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Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 467 大リーグ挑戦

2017年02月22日 | 1985 年 



自分から練習嫌いを公言して大リーグキャンプに乗り込んだ江夏は、やる事なす事が王様キャンプ。キャンプ地のサンシティに来た日本のマスコミはテレビが3局、新聞・雑誌を含めると総勢30人。「こんなに多くのメディアがウチのキャンプに来たのは初めて」とブリュワーズの広報・ジーノ氏は驚きを隠さなかった。しかもこれら大挙して押しかけた取材陣と江夏は冷戦状態で練習後に形ばかりの共同会見をする以外は完全シャットアウト。この感情的な対立は江夏がロス入りした直後から始まっている。ヤクルトのユマキャンプを取材している記者が空路ロスへ来て江夏を取材しようと接触しても「あなた達には関係ない(江夏)」とノーコメントを貫いた。自然と江夏に対する記者の感情は悪化し、江夏に批判的な記事が多くなった。

あくまでもマイペースなキャンプ生活。初日の捕手を務めてくれたテッド・シモンズについて「テッドってどんな選手や?」と。かつて大リーグを代表する捕手だったと聞かされても「あ、そう」とどちらがテスト生かと錯覚するかのような言動は、さながら王様である。投手26人のうち、大リーガーとして開幕ベンチに入れるのは10人。既に7人が当確で残り3枠を19人が争っている。大リーグ昇格を目指す若手投手達がブルペンで必死に投げ込みをしている横で江夏は悠々と肩を作っている。「俺は俺のやり方でやっていく」と18年間日本で培った独自の調整方法を曲げない。3月2日にフリーバッティングに登板した江夏を自分の眼で見たバンバーガー監督は3月7日の紅白戦で投げさせ、11日の対アスレチックのオープン戦で実戦テストを行うプランを明かした。

そして3月15日からいよいよ選手のカットが始まる。そこには過去の実績など関係ない。力不足と判断されれば容赦なく切られる。大リーグのキャンプには江夏が嫌う管理という名の制約は何もないが、日本での名声が通用しない実力が全ての生き残りの世界でもある。江夏はそんな状況もどこ吹く風で何と大リーガーとしての登録名を早くも考えている。「ビック・エナツ」である。ビクトリーの頭3文字「VIC」から取ったのだそうだ。3月30日のロースター(選手登録)に向けて江夏にはテスト、テストの日々が続く。キャンプ初日からガンガン投げる大リーグの常識を破って王様然としている江夏。その態度とは裏腹に不安にかられているのも事実。江夏がフッと漏らした「思えば遠くに来たもんだ…」は偽らざる正直な心境だろう。



      【 ポイテ・ビント育成部長に独占インタビュー 】

聞き手…奥様が日本人で日本球界に精通していて、そこで目に止まったのが江夏だったと聞きました
ビント…この10年で私が気に入った選手が江夏と角(巨人)です。江夏が先発投手だった頃から知っています
聞き手…先発していた頃の全盛期は過ぎていますが
ビント…先発投手だった頃より投球術が格段に上手くなっています。その能力とリリーフとしての経験を高く評価し契約しました
聞き手…その契約はどのようなものですか?
ビント…江夏との契約時は既に40人のロースター(選手登録)が決まっていたので3Aでの契約です
聞き手…3Aチームとの契約を江夏は納得したのですか?
ビント…勿論です。彼の年齢で大リーグ入りを目指す困難さなど5~6時間じっくりと話し合い、彼も納得してサインしました
聞き手…江夏の持病(心臓病)や喫煙などについても承知しているのですか?
ビント…ロスの病院で検査し、大丈夫と診断されました。タバコは感心しないがお酒は飲まないし許容範囲です
聞き手…江夏からの要求は有りましたか?
ポイデ…背番号を変えて欲しいと。彼にとってアンラッキーな番号だったそうだ
聞き手…キャンプでの江夏を見ての感想は?
ビント…36歳なりの調整じゃないかな。アメリカでもベテラン選手はあんなものだよ
聞き手…育成部長としての見通しを教えて下さい
ビント…ウチは左腕不足だからチャンスはある。大リーグ入りの可能性は70%と言いたい所だが50%くらいかな
聞き手…楽観できる数字ではないですね
ビント…彼に先発は期待しない。1イニングでもワンポイントでもいいんだ。ウチは頼れる左腕を求めている
聞き手…合否はいつ頃に決まりそうですか?
ビント…ロースターを決定する3月30日迄にはハッキリします
聞き手…決定権は誰が持っているのですか?
ビント…ジョージ・バンバーガー監督、ハリー・ダルトンGM、そして私の3人で決めます
聞き手…江夏も日本のファンも吉報を待っています
ビント…感情に流されずビジネスライクに判断します。あくまでもチームの勝利に貢献できる選手を選びます


