Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 733 週間リポート・中日ドラゴンズ

2022年03月30日 | 1977 年 



男・星野の目に涙が光った
開幕戦の巨人戦で手痛い連敗を喫した中日。与那嶺監督はじめ選手らは重い足取りで新幹線に乗り込み名古屋へ戻った。エースの星野投手もその一人だがシュンと落ち込む他の選手とは少し違っていた。星野は「(巨人戦の登板は)2イニングだけだったから名古屋での阪神戦はオレが投げなきゃイカンかもしれない」と自分に言い聞かせていた。新幹線に乗り自分の席に座っている星野のもとに中山投手コーチが近づきこう言った。「センよ、ナゴヤ球場での阪神戦いけるか?」と。「ハイ、いけます。投げさせて下さい」と男意気に感じるタイプの星野は二つ返事でOKした。だがこの時、咄嗟に返事したものの星野は自分が先発で投げて勝てる自信は無かった。

「とにかく連敗を脱してチームに勢いをつけるには何が何でも自分が投げまくる以外ないのだ」これが星野の気持ちだった。こうして星野はナゴヤ球場のマウンドに立った。昨季ケガをした右足はまだ万全ではなく気になったがそれを気力でカバーして投げ5対1で勝利した。阪神最後の打者の遠井選手を併殺打に仕留めると誰かれとなく握手、握手、握手。お立ち台で突き出されたマイクを前にすると両眼から涙がとめどなく溢れ出た。昨年ケガをした8月以来、9ヶ月ぶりの勝ち星は今季チーム初勝利だった。「優勝した時さえ泣かなかったのに…なぜこんなに涙が出るのかなぁ。とにかく嬉しいです。もう、投げられただけで満足です」


頭に当たって目が覚めた?
4月7日の対阪神2回戦で谷村投手の手元が狂った投球が谷沢選手の頭を目がけて飛んで来た。思わず顔を隠すように逃げた谷沢だったが球はヘルメットの後部にゴツン。バッタリと倒れた谷沢はピクリとも動かない。そのまま担架で運び出されて病院へ。チームは開幕以来不調、そこへ昨季の首位打者が倒れたとあって与那嶺監督は真っ青に。思わずベンチから飛び出してマウンドの谷村に掴みかかろうとするところを周りがどうにか抑えて事なきを得た。

ヘルメットに当たった球が大きく跳ね返ったのを見た高木選手は「大きく跳ねたから大した怪我にはならないと思うよ。球がポトリと足元に落ちた時が危ないんだ」と自身も巨人の堀内投手から頭部へ死球を受けた経験があるだけに説得力のある発言をした。その言葉通り病院で一夜を過ごしただけで翌日には復帰し練習に加わった。「大きなコブができたけど一晩でだいぶ小さくなった。あれが10cmくらい下に当たっていたら大変だったと医者に言われたよ。運が良かった」と後遺症の心配も無さそうだ。

さて死球から2日後の対巨人3回戦はチームは負けたが、谷沢はライト投手から右翼席へ第1号2ランを放ち一矢を報いた。これが谷沢にとって今季5試合目にして初打点だった。「ランナーがいる時もう一つシックリこなかったが、この一発でスカーッとしました。次は僕が打って勝利したいですね。まぁあのデッドボールは痛かったけど、あれが大当たりのきっかけになれば痛みくらい何でもないです。ハハハ」と。頭にゴツンと喰らって谷沢のバットがようやく目を覚ましたのかも。


堂上は白星プレゼント魔?
勝負の世界は非情なもの。その主役を二度も続けて演じたのは堂上投手と鈴木孝投手。5月10日の対阪神4回戦で今季二度目の先発登板した堂上は8回表まで投げてスコアは2対1。1点のリードで最終回を鈴木孝に託し、ベンチの片隅でジッと立ち尽くし祈るような眼差しで鈴木孝を見つめていた。二死無走者。「よし、これでオレもやっと片目が明くな」と堂上は勝利を確信していた。ところがラインバック選手が二塁打を放ち、続く田淵選手の中前適時打で同点となり、堂上の勝ち星は消えた。

