Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 620 週間リポート・太平洋クラブライオンズ

2020年01月29日 | 1976 年 



プロを何とわきまえているんだ!
" 乱投 " 東尾に晒し者のキツ~イお仕置き
エースの東尾投手が今にも泣きだしそうな顔でベンチから逃げ出してきたのは9月11日の対近鉄戦終了後だった。東尾はこの試合に先発したが近鉄打線の餌食となり13安打・7失点で敗戦投手となった。ただの敗戦なら大の男が泣きベソをかくはずもない。およそエースと呼ぶには相応しくない投球に堪忍袋の緒が切れた首脳陣が東尾を晒し者にしたのだった。3回に2失点、5回に1失点したが味方打線も2点を返して1点差で終盤へ。ここで踏ん張るのがエースなのだが6回にも1失点し形勢は更に不利に。普段なら投手交代しても不思議ではない試合展開だがベンチは動かない。7回も続投したが長短4安打を浴び3失点し万事休す。

今季の東尾は好不調の波が激しくベンチはイライラしていた。「今年はいつもあんなピッチングばかり。我慢にも限度があろうというもんじゃないか。ああなれば10点取られようが交代させない」と江田投手コーチ。東尾が晒し者にされたのは歴然であった。東尾自身も最後は虚ろな表情で放心状態だった。この続投強行は当然ネット裏の話題となった。青木一三球団代表は「続投の真意を担当コーチから直接聞いていないが」と前置きした上で「今年の投球内容がエースの名に値しないのは確かだ」とエース失格の烙印を押した。鬼頭監督も「東尾の扱いは江田コーチに任せているが、あんな投球ではエースは勿論、先発投手としても落第だ」と手厳しい。

これが直属の上司となる江田コーチは「全くエースとしての自覚がない。こんなピッチングをされてはこれから先、彼を使う自信がない。マウンド上だけでなく私生活を含めてプロ野球選手としての自覚を取り戻さないと今後はリリーフあるいは中継ぎで起用するしかなくなる」と更に厳しい。東尾に対する積もりに積もった怒りが一気に爆発した感じだ。こうした周囲の声に東尾は「周りにあれこれ言われるのは僕がだらしない投球をしたから。今シーズンは本当に納得のいく投球が出来ていない。自分でも情けなくなる。シーズンは残り少ないけど精一杯頑張りたいです」と普段の奔放な東尾とは別人のようだ。



ウワサの二人がやっぱり
シーズン中から内定?の基と関本が新天地へ
師走の声が聞こえだすとにわかにトレード戦線に2人の名前が挙がり始めた。先ず基選手。シーズン中から首脳陣と折り合いが悪く自らトレードを志願し、公然とセ・リーグ球団に行きたいと発言し球団から訓戒処分を受けた経緯もあり移籍は決定的と見られていた。日ハム、ヤクルト、大洋、中日から引き合いがありその中から中日の左腕・竹田投手プラス新人王・藤波選手との1対2の交換トレードが両球団で合意した。藤波選手が移籍を不本意として拒否しているが近日中にも正式に発表される見込みだ。もう1人が関本投手。加藤初投手と交換トレードで入団したが、巨人で活躍した加藤投手とは対照的に僅か1勝に終わった。

期待された関本だったが前期の終わり頃に肩が痛みだし針治療など行ったが効果なく、後期は丸々シーズンを棒に振った。トレードに関してエキスパートであると自認する青木球団代表だが「このトレードは失敗だった」と認め、責任を取ってシーズン終了後に代表職を辞し専務に降格する一幕もあった。現在の関本は秋季練習にも参加できる程に回復して球威も徐々に戻ってきた。肩さえ治れば2ケタ勝利は堅い関本だけに同一リーグへの放出は避けたい球団は大洋の山下律投手プラス高垣投手との交換トレードを模索している。関本をセ・リーグ向きの投手だと判断する大洋もこのトレードに前向きである。

このトレード話はシーズン中から囁かれていたが表面化したのはドラフト会議後である。太平洋は狙っていた即戦力投手を指名できず来季の投手編成に苦慮していた。そこへこのトレード話が再燃し一気に進んだ。安定感のある山下と抑え役も出来る高垣は魅力的。山下は肘を痛めているという情報もあるが短いイニングなら大丈夫と考えている。今回のトレード話が実現すれば10年間住み慣れた古巣を去る事になる基は「世話になった友人・知人と別れるのは寂しいがライオンンズに未練は無い」と言い切り、関本は「力になれず1年で去るのは申し訳ないと言うしかない」と殊勝そのもの。2人の新天地での活躍を願う。



