納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています
◆ 野口裕美(西武)…ドラフト1位に指名され期待されて入団しながら全く活躍出来ず「(契約金)6千万円のバッティングピッチャー」と陰口を叩かれた。だが今は違う。「奴はきっとやる」という周囲の期待と共に本人も「俺は必ず出来る」と確信している。目下、所沢での第一次キャンプで汗を流しているが始動は雪降る故郷の米子であった。野口はまだ深い積雪に覆われている小高い丘の中腹にある実家から飛び出し黙々と走り続けた。連日7㌔の道のりを足を取られながら走った。「寒いのは今だけ。メサキャンプになれば半袖ですから」と既に頭の中では2月のキャンプを想定しており自分なりにテーマを持っている。「小林さん、木村さんが移籍したので中継ぎ枠が空いてますから先ずはソコ狙いです」と。自信に満ちた口ぶりは昨年とは別人である。
昨年は周囲の目にビクついた1年だった。東京六大学のエースとしての自信はキャンプイン早々に打ち砕かれた。体にキレがない、下半身がモロくて硬い、投球フォームはバラバラで手投げ…と首脳陣の評価は散々だった。広岡監督には「あれがドラフト1位か」、投内連携練習を見守る森ヘッドコーチには「やる気がないならサッサと帰れ」と一喝された。周りの視線が気になり首脳陣の言動に過敏となり萎縮するようになる。当然、本来の投球スタイルにも影響しダイナミックさを欠くようになり打ち込まれた。二軍に降格した際には悔しさよりも「ホッとした」と安堵感を吐露した程だ。そんな呪縛から解放されたのはシーズン終盤だった。10月半ばに一軍に昇格し近鉄戦に先発し勝ち星こそ付かなかったが好投した。「一軍で投げる事が出来たのは収穫でした。変化球はダメでしたが直球だけでも抑えられたのは自信になりました」と。
メサキャンプでの課題は制球をつける事だと自覚している。直球は勿論、カーブ・スライダー・シュートの精度を上げて思い通りの所へ投げられる事が出来なければ一軍に生き残れない。それさえ出来れば中継ぎはもとより先発陣に食い込むだけの潜在能力はある。今季大きく変わったのは投球フォームである。走り込みの成果で下半身が安定して昨年までのギクシャクしたフォームが流れるようなフォームに修正された。「今のフォームの方がしっくりします。もう大丈夫です」と話す表情からも今季にかける気迫が伝わる。公私共に仲が良いのが同じ左腕の工藤だ。「工藤とは中継ぎのライバル同士だけど気が合ってね。でも負けませんよ歳も上だし」仲のいい二人だが昨季は明暗を分けた。野口が無勝利だったのに対し工藤は2勝(0敗)、年俸も野口が60万円ダウンの540万円、工藤は120万円アップの680万円と逆転した。嘗ての六大学奪三振王は今、灼熱の地で巻き返しを虎視眈々と狙っている。
◆ 木戸克彦(阪神)…木戸の目に映るハワイの景色は1年前と変わりないが木戸自身は大いに変わった。「そうですか?2年目で慣れたからでしょうか。去年は気持ちに余裕がなくてアッと言う間に1日が過ぎていきましたから」と宿舎のマウイビーチホテルの中庭の芝生の上で胡坐をかいた木戸は頭をポリポリと掻きながら1年前を振り返る。思えば昨年は苦労続きだった。卒業試験の為に調整が遅れた事に加えて風邪を引いてコンディションは最悪なまま二軍の選手と共に甲子園球場でキャンプインした。「多くの報道陣に見られていると意識して良い所を見せようと余分な力が入り無理をして訳が分からなくなった。混乱したままマウイキャンプに合流したんです」ハワイ入りした後も木戸の不運は続く。某トラ番記者は声を潜めて「千葉経済短大の篠田さんが臨時トレーニングコーチを務めていたけど木戸の体調を無視してシゴキまくり『細くなったろう』とアピールしたが実は過労でやつれただけだった」と体調不良は改善される所か悪化する始末。
マウイキャンプでは夜の素振りに酒に酔った状態で現れて横溝打撃コーチにこっぴどく叱られるなど話題に事欠かなかった。開幕後も5月に腰痛を発症し二軍落ち。静養しても改善せず治療の為に南紀・勝浦温泉病院に通う羽目になるなどプロ1年目にしてすっかり辛酸を舐め尽した木戸だった。期待していた安藤監督も落胆し木戸を推薦したスカウト陣を非難する一幕もあった。「まぁ昨年で5年も6年もの経験をした感じ。落ちる所まで落ちたので後は上昇するだけと前向きに考える」と話す木戸の表情は思いのほか明るい。年明け6日に木戸は勝浦に行ってきた。球団からの指示ではないので費用は全額自己負担。経過観察も兼ねて6泊7日で自主トレを行なった。「10万円ちょっとですかね。苦しんだ頃を忘れないよう自分を鼓舞する為にも勝浦でね」
