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Haa - tschi 本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新
納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています
#150 新年合併号
2010年12月29日
|
独り言
どうやら今年も無事に新年を迎えることが出来そうで何よりです。さて、世の御同輩と変わらず
日頃サボっている家庭サービスの埋め合わせをしなければならず、正月は多忙となりそうです。
ですので次回の更新は
1月12日
になりますが、どうか御理解を。。
松沼兄弟(西武) 淡口(巨人)
衣笠(広島) 栗橋(近鉄)
田代(横浜大洋) 田淵(西武)
島田(日ハム) 真弓(阪神)
土井監督(横浜大洋) 中西監督(阪神) 高橋慶・北別府(広島)
大杉(ヤクルト) 小川(近鉄)
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#149 プロ入り拒否した甲子園球児
2010年12月22日
|
1980 年
現在ではドラフトで指名された選手はプロへ行くのが当たり前で拒否する事はケシカランとの
風潮がありますが、どうなんですかねぇ。「指名する・しないはプロ側の自由」「プロ入りする・
しないはアマチュア選手側の自由」なのがドラフトのはずです。指名して「やった」感が球団や
その球団のファンに見えるのが気に入りません。この年のドラフトでは2人の1位指名選手が
プロ入りを拒否しました。日ハム1位・高山投手(秋田商)、阪急1位・川村投手(松商学園) で
共に甲子園大会で注目された逸材です。今でもそうですが、プロ入りを拒否すると密約とか
本人の我が儘と批判されるのが常ですが、この時も当初はそうでした。
「突然の指名でビックリ。日ハムは僕自身に一度も接触が無かったし、たぶん行かないと思います (高山)」
「西武以外にプロ入りは考えていません。社会人からも誘われているし、大阪まで行く気にはなれません (川村)」
両球団に指名が決まった直後に2人ともにプロ拒否宣言、口調は強く落胆の色は隠せなかった。高山はドラフト翌日に学校まで
挨拶に来た丸尾・三沢スカウトにも「会いたくない」とサッサと下校してしまった。自分の希望が通らなかった落胆は理解できるが
こうした態度は失礼極まる。断るにしても一度は会って自らの口から伝えるのが社会の常識である。そもそもプロ拒否は高山の
本心なのだろうか?高山周辺の事情を地元記者はこう言う「父親はプロ入りさせたい意向を持っていた。高山本人も長男として
一家の将来設計もありプロで早く活躍したい気持ちだった。でも恩師の三浦さん(秋田商監督)は、プリンスに行かせたい意向が
強かった。高山は板ばさみだったのでは・・」
一方、川村は当初は「阪急の方とは会いません」と言っていたが藤井編成部長・矢野スカウトが挨拶に訪れると一転、交渉に
応じて「これから何度でも話し合いたい」と態度を軟化、阪急入りの可能性が出てきた。18歳の若さとは、こういうものなのだ
一度自分の胸の中で膨らんだ夢や憧れをサッと切り替えられるほどの術を持ち合わせてはいない。そんな若者に大人の都合を
押し付けてはいけないのだ。
一時は軟化したように思えた川村も結局は高山同様にプロ入りを拒否し、2人揃ってプリンス
ホテルへ進みました。しばらくバッシング報道が続きましたが12月29日号に高山のプロ入り
拒否までの内幕が掲載され風向きが変わりました。
「プロから誘いがあるのを知ったのは、春のセンバツが終わってから」 プロから注目される嬉しさは高山は勿論、大館市に住む
両親にもあった。だがセンバツ大会後に高山の右足に痛みが走る。温泉治療や電気マッサージなどを試すも一向に治癒しない。
痛み止めの注射を打って出場した夏の甲子園大会が終わった頃、進路を大学にとったのも足の故障が原因だった。「充分に足を
直す時間がある所で」がその理由であった。では、なぜ西武ならOKだったのか?痛みの原因は右足親指付け根の種子骨が爪に
当たる事で発するものであったのだが 「ドラフト前の挨拶で西武だけが対処方法を考えてくれたんです。他の球団は体の成長が
止まれば自然に痛みは無くなるって言うだけで・・」 ドラフト後の交渉の席で日ハム側は何の根拠も無く「来年の後半には1軍で
投げられますよ」と言ったそうで、その発言で不信感が募り入団拒否の結論に至ったとの事。
秋田商・三浦監督がプロ入りに反対し、プリンス入りを強硬に薦めたとの報道もキッパリと否定した。地元で巷間ウワサされていた
