Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 541 ドラフトネタ 阪神タイガース編

2018年07月25日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 嶋田 章:池田・中西に続くのは君だ!明日のエースを目指す
「プロ初勝利はお預けとなりましたが入団1年目で色々な幸せを味わうことが出来ました。阪神に入って本当に良かったです」と島田はプロ1年目を振り返る。リーグ優勝も日本一も一軍の選手として立ち会えた。「21年ぶりの優勝をいきなり味わえるなんて本当に運が強いと我ながら驚いています」と。さて、この新人は安藤前監督が率いる政権下だったら果たして一軍に帯同できていただろうか?恐らくはノーである。先ずはプロとしての体力を付けてから、と2~3年は二軍暮らしが続いたであろう。その点では今の吉田監督はチームの土台作りをテーマに掲げ、若手を自らの手で育てる方針を取ったお蔭で嶋田も早々と一軍に昇格した。

デビューは8月3日、甲子園での巨人戦。0対4と敗色濃厚だった7回表から登板して3イニングを内野安打1本に抑える好投だった。「ドラフト1位の投手だから一軍に上げた訳ではない。一軍で通用する力を持っていると判断したから使った」と吉田監督は言う。女房役の木戸捕手は「強気に攻めてくる持ち味を生かしてリードしました。まだまだ荒削りですけど何と言っても力で押してくるのがいいですね」と解説する。箕島高から入団してから暫くは兄の島田宗捕手との兄弟バッテリーの話題ばかりが先行していたが「兄は一軍入りを争うライバルです」とキッパリと言い切っての一軍昇格だった。

圧巻は9月15日の中日戦。ローテーションの谷間とはいえ、吉田監督はマジック点灯がかかった大事な試合にルーキーを先発に選んだ。「さすがの強心臓の嶋田でも今日はプレッシャーを感じるだろう。早めの継投も考えている(加納ブルペンコーチ)」の杞憂を他所に8回 2/3 イニングを被安打2に抑えた。阪神打線が沈黙し嶋田に勝ち星こそ付かなかったが試合は岡田のサヨナラ本塁打で勝利した。今季は10試合に登板し勝敗には関与しなかったが明日のエースの称号に相応しい投球内容だった。吉田監督は「1年目という条件付きで99点」、米田投手コーチは「いずれプロの壁にぶつかるだろうが、将来性を加味して80点」と共に合格点を与えた。



【 運命のドラフト当日:仲田幸司】
「つい先日のようです」と本人は言うが、早いものでもう2年前の出来事だ。希望は巨人入りで巨人以外の11球団に対して「指名しないでほしい」と通達書を郵送までした。そこまでして巨人入りを夢見て当日は父親と共に上京し都内のホテルで巨人からの指名を待った。しかし「1位指名を予定しています」と言ってくれた巨人が1位で指名したのは慶大の上田選手。その後も巨人が指名する気配はなく、3巡目で阪神が仲田を指名した。「そんな馬鹿な…」仲田親子は現実を受け入れる事が出来なかった。一時は大学進学も考えたが阪神側の熱意に気持ちを切り替えた。「指名してくれなかった巨人を倒す。阪神にお世話になります」とプロ入りを決めた。
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# 540 任意引退 ②

2018年07月18日 | 1985 年 



定岡正二・独占インタビュー


聞き手…定岡正二さん、現在の肩書きは?
定 岡…風太郎かな(笑)。ハッキリ言って失業者ですね
聞き手…これからの生活設計は?
定 岡…今ですか?何も決まってません。これまで野球一筋でしたから1~2ヶ月はゆっくりしたいですね
聞き手…という事は巨人を辞める時は何の計算もしていなかった?
定 岡…マスコミの皆さんは芸能界デビューとか書いてましたけど本当に何も決めていなかったです
聞き手…来季の構想に入っていないと分かったのはいつですか?
定 岡…ハッキリした日付は憶えていないけど何人かの球団フロントの人に会って話した時ですね
聞き手…その時点でトレードか退団かの選択しかなかったのですか?
定 岡…はい。正直悩みましたよ。巨人を出るのは寂しいし、野球を辞めるのはもっと寂しいですから
聞き手…最初から長谷川代表と話していたらトレードを受け入れていたのでは、という情報も伝えられていますが?
定 岡…ん~、どうでしょうかね。可能性はゼロではないでしょうか。よく分かりません
聞き手…辞めると月給170万円も捨てることになりますが?
定 岡…当時はお金の事まで考えなかったです。それより自分の気持ちの方が優先でした
聞き手…実際、給料が無くなるのは痛いでしょ?
定 岡…そりゃ痛いですよ(笑)
聞き手…でも12月分までは振り込まれるんですよね?
定 岡…それがダメらしいですよ。球団関係者に「もうないよ」と言われましたから。任意引退の場合は打ち切られるみたいです
聞き手…それじゃあ給料日の12月25日は?
定 岡…最悪のクリスマスです(笑)