安藤監督は「今年こそ」と木戸に期待している。笠間を越える正捕手として青写真を描いている。「笠間じゃダメと言う訳ではないが阪神の将来を考えると木戸が出て来てくれないと困る。打力は法大時代に実証済み、2割5~6分は打てるでしょう。後はインサイドワーク。センスもあるので山倉(巨人)クラスの捕手になって欲しい」と。安藤監督は既にオープン戦で木戸の起用が多くなる事を公言しており、その期待に木戸がどう応えるか。「昨年は " 酔虎伝 " などとからかわれましたが今年はもう二度とマスコミの皆さんに話題を提供しないようにします。たとえ、つまらない男と言われても…」と " 笑いのネタ男 " 返上をハワイの青空の下で誓う木戸であった。
◆ 榎田健一郎(阪急)…鳴り物入りでプロ入りしてから1年間、榎田の周りには常にマスコミの目が光っていた。しかし今はゴールデンルーキー・野中に注目が集まり、榎田の周辺は静かになった。「野中の人気は凄いですね。僕の時以上で大変でしょうけど。でも負けませんよ、実力で勝たなかったらこの1年が無駄になりますから」と榎田は持ち前の負けん気を露わにする。 " 男はタフでなければ生きていけない " とはレイモンド・チャンドラーの名言だがこの言葉を身をもって体感したのが榎田である。名門PL学園のエースとして甲子園で優勝投手になりドラフト1位指名で入団した。童顔の残る甘いマスクで人気が沸騰し榎田の周りを常に若い女性ファン20~30人が取り囲んでいた。あれから1年、多くの女性ファンは野中の方に殺到。移り気なファンを責めても始まらない。榎田はひとり黙々と汗と泥にまみれている。
「ギャル?いなくなりましたね。何しろ年賀状が昨年の500通が200通に減りましたからね。でも負け惜しみではなくカメラに追われなくなって楽になりました。今は練習に集中出来てます」とすっかり明るくなった。元々陽気な若者だったが昨年は余りに過大な期待に押し潰されそうになり笑顔が減っていた。高校生離れした強靭な肉体をフル回転させて自主トレ、キャンプと目一杯飛ばし、普段は慎重な上田監督を「使えるかも」と思わせる程だった。しかし好調は長くは続かなかった。オープン戦の3戦目の先発に抜擢されたが結果はKO。以降は精彩を欠き、挙げ句には投球フォームを崩し二軍落ち。シーズン終盤に一軍に昇格していよいよ大器が目覚めるか、と期待されたが運悪く腰椎分離症を発症し秋季キャンプまで静養を余儀なくされた。
「まだまだプロでは通用しないと思い知らされた。それが分かっただけでもこの1年は無駄じゃなかった」と前向きに考えられる余裕が出来てきた。勿論、精神面だけではなく下半身に比べて弱い上半身も逞しくなった。腰痛の治療中でもウェートトレーニングを欠かさなかった成果が現れ、昨年の今頃の体重は74㌔と都会のモヤシっ子だったが今は82㌔に増えた。今年もまた自主トレからフル回転するつもりでいる。若手投手たちの先陣を切って早々とブルペン入りし既に全力投球している。「昨年の暮れからノーワインドアップ投法にして動きがスムーズになった。昨年は気持ちばかり先行して身体が付いていかなかったけど今年は違います。体力だけなら一軍ですよ」とキッパリ言い切る顔からは甘さが減り大人へ脱皮しつつある。昨年は逃した開幕一軍を目指して猛ダッシュだ。
◆ 斎藤雅樹(巨人)…1月中旬の多摩川グラウンドでは若手ファーム組の自主トレが既に始まっていたが2年目の斎藤の姿はなかった。「斎藤?奴はいい所に行ってるんだ」と国松二軍監督。いい所とは東京・大手町にある球団事務所。1月28日からのグアムキャンプ参加候補に抜擢された斎藤はパスポートの申請手続きの為に球団事務所に呼び出されていた。「まだ正式決定ではないですがこの時点で一軍候補に入っている事でやる気が全然違います。何の実績のない自分に関心を持ってくれた首脳陣に感謝です」と最終的にグアム行きの切符を手にするかどうかは問題ではなく、ちゃんと自分を見てくれているという事に感謝する斎藤であった。