「監督とプリンスの出来レース」について高山は「プリンスを選んだのは自分の意思です。練習施設などを両親と一緒に見学して
ココなら大丈夫だと思ったんです。それに監督さんが薦めたのはプリンスではなく河合楽器でした。監督さんと河合楽器の監督の
高林さんは知り合いで、高林監督は怪我持ちの選手管理が上手いという事で薦められたのです」と噂を否定した。
自分の贔屓球団を拒否する選手を批判したくなる気持ちも分からなくはないですけど、今では好きな
贔屓球団が無くなった私から言わせてもらうと「行きたい所へ行かせてあげればいいじゃん」 と思い
ますけどね。アカの他人の人生について何故あぁも熱くなるのかプロ野球ファンとは不思議な人種です。
見ず知らずの選手がどこの球団に行こうが、活躍しようが・しまいが自分の人生には全く関係ないのに
仮に完全ウェーバー制にしたとしても囲い込みは無くならないでしょうね。意外なのは広島東洋カープが
ウェーバー制に反対の立場だという事。オーナー曰く、「ウェーバー制はFAとリンクしている。FA資格の
取得期間が短縮されるのはウチとしては困る」・・・独立採算制で資金が豊富とは言えない広島にとって
新たなビジネスチャンスだと思いますけど。ウェーバーで良い選手を安く獲り、FAもしくはポスティングで
高く売り飛ばす。現状ではプロ野球は企業の売名&金儲けの手段に過ぎません。 「プロ野球は地域の
文化的公共財だ」などと言っている輩がいますがそんな綺麗ごとの訳ない。だったら赤字球団は地元の
自治体に赤字の補填に税金を投入してくれるよう要請してみたらどうです?本当に公共財ならば住民は
喜んで税負担に賛成してくれますよ。
コメント (1)
#148 代理人交渉
2010年12月15日
|
1980 年
以前よりはマシになったとは言え、外国人選手との契約は現在でも日本人選手が交わす
統一契約書だけではなく、特約条項を盛り込んだ選手側に有利なモノです。先日、巨人の
オビスポ投手が日ハムへトレードされましたが、これはオビスポ投手が育成選手契約を
経ての本契約だったので通常の外国人選手の契約とは異なり、特約条項が無くトレードが
容易だった為だと思われます。一方、マニエル選手の場合は恐らくマニエル側に選択権が
あった為に近鉄が振り回されたのでしょう。外国人選手に都合の良い契約が結ばれるのは
そもそも獲得交渉の段階で選手側が優位に立っているからでした。
当時は日本の球団が外国人選手を獲得するには友好関係を結んでいるメジャー球団所属
選手を譲ってもらうケース(ex:巨人がドジャースからトマソンを獲得)。或いはメジャー球団を
介す必要の無いフリーの選手を獲得するケース。この場合は、いわゆるブローカーが日本の
球団と代理人との仲介をします。無理難題な契約内容が盛り込まれるのが後者のケースで
当時の外国人選手獲得は圧倒的にこのケースでした。球団関係者でも代理人でもない人に
丸投げする事も多く、無茶な内容が盛り込まれる事も多々ありました。そんなブローカーの
ひとりが記事になっている「トウキョー・トム」ことトム・福井氏です。
・・・先ずは自己紹介を。私は滋賀県の生まれで高校卒業後は社会人野球に進み、南米で結成された新興リーグに参加した
「東京ドラゴンズ」のメンバーとしてカラカスに渡ったのが昭和44年。このリーグは2ヶ月で破綻してしまい、チームも解散して
選手も散りじりになった。私はアメリカに留まる決意をして日系人の世話で日本人街のレストランでピアノを弾き、歌っていた。
このレストランには多くの日本人が来店していたが、その中に田宮謙次郎氏がいた。東映フライヤーズが日拓という会社に
経営されていた昭和48年のことで、成績不振で監督の座を退いた田宮さんは大リーグ視察にやって来ていて、私に通訳を
依頼しに来たのだった。通訳をする事で大リーグの球団関係者とも顔見知りとなり、いつしかトウキョー・トムと呼ばれるように
なり、日本の球団から外国人選手獲得に協力要請の依頼が来るようになった。広島が初の日本一を達成した時のギャレット、
長嶋巨人のジョンソンを仲介したのは私なのだ。実はギャレットもジョンソンも元々は近鉄に行く筈だったのだが私の手違いで
近鉄入りが消えたのだ。後年ジョンソンが「自分の希望は近鉄だったが…」と言っていたが、むしろ巨人で良かったのでは・・
当時は未だ日米間の球団同士で提携関係を結んでいるケースは無く、巨人とドジャースも
友好関係ではあるけれども業務提携にまでには至っていませんでした。そのために日本の
各球団は独自に外国人選手獲得ルートを確保しなければならず不慣れな球団は代理人や
ブローカーの言いなりになりがちでした。当時はまだアメリカ球界のシステムに精通している
日本の球団は少なく代理人とブローカーの区別もつかずに選手側の言いなりの契約を結ば
