Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 650 サッシーのお値段

2020年08月26日 | 1976 年 



去る12月8日、長崎市内の東急ホテルでは時ならぬ地元名士が顔を揃えて『酒井圭一君ヤクルト入り』の大パーティーが開かれた。久保長崎県知事、諸谷長崎市長、長崎市助役、その他長崎財界の大物が顔を揃えた。はるばる東京から駆けつけたマスコミを含めて報道陣はざっと50人、テレビカメラ4台、地元ニュースカメラ6台。ヤクルト・松園オーナーのお膝元とあって長崎では前代未聞の大パーティーだった。そのきらびやかな席で当の酒井は大きな体を小さくして蚊の鳴くような声でインタビューに応じていた。また入団交渉の席で担当スカウトらに「是非とも松園オーナーにお会いしてお願いしたいことがある」と直訴していた父親・酒井義員さんは、お願いを口にするどころか感極まって泣き出してしまった。

一方の松園オーナーは得意満面で酒井親子に対して「契約金は退職金と思わずお父さんが自由に使いなさい。圭一くんにはマウンドで自分の右腕で稼ぐという気持ちを持ってもらいたい」と声をかけられた義員さんは更に大泣きしてしまった。祝福される酒井家側より松園オーナーの方が目立つこととなった。そんな酒井親子を見つめる松園オーナーは意外と苦労した入団交渉を思い出したのか感慨深げだった。相思相愛で交渉はすんなり運ぶものと思われていた。交渉初日こそ挨拶程度で済まし、翌日には条件提示、翌々日には仮契約というのがヤクルト側の算段だった。ところが、豈図らんや契約完了まで実に16日間を要した。

しかも提示した条件が当初の契約金2000万円・年俸240万円から徐々にアップして最終的には契約金は手取り3000万円にまでなった。一時は手取り2800万円で合意しかけたが酒井家側が一夜にして拒否。ヤクルト側が3000万円を了承すると今度は引退後の身分保障を求めてきた。その時は『悪いようにはしない』という口約束でケリをつけたが、交渉は終始酒井家側のペースで行われた。「松園オーナーの『圭一くんの右腕で稼げ』という発言にはその時の皮肉が込められているんじゃないですかね(ヤクルト担当記者)」と。12月11日に外遊を控えた松園オーナーの為に何としても年内に入団発表をしたいヤクルト側の思惑を見事に突いた酒井家側の完勝だった。

手取り3000万円は税込みだと3740万円になる。税金は最初の100万円に対しては10%、次の100万円には20%と段階を踏んで徴収されて計740万円となる。これだけの金額をヤクルト側に負担してもらうことに成功した酒井家だが、実は税金はこれだけではないのだ。契約金を手にするとヤクルト側が負担する740万円の他に来年の3月迄に確定申告をして所得税を納めなくてはならない。今回は3000万円の収入に対し所得税約1200万円が発生するが、源泉徴収で納める740万円を差し引いた460万円を酒井家は納めなければならない。更にほぼ同額の地方税460万円もあり酒井家が3000万円を丸々手に出来るわけではないのである。

華々しいプロ生活をスタートした酒井だが厳しいプロの洗礼が待ち受けている。最近の高卒ドラフト1位選手たちはあまり活躍できていない。数少ない頭角を現した選手は昭和47年の鈴木孝投手(中日)と昭和48年にプロ入りし3年かかって新人王になった藤田投手(南海)くらいで、昭和49年の土屋投手(中日)・定岡投手(巨人)・永川投手(ヤクルト)らはまだまだ期待に応えていない。センバツ大会で優勝した仲根投手(近鉄)は全くの鳴かず飛ばず状態だ。今回の大騒動は酒井本人のあずかり知らぬ事態だが、周りの大人たちの言動に振り回される若者が気の毒なのは間違いない。


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# 649 週間リポート ④

2020年08月19日 | 1976 年 



ヤクルトスワローズ:ハッハ張本か若松か?
" 一日天下 " ではあったが若松選手が張本選手を抜いて打率トップに躍り出た。今シーズン最後の対巨人4連戦初戦の第3打席で右前打して、無安打に終わった張本を1厘上回ったのだ。「最後に笑えれば最高だけど、こういう競い合いではとにかくトップになっておくことが重要なんだ」と若松は取り囲む報道陣を前に笑顔を見せた。本格的な打率争いが始まって4ヶ月、ホプキンス選手や王選手らが次々と脱落する中で、7月からトップの座を2ヶ月以上守ってきた張本を引きずり落しただけにこの日の若松は饒舌だった。

