきは流石だったが、芸術的と評される江夏の投球術を見ることは出来なかった。

この野郎!とカッカと熱く燃えてこそ江夏は真価を発揮する。なかなか暖かくならず満開になる前に散ってしまった今年の桜のようになって欲しくない。かつて阪神の監督として江夏を起用した村山実氏はこう話していた。「能ある鷹は爪を隠すと言うけれど江夏は今のうちに速い球をもっと投げ込んでおかないとイザという時に思い通りの速球を投げられなくなる」と。これは村山氏自らの経験から滲み出た忠告と聞こえたが、江夏がこの忠告をどう判断したのかは分からない。江夏の完全復活こそ今季のパ・リーグを熱く面白くする要因であることは間違いない。そんな思いをはせた未だ肌寒い夜風を感じた京都の夜だった。
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# 610 強すぎる勇者

2019年11月20日 | 1976 年 



もうパ・リーグの前期優勝は決まったと、早合点ではなくそう思っているファンも多い。それほど阪急の快進撃は凄まじいのだ。しかしこの世界は余り勝ち過ぎても上手くないようなところがあって関係者は複雑な気持ちなのだ。

山口の出番もない憎らしいほどの強さ
今や阪急の快進撃にファンや一部のリーグ関係者は浮かない表情を隠さない。何はともあれ阪急の強さを御覧あれ。開幕は近鉄戦。昨季のプレーオフの再現となったが戦前の予想では近鉄有利の声も少なくなかった。なにしろ阪急は開幕を目前に控えて主力陣に故障者が続出した。足立投手は練習中にバットで後頭部を強打、山口投手は右膝に打球を受けて揃って病院送りに。他にも加藤選手は右足首を捻挫、長池選手は肉離れで戦線離脱。上田監督の表情も曇り、フロント幹部は「これは一大事」と急きょ神社で厄払いをしてもらい、球場内の事務所や選手のロッカーや通路まで至る所に清めの盛り塩をするなど大変だった。

ところがイザふたを開けたら第1戦は加藤の代役・高井選手が三番に座り本塁打を放つなど活躍し、開幕投手を務めた山田投手が完投勝利。第2戦こそ敗れたが第3戦は期待の戸田投手が完投勝利して開幕3連戦を勝ち越した。表情の暗かった上田監督もゲンキンなものですっかり上機嫌になり「とにかくウチの団結力は天下一品。故障者の分を全員でカバーしようと張り切っている。マルカーノや福本だけでなく各選手が自分の仕事をこなして上位下位の切れ目なく打線は機能している。いずれヒデ(加藤)もタカシ(山口)も帰って来る。当初の予定通り開幕ダッシュを狙う(上田監督)」と記者団を前にお喋りが止まらない。

当面のライバルの近鉄戦に勝ち越した勢いで日ハムも撃破していく。戸田の完投勝利に刺激を受けた白石投手や大石投手が相次いで完投勝利を収めた。続く宮城での10日からのロッテ戦では試合前に宮城県知事や歌手の郷ひろみまで登場し華やかに行われたセレモニーが挙行されて金田監督が「今年は阪急を倒して2年ぶりに日本一になる」と高らかに宣言するも阪急打線がロッテ投手陣を粉砕して3連勝。開幕して7勝1敗(4月15日現在)と山口不在の心配は取り越し苦労であった。

「もうリリーフなら十分に投げられるのに、リリーフは必要ないと言われて投げさせてくれない」と13日の西京極球場での南海戦の試合前、病院通いも終わり出番を待つ山口は憮然とする。先発する投手が次々と完投するので出番が回って来ないのだ。投手起用に頭を悩ます長嶋監督が聞いたらヨダレを流しそうなくらい阪急投手陣は万全の状態である。加えて打線も好調でこの試合も南海先発の江夏投手を早々にKOした。「江夏?あの程度の速球なら苦も無く打てる。変化球だとかコーナーワークといっても速い球がなければウチの打者連中には通用せんよ」と上田監督は余裕の表情。

