納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています
大洋丸、到着寸前でアッと沈没
2試合連続で土壇場の逆転負けに秋山船長カッカ
シーズン130試合の内には9回二死から逆転負けを喰らうこともあるが、そう滅多にあるものではない。それが同じチームが連夜に渡って憂き目に遭ったらたまったものではないだろう。それが現実に起こった。4月10日、川崎球場での対中日戦は大洋が中日先発の三沢投手以下5人の投手をシピン選手の2ラン、長崎選手のソロなどで圧倒し7回終了時で7対3とリードしていた。ところが大洋先発の奥江投手をリリーフした平松投手が8回表に高木選手のソロに続き井上選手に投手強襲安打、マーチン選手に2ランを打たれて3失点の1点差となり、たちまち楽勝ムードが怪しくなってきた。
だが9回表は平松も立ち直り、代打・末永選手を三振。ローン選手を捕ゴロに打ち取り二死となり勝利は目前だった。8回表に本塁打を打たれた高木に中堅前に安打されたが続く谷沢選手は二ゴロ。試合終了と思った直後、二塁手のシピンが見事なトンネルで一・三塁と一転して同点のピンチに。ここで平松は踏ん張れず井上に左前に運ばれ同点となり一・二塁とピンチは続く。マーチンの打席で辻捕手が立て続けに捕逸し二塁走者の谷沢が生還し逆転。マーチンは四球で尚も一・三塁で島谷選手、梅田選手が連打し、この回4失点で7対10で逆転負けした。「抑えてくれる思った平松が打たれて続いてミスを連発じゃ勝てんわな」と秋山監督は怒りをグッと押し殺した。
しかし悲劇は翌10日も続く。試合は渡辺投手が踏ん張り8回まで2対1とリード。9回表も安打と四球で一死一・二塁の場面で谷木選手は遊飛で二死。続く高木は平凡な遊ゴロ。ところが名手・山下選手の二塁送球がまさかの野選となり試合終了の筈が二死満塁の大ピンチに。ここで谷沢に右前2点打。続く新宅選手には投手強襲安打で更に1失点。代わった宮本投手がマーチン、梅田に長短打され計6失点で万事休す。「やった、やった」と大騒ぎの中日ベンチに対して大洋ベンチ内はお通夜状態。9回裏の攻撃もあっさり終了して悪夢の連続逆転負けに選手達は茫然自失。
ロッカールームは火の気が消えた静けさで誰一人として喋らない。やはり一番ショックを受けたのは秋山監督だ。今年は勝負の年としてキャンプ・オープン戦から昨年までとは比べようもないくらい厳しい姿勢で選手に接してきた。そうした動きが徐々にだが実を結びつつあった。開幕して5試合を3勝2敗と勝ち越し、負けた2試合の内容も昨年までの無様な負け方ではなかった。今年の大洋は違うと周囲が思い始めた矢先の今回の連敗である。「私が弱気になっちゃいかんのだが、それにしても参った」と秋山監督は苦笑しながらも「また明日からやり直しだ」と前向きだ。やはり今年の大洋は一味違う。
オレの女房は大学3年生です
平松が独身に終止符。大上洋子さんと結婚
球界のプリンスと呼ばれている平松投手がとうとう独身生活に終止符を打った。11月23日にかねてから婚約中の大上洋子さん(20歳・フェリス女学院3年)と東京・芝の高輪カトリック教会で挙式した。品川パシフィックホテルでの披露宴には横田球団社長、別当監督をはじめ大洋ナインら多くの球界関係者や、歌手・橋幸夫さんら著名人も参列した。「最下位脱出の為またエースとしても是非とも20勝を」という言葉が祝辞として寄せられたが、これも最近の平松の成績から見れば致し方ない。