「しまった。またやってしまった」鈴木孝が " また " と言ったのには訳がある。9日前の対広島6回戦で鈴木孝は6回表から同じく堂上をリリーフ登板した。4対1と3点リードだったが7回表に衣笠選手に同点3ランを浴びて堂上の勝ち星を消してしまった。しかも2試合とも中日が9回裏に逆転サヨナラ勝ちして、いずれの試合も勝ち投手は鈴木孝だったのだ。サヨナラ勝ちに沸くロッカールームで2人だけはまるで別世界にいるかのように沈黙を続けた。

「すみません、すみません」堂上の顔を見た鈴木孝は張り付いたような表情でこう言うのがやっとだった。「いいさ、仕方ないよ。でも今日こそは大丈夫だと思ったけどなぁ」と言う堂上の表情もまた硬かった。今季は先発にロングリリーフ、更に昨年と同じような抑えの切り札役まで務める鈴木孝は、今一つ調子が上がらず苦しんでいる。そんな鈴木孝の勝ち星が増え、一方の堂上は調子自体は良いのに勝ち星に恵まれない。違った意味の歯がゆさを感じている2人である。
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# 732 週間リポート・広島東洋カープ

2022年03月23日 | 1977 年 



先が思いやられる無残な男
移籍して来て最初の登場がこれほど無残な選手も珍しい。開幕の大洋戦、5点リードされている場面での初登板は気分的に楽な筈。ところがいきなり被安打3・四死球3で4失点とこれ以下はないという投球内容だった。その無残な男とは新美投手。相手が巨人や阪神といった上位チームなら救いもあろうが、大洋というのが何ともマズイ。何故なら新美は日ハムとの交換トレードで広島に来たのだが、交換相手は佐伯投手だった。佐伯は昨季10勝したが、そのうち7勝が大洋相手の自他共に認める " 大洋キラー " だったのだ。

それはファンも承知していて「なんやコラッ新美、お前は大洋キラーの佐伯とトレードされたんやぞ。ナニしてるんや!」と罵声を浴びせた。悪いことにその後味方打線が4点を返したことで結果的に新美が追い上げムードに水を差したことになってしまった。それだけに新戦力と期待していた古葉監督もガックリ。「狙ったところに球が行かなかった。この失敗は次に必ず取り返す」と話す新美だがこの悪印象がナインの不信に繋がらなければいいのだが…。


今日の事は生涯忘れません
最近の高校生は甲子園で一つ勝ったくらいでは泣かない。ところが小倉での巨人戦で勝利投手になった池谷投手は試合後にベンチでひたすら泣き続けたのだ。開幕以来チームは1分けのみの6連敗中。この日負けると昭和29年に広島が作った開幕からの連敗記録に並ぶことになっていた。池谷は今季既に2試合に登板し、いずれもKOされていた。しかも2本柱と見られていた外木場投手が右肩の関節炎で戦線離脱し、打線も低調が続きもはや池谷の力投に期待するしかなかった。

こうした背景の登板だったので勝った時の喜びはいつも以上に大きかった。巨人打線を4安打・1失点に抑え、堀内投手との投手戦を2対1で完投勝利した。「嬉しい…」と言うと後の言葉が続かない。暫く間をおいて「今日の試合は生涯忘れない」と振り絞るように呟くのが精一杯だった。日南キャンプで欠かさなかった早朝ランニング。その時の精進は今でも語り草。「ゆるぎない精神力を養う狙い」の池谷は今ようやくセ・リーグを代表する投手を目指してスタートラインに立った。


ドラ斬って新人王が見えた
負け数こそ「1」だが過去5試合の投球内容がサッパリの2年目・北別府投手。周囲では新人王どころではないとの声さえ聞こえてくる。その北別府が5月7日の対中日8回戦で今季初勝利を上げた。被安打6・失点2の完投勝ちに本人以上に周りの大人も一安心した。一時は「スピードがない」「若さが感じられない」など酷評されたが、この日は伸びのあるストレートを内外角コントロール良くビシビシ決めて相手の中日・与那嶺監督からも「素晴らしい。将来楽しみな投手だ」と絶賛された。