甘ったれるんじゃないよ藤波
プロ3年目の男に袖にされ大ムクレの基と球団首脳
「一体オレはどうなるんだ。こんなアホみたいな話はあるか!」と気色ばむのは基選手。11月中旬に中日の藤波選手プラス竹田投手との交換トレードが成立し今頃は晴れて希望したセ・リーグの選手になっていた筈だった。ところが中日の交換要員の1人である藤波が「クラウンへは行きたくない」と駄々をこねて任意引退も辞さない構えで、このままではこのトレードは御破算になりかねない。「大体、給料はいらないから出さないでくれとか楽しく野球をやりたいとかプロ野球選手が言う台詞か?そんなんやったら最初からプロ入りすんなって事よ!」と基がいくら熱く言っても藤波にはカエルの面に何とやら。

新天地で頑張ろうと意気込んでいた基や中日の竹田。中日・クラウンの両球団に迷惑をかけた藤波の手前勝手さは球界の秩序を乱すものとして厳しく処断されるべきであろう。それはそれとして今回のゴタゴタはクラウンにとって単なる不手際では済まない問題となっている。「この話がストップしている間にウチが狙っていた選手のトレードが進行してしまい遅れをとってしまった。その上さらに今回のトレードが御破算になったら泣きっ面に蜂だよ(某コーチ)」「このトレードはもう駄目だね。基は戦力になるから残留でも構わないけど竹田投手のトレードと藤波選手の任意引退は中日側に要求してもいいんじゃないかな(球団職員)」など騒動は収まりそうもない。

プロ入り僅か3年目の藤波にコケにされて来季を心配するライオンズファンにちょっと明るいニュースを。今年のドラフト会議で1位に指名した立花選手。地元福岡・柳川商のスラッガーで将来を嘱望される逸材だが、当初は「名前がクルクル変わるような球団は嫌(立花)」と拒否の姿勢の姿勢を崩さずノンプロの松下電器入りが濃厚で入団は絶望的ではないかと言われていたが風向きが変わってきた。そこには父親・義行さんの存在が。「いずれプロ入りしたいのであれば早い方がいい」と助言。「2~3年先には必ずクリーンアップを打てる素質を持っている。選手を見る私の目に狂いはない」と豪語する青木専務直々の口説き文句が功を奏したようだ。
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# 619 週間リポート・近鉄バファローズ

2020年01月22日 | 1976 年 



あと3勝、いや4勝せなあ
2年連続20勝と通算200勝へ意欲的な鈴木
エース・鈴木投手が快調に白星を重ねている。目下6連勝中の17勝。2年連続20勝が目前であるが17勝目の対太平洋戦は冷や汗ものだった。打線の援護で7点のリードを貰って気が抜けたのか後半に崩れて5失点し、完投目前の9回に柳田投手の救援でどうにか白星を手にした。普段は立て板に水の鈴木もこの日は「あんな無様な投球をしてたら20勝なんて無理。球にキレがなかったしコントロールもバラバラ。打線の援護が無かったらとっくにマウンドを降りていた。情けないわな」とボソボソ声で反省しきり。このところ投球内容が良かっただけにショックも大きい。「柳田に迷惑をかけた。彼にはいつか借りを返さなくちゃね」と柳田に気を遣う。

鈴木は入団2年目の昭和42年に21勝をマークして以来、翌年以降も23・24・21・21勝と5年連続で20勝投手になった。だが昭和47年から急激に勝てなくなった。特に昭和48年は11勝とエースの称号に相応しくない成績で限界説まで囁かれた。それまでの力投型から多彩な変化球を駆使する技巧派への転向に成功し、昭和50年には22勝を上げ4年ぶりに20勝投手に返り咲いた。それだけに今季は2年連続の20勝投手を目標にしている。「昨年の成績が本物かどうか懐疑的な周りの目を意識している。何としても達成したい」と執念を燃やしている。20勝の壁を越えれば今季中にも通算200勝に手が届く。