4月25日で決着がついてしまう?
開幕したばかりだというのに早くも前期優勝は阪急だと断言する評論家もいる。「シンザンかグランドマーチスか知らんが、とにかく競馬で言えばガチガチの本命がスタート直後に10馬身も離してしまったみたいだ。こんなペナントレースは面白くない」と話すライバル球団OBの某評論家。「ボクシングで言えばTKO。セコンドがタオルを投げ入れる寸前」と在阪スポーツ紙記者も既に諦めの心境だ。ライバルであり負けん気の強いカネやんですら「こんな調子ではパ・リーグの灯は消えてしまうで」とお手上げ状態。もっとも「嘆く前にロッテがしっかりせんのがイカンのや。阪急のせいではない、ウチも含めた他球団がだらしないからや」とぼやく。

ところで開幕前に本誌を含めた野球評論家たちの順位予想を集計したところ、22人の内17人が阪急の前期優勝を予想していた。その予想を上回る快進撃だが上田監督は「とにかく手綱を緩めることなく20試合までは油断せずに勝てる試合は全て勝ちにいく。20試合を過ぎて首位なら文句ないが、例え首位でなくても2~3ゲーム差なら優勝のチャンスはある」と話す。つまりは4月25日頃には優勝の目途がつく筈だが、今の勢いなら目途どころかほぼ確実な情勢だ。「またぞろ早々に前期を諦めてしまう球団も出てくるだろう」とリーグ関係者は憂慮している。このままでは6月11日まで組まれている日程の多くが消化試合になってしまう可能性は大きい。


やはり2シーズン制は上手くないのか
こうなると当然、2シーズン制への批判が出てくる。実はパ・リーグは今季から1シーズン制に戻すことになっていた。事前のマスコミ各社の世論調査では2シーズン制の支持は7%、1シーズン制は83%、どちらでも良いが10%だった。そうした球界内外の声を受けて昨年7月と10月に行われたパ・リーグ理事会に6球団の代表が集まって昭和51年度のシーズンから1シーズン制に戻ることが確認された。ところが11月12日、大阪堂島のクラブ関西で開かれたパ・リーグオーナー懇談会で理事会の決定を覆した。しかし6人のオーナー中、2シーズン制支持は1人だけだった。それがなぜ?

オーナー懇談会で1シーズン制に戻す事に唯一反対したのは太平洋クラブの中村長芳オーナー。第1の理由は興行面で1年のうち二度の優勝があることでより多くの集客の確保が見込める。第2には1年を通じて戦うには戦力不足の球団でも短期決戦なら優勝できるチャンスが生まれる。2シーズン制の方が球団にもファンにも利点が多いと力説した。この意見に議長である近鉄・佐伯勇オーナーも同調した。佐伯オーナーは当初は1シーズン制を支持していたが、昨季に近鉄が後期優勝した事で、なるほど2シーズン制も悪くないと立場を変え、そこに岡野パ・リーグ会長の賛同が加わり協議の結果1シーズン制復活は消えた。

かくして今季も前・後期の日程が組まれたわけだがフタを開けてみたらオーナー達の思惑とはかけ離れた状況になってしまったわけで何とも皮肉な結果に。そうした中で阪急だけは胸を張る。「1シーズン制の復活?結構なことじゃないか。2シーズン制の方が弱いチームが優勝できる可能性が有るという考えは甘い。ウチは力で押して前期も後期も勝って勝って勝ちまくる。それで再び1シーズン制に戻そうという動きになるのはウチにとって願ったり叶ったりだよ。元々ウチは1シーズン制支持だからね。今季の目標は前後期ともに優勝して、ややこしいプレーオフを無くすことだね」と阪急フロント幹部は言う。何が起ころうと今季の阪急電車は超特急でノンストップだ!
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# 609 胸番号ユニフォーム

2019年11月13日 | 1976 年 



まさに前代未聞というべき珍しいユニフォームが登場した。なにしろチーム名がどこにも書いていないのだから珍奇というかニューモードというか、太平洋クラブライオンズのユニフォームがそれ。消えたニックネームでさまざまな噂が巻き起こったのだが・・

