Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 755 巨人の内情 ②

2022年08月31日 | 1977 年 



" 老齢ジャイアンツ " に過酷な夏場
次は野手陣に目を移してみよう。主砲の王選手。依然としてエンジン全開とはいかない。一時期は調子を上げて、いよいよホームラン量産態勢かと思われたが1本出ても2本・3本と続かない。挙句の果てに対広島12回戦で8年ぶりにセーフティーバントを試みるようでは王本来の姿を見せるにはまだまだ時間がかかりそうだ。昨年までなら本塁打王争いは田淵選手(阪神)だけをマークしていればよかったが、今年は田淵の他にブリーデン選手(阪神)や田代選手(大洋)にも目を配る必要になった。「早く追いつきたいね。麻雀だって初めに大きくマイナスすると後で取り返すのが大変だからね」と王が後楽園球場の選手サロンでポツリと漏らした一言には実感がこもっていた。

王と同じ37歳の張本選手も年齢からくる衰えは隠せない。ヒットを打つ技術は球界屈指の卓越したモノを感じさせる。だが大抵は試合終盤の7回くらいから二宮選手が張本に代わって守備固めに入るので、張本の負担は他の選手と比べれば少ない筈だが移籍1年目の昨季より身体のキレがないのは体力面の衰えとしか言いようがない。35歳の土井選手もかつてのシャープな動きは消え失せた。打撃は粘りが無くなり、守りでは守備範囲が全盛期より左右1m程狭くなった。リンド選手の緊急入団で一時は対抗意識で盛り返したが長続きはしなかった。そのリンドも日本特有の梅雨の湿気に対応できず、数日間だったが入院する羽目になった。

苦しむ選手がいる一方で三塁にコンバートされて2年目の高田選手は開幕から好調を維持している。が、もともとは長距離打者ではないのに球を捉えるポイントが良くて一時は王を上回る本塁打量産ペースとなった。それが災いし大振りする悪い癖が見られるようになり、本来のコンパクトな打撃スタイルを忘れて徐々にだが打率が落ち始めている。「最近はちょっと疲れが取れなくて…」と高田本人も違和感を訴えるようになった。今季は三塁手だけでなく外野手とのかけ持ちを強いられていることも余計に疲労をきたす一因になっている。

25歳の河埜選手と29歳の柳田選手を除いたレギュラー陣は全て30歳以上。ライト投手が登板した日の先発メンバーの平均年齢はなんと32歳。一般のサラリーマンならこれから働き盛りの年齢だが、体力勝負のプロ野球選手としてはピークは過ぎている。それだけに梅雨から暑さが本格的になる夏場にかけて " 老齢ジャイアンツ " ではこれまでのような快進撃からは割り引いて考えねばなるまい。開幕からせっせと貯め込んできた貯金を取り崩していかなくなる場面も覚悟しておかなければなるまい。


ヤング4人組は揃ったけれど…
この難局を乗り越えるには、一つはベテラン勢のスタミナ維持ともう一つはヤングの台頭である。ベテラン選手はそれぞれが対策法を持っている。王は走り込みを始めたし土井は朝8時に起床し朝食後にもう一度眠って体力を温存しているという。柴田選手は冷たい飲料水の飲みすぎで胃腸を弱らせるのが疲れを倍増させると考えて自宅からポットに熱いほうじ茶を入れて球場に持参している。各選手が自分なりに工夫をして夏場を乗り切ろうとしている。しかし疲れた身体を回復させる最良の方策は何といっても休養である。それにはベテラン選手にとって代わる若手の台頭が不可欠である。長嶋監督がキャンプから若手育成に心血を注いだのもその為だ。

故障で二軍落ちした浅野投手に代わって小俣投手が念願の一軍入りを果たした。これでキャンプの時から注目を集めていた西本・田村・定岡・藤城投手らとの " ヤングクインテット " が揃った。なるほど若手投手は成長してはいる。だが先発ローテーションに加わるには未だ力不足は否めない。日程の関係で今季は9連戦が多い。どうしても駒不足になる。そんな時は若手投手にとって千載一遇のチャンスだが、なかなか結果を残せないでいる。長嶋監督も若手投手を起用する際は言葉は悪いが " 捨てゲーム " として負けを覚悟し、味方打線が大量得点をして勝てれば儲けモノと考えているフシがある。