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# 466 K K コンビ

2017年02月15日 | 1985 年 



東京・大手町の巨人軍球団事務所に一枚の辞令が張り出されたのは1月の末。渉外担当部員として「中村和久」という名前が記されていた。球団の人事とすれば取るに足らない話だが中村なる人物の経歴を調べると採用した巨人軍の真意が浮かび上がってくる。中村氏は倒産したリッカーミシンの野球部の前監督だがポイントは出身の名古屋商科大学にある。PL学園の中村監督と同大学野球部で同じ釜の飯を喰った仲間で中村監督がキャプテンだった時の1年後輩が中村氏で可愛がられた。偶然にも同じ中村姓とあって当時から太いパイプで繋がっていたのだ。その中村氏を採用した巨人軍の目的は明白である。今迄も大阪には2人の駐在スカウトを持ち、特に伊藤菊スカウトは法大進学予定だった当時PL学園の吉村を大逆転で入団させた敏腕。ただでさえPL学園に食い込んでいながら更に中村氏を加えた理由は桑田と清原の獲得しか有り得ない。

こうした巨人の動きに真っ向勝負を挑む姿勢を見せているのが阪神だ。地元の甲子園が生んだスター選手に阪神の対応は早かった。今年のキャンプイン前に第1回スカウト会議を開いて5人のスカウトを交代交代でフルマークする事を決めた。従来の阪神のスカウト会議は春のセンバツ大会が終了した時点で資料を集めてから開催されるのが通例で、この時期に突撃指令が出されるのは異例中の異例である。PL学園の試合は例え練習試合でも完全にフォローし密着作戦を敢行するという。また阪神以外の球団も " 10年に1人 " と言われる逸材が同時に2人も現れ対策に余念がない。ドラフト制度がある以上は当日まで手は出せないが今や逆指名が横行する時代で、もしもドラフト前にヒジ鉄でも喰らったら一大事とばかりスカウト陣の再編成を余儀なくされている。

日ハムは関西出身の宮本スカウトを今年に入ってから大阪駐在に専念させ、ロッテは嘗て代打男の異名で一世を風靡した得津スカウトをPL学園担当に抜擢した。得津スカウトはPL学園OBでその人脈をフルに活用させようというわけだ。昨夏の甲子園大会ではOBとして清原に話しかけた所を学校関係者に注意される一幕もあった。そのロッテは昨年のドラフト会議で岡部外野手(中央大)を3位で指名したが周囲は実力以上の3位で指名した裏にはPL学園出身の岡部を上位指名してPL学園の印象を良くしようとしたのでは、と勘ぐった。こうした表立った各球団の陰でビックリするような話も漏れ伝わって来る。それは某パ・リーグ球団のスカウトがPL教団に入信しようとしているという噂話だ。俄かには信じ難い話だが「入信して2人が獲得出来るなら考えてもいい」と話すスカウトがいるのも事実である。それ程までに桑田と清原を巡る動きは加熱気味である。

今、球界をあるアングラ情報が駆け巡っている。2人に大学進学の可能性があるというものだ。特に桑田は早大進学の希望を持っていて、今年推薦で早大に入学した取手二高出身の石田投手と仲が良く、昨年の夏休みに石田の実家を訪れた際に「お前も早稲田に来いよ」と誘われたそうだ。また清原はPL学園と繋がりがあり、西田や小早川(共に現広島)らが進学した法大の線が強いという。大学への推薦条件は2人ともクリアしており願書さえ提出すれば合格できる。ただこの情報の裏には西武の影がチラつく。大学進学から大逆転ホーマーで2人を両獲りしようという青写真を西武が、否、根本管理部長が描いているというものだ。トレードで中日から田尾を獲得したものの他に客を呼べる選手がいない西武には2人は喉から手が出る程の存在なのだ。表面的には関西出身の岡田二軍監督をスカウトに転身させて対応しているが本丸は根本管理部長である。