聞き手…現在、新居を建設中ですがどうするんですか?
定 岡…周りからは売却してとりあえず借金を返せと言われますけど、せっかく建てる家ですから一度は住んでみたいですけど・・
聞き手…誰かに相談しましたか?
定 岡…いいえ。親にも相談していません。ウチは子供の頃から自分の事は自分で決めろ、と言われてましたから。両親には事後報告に
      なってしまい申し訳なかったのですが、「ご苦労さん」と言ってくれました

聞き手…これからの第二の人生の方が長いわけだが?
定 岡…今までのような生活は出来ないでしょうね。バスに乗ったり電車移動もしなくては。自分の置かれた立場を認識しないと
聞き手…社会人として気をつけていくべき事は?
定 岡…人間関係ですね。今まで以上に大切にしなければならないと思っています
聞き手…定岡さんにとって巨人軍とは何でしたか?
定 岡…青春そのものでした
聞き手…多摩川の二軍時代を思い出す?
定 岡…いやぁ多摩川はちょっと(苦笑)
聞き手…現役最後のシーンは憶えていますか?
定 岡…はい、阪神戦でした。8回一死・一塁での出番でした。ショートゴロでゲッツー。いま思えば僕らしい終わり方でした
聞き手…ファンの人達に一言
定 岡…ちょっとクサイ話になるけど自分一人では絶対にここまでやって来られなかったと思います。ファンの人達の声援が本当に励みに
      なりました。これまでの僕はちょっと格好つけがちでしたけど、今ならファンの皆さんに心からありがとうとお礼が言えます

聞き手…今でもファンレターは来る?
定 岡…はい。辞めても応援する、現役を続けて欲しいという声が半々ですね
聞き手…周りから注目されてるし今後はみっともないマネは出来ませんね
定 岡…いいえ、こんな辞め方をしたからには情けないことでもやっていかなければ、と思っています
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# 539 任意引退 ①

2018年07月11日 | 1985 年 



11月8日、巨人・定岡正二選手の任意引退公示がセ・リーグから行われ、同選手の正式退団が決定した。「巨人以外のユニフォームを着たくない」とトレードを拒否しての引退決意。これによって他球団も巨人とのトレードに二の足を踏まざるを得なくなり、チーム再建を目指す巨人内外には色々と影響を与えそうだ


「こんにちは!」といつものように元気な声で定岡は後楽園球場の受け付けを通った。「今頃どうしたんですか?」という職員に「ロッカーの鍵を貸してよ」と陽気に声をかけた。真っ暗な通路。灯りのスイッチを入れて歩き慣れた廊下を進んだ。カチャという鍵の音がやけに大きく響き、無人の寒々とした空気がシーズンオフを感じさせた。すべてが終わったんだ…ロッカーの入り口には「関係者以外立ち入り禁止」の文字が。今の定岡は関係者ではなくなった。11月2日の夕刻、後楽園球場近くのホテルグランドパレスで長谷川球団代表と最後の話し合いをしたが両者は歩み寄る事はなく退団、任意引退が決まった。ホテルを出た定岡はその足で後楽園球場のロッカーを訪ねたのだった。

ここには選手達の生の声、生の姿があった。興奮で上ずった夜も、負けて暗く顔を歪めた日も、皆ここで自分を取り戻し「じゃまた明日」と仲間に声を掛け消えて行く。ここは思い出の場所だった。定岡は静かに荷物をまとめ始めた。来年には自分とは違う誰かがこの場所を使うことになる。公式戦のラストゲームは10月24日。選手達はオフの関連行事のスケジュール表を渡され、三々五々帰路についた。「オイ、定岡。メシでも喰わんか」帰ろうとした定岡に声を掛けたのは岩本渉外補佐だった。この誘いが今回の引退劇の幕開けとなるとは定岡が知る由もなかった。あの日から僅か2週間足らずで荷物を整理し別れを告げなければならなくなるとは夢にも思っていなかった。

「巨人に反発?いいえ、絶対にそれはありません。僕の我儘です。野球をやめる日はいつか必ず来る。その時は巨人のユニフォームでやめたい、と前から思っていました(定岡)」と巨人を痛烈に批判する話を期待?して定岡の周りに群がっていたマスコミは肩透かしを喰らった。退団話は大きく発展することなく幕を閉じようとしている。定岡が使っていたロッカーは綺麗に整理された。思い出の野球用具は段ボール箱に詰められたその夜に本人の手で処分された。過去を全て捨て去るように。ただ捨てられなかったモノが一つだけあった。「SADAOK・20」と背中に書かれたユニフォーム。「本当は球団に返さないといけないんでしょうけど、思い出に貰えないかなぁ・・部屋に飾るとかじゃなくて箪笥の奥にしまっておきたくて」と。

あの日、球団から渡されたスケジュール表。それが今は第二の人生への進路を決める為の予定表になった。「本当なら予定を書き込む手帳を買った方が良いのは分かっているんですが、今売っている手帳は来年用で今年の手帳は探しても無くて…」と今後の予定をスケジュール表に書いている。人づてに江川投手や中畑選手が定岡の激励会をやろう、という計画があると聞かされた。都合の良い日を、と聞かれてもスケジュールは埋まっておらずいつでも可能だが「皆の気持ちだけで充分。ありがとうと伝えて下さい」と誘いをやんわり断った。でもこのまま皆に黙って去るのは本意ではない。自然と視線はスケジュール表の11月23日のファン感謝デーに向けられた。