奮起が待たれる投手陣とは対照的に若手野手陣はグングンと力をつけてベテラン選手に肉迫してきている。特に笠間選手と松本選手はその筆頭である。若手投手の話題になると渋面の長嶋監督も笠間、松本に関する話にはその表情が和らぐ。「笠間のリードに関してはキャリア不足もあってまだまだ勉強しなくてなならないが、肩と打撃は矢沢より上。これからもどんどん経験を積ませたい。松本の足は勿論だが打撃も意外とパンチ力があり戦力になる。日々進歩しているよ」と長嶋監督の目尻は下がりっ放し。他にも守備固めで毎試合のように出場している二宮選手の足と守りの評価も高い。

それでも彼ら3人の中でスタメンで起用できそうなのは松本だけ。笠間や二宮を使うには余程の度胸が必要となる。正直言って現レギュラー陣と控えのヤング陣との実力差はまだ歴然としているのが今後の巨人の不安材料なのではないだろうか。投手陣をはじめ疲労を解消する為に「お年寄りの皆さん、どうぞごゆっくり休んで下さい」と言えないのが現状である。ベテラン選手が老骨にムチ打って頑張らねばならないのが今の巨人。スタメンの平均年齢が20代の阪神・ヤクルト・大洋が打倒巨人に一丸となってスクラムを組んだら、巨人ファンはこの夏に安眠することは難しそうだ。
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# 754 巨人の内情 ①

2022年08月24日 | 1977 年 



今季の長嶋ジャイアンツの快進撃。それにケチをつける気は毛頭ないのですが、この強さは本当に圧倒的な文句ないものなのか、巨人ファンとしては枕を高くして眠っていいのか…といわれるとハテ?と首を傾げたくなるのです。強いのだけれど、どこか不安な影もチラチラするのです。

折り返し点前で有り余る資産
確かに今の巨人は独走態勢といってよいだろう。6月18日現在、貯金は「15」で2位のヤクルトの貯金「5」に差をつけている。ここ最近の優勝チームの貯金数は昭和49年の中日「21」、50年の広島「25」、昨年の巨人「31」と比べると少々物足りないがシーズン半ばの段階では及第点であろう。シーズン前の予想では阪神、広島、中日を推す声が多く巨人の評価は低かった。ところが阪神、広島、中日は揃って下位に低迷し、Bクラス間違いなしと言われていたヤクルトと大洋が善戦しペナントレースの様相は変わってきた。だがヤクルトは打線、大洋は投手陣に不安がありペナント争いは巨人優勢で固いと思われている。

ヤクルトと大洋の勢いが衰え一度勝率五割ラインを割って、両チームとも後はズルズルと下降線を描く一方だと言われたが、予想に反して再び貯金生活に盛り返してきた。今は低迷している阪神や広島もやがて自力を発揮していずれは上位に上がって来るだろうが、ヤクルト・大洋を含めた各球団が互いに潰し合って巨人との差は縮まらないだろうと予想される。いずれにしても客観情勢から判断して巨人がこのままセ・リーグ連覇を達成する可能性は高いだろう。それでは巨人ファンは安心して枕を高くしてノンビリしていて大丈夫なのか?不安は無いのか?残念ながら不安材料が存在するのである。