実は本当ならグアムキャンプより一足先に斎藤はアメリカに出発している筈だった。昨年、アメリカのナッシュビルで開催されたウインターミーティングで巨人軍はSF・ジャイアンツと業務提携を結び、その第一弾として巨人から若手選手を留学生として派遣する事となり斎藤もその一人に選ばれ1月初旬には旅立つ事になっていたが諸事情により直前で中止となった。巨人が獲得した新助っ人のW・クロマティ選手を実はSF・ジャイアンツも狙っていて獲得寸前で巨人が横槍を入れて掻っ攫ってしまった。これにSF・ジャイアンツのハーラー会長が激怒し巨人との業務提携を解消した事で留学プランも頓挫してしまった。しかし斎藤には幸いだった。あのまま事が進んでいたら今年1年はアメリカに滞在する事となりグアムキャンプはもとより一軍昇格のチャンスも無かった筈。
斎藤は今、昨秋のキャンプで堀内コーチに言われた事を思い出している。「いいか、俺が引退して一軍メンバーの1枠が空いてチャンスだぞ。実力さえ有れば歳なんか関係ない。ぼやぼやしてると水野(池田高→巨人)に奪われちまうゾ」と。更に新浦が韓国プロ野球の三星ライオンズに移籍した事でもう1枠空きが増えた。「アメリカに行かなくて本当に良かった。本気で一軍入りを狙ってますよ。マキさん(槙原)だって2年目に昇格して大活躍しましたからね。僕にはマキさん程のスピードは無いけど根性で一軍に喰らいつきます」とやる気マンマン。2月16日にやっと19歳になる。年齢的にはまだまだ子供だが1月16日に水野が初めて多摩川グラウンドに姿を見せた時、「凄い騒ぎですね。彼も大変でしょうね」と話していたがそれは奇しくも昨年の今頃に槙原が新人だった斎藤に投げかけた言葉と同じだった。斎藤は先輩の槙原の背中を1年遅れで追いかけていく。
◆ 荒木大輔(ヤクルト)…静かである。とても信じられない程の静けさが周囲にある。「ホントに最高です。やっと野球をやる環境になったと実感しています」・・1年前の喧騒から解き放たれた荒木の表情は心底からの明るさを反映しているように見える。甲子園のアイドルとしてヤクルトに入団した昨年の今頃は自主トレ初日に100人を超す新聞記者、テレビ局が5社、女性週刊誌や写真誌のカメラマンでごった返して練習どころではなかった。今年も注目ルーキーの高野(東海大→ヤクルト)の周辺を多くのマスコミが取り囲んでいるが荒木の場合は高野の比ではなかった。しかし今年は一転して静岡県伊東市で行われた自主トレ初日に駆けつけた記者は12人でテレビ局はゼロだった。この1年を振り返って荒木は「余りに騒がれて何をどうしていいのかすら分からなかった。でもそれは言い訳で結局は自分が甘かった」と反省する。
だからと言って手を抜いていた訳ではない。シーズン後半には傍目にも野球に取り組む姿勢が変わったのが分かった。その点を聞かれると荒木は「投手の基本、野球の基本が体力強化にあると改めて分かったんです。走り込みや筋トレをしっかりやって体力をつけなくちゃ」と。事実、昨秋から合同自主トレを迎えるまでの間、荒木を越えるランニング量をこなした選手はいない。トレーニングの成果は数字に表れている(入団前→後)
・身長 180cm → 180cm ・体重 75kg → 80kg ・大腿部 57cm → 59cm ・胸囲 94cm → 98cm
・ウエスト 83cm → 82cm ・ヒップ 96cm → 97cm ・背筋力 155kg → 223kg
身体は引き締まり胸や尻など張るべき所は張りパワーアップした荒木の肉体。自主トレを視察した武上監督は「オイ、随分と目立つようになったな。悪い意味じゃなく良い意味でだ。大きくなったし動きも機敏で柔らかい。この1年でだいぶプロらしくなった」と声をかけた。余りの人気ぶりに無理やり一軍に置かれた感が否めなかった昨年と違い今年は実力で一軍にいられるレベルに近づきつつある。「今の目標ですか?先ずはユマキャンプのメンバーに入る事です。その後の事はその時に考えます」とプロの世界を知ったせいかその口調は謙虚。一歩ずつ足元を固めようという姿勢こそが成長の証でもある。