されるケースも多々ありました。前年に西武が現役大リーガーのスティーブと結んだ契約は
日本人選手には適用する事のない典型的な外国人選手仕様でした。
・年俸は手取り6千万円の3年契約で税金分は球団払い
(手取り6千万円は当時の最高額だった王選手を超える金額)
・日米間の往復航空運賃を年3回分まで家族の分まで球団負担
・家賃、光熱費、電話代、家族のタクシー代、子供の教育費 等 球団負担
・日本国内における事故、病気などに対する損害賠償保険料も球団負担
・3年目の選択権は選手側に
日本には代理人制度は浸透しませんね。当時のトラウマが日本球界に脈々と受け継がれて
いるのでしょうか。代理人の資格を弁護士に限定しているのも違和感があります。選手会は
弁護士以外の資格も認めるようNPB側に要求しているようですが拒否され続けたままです。
税理士や公認会計士の方が弁護士よりも適任だと思いますけど。アメリカでは野球に限らず
多く競技で、選手はアマチュア時代から代理人と契約し入団交渉をまかせて多額の契約金を
手にしています。日本では契約更改を一度で済ます事が「お金に綺麗」で良しとされますが
そんなのは交渉とは言えません。より良い条件を求める事はプロの選手として当然の行為で
「評価 イコール 金額」です。
現在、ソフトバンクの杉内投手が契約交渉で難航していますがこういう時こそ代理人を使って
いるメリットが有るはずなのですが、記者会見は杉内本人が対応するなど機能していません。
契約の詳細やメディア対応など煩雑な事を含めて全てを処理するのが代理人です。だからこそ
多額の成功報酬を得るわけで、アメリカでは選手以上に稼いでいる代理人も珍しくありません。
日本では、一人の代理人が担当できる選手は一人と決められているのも経営者側が代理人を
大金を得られるオイシイ商売にしないように画策しているのではと勘ぐってしまいます。
コメント
#147 ブレーク前の落合博満
2010年12月08日
|
1980 年
今年の日本シリーズでは千葉ロッテに敗れたものの、巨人の四連覇を阻止しリーグ優勝を
果たした落合監督。三冠王をはじめ多くのタイトルを獲得した選手でしたが決して順風満帆な
プロ入りスタートだった訳ではありませんでした。
1年目・・・ 36試合 打率 .234 本塁打 2
2年目・・・ 57試合 打率 .283 本塁打 15
社会人出身25歳のプロ入りで背番号も「6」を貰った訳ですから球団も即戦力として期待
していたのでしょうが、当初はプロのスピードに対応できず2年目も前半戦は1軍と2軍を
行ったり来たりの選手でした。それでも数少ない2軍戦出場で本塁打王のタイトルを獲得
したのは流石です。2年目の1軍での成績は、ほぼ後期だけで記録したものです。
5月10日に第1号を放ってから驚異的なハイピッチでの量産だ。11号を放つまでに要した試合数は僅か24で、2試合に1本。
しかも2軍は1軍と違って毎日ゲームがあるわけではなく、24試合に要した日数は40日間である。1ヶ月以上も調子を維持
した事になる。ただ波に乗ったのではなく、本当の実力が有ればこその快ペースだ。春のオープン戦で得津選手と激突して
左ヒザを打撲し離脱。1ヶ月はバットも振れず復帰したのが5月上旬、5月31日の巨人戦からイースタン記録の5試合連続
本塁打を放った。勝負強さも兼ね備えていて5試合連続本塁打の締めくくりは日ハム戦で延長10回裏にサヨナラ本塁打で
達成したのだ。待望の1軍入りは7月、「1号は憶えてますよ。負けゲームの7回、代打で出て近鉄の鈴木さんから打った。
上では15本を打ちましたが阪急戦で稲葉さんからの2本と、日ハム戦で成田さんから打ったのが印象に残っていますね」
落合のスイングを見ていると力んでいる訳でもなく、本塁打を狙っているようにも見えない。しかし打球は力強くピンポン玉の
ように飛んで行く。中途半端な振りで内野ゴロ・・なんて事はまず無い。間違いなく将来はリーグを否、日本を代表する打者に
なる逸材である。本人に2軍の11本と1軍の15本の違いは何かと聞いたところ即座に「2軍で何本打ってもお金になりません。
僕は野球でメシを喰っているんですから」と。その意気や良し、グラウンドには金が埋まってるだゾ2軍の諸君!ただし落合にも
悩みはある。守りである。本職は三塁だがロッテには有藤がいる為に今は不慣れな二塁を守っている。「守備につくのが嫌で・・
サインプレーなんてとんでもないです。飛んで来た打球を取るのに必死で精一杯です」試合の終盤は守備固めで交代させられ
ベンチに下がる事も多く、これからの課題は守りだ。フル出場できるようになれば本塁打数もさらに増えるのは間違いない。
「ノンプロの時の方がインコースによくバットが出てさばけていた。まだまだ課題は多いです」末恐ろしい打者である。