ストッパー浅野倒れ中継ぎ高橋の疲れ
6月12日の川崎球場での大洋戦の試合前、杉下投手コーチが「監督、実は浅野が…」と浅野投手の右肩違和感を伝えた時の長嶋監督の困惑しきった表情が忘れられない。努めて冷静さを装ってはいたが長嶋監督は眉間に皺を寄せて苦悩の色をありありと浮かばせていた。ここにきてのストッパーの戦線離脱は計り知れないマイナス要因だ。開幕前に弱体と評されていた投手陣が曲がりなりにもリーグ1,2を争う好防御率を残している強力布陣に変身したのは、浅野投手の存在抜きには有り得ないこと。その浅野がヘタをすれば前半戦残りを棒に振るかもしれないのだ。ヤクルト時代にも肩とヒジを故障した前科があるだけに楽観視は出来ない。

更にもう一人、中継ぎ陣を支えていた高橋良投手が右太ももの肉離れを発症した。幸い怪我の程度は軽症で2~3日の休養で済みそうだが、開幕以来 " あがりの日 " は4~5日だけと常にブルペンで待機していた疲れが原因であることに間違いはない。たとえ短いイニングの中継ぎ登板でも得点圏に走者を置いた難しい場面での出番が多いだけに精神的な疲労度は計り知れない。33歳の年齢からみてもこれから暑さが厳しくなる夏場に向けて体力的にも負担は増すだろう。「現代野球は中継ぎ、特に二番手投手が勝敗のカギを握っている」と長嶋監督が言うように高橋投手が今までのように使えなくなると投手起用のプラン変更を迫られるようになる。

エース・堀内投手にも疲れが腰に来て開幕当初の勢いが無くなり調子を落としている。これから梅雨、真夏と季節が進み疲労も取れにくくなると、ベテランの堀内投手に多くを望むのは酷だ。期待していた新浦投手は相変わらず投げてみなければ調子が分からない不安定さを露呈し、現在のところ計算できるのは小林投手とライト投手の2人くらいと心細い状況にある。6月28日の阪神戦(後楽園)から肋膜炎の後遺症で出遅れていた加藤初投手がベンチ入りするという明るいニュースもあるが、昨季終了後に病に倒れ長期入院生活をしていた加藤投手に昨年のような先発・中継ぎ・抑えといった大車輪の活躍は望めない。
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# 753 幻の江夏二世

2022年08月17日 | 1977 年 



傷心の痛手からプロの苦しかった2年間を忘れるために九州旅行へこっそりと寂しく旅立った一人の男がいる。巨人・定岡と同期の桜、3年前のドラフトでカネやんロッテから「金田二世」・「江夏二世」として1位指名で華やかな脚光を浴びて入団した左腕・菊村徳用投手である。

傷心を癒す為に九州へ一人旅
菊村は実家の尼崎市七松町にいる父親・栄一さん(45歳)、母親・道子さん(44歳)にさえも具体的な行き先を告げることなくフラリと旅立った。「ただ九州に行ってくるとだけ言い残して出かけました。2年間のプロ生活でいろいろあったので、それを忘れる為の旅行だと本人は言っていました」と栄一さんは言葉少なに言う。僅か2年でプロ野球界から去らなければならない自らの運命に一人で心ゆくまで泣きたかったに違いない。その気持ちは痛いほど分かる。当時二軍監督だった醍醐ヘッドコーチは菊村に対して自分の事のように唇を噛んで悔しさを露わにした。

「本来なら今年がプロ3年目で芽が出始める時期だったんですがね。肩やヒジを痛めて投げられないという訳ではなく内臓を壊して野球を辞めざるを得ないなんて可哀そうですよ(醍醐)」と。入団時の菊村は178cm・73kgと標準的であったが、体重は減る一方で65kgまで痩せてしまった。心配した球団職員の勧めで球団専属医の診察を受けたが結果はショッキングなものだった。膵臓の疾患で「このままプロの厳しい生活を続けたら命にかかわる」と完全なドクターストップだった。「金田監督や江夏さんのような球界を代表する左腕投手になりたい」と大きな夢を抱いていた菊村にとって目の前が真っ暗になる宣告だった。