◆ 畠山 準(南海)…大阪・中百舌鳥にある中モズ球場では練習後にその日の収穫、課題、反省を大声で叫ぶのが恒例となっていてそれぞれが思い思いの丈を発した。畠山の番が来た。「皆さん昨年は野球では勝ち星ゼロ、年末の歌番組では音痴ぶりを披露してしまい申し訳ありませんでした。今年は歌も上手くなり野球もどんどん勝ち星を挙げますので期待して下さいッ!!」 内気で引っ込み思案だった畠山が照れる事なく胸を張って堂々と宣言した。畠山は確かに変身した。ひ弱さが消え逞しい戦う若鷹になっていた。たった1年の歳月がこうも若者を変えるものなのか・・畠山は着実にエースへの道を歩んでいる。昨年の今頃の畠山は四国から大阪にやって来て自主トレに参加したが予想以上にプロの練習は厳しく「もうダメ…死ぬ」と言ってグラウンドにへたり込んだ。その姿からはドラフト1位指名選手のプライドは微塵も感じられなかった。
だが今は昔である。「そうでした、昨年を思えば月とスッポンですよ。今は練習していてヘバる事は無いし自分でも体力がついたと感じます。でも当たり前ですよね。変わらなかったら1年間何をしていたんだ、となりますから」と話しぶりから変わった。モジモジしていた昨年から一変し口調もすっかりプロらしくなった。そんな畠山を河村投手コーチは先発ローテーションの5番手に指名している。若返りを図る投手陣の先頭を切る一角と考えているのだ。「日に日に力をつけている。先発完投投手としての条件を揃え大きく育っている」と河村コーチの目尻は下がりっ放し。今季畠山に課されたノルマは「8勝」、昨季は結局勝ち星はゼロだったが、そんな「実績」は関係ないと河村コーチは言う。畠山本人も「余り大きな事は言えないですけど自信はあります。ここまで順調ですのでこの調子を維持出来れば何とかなる、と思っています」と。
課せられたノルマを達成出来れば自ずと「新人王」も狙える。首脳陣の配慮で昨季の登板回数は29回 1/3 に留まり新人王の資格は残されたが畠山は「新人王?本音を言えば1年目に獲ってこその賞だと思うので特に欲しいとは思わない。それより信頼される投手になる事の方が大事」と。甲子園のライバルでもあり、一足先にプロ初勝利を挙げた荒木(ヤクルト)についても「正直、昨年までは意識していましたが今は自分の事で精一杯です」と他人の事を考える余裕は今の畠山にはない。自分の置かれた立場を見つめ、前へ前へ進む事しか考えていない。「昨年は開幕するのが不安だったけど今年は楽しみです」と1年の歳月は気弱な若者を逞しい男に変えた。夢のプロ初勝利へ向け2年目のスタートを切った。「初勝利?目標はもっともっと勝つ事です」そう言い切る畠山の表情は紛れもなくプロ野球選手の顔になった。
広岡西武の連覇で技術はもとより食生活まで立ち入る管理野球が持て囃されている現在のプロ野球界。昨年までは「(草食の)ヤギさんチーム」と白い目で見ていた大沢監督が退任した日ハムは " 反管理野球 " を継承するかと思いきや植村新監督は本家の西武の上を行く " 超 " が付く管理野球を導入する。一方でロッテの新監督に就任した稲尾監督は自らの豪放磊落なイメージ通り「管理野球なんぞ糞くらえ」とばかりの " 自主管理野球 " をブチ上げた。稲尾監督は「ワシらの時代の選手は自主管理が出来ていた。フトッさん(中西現ヤクルトコーチ)は酒を浴びるほど飲んでどんなに遅く帰っても宿舎での素振りは欠かさなかった。ヒロさん(広岡監督)が西武で厳しく管理するのは今の選手が自分で管理出来ないから。現に広岡イズムを理解している選手には調整を任せている」としロッテでも自己管理が出来る選手、例えば落合などには「彼は今のままで結構。あれで3年連続首位打者と結果を出している。周りでとやかく指図する必要はない」として放任を宣言した。
自主トレ真っ最中の1月12日、「アルコール、麻雀、ゴルフ、全てOK。ただし陽気にそして程々に」と所信表明した。「放任主義?そう思ってもらって結構です。ここ3年ほどでロッテには暗いイメージが付いてしまった。これで少しでも悪いイメージが払拭出来るのであれば放任だろうが何でもいい」と稲尾監督は熱く語る。監督として広岡監督に立ち向かう以上、同じ管理野球の後追いでは先頭を疾走する西武には勝てない。相手が管理野球なら正反対の野球で打倒西武を達成しようという訳だ。具体的にロッテが抱える問題への対処は先ず第一にチーム防御率の向上。被本塁打数と共に防御率はリーグ最悪で「球団が私に託したのは投手陣の再建だと認識している。新任の佐藤投手コーチと二人三脚で立て直したい」 幸い井辺、石川、トレードで大洋から獲得した右田など有望株は多く「一朝一夕にはいかないだろうが徐々にレベルアップを計りたい(稲尾監督)」と。