今季21勝目が通算200勝となり個人的には大きな目標達成となるが、チームのことを考えると心が痛む。現在のパ・リーグ後期のペナントレースは首位争いが混沌としていて目が離せない。ロッテ、阪急、南海が横一線で並び日替わりで首位が入れ替わる。エースとしてその争いに加われない悔しさが鈴木にはあるのだ。「後期のスタートで勝てなかったのが本当に悔やまれる。僕自身あの時に今のようなペースで勝てていればウチも首位争いに加わっていた筈だ。あの時の足踏みが無ければ…」とエースとしての責任を痛感している。全ては後の祭りだが個人記録の20勝と通算200勝の目標は残っている。「あと3つ、いや4つ勝つだけです。例え消化試合と言われても力の限り投げ続けたい」と語気を強めた。



自信あるのはフロントだけ?
ファンも小首かしげる地味なドラフト指名
「6番目のクジ順にしてはまあまあの選手が指名できたと思っています」と中島スカウト部長は満足そうに話すが、ここ最近のドラフトは地味な選手の指名が続いている。かつては甲子園のアイドル・太田幸司や春のセンバツ優勝投手の仲根正広などを指名して話題となった近鉄だが、一昨年は福井(松下電器)、昨年が中野(東海大二)、そして今年も久保(柳川商)と1位指名にしては地味だ。フロント陣は「ネームバリューよりも実力派を狙った」と言うがファンにしてみればそう楽観はしていられない。「福井の時だって球団は自信満々だったのにまるで使い物にならんでしょ。中野なんて今どこで何をしているのやら」と呆れ顔。そこでフロント陣が自信を持って?指名した6人を紹介すると
 
   ①久保康生(18)投手 柳川商
   ②石原修治(18)遊撃 我孫子
   ③応武篤良(18)捕手 崇 徳
   ④渡辺麿央(20)投手 日鉱佐賀関
   ⑤山本和範(19)投手 戸畑商
   ⑥市川和正(18)捕手 国 府

なんとも地味な顔ぶれである。しかも1位に指名された久保は近鉄に対して好印象を持っていない。「巨人か広島に行きたかった。近鉄?好きも嫌いもありません。ここが好き、ここが嫌いという判断材料が無い。興味が無いんです(久保)」と何とも素っ気ない。また久保の父・義行さんも「こんなことを言ったら失礼ですけどセ・リーグの球団に指名されたら万々歳だったんですけどね」と落胆を隠さない。だが久保はプロ一本に絞り進学や就職の準備をしていなかったので近鉄入りはほぼ確実だ。

一方で中島スカウト部長が今回のドラフトで最も期待しているのが2位指名の石原だ。中央球界では無名の千葉県我孫子高で走攻守三拍子揃った大型遊撃手。この選手の話になると中島スカウトは「素晴らしい選手ですよ。直ぐに一軍で活躍できる逸材です」と目を細める。この石原も入団はほぼ間違いない。だが3位指名の応武と5位指名の山本は進学を希望している為に交渉は難航が予想される。ただし今現在は各選手とも指名の挨拶程度で本格的な交渉には至っていないので今後の条件提示など具体的な交渉が始まると情勢は変わる可能性は残っている。11月下旬には中島部長らスカウト陣が東奔西走に明け暮れるようになる。



トレード話はもうお断り
古傷治し来季に汚名返上を期す神部
「古傷を徹底的に治してすっきりしたよ。もう再発する心配はないよ」と神部投手は大分・別府にある帯刀マッサージ治療院で10日間による施術を終えて帰阪した。神部といえば腰痛や肘痛を思い浮かべるほど怪我に悩まされている。好投手と評価されながら肝心なところで怪我で満足な投球が出来ない悲運に泣かされてきた。そんな神部にトレード話が幾つも寄せられた。「治療は勿論だけどトレードの話題を聞かされるのが嫌で大阪を離れたんだ」と九州行きの理由を語った。神部は西本監督の信頼厚く2年連続で開幕投手を任された。しかし結果はいずれも無残なKO。

「トレード話が出るのは成績を残していないからでしょう。勝てていればそんな話も来なくなると思います。モノは考えようでトレード話はあるのは他球団は自分を評価してくれている証拠でもあると前向きに考えていきたい。でもやっぱり来季は好成績を残してトレード話は封印したいですね」と、治療の効果に意を強くしている神部。来季の目標を問われると「リーグ優勝をして日本シリーズに出ること。個人的には防御率2点台、15勝を目指します」と明言した。期待されながらその期待に応えられなかった今季の神部。来季こそその真価が問われる時である。
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# 618 週間リポート・阪急ブレーブス