山口や高校ビッグ4以上の評価もあった
それでも菊村は今年のキャンプに参加し改善の道を探ったが西垣球団代表や高木二軍監督と相談して退団して第2の人生を歩むことを決めた。菊村の名前が知られるようになったのは昭和49年11月9日に行われた第11回ドラフト会議だった。指名くじ9番目を引いたロッテは古賀正明(丸善石油➡太平洋クラブ)、永川英植(横浜高➡ヤクルト)、長谷川勉(日産自動車➡南海)ら評価が高かった投手を差し置いて菊村を指名した。この年の目玉は山口投手(阪急)で菊村はいわゆる高校ビッグ4の永川、工藤(阪神)、土屋(中日)、定岡(巨人)以上の実力の持ち主と言われた逸材だった。

菊村が中央球界で無名だったのは甲子園の檜舞台に一度も登場しなかったせいだが、ロッテの榎原スカウトは「阪神で大成した江夏投手と比べてもヒケはとらない。球速は江夏の方があるでしょうけど球の伸びは菊村が上ですよ」と評価した。事実、ロッテ以外のスカウトの中にも高校ビッグ4より菊村を評価する声は少なくない。高校時代は1試合平均13奪三振で「甲子園に出場していれば貴重な左腕ですし、それこそ大騒ぎになっていたでしょうね」と在京セ・リーグ球団スカウトは言う。将来性という点では誰もが認める投手だった。だが当初はセ・リーグ志望だった菊村はロッテ入りを渋っていた。そんな菊村の許にカネやんが直々に説得に訪れ口説き落とした。

ドラフト1位指名にしては低額の1500万円・年俸180万円が提示された。「エエか菊村、契約金の吊り上げとかしたらアカンで。お金はプロに入って自分の腕で稼ぐもんや。ワシが国鉄に入団した時は支度金がたった50万円やった。『金は自分で稼ぐ。ヤッタルで』と発奮したもんや。最初から契約金は無かったものと思って両親に差し上げなさい」と菊村や両親の前でカネやん節を炸裂させた。これには菊村の両親は感激して「いいか徳用、金田さんみたいに一人前になるまで絶対に家に帰って来るな」とプロの世界に送り出したのだった。菊村はカネやんにとって自分を目標にしている将来性豊かな左腕で秘蔵っ子だった。


内臓弱い若者に過酷だったキャンプ
菊村は希望に胸を膨らませて1月15日に埼玉県鶴瀬の東京證券グラウンドで始まった自主トレに参加した。トレーニングウエアに身を包んだ菊村をみたカネやんは「ほほう、なかなかエエ体つきしとるやないか」と目を細めた。だが菊村にとってロッテの自主トレは想像以上に厳しいものだった。「監督からロッテの練習は厳しいと聞かされていましたが、これほどキツイとは思っていませんでした」と菊村は項垂れた。何しろロッテの練習は『走れ、走れ』と最低40分は走り続ける12球団イチのハードトレーニングで有名で、日頃から鍛えている現役選手でさえ根を上げる程なのだから高校生が付いていけないのも当たり前なのである。

その後の鹿児島キャンプも怪我なく乗り切って、3月1日の大洋とのオープン戦初戦に先発登板を果たす。だが18歳のルーキーには荷が重すぎた。打者8人・2安打・4四球で4失点。1回もたず降板した。「緊張してしまって何が何だか分からないうちに4点も取られてしまいました」と放心状態の菊村だった。「誰だって最初は緊張するもんや。次や次!」とカネやんは菊村の捲土重来を期待して再び同じ大洋相手に先発に起用した。だが今度も打者5人に四球あり、暴投ありの大荒れで長崎選手に3ラン本塁打を浴びて1アウトを取っただけで再びKOされた。さすがのカネやんも今度ばかりは「基礎体力不足。下でイチから鍛え直しや」と二軍落ちを命じた。