プロ初完投のウイニングボールをしっかりお尻のポケットにしまって「高校時代からウイニングボールは家に持ち帰っていました。もちろん昨年のプロ初勝利のボールも飾ってあります」と素直に喜ぶ北別府に古葉監督は「球に力が出てきた。相手打者はナイターになったらもっとスピードを感じるようになると思うよ」と目じりを下げる。目標としている新人王は大洋の斎藤投手や人気者のサッシーなどライバルは多いが「一生に一度のチャンスですからどこまでも挑戦します」とヤル気満々だ。
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# 731 週間リポート・阪神タイガース

2022年03月16日 | 1977 年 



回復後のボクを見て下さい
今季初のTG対決は巨人の3連勝に終わった。歯ぎしりする甲子園に詰めかけた虎キチ以上に悔しがっていたのが掛布選手だ。本来なら大舞台で暴れ回っていた筈が不運にも前の試合で受けた死球の影響で欠場を余儀なくされた。ベンチ入り25人には登録されたままだがプレーできる状態ではなく、やむなく虎風荘でテレビ観戦となった。4月17日の対広島4回戦で掛布は渡辺投手から2打席連続で死球を受けた。いずれもバッターボックス内で転倒する程で、特に二度目は途中退場するくらいの死球だった。そのまま広島市内の病院に行き検査を受けた。幸い骨には異常はなく痛みが引けば試合に出場できる軽症だと診断され胸を撫で下ろした。

ところがなかなか痛みが取れず帰阪後の18日に厚生年金病院で再検査を受けたところ、「3日間は絶対安静」と診断されて甲子園球場での巨人戦は欠場となった。「痛みが意外と引かず手も握れない状態で試合に出たかったけど無理っス」と掛布は落ち込んだ。掛布の無念さは阪神全体の痛手で佐野選手を三塁、桑野選手を左翼に緊急起用を強いられた。しかし掛布の穴を埋めるまでにはいかなかった。「でもこれがヒビでも入っていたら3日間の安静では済まなかった。早く回復して治ったらハッスルしますよ。月末の後楽園決戦を楽しみにしておいて下さい」とそこはクヨクヨしない若者らしく全快後の活躍を誓う掛布だった。


ヒビが入ってる? 回復は?
今季の阪神は掛布選手がいないと昼も夜も明けない感じだ。何しろ掛布が左手首を負傷(4月17日の広島戦)で欠場したとたんに巨人に3連敗、ヤクルトにも3連敗だ。この為、掛布の存在価値は以前にも増して高まった。勝てない阪神に業を煮やしたファンから「カーケーフ、カーケーフ」と掛布コールが巻き起こった。これに押されたわけではないだろうが、4月24日(日曜日)の甲子園球場で行われたヤクルトとのダブルヘッダー第一試合に掛布は代打で出場し、続く第二試合は三番・サードで先発出場し復帰を果たした。体調は万全でないものの2安打を放ち健在ぶりを見せた。

痛めた左手首を庇って右手一本でもホームラン性の当たりを飛ばしたりもした。だがこの強行出場を心配する人間もいた。中川トレーニングコーチだ。代打ならともかく先発出場だと守備に就く。「掛布にはライナーが飛んで来ても取るなと言いました。まともにキャッチしたら左手首に衝撃が来ますからね。それに1打席毎に大丈夫か聞きました。最後の打席でセンター前にヒットした時に左手首にズキンと痛みが走ったと言うのでこれはアカンと思いました」と中川コーチは復帰には反対の立場。つまり本当はまだプレーするには無理なのに連敗のお家事情にたまりかねて首脳陣が掛布の早期復帰を決定したというわけだが、これが回復を遅らせる原因になったら堪らない。