高さ10㍍・150万円という豪華なウェディングケーキにナイフを入れた後に11月20日に出来上がったばかりの大洋球団歌を選手らが高らかに唄って会場を大いに盛り上げた。平松は翌24日から12月1日までハワイへ新婚旅行。「子供は2人か3人欲しいね。もちろん亭主関白だよ(平松)」「学業と主婦を両立させ幸せな家庭を作りたい。体調管理の面でもバランスの良い食事を心がけていきたい(洋子夫人)」と2人。来季はガラスのエースを返上して家庭だけでなくチームの関白になってもらいたい。
幸せいっぱいのムードが漂う披露宴会場で一人浮かぬ表情だったのが横田球団社長。クラウンライターライオンズとの交換トレードでライオンズへ移籍する山下律投手へのトレード通達を披露宴翌日の24日に控えていたのだが、一昨年に山下が結婚した時の仲人が横田社長だった。「いくら仕事とはいえ仲人をした選手にトレードを伝えるのは嫌なもんだねぇ。もう二度と選手の仲人はしたくないね」と。日頃からチームの勝敗に共に一喜一憂する選手にトレードを通達したり解雇を宣告したり、社長さんの気苦労は多い。
投げて投げて投げまくります
ドラフト1位の斉藤(大商大)たくましく入団
11月19日、ドラフト会議が開始される午前11時を前に会場の外では球団職員が慌てていた。というのもクジを引く役目の横田球団社長が一向に現れないのだ。開始10分前に悠然と姿を見せた横田社長は「慌てたってしょうがない。早く来たら良い番号を引けるわけでもないし。今年は最下位だから、せめてドラフトは良い結果になるよう祈っている」と。結果は六番目。前日のスカウト会議では何が何でもサッシー(酒井投手)あるのみ!だったが酒井は一番クジを引いたヤクルトが指名し獲得ならず。大洋の1位指名は大学ナンバーワン右腕の斉藤明雄投手(大商大)だった。斉藤は「希望はセ・リーグ」と明言しており入団に支障はない。
12月1日、平山スカウト部長が大阪を訪れ契約金2600万円・年俸240万円を提示したが斉藤は「僕が考えていた額より少ない」と合意には至らなかった。一週間後の7日、今度は横田社長が自ら大洋漁業大阪支社に足を運び斉藤本人、両親、村上監督(大商大)と会って契約金3000万円・年俸240万円を提示すると今度はすんなり合意し入団が内定した。ちょうどこの日のスポーツ紙にはヤクルトが指名した酒井投手が契約金3000万円でも合意に至らずヤクルト球団の苦悩が記事になっていただけに大洋側も「果たして斉藤君が納得してくれるか不安です」と平山部長は心配顔だったが杞憂に終わった。
入団内定に大喜びの横田社長は「斉藤君の通算1.64 の素晴らしい防御率は何とも心強い。ウチは投手力が弱いのでこんなに嬉しいことはない。来年は巨人の王君、張本君、阪神の田淵君らを向こうに回して大いに投げまくって欲しい」と大絶賛。大学ナンバーワン右腕と期待される斉藤は最初の条件提示の時に「プライド料としてもう少し…」と粘った甲斐があったわけだが「大洋に骨を埋めるつもりで肩が上がらんようになるまで投げて投げて投げまくります」と期待する方、される方の両方がニコニコ顔の一日だった。何はともあれ今から開幕が待ちどうしい。
オレちっとも嬉しくないョ
1000奪三振も負け投手に大ぼやきの松岡
「三振より勝ち星が欲しいよ」と松岡投手は思わず呟いた。小雨模様の4月14日、本拠地・神宮球場での初ナイターとなった大洋戦の2回表に江尻選手を三振に仕留めてプロ入り通算1000奪三振(両リーグ52人目)を達成した。試合はヤクルトが1点を先行したが4回表に大洋が松原選手の適時打で同点に追いついた。雨の影響が出たのは5回表。ぬかるんだマウンドに踏み出した左足を滑らせた松岡が「途中で投げるのを止めると怪我をすると思ってそのまま投げた。ボール球にするつもりが投手の習性でストライクゾーンに投げてしまった」と悔やんだが後の祭り。その失投を見逃さなかったゲーリー選手に左翼席中段まで運ばれてしまいヤクルトは1点のビハインド。