ラフィーバーらの特製メニューも空し
昭和50年の後半戦から二軍のコーチに配置替えになったラフィーバーの指導の下、菊村は基礎体力作りに専念した。しかしなかなか結果に現れなかった。寧ろ体力が減退していったのだ。ラフィーバーは「キクムラは内臓が弱いから何を食べてもパワーの源である筋肉が付かない。もっとウェイトを増やさないと大成しない」と嘆いた。実は菊村は偏食の傾向があった。練習後のグラウンドでは水ではなくジュース類をガブ飲みし、ステーキなどの肉類を殆ど口にしなかった。ラフィーバーは自身が経営する故郷のカリフォルニアにある健康食品会社からビタミン剤を取り寄せて菊村に与えたが効果はなかった。

それでも菊村は必死に投げ込みを続けて二軍の試合で投げた。期待された昨年は二軍戦8試合に登板して0勝1敗・防御率3.52 。高卒2年目としては可もなく不可もなくな成績だが、23イニング投げて22四死球と制球力に難があるのは明らかだった。「武山でやったヤクルト戦で7回まで投げたんですよ。確か二度目の先発でしたがリードしていて二軍とはいえプロ初勝利目前だったがリリーフ投手が打たれて勝ち星を逃してしまった。あそこで勝っていれば自信がついて違った野球人生だったかも」と醍醐コーチは悔やむ。

球団からは「身体がしっかり治ったら再契約する」と言われ実家に近い県立尼崎病院に通って膵臓の治療にあたっていたが、なかなか改善しない状況に菊村は「もう野球の世界には戻らない」と近しい友人に話していた。ファンにとってもライバルだった定岡らビッグ4が足踏み状態であるだけに菊村の引退は残念でならない。菊村本人にとっても内臓疾患でプロ野球選手を断念する悔しさは想像に難くない。だがプロ野球選手だけが人生ではない。この貴重な2年間の経験を活かせば第二の人生に大きく役立つことは間違いあるまい。人生の勝利者になれるのは寧ろこれからなのだ。
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# 752 オバQ

2022年08月10日 | 1977 年 



もう田代富雄(大洋)の大当たりをバカ当たりだという人はいない。20号一番乗り。王選手も「これは本モノ」と驚嘆しきりとか。20号が飛び出した時、田代のバットに新しいホームラン王への希望の星が光りはじめた。

特大19号に王の驚きとある因縁
6月11日、川崎球場で行われた対巨人12回戦。大洋は試合には負けたが田代選手は6回裏に19号本塁打を放ち、次の打席でも右中間にセ・リーグ一番乗りの20号を連発した。その時、一塁を守っていた王選手は天を仰ぐ素振りを見せた。先に20号到達されたのも勿論だが、19号の当たりが度肝を抜かれるくらい遠くへ飛んだのだった。田代が放った打球はバックスクリーンを越えてスコアボードを直撃する特大本塁打だったのだ。スコアボードの下には売店があるが、そこの店員は「てっきり外野スタンドのファンがふざけてボールを投げ込んだと思った」と田代の一発に今でも信じられない様子だ。

試合後の王は「いや~久しぶりにあんなデッカイ一発を見たよ」と大きなギョロ目を更に大きくさせて感嘆の声を上げた。つい最近まで田代の怪力ぶりについて報道陣から聞かれても頑なに無関心ぶりを装っていたが、この一発を機会に目の色を変えたのは事実だ。王自身がバックスクリーン越えの本塁打を放ったのは昭和39年の国鉄戦(後楽園球場)の半沢投手から。24歳で3回目の本塁打王になった年だ。「僕はホームランを打ち始めた頃は無心状態で野心も無かった。若さの勢いでタイトルを獲った感じ。今の田代君にもあの時の感じがあるね」と王は過去の自分と田代を重ね合わせる。

王にしてみればこれが5本や10本であれば田代は時の勢いと余裕をもっていた筈である。だが20本塁打まで先を越されたら意識せざるを得ない。事実、昭和37年から本塁打王を続けていた王が田淵選手(阪神)にタイトルを奪われた昭和50年は初めて20号一番乗りを田淵に許した。ホームランダービーを突っ走る田淵に焦りを感じた王は本塁打を狙う強引な打法となりスランプに陥った。この年の田淵は59試合目に20号を放ったが、今年の田代は50試合と田淵を上回るペースで本塁打を放っている。今年の田代の活躍が再び王を焦らせ、田代にとって本塁打王への道が開きつつある。