こうしたプロ側の動きに2人の本心はどうなのだろうか?桑田は子供の頃からPL学園 → 早稲田大学という夢を持っているという証言がある。桑田がプロ入りを急がない理由はプロ入りするのは投手としてではなく非凡な打撃センスを生かして打者に転向してからだ、とする説がある。仮に打者に転向するなら大学で4年間みっちりと鍛えた方が良いのも事実である。確かに桑田 " 投手 " の肩は1年生から酷使され消耗している。昨年の秋季大会の上宮高戦で2本塁打されて以降、ヒジに負担がかかるとして封印していたシュートを解禁せざるを得なくなった。またプロ側の評価も打者としての二重丸を付けている球団も多い。2人の周囲は「本人が決める事」と多くを語らない。将来的には共にプロ野球でやりたい希望を持っているのは間違いないが、進路に関しては一切口を閉ざしている。

2人への個人的な取材は一切オフリミット。インタビューは全て断っており厳しい報道管理の下、がっちりガードされている。更に今年になって家族やその周辺への取材もNGとなった。例え近所の人との井戸端会議程度でも、回り回ってマスコミに曲解される恐れがあり学校側から家族に「気をつけるように」と要請した。昨年末あたり迄はマスコミ相手に気軽に喋っていた家族も今では貝の如く口を閉ざしている。そんな環境の変化にも2人は本番に向けて調整に余念がない。1月末の事、清原がトスバッティングで飛距離を伸ばす練習で歴代先輩の記録を更新した。それまでは吉村(現巨人)の105㍍が最長だったが5㍍上回る110㍍を記録した。「彼は普通に打っても遠くへ飛ばす先天的な長距離砲です」と中村監督も改めて清原の資質に感心する。そして桑田は足腰を鍛える為に黙々と走り込む。驕らず、舞い上がらず自分の足元をしっかり見つめて周囲の喧騒をよそに今日も汗を流している。



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# 465 ダメ虎返上

2017年02月08日 | 1985 年 



阪神タイガースの安芸キャンプを分析する前に敢えて私は強調しておきたい事がある。それは私と吉田監督の関係である。とかく私と吉田監督はライバル関係にあり何かと世間に好奇の目で見られている。共に現場を離れ解説者として活動していた時期に「タイガースを去って何年も経つのに何で世間は俺達を興味本位に見るのか」とお互いに話した事があった。確かに私と吉田監督のタイプは水と油で性格も違う。それは突き詰めるとチームの命運を背負って投げる力投型の投手とチーム全体を統括しなければならない守りの要の役割を担う内野手とでは自ずと日頃の生活観、野球観が違って当然である。例えば巨人のONでも強烈なゴロを受け止め処理するミスターとミスターからの送球をジッと待つワンちゃんとでは野球の見方や考え方が違って当然ではないのか?敢えてこのような馬鹿馬鹿しい事を書かねばならぬ程、やじ馬にとって他人を喧嘩させるのは面白いらしい。

私がプロ入りした昭和34年当時は小山投手が文字通りライバルだった。テスト生として阪神に入り苦しい練習に耐えてエースにまで昇りつめた小山さんにとって大学日本一の肩書きを引っ提げて鳴り物入りで入団した私の存在は強烈な商売仇の出現と映ったに違いない。同じ投手として私も負けていられない、と思ったのも事実である。しかし吉田さんには堅実な守備で何度も助けてもらった事があったこそすれ対立する理由は無かった。昭和44年のオフ、辞任した後藤監督の後を受け次期監督は私か吉田さんかと騒がれた。球団は年長の吉田さんではなく当時32歳の私に白羽の矢を立てた。どこの企業や組織の人事でも " 順番 " が替わると如何なる大義名分があってもギクシャクするものである。この時の逆転現象が後々まで私と吉田さんのライバル物議の発端となった。不思議なもので当人同士は何のわだかまりは無くとも周囲が妙に気を使って微妙な距離を保とうとする。