もっとも翌日の試合で2安打した張本に対して若松は1安打に終わり再び1厘差の2位に落ちてしまった。厘どころか毛の争いとなるとグラウンドでの戦いだけでなく、心理戦・舌戦の舞台裏の戦いも熾烈になる。「若松?なかなかやるねぇ。でもだいぶプレッシャーを感じているみたいだな。それは俺も同じ。打率1位は若松、首位打者は俺」と凡人には理解不能な話をする張本。対する若松も「ハリさん?とにかくヒットを打つのが上手い。でもハリさんにはない若さが僕にはある」と負けていない。

直接対決で1試合毎に1厘ずつトップ張本と2位若松の差が広がり5厘3毛差となったが若松はまだ諦めていない。2安打、3安打と固め打ちする張本に対して若松は4タコ(4打数無安打)となる寸前の最終打席で安打を放って何とか踏みとどまってきた。今までの若松なら4タコで終わるところを最後に安打するあたりはストップ・ザ・張本に並々ならぬ執念を感じる。いずれにせよ昭和29年の与那嶺選手(打率.361)、同36年の長嶋選手(.353)、同48年の王選手(.355) 以来の3割5分を超える高打率で決着しそうな首位打者争いである。


大洋ホエールズ: " 大洋ホエールズ " が消える?
巨人と首位争いを繰り広げる阪神を迎えての3連戦。1勝1敗の後の3戦目は先発の根本投手が打たれて3回表終了時点で5点のビハインドとなった。ところが5回裏に高木、中塚選手の長短打で2点を返すと6回裏には先発の上田投手から代わった安仁屋投手を攻めて松原選手が3試合連続の33号ソロで2点差まで詰め寄り、7回裏に高木選手の6号ソロ、8回裏に米田選手の3号ソロとシピン選手の30号ソロで勝ち越して阪神に逆転勝ちし3連戦を勝ち越した。

阪神だけに勝っては片手落ちだと言わんばかりに「来週の巨人戦も一泡吹かせてやろうぜ」と気勢を上げ、練習にも熱が入った巨人戦2日前に一部スポーツ紙に『大洋が身売り』と派手な見出しが躍った。「エッ、本当かよ。冗談じゃないよ、嫌なこと言うなぁ」と選手たちは練習どころではなくなった。「やっぱりチームが弱いといかんなぁ。好き勝手なことを書かれる。それにしても今回の記事は酷い。身売りとなるとホエールズだけでなく親会社の大洋漁業本社のイメージダウンにもなる。道義的にも許せない記事だ」と秋山監督もカンカン。

事の重大性を鑑みて看過できないと判断した横田球団社長は練習前に選手を集めてシーズン中としては異例となる訓示をした。「10年、15年先のことは分からないが今現在、報道された話は絶対にないので心配しないように」と球団の経営内容まで詳しく説明して選手らの動揺を抑えた。それにしても今回のような騒動は15年ぶりに最下位になったことも影響しているのかもしれない。「やっぱり勝負事は勝たなくてはダメ。チームが最下位になんかなるから、有る事、無い事好き勝手に書かれる」と某ベテラン選手が言った言葉が今シーズンの大洋の悲哀をしみじみと感じさせた。


読売ジャイアンツ:コージ! コージ! コージ!
8月24日のミーティングで黒江コーチが「ワンちゃんが試合に出られない。今こそ全員一丸となって頑張ろう」と発言し巨人ナインに緊張が走った。「昨日の練習中に土井と駆けっこになって、負けないぞとダッシュをしたら腰がキーンと痛くなった。情けないやら恥ずかしいやら(王)」と反省しきり。この王の欠場に目の色を変えたのが若手選手たち。「代わりに俺が指名されると思った(柳田)」「俺も一塁なら守れる(原田)」「本職は外野だけど俺が(淡口)」など代役を志願する選手が多い中で指名されたのがルーキーの山本功選手。

王に代わって一塁手としてプロ入り初めてスタメン出場すると打つわ打つわの3安打の猛打賞。全得点に絡む大活躍だった。ところがである、この活躍にベンチの反応は「おいコージ、ヒットくらいで喜ぶな。王さんの代役なんだから一発を打たなアカンぞ」と巨人ナインから手厳しい祝福が。これには山本も「そんなにプレッシャーをかけないで下さいよ。ヒットを打っても1本じゃダメ、全打席ヒットでも王さんの代わりは務まりませんよ」と大きな身体を小さくして反論する姿にベンチは大爆笑。王欠場の沈滞ムードは一掃された。