自分で発見したスランプ脱出法
田代の本塁打王を予見させる材料は盛り沢山だ。その最大のものがスランプ脱出法だ。22歳の若さで別当監督に抜擢されて今季は常時出場を続けている。毎試合出場していれば良いことばかりではなく悪いことも起きる。5月末の広島戦でタイムリーエラー、6月4日の対広島戦(札幌)では再びエラーをして試合に負けた。翌日の試合でもチームは勝利したものの田代はエラーを犯した。初めてやって来た打撃以外のスランプで精神的に落ち込み不眠症になってしまった。やがて打撃面にも悪影響が現れる。6月7日からの対中日2連戦(秋田)ではチャンスに凡退してチームは連敗した。

「試合に負けたのは僕の責任。いったいどうしたらいいんだ…」と田代は宿舎のベッドに横になり頭を抱え込んだ。「何かバーッと気分転換でもするか。そうだト〇コ風呂に行って腰を軽くするか」と少々ヤケ気味に下ネタを飛ばしたりした。だが実際に田代がとった行動は違った。秋田から帰京した10日、川崎球場で延々2時間も打ち込みを行なった。翌11日は巨人戦が予定されていたが昼には球場入りしてまたも打ち込んだ。2日間で500球を越える特打を行なったのだ。左手の爪が割れて血が滴り落ちた。「イヤ~疲れたよ。でもこれで余計なことを何も考えず試合に集中できそう」と田代の顔は清々しかった。

何を隠そうこの日のナイターで8試合ぶりに19号・20号を連発して王を驚嘆させたのだ。試合後のインタビューで田代は「分かった。分かったんですスランプの脱出法が。猛練習以外ないんです。あれこれ考えるより先ず打ちまくる。そうすりゃ疲れる。疲れたら余計なことは考えなくなるし、よく眠れる。これなんですよ」と普段の無口を一転してまくし立てた。王がスランプに落ち込んだ時に取る方法が打ち込みだった。長嶋や歴代の名選手が脱出の為に選んだのも猛練習だった。田代も先輩選手の逸話を聞いてはいたが、自分が実際に体験して会得したスランプ脱出だった。開眼した田代の瞳が以前にも増してキラリと光ったのは当然だった。


親、姉妹みんなで住める大きな家
趣味らしい趣味が特にない田代だが、唯一の楽しみが車を運転することだ。「いま乗っている車はフェアレディZなんですが、最近ちょっと手狭に感じるようになって。なので中古でもいいのでクラウンかセドリックみたいな大きな車に買い替えようと考えているんです」と明かす。それこそ今年本塁打王のタイトルを獲れば年俸は倍どころか3倍に増えるのも夢じゃない。そうなれば車も中古車でなくピカピカの新車を買うことが出来る。実は田代には車以上にデッカイ夢がある。それは大きな家を持つこと。敷地が50坪や100坪どころじゃない。少なくとも200坪を超える大邸宅に住むのが夢なのだ。

「オフに麻布にある監督さんの自宅にお邪魔して驚いたんです。何て言ったらいいか、とにかく凄いんです。それも麻布でしょ、ああ俺もこんな家に住みたいと心底思いました」と田代は家に対する憧れを吐露した。田代は父親を高校2年生の時に亡くし、母親と姉・妹の4人家族。年俸360万円に満たない薄給の中から毎月10万円を実家に仕送りしている。そんな大きな家が必要なのかという声に田代は「勿論お袋と一緒に住むんです。姉や妹が結婚して旦那さんが一緒に住みたいと言えば同居してもいいし、万が一に別れるようなことになっても安心して戻って来られる大きな家。いつの日かそんなデッカイ家を持ちたいと願っています」と。