2020年01月15日 | 1976 年 



我が辞書に敗戦の文字は無い
前期制覇決定? パ・リーグの灯を消す独走
とにかく凄い開幕ダッシュだった。先ずは開幕戦をエース・山田投手が完封勝利。翌日は足立投手が味方の守備の乱れで負けたが、その後は『阪急の辞書に敗戦の文字は無い』とばかり勝つわ勝つわ。4月4日の近鉄3回戦から13日の南海1回戦まで先発投手がオール完投で勝利し、「もうパ・リーグの灯は消えた」と他球団のファンはお手上げ状態。開幕前は山口投手が右膝挫傷、加藤選手が右足首捻挫と投打の主力に故障者が出て連覇に赤信号が点滅していたのがウソのような快進撃。特に山口を欠いた投手陣は山田、足立、戸田らが踏ん張り、またロッテ2回戦では白石投手、同3回戦では大石投手が「嬉しい誤算(上田監督)」の完投勝利を収めた。

とりわけ大石は完封のおまけ付き。完封は勿論、完投も広島時代の昭和49年5月の対ヤクルト戦以来で「まさか大石までやってくれるとは」と梶本投手コーチも驚いた。開幕から8試合で7勝1敗、この間の防御率は0.97 と驚異的。セ・リーグトップの中日投手陣の防御率は2.57 だから如何に阪急投手陣の奮闘ぶりが分かる。加えて援護する打撃陣も凄い。開幕の近鉄戦は初回に3点を上げると2回にはパ・リーグ新記録となる9連打・8得点。その後も打つわ打つわでぶっちぎりの独走も頷ける。この状況に上田監督も満面のえびす顔かと思えばそうではない。「いずれこの反動が来る。その時に備えて勝てる時に勝っておく。周りから勝ち過ぎと文句を言われてもね(上田監督)」と。



それはないですぜ、カネやん
ロッテとのトレード全面拒否で長池の残留決まる
ロッテ側から譲渡の申し込みがあった長池選手について渓間球団代表は「いくら欲しいと言われてもハイそうですか、と簡単に出せる訳がありません。彼ほどの功労者は大事にしないといけない。放出は有りえない」と長池譲渡の意思がない事を明言した。長池の周囲が騒々しくなったのはそもそも金田監督(ロッテ)の発言が原因である。「阪急には長池の他にも高井というDHに適した選手がいる。どちらかがベンチの控えでは勿体ない。是非とも長池をウチに譲って欲しい。見返り?村田・三井・弘田・有藤以外やったらOK(金田)」とぶち上げた。

過日のパ・リーグ理事会終了後においてロッテの西垣球団代表が渓間球団代表に直接長池譲渡を申し入れた。阪急としてもウィークポイントだった三塁手を中日から島谷選手を戸田投手と大石投手の2人を見返りにトレードで獲得した直後で投手陣が手薄になり、長池の件は一考の余地があるとして検討を始めた。ところが金田監督の発言通りにはいかなかった。前述の4選手以外の選手を阪急側が要求してもロッテ側は拒否。ロッテ側が挙げた選手を阪急側は必要としない。何度かの交渉の末、両者は合意に至らずこのトレード話は御破算となった。確かに今季の長池は精彩を欠いたがその原因はキャンプでの故障(右足ふくらはぎの肉離れ)で、怪我さえ治れば従来の強打者ぶりを発揮できると考えた球団側は譲渡に応じられないとの結論に至った。


長池の経歴はMVPが2回、本塁打王が3回、打点王も3回など華々しい。それをたった1年くらい成績を落としたからといって釣り合いの取れないクラスの選手とトレードしたとあっては球団の見識を疑われてしまう。「ウチはそんな冷淡な球団ではない(渓間代表)」と。渦中の長池本人も「トレードされるならユニフォームを脱ぐ」と言い切り態度を硬化させていたが、渓間代表の言葉に安堵の表情を浮かべた。「こんな騒動になったのも元はと言えば自分の体調管理が出来なかった事が原因。来季はトレード話が出ないようにしっかり調整し結果を残したい」と長池は復活を誓った。



狙うは球団初の2000万円
栄光のV2達成で果たして加藤、福本が大台に乗るか?
いよいよ契約更改の季節が来た。 " 悲願の打倒巨人 " でV2を成し遂げた阪急ナインの胸算用は皆が皆、大幅アップ。何と言っても注目は球団初の2000万円プレーヤー誕生が成るかである。現在No,1高給取りは加藤秀の1680万円。加藤は今季も打率3割越えで打点王。28本塁打は自己最多で貢献度はピカイチ。また福本は7年連続盗塁王。昨季は打率.259 と不振だったが今季は打率.282 まで上げた。2人とも大台は確実視されているが球団側は意外にも強気である。「日本一の報酬は日本シリーズの分配金できちんと出している。来季の年俸と日本一はあくまでも別物。連続日本一でも青天井で上がる訳ではないです」と山下常務はピシャリ。
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# 617 ニュー・ジャイアンツを担う ➋