昨年の暮れの次期監督選びの際も再びマスコミの餌食になった。今度は吉田さんが監督に就任したが私の時と同様に根拠のない記事が紙面を飾った。吉田さんが監督に就任した翌日にわざわざ吉田監督本人から私に「ムラ、期せずしてこういう事になったが宜しく頼む」と電話を頂いた。「ヨッさん、俺に出来る事なら何でもしまっせ」と答えた。また久万さん(阪神オーナー兼阪神本社社長)が直々に芦屋の拙宅まで訪ねて下さり「色々と騒がせたがOBとして吉田君を助けてやって欲しい」と挨拶を頂戴した。私はこの久万オーナーの行動が非常に嬉しかった。いわゆる新聞辞令のせいで監督候補の大本命とされ自分の意図とは別に騒動に巻き込まれて私は勿論、家族にまで迷惑をかけてしまった事を久万オーナーは気遣ってくれたのだ。それもこれも阪神タイガースを強くしたい、という思いから出た行動である。実は吉田監督就任後、再三に渡り2人だけでチームについて話し合ってきた。吉田監督はチームの土台作りをチーム再建の柱としたいと熱く語っていた。

話の前置きが長くなってしまったが阪神の安芸キャンプを訪れたのは2月中旬。甲子園球場の自主トレの頃から米田投手コーチが絶賛していた仲田投手を見るのが楽しみだった。仲田投手はシート打撃に登板して打者15人に5安打。直球のみと限定されての快投を目の前にして、評論家である事を忘れて阪神タイガースのイチOBとして興奮する自分がそこにいた。「コラッ仲田、まだ上半身だけで投げる癖が直っとらんじゃないか。もっと軸足のケリを強くしろと言われたのを忘れたんか!」と自分の立場を忘れて仲田投手を叱り飛ばしてしまった。昨年の夏場にまだ評論家だった吉田監督と共に臨時コーチとして仲田投手をはじめ御子柴投手や源五郎丸投手ら若手投手を浜田球場で指導した。その時から上体だけで投げる悪い癖があり矯正したのだが直っていなかったからだ。何とかモノになって欲しい、もっと良くなる、阪神タイガースの伝統を守る一人となって欲しいという気持ちから部外者でありながらつい声を荒げてしまった。

翌日の安芸は雨だった。雨宿りをしながら吉田監督や阪神OBの鎌田実さんとで雑談に花が咲いた。やがて私と吉田監督の2人だけになると「ムラ、若い連中を見てくれんか」と切り出した。一軍選手に私がしゃしゃり出ては米田コーチもやりにくいだろうし「ヨネの邪魔にならない二軍なら喜んで引き受けましょう」と答えた。翌日の紙面に『村山へ臨時コーチ要請』と仰々しい見出しが躍ったがそんな大袈裟な話ではなく、気が付いた事をアドバイスする程度のものだった。OBの力を結集してタイガースを再建したい、という吉田監督が行動を起こし私もそれに応えたという当たり前の事である。はっきり言って阪神再建の鍵は投手陣が握っている。ここ数年の阪神投手陣は目先の勝利に拘ってつぎはぎの補強を行ない新陳代謝を怠った結果、野村や山内といったベテラン投手頼りが顕著となってしまった。峠を越した彼らに広島~巨人~中日と続く開幕戦シリーズを託すのは心もとない。伊藤や工藤や池田がシャンとしなければ長いペナントレースを乗り切るのは苦しい。

一体どうすればいいのか?評論家としては外野席の気分で心配事を羅列しているだけで済むが、一応は " 臨時コーチ " であるから私案を述べると二軍での厳選主義を提案したい。有望な若手投手を結果に一喜一憂する事なくローテーションに組み込み、むやみに一軍に昇格させず徹底的に鍛える。とにかく阪神は投手陣の体質改善と抜本的改革が必要でそれがチーム再建の最大急務である。毎年、この時期はどの球団も活気があり、マスコミも希望的記事を書きたてる。安芸キャンプはメニューそのものは安藤
監督時代と余り違いはなかった。同じ内野手出身監督らしく緻密にメニューを組み立てていた。確かに新たな息吹を感じ取れたが、それがペナントレースで結果として現れないと意味は無い。昔、ピンチで苦しい場面で吉田さんはマウンドに駆け寄り「ムラ、空を見ろ。空を」と声を掛けてくれた。今度は私が言う番である。ヨッさん、空を見なはれ。深呼吸して見なはれ…苦戦はするだろうが今シーズンの阪神は粘っこい戦いをする、と私は確信した。