生活派というか田代の本塁打にはこうした庶民的な願いが込められている。20号一番乗りを果たした今、その目標に一歩近づいたが田代本人は「1打席1打席を大事に、そしてただ思いっきりやるだけ。無心でやるだけです」と大騒ぎをする周囲に惑わされることなく平常心を保つよう心掛けている。もし本塁打争いで王に勝って念願のタイトルを獲ったら、巨人ファンも王ファンも心から拍手を送ってほしい。それは王の出現以降、久しく途絶えていた本物の怪物の誕生を意味するのだから。
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# 751 鉄人

2022年08月03日 | 1977 年 



この対談は6月9日の巨人戦(広島市民球場)が行われた日の試合前に行なった。前日の試合で2安打したが負けてしまった。ご機嫌の程が気になったが衣笠君はざっくばらんに、しかもきちんと色々と語ってくれた。

捕手はイヤでしようがなかった
 森 …800試合連続出場はようやってきたなぁ、という感じですか?
衣 笠…う~ん、まだ振り返るほどのモノではないですね。800試合は意識するほどの記録ではないです。
 森 …君はプロへ入った時は捕手だったんだよね
衣 笠…ハイ、そうです
 森 …捕手から野手に転向したことで長続きしたと思っていますか?
衣 笠…どうですかね。今にして思えば捕手でもある程度は出来たかな。でも捕手で試合に出られるのは
    1人だからポジションが複数ある野手の方で正解だったかも

 森 …捕手は怪我も多いしね
衣 笠…捕手の時と一塁手の時では野球に対する考え方も違っていました
 森 …どういうこと?
衣 笠…捕手をしていた頃はまだ高校野球の延長みたいな感じで野球が自分の仕事だという意識が低かった。
    プロ入りしてまだ2年ですからね、考えが甘かったんです。3年目に一塁にコンバートされてからは
    真剣にやらないとクビになり、好きな野球が出来なくなるという危機感を持つようになりました。

 森 …捕手としてプロ入りして他のポジションに移れというのは捕手として見込みが無いと言われたと同じ
衣 笠…でも僕はあっさりしてましたね。本心では捕手はやりたくなかったですから(苦笑)
 森 …へ~、そうなの。何で捕手が嫌だったの?
衣 笠…打撃練習の捕手をやるのが苦痛でした。とにかくキャンプからシーズン中までずっとですから。
    ずっと座っていると膝が固くなるんです。高校の時は放課後の練習だけでしたから短時間でしたけど、
    プロは1日中ですからね。そうしたら先輩の長谷川さんが肩を痛めて守れなくなり空いた一塁に移れと
    言われて喜んで転向しました。

 森 …まぁ当時の捕手、特に試合に出場しない捕手は試合前のブルペンや打撃練習の捕手をやって試合が
    始まったらまたブルペンに戻るというのを繰り返しだったから大変でしたね。

衣 笠…今はブルペン専門の捕手がいますからだいぶ楽にはなりましたけどね。
 森 …野手転向は渡りに船だったわけだ(笑)
衣 笠…その通りです(笑)

マスク越しに見たONの凄さ
 森 …短かった捕手の時代で印象に残ったことはある?
衣 笠…やはり王さん、長嶋さんの打撃を至近距離で見ることが出来たことですかね。アッ、森さんも(笑)
 森 …俺のことはいいから(苦笑)
衣 笠…2人に見とれちゃって。投手にはいい迷惑な話でしたでしょうね。今でも憶えていますけど鵜狩投手が
    投げてたんですけど、広島市民球場でONにセンターオーバーの二塁打を連打されて。「あぁこれが王か、
    長嶋か…」って。打たれた悔しさより羨望の方が勝っちゃいました。やっぱり試合に出て打撃を磨かないと
    プロの世界では生き残れないと考えるようになりました。

 森 …それで外野でも内野でもどこでもよいから試合に出たいと。去年の高田選手(巨人)と同じ心境だね。
衣 笠…ハイ。当時の根本監督の考えもポジションに拘ってる選手はダメだ、試合に一番出られそうな所を狙えと
    教え込まれました。どこのポジションでも試合に出られるようにしなければと。僕は控え選手でしたから
    一番出やすいポジションの練習をしました。首脳陣や環境にも恵まれてスムーズに野手に転向できました。