2020年01月08日 | 1976 年 



常時出場を願うファンの声にもクールな男・淡口憲治。川上監督の持論「今の高校生は2~3年は二軍で鍛えないと使えない」を覆す例が淡口だった


昔の人に好かれる " 黙々 " 努力型
1㍍73㌢・76㌔、プロ野球選手としては小柄な部類の淡口だが高卒1年目の春季キャンプでいきなり二軍から一軍へ昇格し、オープン戦にも出場した。川上監督に淡口を推薦したのは白石二軍監督。「足腰は既に完成している。パワーもある。まるで哲っちゃん(川上監督)が入団して来た時とそっくりだ。性格も真面目で浮ついた所はまるでなく二軍に置いておく理由はない。レベルの高い一軍で勉強させた方がチームの為にもなる。近い将来レギュラーになれる選手だ」と太鼓判を押した。がっちりした体躯、いかにも芯の強そうな面構えは川上監督好みの選手というより昔気質のオジサンに好かれるタイプだった。

中学時代のあだ名は「オッサン」。頼られ信頼される要素を当時から持っていたのだろう。淡口の経歴は神戸で生まれ育ち本山第一小学校5年生の時に少年野球チームに参加。6年生の時に神戸市の東灘大会でエースとしてベスト8まで勝ち進んだ。中学では1年生から一塁手のレギュラー。2年生からはエースで東灘大会で準優勝。その頃から将来は阪神の選手になる事を夢見ていて「村山さんの大ファンでした。甲子園にはよく巨人戦を見に行って巨人の選手を野次ってました(笑)特に国松さんを野次ってましたね、代打で出てきてよく打っていたので憎らしい存在でした(笑)」

昭和43年に三田学園に進学。報徳や育英など強豪校がいるこの地区は練習も凄まじい。当然ポジション争いも熾烈だが1年生から補欠ながら14人のベンチ入り選手に選ばれた。上級生には今は同僚の山本功や羽田(近鉄)がいた。1年生時のポジションは遊撃、三塁。2年生で外野のレギュラーとなった。打撃では三番を任され第42回・43回選抜大会に連続出場し共にベスト8だった。甲子園では通算3割3分台を記録し一躍プロ注目の選手に。昭和45年のドラフト会議で巨人が3位で指名した。「阪神が第一希望でした。5位以下だったら法政大学に進学するつもりでしたが3位指名だったのでプロ入りを決断しました(淡口)」


アガって死人のようだった初舞台
さて巨人入りしてからだが昭和46年には5試合に出場した。「プロデビューは川崎球場の大洋戦でした。相手投手は平松さん。代打だったんですが川上監督からは自分のバッティングをしてこい、と言われました。でも緊張で足はガクガク、心臓はバクバク。打席に向かって歩くのも一苦労でした。結果は平松さんのカミソリシュートを引っかけてショートゴロ。ベンチに戻ると先輩から顔色が真っ白だと言われました」。だが淡口の巨人入りは絶好のタイミングだった。川上巨人は後半を迎えて次代を担う若手選手の発掘が重要課題だった。王・長嶋が健在なうちに次期クリーンアップ候補を探していた。

昭和47年のキャンプでは川上監督直々にカーブ打ちを伝授された。川上監督は淡口に「俺も初めはカーブが打てなかった。先ずはカーブの曲りの軌跡を見ることから始めなさい」と教えた。そして普段の練習方法にも触れて「全てを自分中心でやること。相手に合わせるのではなく自分から動くように。主導権を握れば自ずと結果は出る」との教えは今も淡口の支えとなっている。初本塁打は昭和47年6月の大洋戦(後楽園)で坂井投手から放った。「ベースを一周してベンチに戻った時、三塁とホームベースは踏んだけど一・二塁ベースを踏んだ記憶がなくて焦ったのを憶えています(淡口)」と初々しい一撃だった。