第二に有藤の再生。稲尾監督は「これこそウチの最大のテーマ」と強調する。守備力の低下を理由に有藤本人が外野へのコンバートを申し出た。稲尾監督は「本人と話し合う予定だが伝え聞く所によると我が儘によるものではないようだ。空いた三塁に落合、一塁に移籍して来た山本功をキャンプで試そうと考えている。チームリーダーとして有藤は欠かせない。外野で有藤が生き返るのなら断行する価値はある」と前向き。更にはまだ私案の域を越えないが野手転向を決めたばかりの愛甲を投手との二刀流を考えている。左腕投手の中継ぎ、ワンポイントが不足しているチーム事情から近鉄時代の三原監督が永淵を投打で起用して以来の珍事が再現される可能性がある。監督に就任したのが11月10日、その後の26日の納会に出席し選手達と顔を会わせた際に有藤や水上らが口を揃えて「監督、勝ちましょう」「僕らは肩身の狭い思いをしています。勝負事は勝たなくちゃ駄目、是非とも優勝しましょう」と迫ってきた。
「コイツらは勝つ事に飢えている。勝ちたい意欲さえ失っていなければ見込みはある」と稲尾監督はロッテ再建に手応えを感じている。また「どう分析しても投手力が他球団と比較して劣っている。ならば今季のウチは " 攻撃は最大の防御なり " で、打撃陣で投手陣を育てていく策を取らざるを得ない。だから打者連中にはグラウンド以外では何も言わず自由にさせるが試合には実力がある選手しか使わない。持てる力の120%を出せ、そして明るく陽気に野球をやろう!それが今季のモットーだ」「正直言っていきなり優勝するのは難しいだろうが3年以内に優勝争いの輪に入れるだけの力を蓄えたい」と付け加えた。「打倒西武とかは対等に戦える力を得てから口にすべき事で今のロッテは他所様の事をあれこれ考えている場合ではない。ただ言えるのはどこぞのチームを真似た二番煎じをやる気は毛頭ない。ウチは独創的な野球をやるよ、これ以上負けても " 7位 " になる事はないしね」と明るく答えた。
片や日ハムの植村新監督は管理野球を掲げる。それも本家の広岡野球の上をいく超・管理野球だ。その引締めぶりは群を抜いている。球界中を驚かせたのが罰金の増額で、遅刻が5万円也。昨年までは5千円だったので一気に10倍に。他には門限破りが1万円から10万円に、サインの見落としは1万円、チームバッティング違反が2万円など軒並み増額した。1月8日に始まった合同自主トレでは初日の監督訓示に僅か3分ほど間に合わなかった岡持は練習自体には遅れなかったので5万円は逃れたものの昨年並みの5千円を徴収された。更に昨年の暮れに全選手に申告させたベスト体重をオーバーしている選手から「1kg につき1万円」を徴収するなど被害者が続出した。集められた罰金は首脳陣の監査の下、高代選手会長ら選手会三役が管理しオフに反省会を開催する事になっているが早くも「優勝しなくても皆でハワイ旅行が出来そう」と皮肉な期待を抱くナインもいる。
植村監督がこうした厳罰主義をはじめ徹底した管理野球を打ち出した裏には「西武という厳しい管理の下に置かれたチームが覇権を握っている事は事実。自由・放任主義で勝てれば文句は無いが勝負事は勝ってこそ官軍。西武に追いつき追い越すにはより厳しくするのは当然」との見解がある。もっとも罰金だけなら大した問題ではない。所詮は金銭でカタがつく。選手達を奈落の底へ突き落したのが自主トレから始まりキャンプの50日間ブッ通し休みなしのスケジュールだ。「ここ数年はスタートダッシュに失敗している。これを打破するにはキャンプの成否が決め手だ」という植村監督の考えから名護キャンプでは徹底したスパルタ主義を貫くと宣言した。先ず開始時刻は10時と決めているが終了時刻は未定。その為、夕食は各自が適宜摂るとしている。更に夜は名護球場内に照明付きのマシーン6基を常設して宿舎から送迎バスを手配している。参加は自由だが事実上の強制夜間練習である。