 森 …そうした思いが多少の怪我じゃ休まないという今に繋がっているわけだ。
衣 笠…確かにあるかもしれませんね。控え選手は虎視眈々とポジションを狙っていますからね。転向1年目の
    シーズン終盤に肋骨を骨折したんですが誰にも言わずに試合に出続けました。そうした試練を乗り越えて
    心も身体も強くなった気がします。

 森 …話は戻るけど一塁から三塁へ再コンバートされて自分ではプラスだった?
衣 笠…そうですね。また一つ新たなポジションを経験して楽しみが増えたと思うようになりましたね。やっぱり
    プラスに働いたと思います。やっていないポジションは投手と二塁手ぐらいです。

 森 …ということは外野手も経験済みなんだ
衣 笠…ハイやりました。
 森 …遊撃手も?
衣 笠…ええ、とは言ってもオールスター戦ですけど(笑)投手だけは中学生の時からやってないです。
 森 …投手をやっていないのは珍しいね。プロ野球選手は地肩が強いから学生時代に投手を経験している。
衣 笠…珍しいと思います。
 森 …いま急に阪神の池辺選手みたいに「捕手をやれ」と言われたらどう?
衣 笠…出来るでしょうけど怖いですね。やっぱり目をつぶっちゃいますねきっと。

味わいたい優勝の快い疲れ
 森 …これまでの連続試合出場の記録はこの先も続くだろうけど、その間に何回かは優勝しないとね。
衣 笠…そうですね。やはり優勝の感激は何度味わっても尽きるものではないですね。感激というか、
    安堵感というか体験してみないと分からない感覚です。

 森 …はっきり言って君がカープに入団した頃は優勝なんて夢物語でしたね
衣 笠…そうですね、巨人のV9スタートの時代ですから。でも大石さん、白石さん、安仁屋さん、外木場さんと
    投手陣は充実していてペナントレースの優勝争いは互角に戦えると感じていました。

 森 …カープの投手陣は昔から粒揃いでしたね
衣 笠…でも巨人が強すぎました(苦笑)。カープは昔から「投高打低」で、初優勝した年も野手は高齢化で
    他球団と比べて打撃陣は見劣りしてましたね。

 森 …今年はどうですか?
衣 笠…投手陣に故障者が多くて我慢の時ですね。皆が揃えばまだまだ巻き返しは可能だと思います。
 森 …ライバルはやはり巨人?
衣 笠…そうですね。実際に戦ってみて強いですね今年の巨人は。試合序盤からホームランをポンポン打たれると
    反撃する勢いを削がれますからね。勝負事は勢いの差が明確に出ますから。

 森 …何とかして浮上のきっかけを掴まないといかんね
衣 笠…1日も早くそういう流れにしないとシーズンは長いようで短いですから。結果が悪いと疲れが残ります。
 森 …疲労回復という意味で食事に気をつける方ですか?
衣 笠…僕は酒を飲んでも肉類を食べても太らないタイプなので特に気にはしていません。
 森 …それは羨ましい
衣 笠…森さんは太るタイプですか?
 森 …気をつけないと直ぐに太る。確かに君は昔から体型が変わらないね。
衣 笠…食事に神経を使わず過ごせています。
 森 …記録はいつかは誰かに破られるものではあるけど、怪我をしたら直ぐに休むというのが最近のプロ野球界で
    頑張れば出来るんだというものを君自身これからも示して欲しいです。本日はありがとうございました。

衣 笠…ハイ、これからも頑張ります。ありがとうございました。


◆あとがき …正直に言うと衣笠君が捕手で出て来た時は上手いと思えなかった。やがて野手に転向して、たちまち長打を放つ打者として成功した。その間には色々と苦労があったに違いない。それを素直に話してくれた。衣笠君はハッキリものを言う好青年だった。
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