ただ松岡は6回表を終えた時点で毎回の8奪三振と快調だった。ところが7回表になると突然の豪雨に見舞われコールドゲームに。「情けないったらありゃしない。何の為の記録だい。勝ち星に花を添える1000奪三振なら嬉しいが負けたら意味ないよ(松岡)」とブスッとした表情。プロ初奪三振は昭和44年4月13日の巨人戦の2回に王選手から。「緊張で当時の記憶は全く無い。その後に人並みの投手になってから三振を意識するようになった。王さんには5打席5四球もあれば4打席4三振もある。1000奪三振はいつかは達成できるだろう、程度で特に固執することはなかった。投手の評価は三振より勝ち星だと思う。だから負けちゃ意味はない」と悔しさを隠さない。
嬉しさも中くらいどころか陽気な松岡にしては珍しくボヤキ、ボヤキ、またボヤキだった。もしこの試合を勝っていたら通算96勝で史上67人目の通算100勝にまた一歩近づけたところだった。同じ年齢で本格派速球投手として何かと比較される堀内投手(巨人)、平松投手(大洋)はとっくに100勝をクリアしていて松岡は一歩遅れをとっているだけに悔しさ倍増だったのである。「ウチの打線が湿っている?だったらなおさら俺が相手打線を抑えなきゃダメだった。個人の勝負に勝ってチームで負けた。エースとして情けない(松岡)」と自分を責めるが、ヤクルトは初回のロジャー選手のソロ本塁打だけに抑えられたのだから松岡一人の責任ではない。
わしゃあビックリすたワイ
イの一番くじ引いてお国なまりも冴える佐藤球団社長
「わしゃ~ビックリすた」を連発するのはドラフト会議で一番クジを引き当てた佐藤球団社長。お国(岩手)訛りの東北弁を丸出しで会う人ごとに「ビックリすた」を繰り返すのは嬉しさの裏返しでもある。佐藤社長は予備抽選が五番目。つまり本抽選では残り8枚の中から見事に一番クジを引いた。「席を立つ時に五番以内のクジがまだ3枚残っているのは分かっていた。とにかくラッキーセブンじゃと決めていた(佐藤)」と振り返る。8枚の封筒は2列に並んでいた。右利きの佐藤社長は右から七番目の封筒を躊躇なく手にした。実は予備抽選で一番だった日ハムは本抽選で一度その当たりの封筒を手にしたが、思い直して隣の封筒を引いた。結果は十一番目だった。
「やはり斉戒沐浴。朝出てくる時にシャワーを浴びて頭のてっぺんからつま先まで清めてから来たのが良かったのかな(佐藤社長)」。過去9年間で最高は昭和43年の五番目。ヤクルトになってからはクジ引きは佐藤社長と松園オーナーが交互に務めてきたが、クジ運は決して良くはなく「ドラフトはいかん。選手の人権蹂躙も甚だしい(佐藤社長)」と人権派弁護士よろしくドラフト批判をしばしば展開していたが、この日ばかりは「ドラフトもいいねぇ」とは現金なもんだ。御年75歳の佐藤社長の趣味はゴルフで過去にホーインワンを四度経験しているが、一番クジはその時以上の興奮だという。「この当たりクジは封筒と共に球団の神棚に大事に供えたい(佐藤社長)」と。
ドラフト最大の目玉 " サッシー " こと酒井投手(長崎海星)指名が佐藤社長に課された使命だった。何しろ松園オーナーと同郷の長崎が生んだスター選手で松園オーナーから「何が何でも酒井君を頼むよ」と手を合わされていたが「頼むと言われてもクジですから…」と頭を抱えていた。それだけに指名後は「いや~良かった、良かった」と胸を撫で下していた。当初はドラフト会議に出席する予定だった松園オーナーだが所用で叶わなかった。松園オーナーが酒井指名の吉報を受けたのは関西出張帰りで新橋にあるヤクルト本社へ戻る車内無線。「ウチは優勝から見放されているから、そろそろ運が回って来ると信じていた。ドラフト万々歳だ(松園)」と笑顔また笑顔だった。