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# 464 問題児 ③

2017年02月01日 | 1985 年 



" ツッパリボーイ " は案外と根は純情なものである。例えば斎藤明投手(大洋)。セ・リーグで最後まで統一契約書にサインしなかった男だが、内心は「俺は本当にやれるんだろうか」という不安感が渦巻いていた。新任の近藤監督は「斎藤は先発で使う」と宣言したがリリーフ業がすっかり身について先発転向は容易ではない。不安に揺さぶられ続け、必死の抵抗が功を奏したのか近藤監督はキャンプイン直前になって撤回したが「やれ一安心」と息つく暇もなく今度は大物新人の竹田投手とのダブルストッパー構想をぶち上げた。セーブ記録を達成した事もある斎藤にとってはプライドをいたく傷つけられるものだった。しかし近藤監督の真意は斎藤をのっぴきならない状態に追い込む事であった。救援投手として確固たる地位を築きチーム内にライバルがおらずマンネリ化して緩んだ気持ちに刺激を与える事が狙いであったのである。

竹田が一軍の練習に合流しブルペンで初投球を披露した際に印象を聞かれた近藤監督は「抑えより先発向き。オープン戦でテストする」と即決したが、竹田本人が「肩に張りがあり六分の出来」と言った通り、いくら投手を見る目に長けている近藤監督でも先発OKと判断できる筈はない。「自分で抑え役を希望した以上はキッチリやってもらう(近藤監督)」という全ては斎藤に対する牽制であった。先発転向を撤回する際に近藤監督は「五度のうち四度は抑えて合格」と厳しい条件をつけた。昨シーズンまでの斎藤は弱小チームゆえ「二度に一度」で満足していただけに慌てた。確かに斎藤の眼の色が変わってきた。練習中の口数もめっきり減り「こうなったら結果で示すしかない(斎藤)」と昨年までのツッパリボーイが今や優等生。だが斎藤が途中でシラケてしまう危惧があるのも事実。それは大洋球団には " 去るのは選手ではなく監督 " という悪しき伝統があるからだ。しばらくは目が離せない。

今や押しも押されぬリリーフエースの牛島投手(中日)をツッパリボーイと呼ぶ人はいないだろう。だがしかし昔の顔をチラリと覗かせてしまう事もある。中日投手陣には欠かせない存在になり年俸も昨年の契約更改で倍増の三千六百万円にアップし、投手陣トップの高給取りとなった。この結果を牛島自身も当然の事と受け止めるような言動をした事にカチンときた選手がいた。このニュースを聞いた小松投手は「エエッ?なんでウシがそんなにアップするの?」と仰天し、郭投手は無言で " WHY? " のポーズをとったとか。これは複数のスポーツ紙記者が見聞きした事なので作り話ではなさそう。昨シーズン、牛島は6敗しているがその内の4敗が小松と郭の勝ち星を消したもので2人は「俺らは先発したら必ず完投しよう」と誓い合ったそうだ。牛島の年俸が自分より低かった昨年までなら我慢できても逆転された今シーズンは腹の虫が治まらない。この事が先発陣と牛島との間に溝を生んでしまったら中日投手陣の結束は乱れ、それは即ちチームの崩壊を意味する。

ツッパリボーイの元祖、工藤投手(日ハム)が今もがき苦しんでいる。昭和57年に20勝4敗で最多勝、最優秀防御率賞、後期MVPと我が世の春を謳歌していた。あれから2年半、多くの人が工藤の雄姿を忘れてしまっている。昨年の名護キャンプでブルペンで投球を開始した日に肩痛を発症。右肩靭帯損傷で昨シーズンは1試合・1/3イニング・24球のみで終わってしまった。今年になりようやく痛みは消えたが今度は別な問題が工藤を襲った。「良かった時の投球フォームを思い出せないんです。ビデオで確認してイメージは出来ても、いざ実際に投げてみてもシックリ来なくて…」と工藤は溜め息をつく。当然調整は遅れて未だ五分程度だ。「今のままでは開幕は無理でしょうね。いいんですよ、5月でも6月でも。極端な事を言えば来年にまでズレ込んでも」とは高田監督。いわば現状では工藤は構想外扱いなのだ。嘗ては「練習なんか大嫌い」とウソぶいていた " 問題児 " が今や " 問題外 " の人に転落してしまった。



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