食事面にも植村監督の目が注がれて怪我防止の為にアルカリ性の体質に変える事を目指す。お茶やコーヒー・紅茶を禁止しウーロン茶を推奨。夕食にはワカメやジャコ・丸干し料理が並び、ビールではなくワインを飲む。日ハム本社からの毎日空輸される差し入れの肉を食べる際には必ず肉と同じ量の野菜を摂る事を義務付ける。選手に人気の鉄板焼きの脇にはマネージャーが立って目を光らせるなど徹底させる。肉だけのおかわりは許さないさしずめ病院並みだ。加えてタバコに関しても練習中は勿論厳禁だが朝食前に一服する事さえ禁止に。これまでおにぎりがメインだった昼食も今年はサンドイッチにスープといった軽食で済ませ、喉を潤す炭酸飲料水は排除しジューサーを球場に持ち込んで地元沖縄産新鮮果物の天然ジュースを飲ませるというから念が入っている。
極めつけが私生活の管理。キャンプ中の暇つぶしの定番のパチンコ、スロットマシン、麻雀、TVゲームは「熱中する余り長時間同じ姿勢のせいで腰痛や肩こりの原因になり得る」として時間制限される事に。実は過去にスロットに嵌り大事な利き腕を痛めた選手がいた。だからと言っていい歳の大人が私生活まで管理される事に「夜はどうすりゃいいんだ?」と茫然自失状態。広岡監督はもとより高校球児もビックリの超・管理野球に、これまで8年間も放任主義の大沢監督の下で好き勝手放題にやってきた選手から「天国から地獄だ」の嘆き節が聞こえて来る。しかし柔和な物腰ながら空手三段で嘗ては " 鬼 " との異名があった植村監督は「地獄だって?地獄の向こうには本当の天国が待っているんです」と委細構わず管理野球の道をひたすら突っ走る覚悟である。
1984年のプロ野球シーズンが動き始めている。そこには様々な顔がある。新人もいれば中堅やベテランもいる。皆がそれぞれの思惑と成算を秘めてスタートする。「やるぞ!」の気持ちもその置かれた状況によって微妙なニュアンスをもって異なる。野球人生の曲がり角の男たち・・彼らもそれぞれが「気になる部分」を抱えて今シーズンにチャレンジする
◆羽田耕一(近鉄):眠れる猛牛にとってのすっかりプロらしくなった金村の存在
" 珍プレーの羽田選手 " と一夜にして有名人になってしまった。テレビ放映された「珍プレー・好プレー」のせいである。飲み屋に行く度に「あっ、珍プレーの羽田だ」と見知らぬ人達に声を掛けられる。「正直いい気分はしませんよ。あれだけエラーの場面を繰り返されたらイメージが付いちゃいますからね」とお人好しの羽田も少々おかんむりだ。そのせいか昨年のオフは外出する回数もめっきり減ったとか。確かに昨季は18失策と例年に比べて多く、加えてチームトップの78三振を喫する散々なシーズンだった。かつてはダイヤモンドグラブ賞を受賞した男なのだがどうしたのか?仰木ヘッドコーチは「打球に対して攻める姿勢が欠けていた。いつも一歩下がってヘッピリ腰で守っていた印象が強い」という。思い返せば一昨年は最高のシーズンだった。打率.277 ・85打点は自己最高で「やっと眠れる猛牛が目覚めた」と周囲も一人前と認めた。その陰には羽田を奮起させた幾つかの要因があった。それは黄金ルーキー・金村と新外人ウルフの加入だった。10年間に渡り不動の三塁手だった地位が危うくなった事が好成績に繋がったのだ。
それから一転して昨季は自己最低へと転落していく。シーズン半ばには真剣に一塁コンバートも考えていた。それもやはり仰木ヘッドコーチの言う逃げの姿勢の現れであったのかもしれない。しかし年が明けて心機一転、三重県の賢島で山籠もりをして「サード一本でやる」と考えを新たにした。今季から一塁は新外人のマネーが守る事が決まり羽田は三塁のレギュラーを金村と勝負する事となる。実績では羽田に軍配が上がるが金村には若さという大きな可能性がある。「金村がライバルなんて僕は思ってませんよ。奴も上手くはなったけどまだまだヒヨっ子」控え目な羽田にしては珍しく強気。自主トレ初日の羽田を見て「今迄と随分ちがう。顔から笑みが無くなっていた。相当に入れ込んでいるようや」と岡本監督の目にも羽田の変化が映った。一方の金村は昨年の秋季キャンプで特守に次ぐ特守で課題の守備を向上させ「やっと落ち着いて守れるようになった」と自信を深めた。身体も1年間で尻周りが4㌢大きくなるなどすっかりプロらしくなった。岡本監督も「羽田を脅かすくらいの力を付けてきた」と成長を認めている。今年の羽田を取り巻く状況は活躍した一昨年と似てきているが果たして今季は?