翌25日、次の巨人戦の為に上京する日の午前中に中川コーチに伴われて尼崎の南学堂整骨院でレントゲン検査を受けた。左手首の回復具合が遅く、ひょっとしたらヒビが入っている可能性も否定できない為、広島・大阪に続き三度目の検査を行なった。阪神ナインが待つ新大阪駅の新幹線ホームに現れた掛布の左手にはサポーターがグルグル巻きにされていた。駆け寄る取材陣に掛布は「左手の事は聞かないで下さい」と多くは語らず、その様子からは意外と重傷で痛みが取れてないと推測された。事実、対巨人3連戦はベンチ登録はそのままだったが宿舎の東京グリーンホテルで待機することとなった。


いずれも順調2人の若トラ
不運の怪我と戦っている若トラの2人。掛布選手と佐野選手の経過は順調で5月末か6月中にかけて戦列復帰できる見通しがついた。死球禍で左手首尺骨にヒビが入った掛布は5月9日の午後に大阪厚生年金病院を訪れ治療を受けた。診察した黒津清明医師によると「順調に快方に向かっています。ヒビもほぼ接合しギブスも必要なくなりました。5月末には復帰できるでしょう」と話した。掛布は「自分でも日ごとに良くなっていると感じます。OKが出たら直ぐプレーできるようにトレーニングは続けています。早く治して元気な姿をファンの皆さんに見てもらいたいです」と話す顔にも笑顔が戻った。

ちなみにこの日(5月9日)は掛布の22歳の誕生日で合宿所の虎風荘にはファンから誕生日プレゼントがどっさり届いた。お見舞いや激励の手紙と共に部屋に入りきらない大量のプレゼントが送られて来た。中には直接持参するファンもいて掛布は「嬉しいですね。今までは誕生日といってもいつも試合に出ていて特に感情はなかったけど、今年は怪我と戦っている最中だし励ましの便りが身に染みます。一生忘れられない誕生日になりました」と大感激だ。復帰が見込まれる5月末の巨人戦は27日から地元の甲子園球場で行われる。詰めかけた大観衆のファンから復帰を果たした掛布に大声援が送られる様子が今から目に浮かぶ。

もう一人の佐野選手の経過は当初の予想以上に回復が早く日ごとに元気をとり戻している。救急搬送された川崎市の太田病院から5月9日に東京の順天堂大学病院に転院して改めて頭部の精密検査を受けたが異常は認められず全く順調そのものだった。一時は野球生命の危機と不安視されたがそんな不安を吹き飛ばして再起へ明るい見通しを立てた。最近は歩行にも慣れて日常生活に支障のないところまで回復。6月には戦列復帰も可能だという。「夢中で打球を追っていたのは憶えているけど、そこから病院で目が覚めるまでの記憶がない。本当に色々な方のお世話になりました。チームは怪我人が続出して心配だけど早く良くなって頑張りたいです」と佐野は再起を誓った。
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# 730 週間リポート・読売ジャイアンツ

2022年03月09日 | 1977 年 



「ムフフ、まだまだです」と90番
毎日のように新記録を出しながら予定通りの快進撃。「スタートダッシュがポイント」と言っていた長嶋監督は笑顔を必死に抑えている。「4連勝?ムフフ、まだまだですよ。このままの勢いで突っ走りたいですね」と。4月6日の大洋戦を勝利して開幕4連勝は20年ぶりの快挙。開幕前に末次選手が練習中に打球を目に当てて負傷し、「五番・右翼手」がポッカリと空いたが代役の柳田選手が穴を埋めてお釣りがくる大活躍。末次が怪我をした打球を打ったのが柳田で「末次さんに申し訳なくて。家内とウチの両親が入院している末次さんの見舞いをしたら末次さんが『俺のことは気にせず頑張れと柳田に伝えてくれ』と言ってもらいホッとしました」と神妙な面持ちの柳田。