ライオンズはライオンズだろうな?
「なんな、あのユニフォームは?」福岡の繁華街で寿司店を経営するAさんは長崎に転勤して久しぶりに地元に帰って来た友人と平和台球場を訪れた際に聞かれ「どう答えてよいのか分からんとですよ」と苦笑いした。地元の新聞に今季からライオンズのユニフォームが変更されると報じられたが「西鉄が球団経営から撤退したニュースと比べたら大した事じゃない(Aさん)」とAさん同様に気にするファンは多くなかった。だが実際のユニフォームを目にしたファンは度肝を抜かれた。友人は「なんかまた身売りされたみたいじゃ。ライオンズはライオンズのままだろうな?」と呟いた。つい親会社がまた変わったと錯覚するくらい意表を突いたユニフォームなのだ。

ユニフォーム変更を発表した会見で中村長芳オーナーは「アメリカンフットボールからヒントを得た」「常に新しいものを追い求めるのがニューライオンズの基本姿勢。カープの赤ヘルだって最初はマスコミの皆さんはやれチンドン屋だとか少年野球だと言っていたじゃないですか。それがどうですか今では赤ヘル、赤ヘルと連呼している。ウチはその上を行っているんです」と胸を張った。しかし世間ではこの奇抜なユニフォームが登場して以来、まことしやかに身売り話が再燃している。ユニフォームに企業名が無いからいつどこに身売りしても支障はない。そんな話が週刊誌を賑わせたのも一度や二度ではない。

そんな噂を球団は一笑する。「TAIHEIYO CLUB LIONS なんて長文字を胸に付けていたら投手は重くてしょうがないでしょう(笑)」は冗談だろうが「今はテレビ全盛の時代。後楽園球場の人工芝だってテレビの見栄えを考えている筈。グラウンドは舞台です。その舞台に立つ選手を目立たす為に今回のデザインを採用しました(球団職員)」は正論である。思えば太平洋クラブになって以降、球団は世間をアッと言わせる策を打ってきた。ビュフォード選手と金田監督(ロッテ)が殴り合うシーンを印刷したポスターを電車内や街中に貼って博多っ子を煽ったりした。また生きた猛獣のライオンをマスコットに採用にしたり、あの手この手の話題作りを行なった。今回のユニフォームもファンサービスの一環だと球団は言う。

それにしてもどう考えてもチーム名のないユニフォームは異常だ。野球協約第322条(制式の表職)には
『ホームゲームに用うるユニフォームの胸章には当該倶楽部のニックネーム又はチームを表象する図形を取り付け、ロードゲームに用うるユニフォームにはそのチームが属する倶楽部の経営本拠地としてこの協約に承認せられる都市の名称を取り付けることを制式とする』と記されている。胸の大きな数字は拡大解釈すれば図形と言えなくもないが各選手の番号は異なるから統一された図形とは異なり協約に反しているとの意見もある。球団側は「もしも協約に違反していたら連盟が許可するわけがないじゃないですか」と言うが、ビジター用のユニフォームにはFUKUOKAと記されており話はややこしくなる。

ウチは球団を経営しているんじゃない
東京にある太平洋クラブの本社内では「ウチは球団を経営しているわけではない」と公然と語られている。あくまでも名前を貸しているだけだと。昭和47年9月21日のオーナー会議は重苦しい空気が漂っていた。西鉄が球団を手放す意向を表明したのだ。球界あげて引き受け手を探したが、折悪く当時はいわゆる黒い霧事件で揺れていた時期で球団を持ちたいという企業はなかなか現れなかった。ペプシ、パイオニア…密かに折衝が試みられたが断られ続けた。追い詰められた球界首脳は当時ゴルフ界で注目され始めた太平洋クラブに「この危機を救って欲しい。スポンサーになってくれ、頼む」と頭を下げた。