◆中尾孝義(中日):この2年、明から暗へと両極を見た男が挫折の中で学んだもの
セ・リーグ初の捕手のMVP受賞を果たし幸せの絶頂だった一昨年はまさに天国。僅か1年で地獄を味わった中尾。出場試合数も119から92に減り自慢の強肩も盗塁阻止率.430 から .305 にまで落ち込み、リーグ優勝から5位に終わったチームの戦犯として批判された。悪夢の昨季を振り返って中尾は「調整の失敗」と語る。元々身体能力は高く背筋力は300㌔、握力は左右共に80㌔以上と恵まれた資質を更に伸ばそうとして過剰なトレーニングに取り組んだ。優勝して連日多忙なオフを過ごし、ろくに休みを取らずに年が明けて始動した。球場でのトレーニングを終えると球場脇の市営プールで「プラスアルファを引き出すには日頃使っていない筋肉を強化するしかない。水泳で全身の筋トレをしてるんです」と語っていた。結果はどうだったか?言葉とは裏腹に3日目にして風邪を引き体調が万全でないまま串間キャンプに突入するとキャンプ中盤で腰痛を発症し満身創痍でシーズンイン。「冷静に振り返るとやっぱり僕が甘かったという事。オーバーホールを欠かせないオフに身体を過信して休ませなかった。シーズンに入ってからの怪我もそのツケだと思う。だから今回はしっかり休んだ」と。
ナゴヤ球場での自主トレで他の選手が午後の練習を始める頃になると中尾は一人球場を後にする。実は昨年痛めた右膝が完治しておらず病院に通っているのだ。「痛み自体は無いですが違和感は残っている(中尾)」ので慎重を期している。病院での治療後は全身マッサージに向かう。「怪我の予防の意味で通っています。目に見えない疲労が取れると安心感が生まれますね」と。このマッサージ通いには球団首脳陣も歓迎している。捕手という激務にありながら中尾は過去4年間、かかりつけの専門医を持たなかった。中尾は「球団からは治療院を紹介されたりもしましたが今一つ乗り気じゃなくて…」と断っていたがようやくその気になったようだ。これには球団首脳も「やっと本人に自覚が生まれたようで結構(大越球団総務)」と諸手を挙げて大歓迎だ。今季の中日は山内新監督を迎えてV奪回に挑む。それには中尾の復活が欠かせない。 " ガラスの王子 " と揶揄され反省しない男と言われた中尾が「MVPに選ばれたという事は生涯一流選手を義務づけられたも同じ。それを自分の無自覚で裏切ってしまった。二度と同じ轍は踏まない」とまで言う。昨年同時期の動きに比べると静かだが他球団は逆に脅威に感じている筈だ。
◆山本和行(阪神):投手陣の弱体化、年俸ダウンなど悪状況下での救援エースの身上
暮れから正月にかけて今年も山本はハワイ旅行を楽しんだ。夫人と2人の子供たち家族4人の家族旅行は今年で3年連続だ。「広い所でノンビリ。一度海外のスケールの大きさを知ったら忘れられなくてね」・・暮れの契約更改で22%減、金額にして9百万円の減俸(推定3千2百万円)提示を受け「これなら1年間丸々休んで(規定限度枠の)25%下げてもらう方がマシ」と二度に渡る交渉も決裂しモヤモヤした気分を一新する意味も兼ねたハワイ旅行だった。初めての海外キャンプ(昭和55年のテンピ)で広大なアメリカに圧倒されて以降、海外にはまり英会話の教材を手に入れて今では日常会話程度ならお手の物。今年のハワイ旅行ではオルセンの自宅を訪ね通訳なしで野球談議に花を咲かせた。「巨人に入ったクロマティを知っていて色々教えてもらった」との事。未更改のままの旅行だったが視線はしっかり今季に向かっている。それにしても昨季は惨めなシーズンだった。5月6日、原(巨人)にサヨナラ本塁打を浴びたのをきっかけに投げても投げてもガタガタの悪循環。守護神・山本の崩壊が即、チームの崩壊に繋がった。