もともと信心深く神社仏閣の前を通ると手を合わせる柳田だが今では家の仏壇に手を合わせて末次の早期回復と自身が代役として恥ずかしくない務めが出来るように祈っている。この祈りが通じたのか柳田は大洋戦で満塁本塁打を放ち巨人の開幕4連勝に貢献した。巨人が開幕戦に勝利するのは5年ぶり。2戦目は2年ぶりの22安打。3戦目は相手の大洋と両軍合わせて22四死球はセ・リーグ新記録を更新するなど記録ラッシュの開幕シリーズとなった。過去四度の開幕4連勝した年はいずれも優勝している。果たして今季はどうなるか注目である。


" ライト病 " 復活に " 王勝負 "
ペナントレースが白熱の度を濃くしてきた4月下旬のエピソードを2つ紹介しよう。先ずはスポーツ紙に " ライト御乱心 " と見出しがついたビーンボール騒動。4月26日の巨人阪神戦(後楽園)でライト投手が中村選手にぶっつけた。2球続けてビーンボールまがいの球を投げて、2球目が中村のヘルメットをかすめた。阪神ベンチの抗議にライトは怒り狂って、あわやブリーデン選手や古沢投手らと乱闘寸前になった。長嶋監督らが慌てて制して事なきを得たが「おいフルサワ、文句が有るなら言いに来い。タクシー代はオレが出してやるぜ」とライトの怒りは収まらなかった。

ライトの言い分は「ベースボールにビーンボールは付き物だ。投手の伝家の宝刀といっていい。ただし決して致命傷となる所には投げず避けられる範囲に投げている。相手を怒らす為にやるのだから怒って向かって来るのが当然だ。そして相手が手を出したら応戦するだけだ。それがベースボールというものなんだよ」と。自分に抗議できるのは阪神投手陣から報復を受けるかもしれない味方である巨人の打者だけで新聞なんかに文句を言われる筋合いではないとも言っている。大リーグに詳しい専門家によるとライトの言い分が多くのアメリカ人の意見だそうだ。だからブリーデンや巨人のリンドら外人選手が日本人選手より熱くなっていたのも頷ける。

2つ目は " 張本敬遠、王勝負 " 。ライト騒動の翌日の試合でリードする阪神がピンチで張本選手を迎えると吉田監督は張本を敬遠して王選手との勝負を指示した。張本が巨人入りして王と「O・H」砲を組んで初めての出来事だった。吉田監督は「(投手の)谷村が張本には自信がないと言っていたし、カウントが0-2になったので敬遠のサインを出した。塁を埋めた方がアウトも取れやすいし、王はスランプ気味だったので王との勝負を選んだ。結果的に二塁打を打たれたが作戦としては間違っていないと思っている」と正当性を主張する。


へ~い、大トロ一丁あがり
新人の藤城投手に付けられたあだ名は「大トロ」。最初はトロだった。刺身のトロみたいに赤身ががってポチャっとした感覚が藤城みたいだと。藤城は赤ら顔でポッチャリした体型、おまけに投げるカーブがトロっと曲がる。違っているのは顔つきだけで、こちらは甘いマスクの二枚目ではなく苦み走ったいい男で時代劇の役者にピッタリのハンサム男だ。定坊こと定岡投手が若いレディキラーなら藤城は妖艶なマダムキラーといった感じだ。やがて新人離れした強心臓が買われて大物の " 大 " がついて大トロとなったのである。

悠々とした動作、時々怒られる反優等生ぶりが加味されて周りから大物扱いされるが首脳陣にしてみれば、いくらデカい口を叩いてもルーキーだ。だから初先発を言い渡す時は気を遣って5月9日の当日の練習中に「きょう先発だからな」と告げた。「あまり早く伝えて寝られなくなったら困るからね」と杉下投手コーチ。藤城も人の子で、実際これまで何度か先発の可能性があると告げられた夜は寝つきが悪かったが、この日は落ち着いて練習に集中できたそうだ。先発陣に疲れが見え始めて二軍から定岡が上がって来てライバルも増えたが、第4の先発投手の座はオレが頂くとばかり度胸満点の投球でヤクルト打線に対した。