酒井家の一族に負けた首脳陣
税込み三千万円から手取り三千万円でやっとサッシー獲得
" サッシー " がついにヤクルトに入団した。12月8日、長崎の東急ホテルで松園オーナーも同席して盛大な入団発表を行なった。冒頭で「ついに」と表現したが一時は入団が越年する可能性すらあったのだ。入団発表会場の隅で感慨深げに見守る小山スカウト部長や内田スカウトの安堵した表情が交渉の難しさを物語っていた。契約金は手取り3000万円・年俸240万円。手取り3000万円といえば税込みで3800万円を越す。小山・内田スカウトが長崎の酒井家を訪ねたのは計5回で球団が当初提示したのは税込みで3000万円だった。酒井家は親族会議を開き「3000万は大金だが、イの一番指名なのだから手取りでなければ…」と態度を硬化させていた。
この時すでに12月8日に松園オーナー臨席のもと長崎で入団発表を行なうスケジュールが決まっておりスカウト達は焦っていた。だが酒井家の牙城は固く突破口すら見い出せぬままタイムリミットが刻一刻と迫って来た。発表前々日の6日の交渉も決裂した両スカウトは辞職も覚悟でヤクルト本社に掛け合って手取り3000万円を認めさせた。ところが今度は酒井の父親・義員さんが「心の整理がつかない」として冷却期間を申し入れた。「何だか自分の息子をセリにかけているみたいで…(義員さん)」と難航する交渉を見る世間の目を気にしたのだ。冷却期間の申し出に球団側も慌てたが、静かに待つしかなかった。
翌7日になって結局「お世話になりたい(義員さん)」と返事が出されて滑り込みセーフの入団発表となった。この間の交渉で憔悴しすっかりやつれきった小山・内田両スカウトと、入団発表会場のメインテーブルで郷里長崎が生んだスーパースター投手と握手をして満面の笑顔の松園オーナー。この好対照の表情に気がついた参列者は会場内に果たして何人いたであろうか。酒井の背番号はエースナンバーの『18』。来年の5月には " 酒井デー " を設けて長崎で公式戦を行なうとブチ上げた松園オーナー。担当記者の間では「来年はキャンプから酒井・酒井のオンパレードになりそうだなぁ」という声も起こったとか。何ともケタ外れな新人である。
吉田監督の予言ピタリ的中
巨人に強い田淵がホームラン2本の固め打ち
ホームランの打ち方を忘れたのでは、と周囲をヤキモキさせていた田淵にやっと一発が出た。これでファンも首脳陣も一安心といったところだ。今季第1号は4月13日の対巨人1回戦の4回裏一死一塁の場面で堀内投手の内角速球を上手く腕を畳んで振り抜き左翼ポールに直撃させた。これは開幕から7試合目、26打席目だった。昨季は開幕の中日戦で3発と大爆発。それと比べると今季は明らかに遅かったがこの一発でエンジンがかかり、15日にも塩月投手から第2号を放ち王追撃の態勢は整った。思えばオープン戦で右ヒザを痛めたのがケチのつけ始めだった。コンディション不良のままシーズンイン。一発が出るまで本当に周囲はイライラしていた。
「私の予言通り巨人戦で打ちましたでっしゃろ。必ず打つと思うてましたワ」と吉田監督はニンマリ。巨人戦を控えた前日に吉田監督は予言していたのだ。単なる感ではない。田淵の過去7年間の第1号本塁打を振り返ると入団2年目の昭和45年、47年、48年と3シーズンに渡って巨人戦で放っている。そして今季が四度目で田淵は巨人戦と相性が良いデータが残っている。「特別意識はしていないですけどね。でも確かに巨人戦だと雑念が消えて試合に集中できる。2本出てやっと王さんに追いついた。まだまだシーズンは始まったばかりですよ」と出るものが出て田淵も首脳陣もホッと一息つけた。
なんと1億円をパーにして・・・
雨台風で2試合中止でV1逆転チャンス失う?