「チームに迷惑をかけた、と口で言うのは簡単だけどね。今更(不調の)理由を言っても仕方ない…」 元々が無口で余り不調の原因について口を開かないがトレーナーによれば2年前の大車輪の働きで肩、肘、膝の負担が大きくパンク寸前状態で夏場には本人から二軍で再調整する希望が出されたが首脳陣は認めなかった。体調が整わないままシーズンを過ごした結果が先の22%ダウン提示となっただけに本人は納得していない。「監督やコーチもチーム全体のバランスを考慮して二軍へ行かせなかったんだろうけど、再調整していたら違った結果になっていたと思うだけにダウンは仕方ないが9百万円は下げ過ぎなんじゃないかな」と山本。表面は静かだが内面は一本筋が通った男であり、救援エースとしてのプライドが許さないのであろう。今季の山本には奮起せざるを得ない理由がある。小林投手の突然の引退である。「コバが抜けて阪神はボロボロになると言われて我々が黙っていられますか?コバの13勝の穴は勿論大きい。その穴を感じさせないくらい残された人間が働かんとね」 小林投手の引退が山本ら阪神投手陣の眠っていた部分を叩き起こした。
◆若菜嘉晴(大洋):アメリカで一度は死んだ男のカムバック元年へ向けての蘇生度
熊本県にある菊池温泉。車で4~5分も走れば通り過ぎてしまう小さな温泉街で若菜の新しいシーズンが始まった。1月5日から15日まで斎藤、田代の投打の主軸と共に身体を動かした。午前8時過ぎの散歩に始まりランニング、体操、バットスイングで汗を流す。「こんなに早い始動はいつ以来だろう?でも今年は大事な年。ここで働けなければ後はない」と決意を新たにした。関根監督が正捕手に課すノルマは打率.270 ・20本塁打と決して易しい数字ではない。辻や加藤といったベテラン捕手を越える若手が不在で長年に渡り悩ませてきた正捕手候補がようやく現れた。グラウンドに出れば監督の代理とも言われる捕手を一人が務めるのが強いチームの定石。若菜ならそれが可能であると期待しているだけに関根監督の要求も高くなる。昨年7月に若菜は突如、日本球界に復帰した。阪神をスキャンダラスな話題が元で退団。アメリカの3A・タイドウォーターでは選手というよりコーチ補佐の仕事に追われてクサッていた。そこに救いの手を差し伸べたのが大洋。若菜にとってまさに地獄に仏であった。
阪神時代には周りにチヤホヤされる余りに鼻持ちならない態度ものぞいたものだが今の若菜にはそんな昔の姿を見つけるのは難しい。「アメリカでは試合には出られなかったが野球は試合に出ていない選手を含めた全員で戦うものだと気づかされた。僕は一度は死んだ男。それだけに拾ってくれた関根監督や球団に恩返しする義務がある」とドン底まで落ちた若菜は再起を誓う。だが現実は厳しい。一昨年の夏頃から実戦から遠のき、大洋に入団する迄ほぼ1年間は野球らしい野球をやっておらず一軍でプレーするだけの体力や技術も鈍っていて先ずは実戦の勘を取り戻す必要がある。つまり大洋2年目に当たる今季に活躍してこそ本当のカムバックと言える。「昨秋の伊東キャンプで身体を絞り今はほぼベスト体重。初心を忘れない事を肝に銘じてプレーすればそれなりの成績を残す自信はある」 嘗ては球宴やベストナインの常連。元々は実力派だけに真摯なプレーを心掛ければ大洋にとって貴重な戦力になるのは間違いない。