ピンチは4回表にやって来た。一死一二塁で大杉選手に打たれて1失点。続くマニエル選手にボールカウント0-1となったところで長嶋監督がマウンドに駆け寄り「いいか4点くらい取られたって大丈夫。ウチの打線を信じろ。お前のトロ~としたカーブが有効だぞ」と声をかけた。この一言で気が楽になった藤城はマニエルにゆる~いカーブを投げて内野ゴロ併殺打に打ち取った。結局、7回 2/3 を投げて7試合目にしてプロ初勝利を飾った。この試合のヤクルトの先発は藤城と同じく新人でサッシーこと酒井投手。当代一の人気者相手に見事勝利した。まさにトロはトロでも極上の大トロだった。
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# 729 週間リポート・クラウンライターライオンズ

2022年03月02日 | 1977 年 



鬼頭はんて魔術師か?
開幕以来、鬼頭監督の采配が冴えに冴えている。開幕ゲームの日ハム1回戦は高橋直投手に抑えられて負けた。すると鬼頭監督は早くも " 基・吉岡 " の一・二番を逆に入れ替えた。これが功を奏したのか2戦目を勝利し、続く3戦目は基選手が大当たり。初回、吉岡選手が倒れた後、内野安打で出塁した基がすぐさま二盗・三盗すると土井選手の適時打で先制点。更に6回には左前安打で出塁すると再び二盗に成功。すると今度も土井が2ラン本塁打を放ち追加点。いずれも二死後での土井の打席であったので、もし基が一番のままだったら得点になっていなかったであろう。しかも3戦目はこの3点だけで勝利したのだから基の二番起用は大正解だった。

これについて鬼頭監督は「もともと『一番・基、二番・吉岡』だったのを開幕戦は逆にしたが2人ともシックリしていなかったので2戦目から元に戻しただけ」と淡々と説明するだけだった。実はこの2戦目ではもっと大胆な選手起用をしていた。捕手を西沢・楠城の両ベテランではなく若手の若菜選手を先発に抜擢した。若菜はプロ6年目だが殆どが二軍暮らしで一軍半といった感じの選手だ。そんな若手を初戦で完敗した後に起用したのだから、もし失敗すれば非難の矢面に立たされるのは必至だった。スタメン発表で『捕手・若菜』と場内アナウンスされるとスタンドから「エエーッ!!」と驚きの声が上がった。

ところが30分後には驚きの声が大歓声に変わっていた。3回一死満塁のチャンスで若菜が高橋一投手のカーブをすくい上げて左翼席に満塁アーチを放った。しかしこの時も鬼頭監督は「オープン戦最終戦で若菜は活躍したしツキを持っていた。西沢の右肩の調子が悪く若菜を使っただけ。むしろ若菜に期待していたのは強肩の方だったのでホームランは想定外でした」と若手起用の成功を称える報道陣にまたも肩透かしを喰らわせた。二度あることは三度あるというが、三度目の選手起用が的中したのはロッテ戦だった。昨季の首位打者である吉岡をスタメンから外し、オープン戦で一度も二塁を守っていない基を二塁で先発起用した。

遊撃には広瀬選手を初起用し二番に据えた。そしてこれがまたもやバッチリ成功したのだから鬼頭監督の眼力は恐ろしい。二番に入った広瀬は3回に山村善選手を二塁に置いて先制適時打したばかりか5回にも一死二塁の場面で中前適時打を放つ活躍を見せた。だがまたしても鬼頭監督は「私は調子の良い選手から使うという方針を貫いたままです。基の二塁起用は11年もやってきたポジションだから、少しばかり練習をしていなくても大丈夫ですよ」とアッサリしたもの。作戦成功を誇りたがる監督さんが多い中で鬼頭監督のこの徹底した冷静さはやっぱり " 年の功 " とでも言えば宜しいのかと。