台風17号は全国各地に大きな被害を与えたが阪神も例外ではなかった。9月7・8・9日に予定されていた対巨人3連戦は初戦こそ行われ阪神が9対8で勝利し首位巨人に4.5ゲーム差に迫ったが残り2試合は大雨で中止に。続く大洋3連戦も1・2戦が中止となり5日間雨が降り続けた。約一週間も待ちぼうけで選手の追撃ムードの気勢がそがれるやら、テレビやラジオの放映権料や入場料、球場内での売上がパーになるやら球団にとって踏んだり蹴ったりの大損害だった。特にドル箱の巨人戦2試合の中止は痛かった。何しろ2日間で見込んでいた1億円が球団の懐から飛んで逃げてしまった。中止になった2試合は10月20日過ぎの最終日程に回されるので、ひょっとすると既に優勝チームが決まってしまった後の消化試合になっている可能性も高い。
「まったく憎っくき台風です。一番のかき入れ時にやって来るとはいい迷惑です。少々の雨なら決行したかったですけど、あの大雨じゃとても無理。こうなったら選手には残りの試合を頑張ってもらって来月の巨人戦が優勝を左右する試合にしてもらうしかない」と長田球団社長。被害はお金だけではない。巨人を追撃するチームの士気に水を差されて好調だった打線も試合勘が鈍り、投手陣も休み過ぎは登板間隔が空いてしまいかえってマイナス材料になるのではと心配された。だが一週間ぶりの試合となった後楽園球場での巨人3連戦は江本投手が打たれたが終盤に粘りをみせて引き分けに持ち込んだ。翌日は古沢投手が完投勝利。このままゲーム差を縮めたかったが3戦目を落として4.5ゲーム差のままで台風来襲前と変わらず。まったく迷惑な台風だった。
一味ちがうルーキー深沢投手
早くも合宿所入りし冬季練習で片鱗を披露
オフになっても甲子園球場では選手が大きな掛け声で動き回っている。山内コーチを中心に球場近くの合宿所「虎風荘」に住む若手が冬季練習を続けている。その中に見慣れない選手の姿があった。昨年のドラフト会議で5位に指名されたが入団せず、今年のドラフト前に1年遅れて入団した深沢投手(日本楽器)だ。12月1日に虎風荘に引っ越したばかり。最上階の509号室に入居したが当日は両親や友人が手伝いに駆けつけたがタンスなどを人力で5階まで運び上げるのにフーフー大汗をかいていた。
「新人ですから荷物運びが大変な高い階でも仕方ありません。家財道具といっても両親が買ってくれたタンスが2つやコタツくらいで部屋の中はガラ~ンとしています(深沢)」と。さっそく翌日からチームに合流し冬季練習に参加した。社会人で活躍していただけあって体の使い方は流石で若手に混じっていると目立つ。深沢の参加を聞きつけた皆川投手コーチが甲子園球場に駆けつけた。皆川コーチは日本楽器の臨時コーチの経験があり深沢とも面識がある。「下手投げの良い投手の印象がある。あの頃より体も一回り大きくなった。期待できるよ(皆川)」とニッコリ。
奥さんもビックリの変身ぶり
逆療法で快調に打ちまくる三番・谷沢
三番に入った谷沢選手のバットが毎試合のように猛威を振るい続けている。開幕戦の大洋戦は無安打に終わり自宅に戻った谷沢はテレビを見て大笑いしていた。それを見た敏子夫人は谷沢の変化に驚いた。昨年までの谷沢は自宅でも表情は暗く、何かを思いつめているように夫人は感じていた。それが今年は別人かと思うほど底抜けに明るい。昨年はヒットを打てないと毎晩のように険しい表情で1時間も2時間も素振りを続ける谷沢の姿を見てきた。それが今年は自宅で素振りどころかバットすら握らない。「おかしい。人が変わったみたい(敏子夫人)」と体の不調を心配するのも無理はなかった。