そんな山本功と同期入団のドラフト1位指名の篠塚選手も二軍戦ではあるが頭角を現し始めてきている。8月18日の対日ハム戦(千葉)で二番で先発出場するや第1打席でいきなり川原投手から右翼席へプロ入り第1号本塁打を放った。「打った瞬間、手ごたえは十分でダイヤモンドを回りながら " やったぞ " と心の中で叫びました(篠塚)」と嬉しさを隠し切れない様子。21日の試合でも宇田投手から第2号を放つ大当たり。関根二軍監督は「今年1年は体力作りに専念させようと考えていたが、やはりバットコントロールなど野球センスは抜群で試合で使いたくなる」と絶賛する。山本功に負けず一軍デビューは意外と近いかもしれない。
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# 648 週間リポート ③

2020年08月12日 | 1976 年 



広島東洋カープ:ドクター・ホプキンス帰る
公式戦がまだ残っているのにホプキンス選手が日本を離れアメリカに帰国した。怪我の治療をしにとか身内に不幸があったとかではない。入学が決まっているシカゴのラッシュ大学医学部の授業に1ヶ月遅れで出席する為だ。まだシーズン中なのに、と感じるファンも多いだろうが球団との契約条項に「優勝の可能性が低くなった場合はシーズン途中でも帰国できる」と記されてあり仕方ない。「残念ではあるが本人の勉強のことを考えるとやむを得ない」と重松球団代表も容認している帰国だ。

ホプキンスは来年の1月と5月にインターンの試験を受けるので仮に広島に復帰するとしても来年の6月以降となる。ただし復帰しても野球を続けるのは来年までと決めている。ホプキンス本人の野球への情熱は大変なもので「6月からプレーしてもカープの優勝に貢献できる自信がある。カープもカープファンも大好きなので再びカープのユニフォームを着てプレーしたい」とチーム復帰に意欲を見せる一方で「カープがダメなら他球団でプレーしても構わない。カープも好きだが日本が大好きなんだ」と。

昨シーズン悲願の初優勝を遂げた広島カープ。その陰のMVPと言われたのがホプキンス。今シーズンも10月4日現在、打率.332 で打撃10傑の4位とチームには欠かせない戦力で戦列復帰は願ってもないことだが、どうも引っかかるのが復帰が6月以降になること。「ウチでプレーするかどうかはシーズン終了後に来季のチーム構想を検討する時点で決める」と重松球団代表は慎重だ。さてさて結果はどうなるか注目である。そのチーム構想に影響しそうなのがルーキーの北別府投手。一足先に一軍入りを果たした同期入団の小林投手を追い越し、今では先発ローテーションに食い込んでいる。

14回 1/3 イニングで被安打12、失点8と数字は今一つだが長身から投げ下ろす速球は威力充分で早くも " 外木場二世 " の評判しきり。カープでは3文字姓の投手は大成すると言われている。安仁屋、外木場しかり、かつて小さな大投手と言われた長谷川良平氏も3文字。首脳陣の期待も大きく既にアメリカの教育リーグに派遣されることが決まっている。「もっと場数を踏ませたいが30イニング以上投げると新人王の資格を失ってしまう。悩みどころだね」と古葉監督も苦悩している。


中日ドラゴンズ:ウワサはバットで吹っ飛ばせ
「トレードに出されようがもう何でもいいんだ。どうにでもなれだ」という井上選手は終盤戦の大詰めになって気持ちが吹っ切れたようだ。最近はひところのような切羽詰まった表情は見受けられない。気持ちがスッキリすると不思議なもので、あれほど迷いに迷って狂いっ放しだった打棒が生気を取り戻してきたのである。9月下旬の対巨人24回戦で久しぶりに試合を決める一発を放ったと思えば、続く対ヤクルト22回戦では9回表に勝ち越し3ランを安田投手から奪った。

走者を2人置いて代打に起用されボールカウントは0-3。「こんな場面なら絶対ストレートを投げてくる。少々ボール気味でも思いっきり振ってやろうと思った(井上)」打席でこれだけ余裕が出たのは久しぶりだった。井上の3ランで勝利した与那嶺監督は口では「よくやったょ」と褒めたが内心は複雑な思いだったに違いない。というのも今回のトレード話は与那嶺監督が主導していたものだったからだ。「井上は貴重な戦力だ。来シーズンは復調して活躍してくれる筈だ。トレードなんてとんでもない」と一部球団フロントはそれ見たことか、と言わんばかりに与那嶺監督を非難した。井上にとって価値ある一発だった。