太平洋クラブは国民に健全なレジャーをという旗印を掲げ、岸元総理大臣らが発起人となり発足した総合レジャー企業。当時は賞金総額1億円の「第1回太平洋マスターズゴルフ」が話題となっていた日の出の勢いそのものの企業で、事業計画は日本全国に700ホールズのゴルフ場を造り、他にもスキー場・乗馬場・マリーナ・テニスコート・キャンピング場などを国内にとどまらず東南アジアへの進出も視野に入れた壮大なものだった。当時の内情を知る人物によると「太平洋クラブが球団を経営するのではない。経営は中村オーナー。経費は太平洋クラブから出るがユニフォームに名前を出す広告料で、あくまでもスポンサーであるという合意があった」と。

西鉄ライオンズ最後の年の観客動員数は僅か32万人。それが太平洋クラブライオンズの初年度は倍以上の87万人を動員した。前述した車内ポスターや本物のライオンを使った話題作りが功を奏したのだ。だが球界関係者によると太平洋クラブとの契約期間は3年が一応の目安で、その3年が終わる最後の話題作りが大リーグドジャースの監督を務めたドローチャー氏の監督招聘だった。名物監督で年間予約席を売ろうとする目論見はドローチャー氏の病で崩れてしまった。太平洋クラブとの契約が切れスポンサーがいなくなる。この際だからひとつ人目を引く策で世間をアッと言わせてやろうと考えたのが今回の奇抜なユニフォームだったのではないか。


江藤前監督に一番拍手が多かった
実はドローチャー氏の監督招聘の余波で前年にトレードで獲得した江藤選手(兼プレーイングマネジャー)を僅か1年で放出してしまった事に博多っ子は反発した。ロッテ移籍後に平和台球場で出場した時は誰よりも多く博多っ子の声援を浴びた。確かなのは太平洋クラブライオンズが地元福岡市民の心から離れつつあるという事だ。この3年間、大向こうの喝采を狙う余り地元意識が薄くなった。名古屋や広島のように " おらがチーム " 意識が必要なのに太平洋クラブはその逆のチーム作りを進めた。ファンは敏感である。「今の球団が何とか面白くしようと努力しているのは分かる。でも話題は作るがチームや選手に親しみが湧かない。その辺に気がついてもらわんと」と昔からライオンズを応援してきた博多のファンは言う。

中村オーナーや青木一三球団代表は共に機を見るに敏な人物であるだけに球団が正念場に立たされていると分かっている。「これからの時代はチーム名が書かれていなくてもユニフォームを見ただけでチームが分かるようになるのが理想。それが時代の欲求なんです」と話す青木代表の言葉は取りようによっては意味深だ。地元九州の財界は今のライオンズを相手にしてくれない。かつては九州電力の社長が先頭に立って後援会会長を買って出たり、会員には大手企業役員や九州大学学長らも名を連ねていた。市民みんなでライオンズを盛り上げようという有形無形の力となっていたが、それが今では有名無実化してしまっている。

銀行筋によると現在のゴルフ場経営は厳しい時期にあり、事業は慎重に進められているという。その大事な時期に球団に対して資金提供をしているのならわざわざチーム名をユニフォームから消してPR効果を無くす行為をスポンサーがする訳がない。とすると今回のユニフォーム変更は球団が太平洋クラブ側から距離を置き、独自の歩みを始めた第一歩なのではないかという考えを多くの球界関係者が持っている。ライオンズはどの球団よりも激しい歴史を歩んで来た。今また新たな噂話の嵐の中で真面目で地味な鬼頭監督の舵取りの下で苦難のスタートを切った。例え前例のない珍奇なユニフォームを纏っていようが良い試合、素晴らしいプレーを続ければファンは付いてきてくれるに違いない。
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# 608 広島市民球場乱闘事件 ➋

2019年11月06日 | 1976 年 



新聞の事実とはこうも曲げられるのだろうか?4月16日の広島対巨人戦での乱闘劇は巨人系列以外の新聞を見た読者は巨人軍に怒りと悪感を抱いただろうし、読売新聞や報知新聞を見た読者は巨人選手に対する暴力に憤慨したであろう。それほど新聞によって報道内容は変わってくる。今回の乱闘は被害者と加害者がそっくり入れ替わる二つの報道があったのである。