最近の落合は意識的にキャラを演じているように感じます。先日もファン感謝デーに昨年に
続き参加しなかったと報じられましたが球場に足を運んでいる時点で悪意は無く批判する声を
楽しんでいるかのようです。年俸1億円突破やFA制度で移籍した初めての選手は落合でした。
選手会を退会した落合が、選手会が交渉の末に獲得したFA権利を行使したり、名球会に入る
ことを拒否したりなど群れることを嫌う落合らしい生き方です。一般社会では決して通用しない
生き方を現役を退いた今でも、思いのままにしている様は羨ましい限りです。この記事の翌年
1981年に初のタイトル首位打者を獲得したのを皮切りに大ブレークしました。
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#146 ベイスターズと横浜スタジアム
2010年12月01日
|
1977 年
先日の横浜ベイスターズ売却騒動で問題視された横浜スタジアムに関して興味深い記事が
1977年5月9日号に載っていました。現在、TBSは横浜スタジアムに対して年間8億円の
使用料の支払いに加えて球場内の広告や物販収入は球団には1円も入らず、この事が球団
経営の逼迫要因の一つであるとして契約内容の見直しを求めてきましたが、来年も継続と
なる事で決着したとの新聞記事がありました。横浜スタジアムに関しては大洋ホエールズが
川崎市から横浜市に本拠地移転する際にも、その経営内容を疑問視する声があったようです。
・・・もっとも、(株)横浜スタジアムと大洋球団では契約や営業内容で詰めなければならない問題が山積なのである。例えば
球場使用料でも難航しそうである。目下、大洋と川崎球場とは入場収入の約25%強(推定)の支払いだが、横浜スタジアムは
これを33%程度と見込んでおり大洋にとってこの数字は営業的に厳しい。しかも「売店収入、放送権等の面でも川崎球場と
違って横浜スタジアムの場合はかなり強気な要求を出すだろう(担当記者)」これらの条件を飲んでしまったら実質的に大洋の
収入は増えるどころかマイナスになりかねない。さらに大きな問題が、(株)横浜スタジアムの株主への無料席だ。同スタジアム
設立の株主募集にあたって(一口250万円)株主に対し「向こう45年間のプロ野球公式戦無料招待」と銘打って募集している。
それが当初の800席から設立後の増資も含めると1200席にもなると見込まれている。外野席ならともかく、営業的に最大の
収入となるべきネット裏指定席だから大きい。「いいですか、今年の川崎球場の年間ボックス席でさえ7万5千円。それが
横浜スタジアムでは1年に換算すると5万5千円に下がる。それはいいとしても絶好の収入源である指定席が向こう45年間
しかも1000席を超す数が収入ゼロでは興業は成り立ちません。指定席を1500円として1000席で150万、これがタダ見じゃ
営業も何もあったもんじゃないでしょう。ウチとしても何らかの保証がなければ、いくら立地条件が良くても移転する訳には
いきません」と横田球団社長は言う。
この(株)横浜スタジアムの株が思わぬ波紋を呼んでいる。「45年後には解散して経営権を土地の所有者である横浜市に
戻す」としているが前述したように1株250万円で向こう45年間プロ野球公式戦がネット裏で無料で観戦できる特典に多くの
投資家が注目し始めているのだ。インフレ経済を考えても株価の値下がりはまずない。これほど投資の対象になる物はない。
現に既に株主になった人に「400万円で売ってくれ」といった話もあるくらいだ。
非上場株なので容易に入手は出来ないようですが、(株)横浜スタジアムの周辺には
怪しげな人物がいるとの噂もあり、もしかしたら株券がその筋周辺の人達の手に渡って
いるのかもしれません。大相撲の升席のようにネット裏席にその筋の幹部連中が鎮座
しているのでしょうかね・・・45年間無料って、本当の話なんですかね?株主を募集した
のは確からしいので全くの嘘では無さそうですが。
公園内の旧平和球場を取り壊して横浜スタジアムを建設中
『たけのうち』さんへのお返事…当時のパ・リーグの扱いは想像以上にひどく、記事は勿論
グラビアとなると球団によっては数週間も掲載されない事も珍しくありませんでした。1977年
から西武に売却される1978年暮れまでの号で保存していたのは70冊ほどでしたがライオンズ
関連のモノは以前にUPしたもの以外ではこれだけで、ライオンズの選手が表紙を飾った号は
1冊も有りませんでした。
輝いたのは首位打者になった一瞬、後はジリ貧でした・・・
鬼頭監督・・WHO?
東尾・倉持・若菜・基・真弓・etc 結構いい選手が揃っていましたが・・ついでに伊原春樹も
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