その辺を本人に問うと「ハハハ、そうですねぇ。今までがちょっと深刻に考え過ぎていたんですよ。なすがまま、どうにでもなれという開き直りですかね」と笑い飛ばした。要は逆療法というか気分転換ってやつである。気分転換と言えば今季から背番号が『14』から『41』に変わったが、これも本人からの希望で「デッカイことは良いことだ」という軽い気持ちで申し出た。「僕も今年でプロ7年目。そろそろ何かタイトルを獲らないと忘れられてしまう」と。その気持ちが早いカウントから積極的に打ちにいき、チャンスに有効打を放っている。それが現在の好成績に繋がっているのだ。
先発もいけるぜ、セーブ王
1年ぶりの先発で見事プロ入り初完投の鈴木孝
先発投手陣が総崩れで鈴木孝投手を先発で使えという声が球団内外で日増しに強くなってきていた。そうした声に押されて鈴木の先発起用に消極的だった与那嶺監督も渋々大洋戦に鈴木を先発に起用した。公式戦では異例とも言える予告先発だった。これには図太い神経の鈴木もナーバスになった。昨年の5月5日の対巨人戦以来の先発で、過去3年間で先発した9試合の成績は1勝5敗と決して良い結果は残していない。登板一週間前の広島遠征中に近藤投手コーチに「万全の用意をしとけ」と言われ身震いしたそうだ。本人はきっと前夜は眠れないだろうと心配したが意外にもよく眠れたそうだ。
眠れなかったのは鈴木の故郷の関係者で先発当日の昼頃に母校の成東高の松戸監督から「新聞で先発を知ったのだが結果を恐れず全力でやるんだ」と電話で激励されると「ハイ、分かりました」と答えた。本人はプレッシャーを忘れようと努めているのに周囲は放っておいてはくれない。試合の模様は地元の千葉テレビが実況中継を行なった。実家では父親・武男さんがテレビにかじりついて一球一球を目を皿のようにして見つめていた。「ヤツもやっと一人前の投手の仲間入りが出来た(武男さん)」と喜んだが、母親・はつみさんは怖くてテレビを見ることは出来なかった。
終わってみれば大洋打線に7安打を許したが要所を締めてシピン選手の一発による1失点に抑えて完投勝ちを収めた。これが鈴木にとってプロ入り初の完投勝利で本人以上に味方が驚いた。「前半はちょっとセーブし過ぎかなと思ったけど、走者を出すと気合が入っていた。カーブやフォークの他に今まで投げてなかったスライダーを上手く使ったよ。味方が点を取った後はギアチェンジしたね、大したもんだよ。これは教えたってなかなか出来るもんじゃない」と女房役の木俣捕手も鈴木の潜在能力の高さにビックリ仰天。ただ鈴木の今後について近藤コーチは「あと2~3回テストをしてから考える」と慎重な構えを崩していない。
ナニ!来季は2000万円だと
夢はデッカイぞ新人王・田尾、一発更改でやる気モリモリ
契約更改がスタートして2日目、昼休みが終わる頃から球団事務所に続々と報道陣が詰めかけた。ちょうど来年の球団カレンダーを買いにやって来たファンは何事かと目をパチクリさせた。そこへ現れたのは田尾選手。多くの視線を浴びながら会議室に消えて行った。「30分くらいで終わるだろう」と報道陣は待っていたが、1時間を過ぎても契約更改交渉は終わらない。タバコをスパスパ吸ったり、ああだこうだと雑談をすること1時間30分後にようやく田尾が戻って来た。一斉にテレビカメラのライトが照らされた。「契約更改でテレビカメラがこんなに集まるのは球団初でしょうね」と球団職員も驚いていた。
「はぁ、、サインしました。最初から一発でサインするつもりでしたから…」でも何だか歯切れが悪い。50%アップの420万円(推定)を提示された田尾は粘りに粘った。事前に中日で新人王になった谷沢選手や藤波選手が100%アップした情報を得ていたので、自分も同じくらいのアップ率を望んでいた。「途中で席を立とうと思ったんですが…(田尾)」と保留も頭をよぎったそうだが、球団から1年目の年俸が谷沢や藤波より高く手取り額は田尾の方が上だと聞かされてサインしたのだという。「来年は年俸2000万円を目指して頑張ります。今や2000万円が一流プレーヤーの証ですから」とデッカイ夢を語って球団事務所を後にした。やっぱり田尾は並みの新人とは違います。