選手かファンか
事件翌日の朝日新聞の見出しは『巨人軍選手がファンをバットで殴る』・・送迎用バスのステップに足を掛けた選手に近づいたファンがその選手に腹をスパイクで蹴られたうえ、バットで頭を殴られた・・とハッキリと加害者は選手と断定している。その根拠は朝日新聞の憶測ではなく広島西署の調書に基づいている。ところが読売新聞の見出しは・・『土井が本塁突入するも憤死の非情判定』と試合経過のみで騒動には触れていない。夕刊では初めて事件に触れたものの『広島球団が騒動で陳謝』と謳ってあくまでも騒動の非はファン側にあるとの立場であった。読売新聞がそうなら報知新聞は更に踏み込んで『巨人ナインが乗ったバスが暴動で動けず立ち往生』と被害者の立場を強調した。

文中ではこう書かれている。
『三塁側ベンチの上から飛び降りたファンが素振り用の鉄棒を手にして選手に近づこうとしたが警備員に阻止されて事なきを得た。すると今度は一塁側スタンドからファン数人が飛び降りて長嶋監督に突進して殴り掛かった。それを張本選手が身を挺して防いだが、その揉み合いの最中に張本選手が手にしていたバットがファンを突く不幸が起きてしまった』と不可抗力の怪我だったとしている。読売・報知以外の新聞は全紙が暴行の主語は巨人である。事実を報道する筈の新聞をどう信じればよいのか分からない。だが報道の信憑性を多数決で判断するのは適切ではないだけに難しい。

誰が殴った?
朝日新聞に選手の個人名はない。もちろん読売新聞にも。だが地元紙の中国新聞にはこう書いてある。『広島西署は17日早朝、張本選手の他、長嶋監督らにも出頭を求め取り調べる予定と発表』と。日刊スポーツには『球場のファンが注視する中で張本、柴田、原田ら複数の選手が暴行』、スポニチは『張本、原田、黒江コーチらが一団となってファンを殴った。~中略~バットで応戦する張本。杉下・鈴木コーチ、原田らも加勢して大乱闘となった』、サンスポは『広島ファンに野次られた張本が手にしたバットで殴りつけた』、そして東京中日スポーツには張本・原田・柴田の名前が。地方紙も含めると張本5紙・原田3紙・柴田2紙・各コーチ1紙が具体的な名前を書いている。

具体的な行動
報知新聞では『持っていたバットが突く恰好になってしまった』と萎らしく抑えた表現に終始しているが、日刊スポーツは 映画 " 仁義なき戦い " の舞台となった広島を意識して『一発、二発とパンチと蹴りがファンに命中。まるでヤクザの出入りと変わらない』と書いた。東京中日スポーツは『やにわに拳を振り下ろし足を蹴り上げた。プロレスラー顔負けの振る舞いでファンが地面に押し倒された』。またサンスポは『張本が鬼の形相で手にしたバットを振り回した』と。巨人側は「あくまでも自分を防御する為の行為である」と即座にこれらの報道を否定して火消しにやっきとなった。

ラジオ中継も困惑
巨人戦なのでラジオも全国中継されていた。テレビなら映像があるからアナウンサーが喋らなくても支障はない。だがラジオはそうはいかない。無言のままでは放送事故になってしまう。TBSラジオ『あっ、張本が殴りました。王も手を挙げ…巨人の選手が次々とファンを殴っています』。ところが隣の放送ブースのニッポン放送は『ファンがグラウンドへ乱入してきました。あぁ、長嶋監督に飛びかかりました』と選手の行動には触れなかった。ラジオ関東はアナウンサーは何故か喋らず解説者の有本義明氏が「巨人の選手がこんなことをしてはいけませんねぇ」と慨嘆口調。選手同士の乱闘なら見慣れてはいるが屈強なプロ野球選手がバットをかざしてファンを殴るとは絶対にあってはならない。例えアルコールが入り前後の見境ない相手だったとしても許される行為ではない。
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