現在の淡口はまだ明日のクリーンアップ候補のままでレギュラーを獲得していない。現在のままでは不十分である。先ずは苦手の左腕投手を克服しなければならない。「去年の秋季キャンプで左投手も打たせて欲しいと国松さんに申し出たんですけど、左も右も打ち方は同じ。先ず自分の型をしっかりと作る事に徹しろと言われました。そこで今はフォーム固めをしています。毎試合出場してファンの皆さんの声援に応える為にも必ず左投手を克服します」と淡口は話す。私生活では食事を摂る際には必ずサラダを追加するなど健康面も気遣う。愛車はコスモ。このあたりもクールさが現れているが、一歩一歩着実に階段を昇っていくことは間違いないだろう。
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# 616 ニュー・ジャイアンツを担う ➊

2020年01月01日 | 1976 年 



一見やさ男の奥にある巨人イチの心臓男、小林繁・・1㍍77㌢、体重62㌔ 決して大きく見えない。背広を着ればむしろ華奢に見える。そんな男が優勝へ邁進する長島巨人投手陣の大黒柱である。目下16勝と堂々たるエースだが何故か巨人ナインの中で目立たない。小林繁とはどんな男なのだろうか?

カモの田淵に打たれるなんて
小林は9月15日の対阪神20回戦(甲子園)に先発した。小林はもともと阪神戦は相性が悪く苦手にしていて阪神戦は先発ローテーションを飛ばされていた。しかし9月13日からの甲子園3連戦に長島監督は堀内、加藤、小林の先発を決めていた。悪くても2勝1敗。あわよくば3タテを目論んでいたが堀内、加藤が揃ってKOされて小林が最後の砦となった。エースに昇りつめた小林だがライバル阪神戦に必要とされなかった悔しさを胸にマウンドへ上がった。しかし結果は単調な投球に陥り、田淵に3ランを浴びて負けた。試合後に取材を受けた小林は「一番のカモと思っていたのに打たれた」と発言。阪神のスターで大先輩の田淵をカモ呼ばわりした事に記者達は驚いた。しかしこの発言は田淵を卑下したものではない。小林の投球スタイルは大振りする打者は御しやすいカモである。田淵はまさに『大振りする打者なのに・・』を思わず省略してしまった為に「カモ」と言ってしまったのだ。そう、小林は意外と短気なのである。

裏日本育ち、小林の負けん気
小林は「自分の取り柄は人一倍の負けん気」と言ってはばからない。負けん気が無ければ裏日本の町に生まれ、由良育英高という中央球界で無名の高校からノンプロの大丸を経て、決して有望視されていたとは言い難いドラフト6位で指名された巨人軍のエースに昇りつめることは出来なかったであろう。「僕の投球スタイルは全て自己流です。誰からも教わっていません」と言い切る。普通は憧れの選手とか自分の体型と似た先輩を参考にするものだ。しかし小林にはそれが無い。だから変則投法と言われても「今の投げ方が一番しっくりしている」と反論する。巨人イチの強心臓男はさすがに自尊心も高い。

だが負けん気も自尊心も限界がある。自分の能力を正しく評価する必要がある。「入団した時、藤田コーチ(当時)にお前は自分では速いと思っているようだがそのスピードじゃプロでは通用しないよ、と言われて大ショックでした。でもすぐに変化球に磨きをかけなければと気持ちを切り替えました(小林)」と当時を振り返るが、こんなクレバーなところも小林の長所でもある。「ノンプロ時代の変化球はカーブ、シュートくらい。今はスライダー、シンカー、ナックル、フォークと増えました」と胸を張る。縦の変化も加えたことで投球の幅が増して勝ち星につながった。「今年勝てているのはバックが点をたくさん取ってくれたお蔭。相手は打たなくてはと力んで大振りしてくれる」と自己分析をする。


目指す20勝を狙うが故の焦り
投手として大成する過程での負けん気は結構なのだが、試合中にそれが頭をもたげると良い結果が出るばかりではない。夏場にちょっとしたスランプに陥った。「僕みたいな痩せている選手は相手にスタミナがないと思われるのを嫌う。それで敢えて力勝負を挑む事がある。力で捻じ伏せてやろうとムキになって一本調子になって打ち込まれてしまったと反省している」と。現在16勝であと6試合くらい先発する機会がありそう。「こんなチャンスは滅多にないので20勝を狙いたい」と意欲を見せるが焦りは禁物。つい抑えようと本来の投球パターンを忘れて自滅してしまう投手は多い。「タイトルや数字は狙うものではない。ベストを尽くした結果に転がり込んでものなのだ」と語った王選手の言葉を小林に贈りたい。
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