この日は巨人軍関係者、王監督はじめ一軍スタッフ・選手は勿論、二軍の選手達も後楽園球場に集まり、ファンの人達に1年間のご声援に対して感謝をするセレモニーだ。この日を逃したら二度と会えなくなる人もいる。会いたい、会ってこれまでの礼をしたい。しかし、今さら辞めた自分が行く事で周りに迷惑をかけはしないだろうか?いや、俺は巨人軍に反旗を翻した訳ではない。グラウンドには出ず、王監督や仲間に一言でいいから詫びたい。でも周りは迎え入れてくれてもマスコミに囲まれ大騒ぎになって混乱が起きた場合、果たして自分は責任を取れるのか?やはり行かない方が賢明なのではないだろうか。心は揺れている。

悩んでいるのは巨人も同じ。今季4勝3敗1Sだった定岡。来季の構想から外れたといっても47試合に登板した " 便利屋 " はいなくなる。昨季、今季とフル回転した鹿取投手に定岡が抜けた穴埋めを強いるのは酷な話。またトレードされたら辞める、と言っても現実を直視すれば従うに違いないと楽観視していた球団側の痛手は大きい。交換トレードは相手があってこそで、そこには球団同士の信頼関係が不可欠。今回の騒動で他球団の巨人に対する見方は厳しくなる。相手に足元を見られて不釣り合いなトレードでも合意しなければならなくなる場合も出てくるかもしれない。定岡の一件でミソをつけてしまった巨人は今後トレード交渉をしにくくなったのは確かである。
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# 538 清原だけじゃない ②

2018年07月04日 | 1985 年 



荒井幸雄(日本石油)
「体型が太めの僕にも似合うタテジマのユニフォームのチームに指名されたら最高ですね」とこんな表現で荒井選手は意中の球団にラブコールを送る。縦縞といったら阪神かヤクルト。既に1ヶ月前から木製のバットで練習を続けている荒井は社会人選手らしくプロ入りを転職という意識で捉えている。「仮に僕がこのまま会社に残って定年まで働いたとして、給料と退職金の総額を会社にお願いして計算してもらってから契約金などの条件を交渉するつもりです。条件が折り合わなったり意中の球団に指名されなかったら、もう1年会社にお世話になります」と現代っ子らしく新たな転職と割り切っている。

170㌢、74㌔ と小柄な部類に入る荒井だが、背筋力は楽に200㌔を超える。加えて強いリストにバッティングセンスは天性のものでアマチュア球界では群を抜く逸材であることは間違いない。「やっぱり昨年のロス五輪で一緒にクリーンアップを組んだ熊野さん(現緩急)や広沢さん(現ヤクルト)がプロで活躍されている姿を見ると刺激になります。ヨシ、俺もという気持ちですね」と。ドラフト解禁となるこの1年は自らにプレッシャーをかけつづけて野球に取り組んできたという。そのひたむきさは彼が目標とする若松選手(ヤクルト)とどこか似ている。



伊東昭光(本田技研)
社会人野球最後の公式戦となった日本選手権でチームを優勝に導きMVPに輝いた伊東投手は、この1年間を完全燃焼できた満足感に浸った。「都市対抗戦にも出場できたし、これで会社にも胸を張ってプロ入りを宣言できます。1年間待って良かったです」と語った。伊東は今年で社会人4年目。176㌢・76㌔と均整の取れた体格から投じる140㌔を超える速球とキレのある変化球は完成度は高くドラフト解禁となった昨年の時点で既に評価されていて指名を打診する球団も複数あったが、伊東本人も会社側もプロ入りはないと宣言していた。あれから1年、「高校2年のセンバツ大会の決勝戦で投げ合った中西投手(現阪神)や昨年のロス五輪のメンバーだった宮本投手(現巨人)らの活躍が刺激になります」と視線は既にプロの世界に向いている。

かつての仲間たちの活躍が自信となりプロ入りへの物差しとなっているようだ。「野球を始めた頃から大の巨人ファンです。でも巨人は清原君を1位指名するようですし、巨人に指名されるとすれば清原君を外した時。外れ1位指名まで残っていて欲しいような1位指名入札して欲しいような複雑な感じです。巨人以外ではヤクルト希望です。神宮球場のマウンドは投げやすいですし、高校・社会人時代を通じて殆ど負けたことが無いゲンの良い球場ですし。ヤクルトは弱い?ならば僕が強くしてみせますよ(笑)」とヤクルト関係者が聞いたら涙を流して喜びそうなセリフ。目標とする投手は東尾投手(西武)で「強気に打者の懐を攻めきれる投手になりたい(伊東)」と。ヤクルトのドラフト1位投手は大成しない、というジンクスなどどこ吹く風の伊東は「どこの球団に指名されるか楽しみです」と悠然と構えている。
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