阪神タイガース:暑く長~いロードは終わった
阪神にとって今年の夏はことのほか厳しかった。長期ロードに出た23日間の戦績は6勝10敗2分けでロード前は2ゲームだった首位巨人との差も6ゲームに広がり、終わってみれば文字通り死のロードだった。阪神ナインは24日、静岡から新幹線に乗り帰阪し久々に我が家へと戻った。「いろいろとアクシデントもあってキツかったですな今年のロードは。せめて5割で乗り切りたかったけど残念です。やっと甲子園に戻って腰を据えて戦えるので仕切り直しですわ」と吉田監督は前向きだ。

確かに今年のロード期間中はアクシデントが多かった。打線の中心であるラインバック選手が右手親指の故障で欠場し、もう一人の助っ人・ブリーデン選手は妻の父親が急死し帰国を余儀なくされた。2人が抜けた打線を補う救世主も現れず攻撃陣はガタガタに。ところが甲子園に戻った25日の広島戦は水を得た魚のように打ちまくったのだから、いかに厳しいロード生活だったかが分かる。前日に戻って来たブリーデンは「チームが大事な時に帰国して申し訳なかった。この借りは返す」と即スタメンに復帰しタイムリーヒット。ラインバックも代打で登場しタイムリーを放つなど巨人を猛追する為の役者は揃った。

ダメダメな打撃陣の中で孤軍奮闘したのが21歳の若武者・掛布選手だ。ロード期間中は64打数24安打・打率.375 と打ちまくった。ロード最終戦の対大洋20回戦ではチーム全得点を1人で叩き出した。前日に受けた死球も問題なしのまさに " 群鶏一鶴 " の大活躍だった。掛布は大洋戦前の札幌からの移動日に習志野市にある実家を訪ねた。掛布は両手いっぱいの北海道みやげの他にバットを持参した。実家の庭にある素振り場でスイングの練習をする為に。こうした努力が成長の支えとなっている。「他の連中は情けないが掛布はアッパレや。普段から野球に対する取り組む姿勢が違う」と山内コーチもベタ褒めだ。
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# 647 週間リポート ②

2020年08月05日 | 1976 年 



近鉄バファローズ:目的はプレーオフ観戦だが
来季の戦力アップを目指す近鉄が現役大リーガーの獲得に動き出している。中島スカウト部長は10月4日夕刻、羽田発の日航機で渡米した。表向きは9日から始まる大リーグのプレーオフの観戦・視察となっているが、実際は新外人を探すのが目的とされている。現在はジョーンズ選手とロリッチ選手ともに残留させる方針だが正式には決定していない。中島部長が現地で目星をつけた選手と交渉して獲得の目途がつけばドラフト会議後の11月下旬に再渡米して正式契約をする算段だ。そうなった場合、本塁打王のジョーンズは残留、ロリッチは解雇となる見込みである。

監督契約を延長した西本監督の受諾条件に❶右の強打の外野手 ❷内野の要となる野手 ❸投手陣の強化 が含まれていた。補強の中心はドラフトやトレードだが、不発に終わった場合は外人に頼らざるを得ない。もともと得点力が不足しているうえに小川、伊勢らベテラン選手の衰えが見え始めて特に後期は苦戦を強いられた。そこでジョーンズと並ぶ大砲がなんとしても求められる。しかし昨今の現役大リーガー獲得は以前より厳しくなっている。というのも大リーグは来年から2球団増える為に選手の争奪戦が勃発している。日本で活躍している各球団の外人選手にさえ触手を伸ばしているのだ。

だが山崎球団代表は大リーガー獲得を認めない。「中島スカウトの渡米は前回(6月にも渡米している)のお礼やプレーオフ見学が目的です。外人選手と交渉する予定はありませんし、ジョーンズ選手とロリッチ選手は残留の線で交渉中です。仮に新たな外人を獲得するとしてもウインターミーティング後でしょう」と言うが、この時期に渡米する理由は新外人獲得以外あり得ない。山崎球団代表が本音を明かさないのは前回の渡米で情報が洩れて交渉が上手くいかなったことが原因と思われ、再び獲得に失敗したら責任問題に発展する可能性が高いからだ。球団フロント幹部の一人は「阪神のラインバックやブリーデンみたいな選手が見つかるといいな」とオフレコを条件に話したという。