5連敗救ったヤングパワー
連敗ストッパーはヤングパワーだった。開幕前に今季は最初の15試合に賭けると明言していた鬼頭監督だったが初遠征の近鉄戦で3タテを喰らって4連敗を喫した。これ以上負け続けるとフロント陣も何かしらの手立てが必要になるところまで追い詰められた対ロッテ戦(後楽園)。選手も首脳陣も「何が何でも勝たなくては」と意気込んだが、えてしてそういった時は空回りするもので先発した山下投手が初回から1失点、4回にも2失点して0対3の劣勢状態に。打つ方も田中投手に4回まで無安打に抑えられ5連敗は時間の問題と思われた。

ところが打線が突然目覚める。先頭打者の大田選手が左前安打、竹之内選手がアンダースロー投手に対してセオリー通りの流し打ちで右前安打で続くと山村善選手が送りバントをしたが、幸運にも内野安打となって無死満塁とチャンスが広がった。だが楠城選手は三振に倒れ一死満塁に。次のロザリオ選手はアンダースロー投手を苦手としていて鬼頭監督は代打を告げる。アンダースロー投手に相性の良い左打者がベンチには鈴木治選手と長谷川選手の2人がいたが「どちらでもよかったが鈴木の方が良さそうだと閃いたもんだから」と鬼頭監督は鈴木を選び、打席に向かう鈴木に「お前しかいないんだ。そのつもりで行け」とハッパをかけた。

鈴木は初球を打つと打球は舞い上がり右翼スタンドに飛び込んだ。鮮やかな代打逆転満塁本塁打。打球がスタンドに消えるのを見届けた鈴木は「やれやれ何とか格好がついたわい」と安堵した。この試合にはもう一人の殊勲選手がいた。4回裏一死三塁の場面でリリーフしてピンチを防ぎ、打者20人を2四死球のみの無安打に抑えた永射投手だ。永射は前日まで二軍にいた。それも二軍が遠征先に向かう途中の博多駅で急遽一軍行きを告げられた。永射は「どうせこのまま負けそうだし自分に責任はないから」と緊張せずに気楽に投げていたら好投してしまった。竹田投手や古賀投手が故障で離脱しているだけに永射の存在は大きい。


やはり大器!続けざまに2発
金の卵だった立花選手がどうやらヒナになったようだ。5月9日に平和台球場で行われたウエスタンリーグ対南海4回戦の7回裏二死一塁の場面で南海三番手の浜名投手が投じたベルト寄りの速球を右中間スタンドにライナーで叩き込んだ。この試合では4打数3安打、本塁打の他に二塁打も放った。二軍戦では常に三番を打ち、開幕前のパ・リーグのトーナメント大会では最優秀選手に選ばれるなどそれなりの成績を残してきたが、出場11試合で本塁打がゼロだった為に長打力が物足りないと言われていた。だがそうした懸念を払拭するかのような一発だった。更に翌10日の対南海5回戦でも松尾投手から右翼ポール直撃の2試合連続本塁打を放った。

「内角球は甘いとホームランになってしまう。外角中心に攻めろ」と南海二軍首脳陣は投手に指令を出したが、立花は少しも慌てず外角球を悠然と見送って四球を選んで出塁したり真ん中寄りの甘い球を見逃さず痛打するなど、およそ新人離れした貫禄を示した。しかも試合後のコメントが心憎い。「打てる球だと思ったら思い切り振り切るようにしています。僕なんかまだまだ投手と駆け引き出来る選手ではないですから無心で打つだけです。やっとホームランが出ましたが、出てみると案外簡単なものでした」とこれが高校を出たばかりの若者の言うセリフだから、野球の腕前もさることながら心臓の方もピカイチだ。

中西・豊田以来の大型新人とあって地元の立花人気は凄く、とある二軍戦には女性ファンが100人以上も集まり「立花さ~ん」「頑張って」など黄色い声援が飛び交った。「ハイ、嬉しいです」と素っ気ない立花だが坂井球団代表は「実力・人気ともに兼ね備わった稀に見る大器ですよ。1年目ですよ、しかも高校出で」と手放しの惚れ込みようだ。和田二軍監督も「我々がいくら鍛えようとしても本人にその気が無く嫌々練習したって力はつかない。その点でも立花は実に熱心。こんな新人は珍しい」と絶賛する。
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