日本ハムファイターズ:俺の相手じゃ軽すぎたぜ!
大沢親分がまた退場処分された。24日、川崎球場での対ロッテ戦の1回裏のロッテの攻撃中、日ハム先発の新美投手が投じた球の判定を不服として中村球審に抗議をしている際に右手で小突いて中村球審を転倒させてしまい退場となった。大沢監督の退場処分は6月17日の阪急戦(後楽園)に続き二度目。この時は竹村投手のビーンボールまがいの投球に激怒し竹村の頭をポカリと殴り、罰金と7日間の出場停止処分を受けた。1シーズンに監督が二度の退場処分を受けるのは昭和28年の藤本定義監督(大映)以来、23年ぶりの出来事だった。

今回の退場劇の発端は単純そのもの。新美投手がロッテのラフィーバー選手に投じた球をボールと判定されたこと。だが伏線はあった。初回、日ハムの攻撃で一死三塁でウイリアムス選手の時に高目の球をストライクと判定されウイリアムスは不満顔。三塁コーチスボックスにいた大沢監督は何も行動しなかったが、ウイリアムスが打ったサードゴロで飛び出した三塁走者はタッチアウト。更に打者走者のウイリアムスも微妙なタイミングだったがアウトでダブルプレーとなり攻撃終了。大沢監督の抗議は5分間に及んだが判定は変わらずイライラが溜まっていた。「試合開始早々、三度も微妙な判定でしかも全てウチに不利。やってられんよ(大沢監督)」

「手を出した行為は反省するが倒すつもりはなかった。ちょっと押したつもりだったけど、あの人(中村球審)が軽すぎて吹っ飛んじゃったんだ」と弁解するが二度目だけに周囲の声も厳しさを増している。 " 親分 " と呼ばれるくらい血の気が多いのだろうが、面白いのは親分のピンチに選手はあまり奮起せずこの試合を落としてしまった。これには大沢監督も計算外だったようで「三度目は無いよ」と反省しきり。余談になるが大沢監督不在の間は鈴木コーチが監督代行を務め、6月の出場停止期間中を含めて2勝1敗1分けと重責を果たした。


太平洋クラブライオンズ:一振りで決まった首位打者
過保護とか甘やかし過ぎとか周囲からいろいろ言われながらも「首位打者のタイトルをヨシ(吉岡)に獲らせたい」と鬼頭監督は自分自身が首位打者争いの渦中にいるかのような張り切りぶりだ。昨季は同じくライオンズの白選手が江藤前監督の温情?で首位打者をゲットしているが、同じ温情でも白の場合が規定打席数ギリギリの403打席に達した時点で出場しなくなった末に掴んだタイトルだったのに対して吉岡選手は既に20打席も上回っているのだから堂々と胸を張っていい。

それにしても厳しく長い戦いであった。つい10月の初旬までは打率3割を境に3人の選手が僅か1厘2毛差でひしめき合う大激戦だった。なんとか終わりが見え始めたのが前節の近鉄戦2試合を欠場した後の対南海11回戦(平和台)に先発出場した吉岡が2打数1安打で競争相手の門田選手・藤原選手(ともに南海)に水を開けてトップに躍り出た。この試合は既に阪急が前・後期完全優勝を決めた後のいわば消化試合だったが、首位打者争いを見にデーゲームにも拘らず四千五百人もの観衆が詰めかけた。

この試合で鬼頭監督は吉岡を通常の一番から九番に下げた。「相手(門田・藤原)の打席の結果を確認してから打てるから(鬼頭監督)」だそうだが奇策は見事に功を奏した。どうせ吉岡は近鉄戦に続いて出場しないと考えていた門田は動揺したのか一死一・三塁の場面で古賀投手の内角球に中途半端なスイングで併殺打。二打席目も一死満塁の場面でフォークボールに手を出し空振り三振に倒れた。なんとも間の良いことに吉岡に最初の打席が回ってきたのが門田が二度凡退した直後で、気が楽になった吉岡はボールカウント2-2からの5球目を右翼線に二塁打を放った。

「一振りで決まっちゃったね」と試合後の吉岡はウィンクをしてご機嫌だったが、こんな当たりが出たのも鬼頭監督の奇策のお蔭であろう。吉岡は第二打席で右飛に倒れるとお役御免となりベンチに下がった。対する門田は何とか挽回しようとその後も打席に立ち続けたが結果は5打数無安打に終わり、吉岡との差はさらに広がった。門田はその後、大阪球場での試合で安打を放ち何とか首位打者のタイトル奪取を目指すが吉岡とは9厘差の3位、藤原が7厘差の2位だった。優勝や順位争いと関係がなくなったから出来た鬼頭監督の奇策だったが、来年はそんな奇策なしでもタイトルが獲れるよう吉岡には精進してほしい。
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