Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 559 KKドラフト ⑥

2018年11月28日 | 1985 年 



どの球団が清原の交渉権を得るのかが今ドラフトの最大の焦点だった。しかし巨人の桑田単独指名で世間の目は一気にそちらに向かってしまった。一連の騒動で西武と巨人以外の10球団の指名選手はすっかり影が薄くなってしまった。それぞれの球団が思いを込めて指名した金の卵たちを紹介しよう


広島東洋カープ1位指名・長冨浩志(NTT関東)
「こんなチャンスは滅多にないですからね。希望したセ・リーグの球団ですし、2年待った(一昨年ロッテに3位で指名された)甲斐がありました」と心は既に赤ヘルの一員に。150km 右腕が唸りを上げる日は近い。



ヤクルトスワローズ1位指名・伊東昭光(本田技研)
お遊びでドラフト会議前夜に自分でアミダくじを作り4回やってみたが、いずれもパ・リーグ球団が当たりだった。本番では希望するヤクルトの他は阪急とロッテが入札した。結果は見事ヤクルトが交渉権を獲得。「開幕から一軍で出られるように頑張ります」と早くも入団の意志を表明した。


日本ハムファイターズ1位指名・広瀬哲朗(本田技研)
ドラフト会議直前に意中の人・紀子夫人と結婚した広瀬だったが、野球の方の意中球団だった中日とは縁がなかった。しかし日ハムの1位指名には満足げである。「後は日ハムさんに " 誠意 " を見せてもらいたい。前向きに考えます」と。東京で新婚生活を送りたい紀子夫人は広瀬本人以上に日ハム指名に大満足のようだ。




横浜大洋ホエールズ1位指名・中山裕章(高知商)
開口一番「光栄です」と1位指名、しかも外れ1位ではなく入札指名を素直に喜んだ。「大洋はセ・リーグだし悪い印象はない。谷脇監督や両親ともよく相談して決めたい」と型通りの言葉ながら既に心は浜っ子気分。周囲にも反対する意見はなく交渉はスムーズに進みそうだ。


阪神タイガース1位指名・遠山昭治(八代一)
「プロに行くなら阪神と決めていました」と話す遠山は父親・肇さん、母親・三千子さんと一緒に自分の事を報じる新聞を読みながら喜んだ。遠山は中央球界では無名だが左腕から繰り出される速球は一級品で江夏二世の呼び声もあり、意外と早く一軍で活躍するかもと評価は高い。


ロッテオリオンズ1位指名・石田雅彦(川崎工)
実力不足を理由にプロ入りせず鷲宮製作所入社が内定していた石田は突然の1位指名に驚きを隠せない。「一生のことなので両親ともよく話し合って決めたい」とこれまでの社会人入り一本からやや軟化している?



近鉄バファローズ1位指名・桧山泰治(東筑)
希望はセ・リーグだったが近鉄の1位指名に「ドラフトは厳しかった。これからは早大進学一本に絞りたい」と落胆の表情。ドラフト翌日の近鉄側の挨拶でも本人、両親ともに近鉄に進学する意向を伝えた。交渉は難航しそうだ。



中日ドラゴンズ1位指名・斎藤 学(青山学院大学)
青学野球部史上初の1位指名を受けた斎藤は「希望していたセ・リーグでホッとしている。相談しなければならない人もいるが、自分としては前向きに考えています」と喜びの表情を見せた。即戦力のサブマリンに中日も背番号「12」を用意するなど相思相愛だ。



阪急ブレーブス1位指名・石井 宏(日本大学)
セ・リーグ希望でドラフト指名当初は難航も予想されたが「阪急は優勝を狙えるチームだし、企業としても優秀なイメージがある(石井)」と態度を軟化させている。大昭和製糸に入社が内定しているが条件しだいでは阪急入りの可能性が大だ。



南海ホークス1位指名・西川佳明(法政大学)
「人気の無いロッテと南海だけは外れて欲しかった」と言う西川だが21日の挨拶に小池編成部長と共に杉浦監督自ら訪問した事にいたく感激。当初の入団拒否の姿勢からやや軟化した。
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# 558 KKドラフト ⑤

2018年11月21日 | 1985 年 
日本一になった阪神もドラフトは最下位?

1位(清原)は5球団と、2位(山野)入札は西武と重複し抽選となった阪神はともに外れ。更に3位入札も近鉄と重複し、これまた外して全敗と散々だった。「よう負けましたなぁ。しかし2位指名の中野君、5位の吉田君は即戦力やし満足してますわ」と吉田監督は苦笑い。抽選に挑んで全敗した岡崎球団社長は「日本一になったうえに希望した選手を全部獲ったら他球団に恨まれますわ」と妙な言い訳に終始した。

日ハムにもう一人の田中幸雄がやって来る

日本ハムが3位で指名した田中幸雄内野手(都城高)は田中投手と同姓同名。これには報道陣も「最高のユーモアだね」とクスクス。高田監督も「どうやって2人を呼べばいいかね?」と苦笑い。日本ハムには他にも田中姓の選手が2人(富生・学)。こうなったらタナカ・カルテットで売り出したらどう?

ハッピーバースデー

昨年のドラフトでは抽選に外れまくって自嘲気味だった西武・根本管理部長。だが今年は連戦連勝だった。清原を射止めたのを皮切りに2位・山野外野手(鎮西高)、3位・原口投手(熊谷商)と続けて当たり。4位と5位は無競争だったが6位・横田投手(那賀高)でまたも当たりクジと無傷の4連勝。奇しくもこの日は60歳の誕生日で、まさにドラフトの神様からのバースデープレゼントだった。

全員投手

今年の大洋のドラフトは終わってみれば1位の中山(高知商)から6位の大久保(長崎海星)まで全員が投手(3位・6位の大川、大久保選手は投手兼任)で、これは12球団初の出来事。特に1位指名に関しては早くから清原ではなく投手、それも即戦力と言われていただけに見事に裏をかかれた。「第二の遠藤になれる素材。限りなく即戦力に近い」と近藤監督も御満悦。

受け継がれたドラフト伝説

過去に荒木(早実)・高野(東海大)や広沢(明大)など他球団と重複した選手を引き当てたヤクルト。" 黄金のサウスポー " と異名をとった相馬球団社長に代わり、今回は田口球団代表が阪急、ロッテと競合した伊東投手をゲットした。左腕をさすりながら「一番下を引いたんだ」とニヤリ。伝説は生きていた。
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# 557 KKドラフト ④

2018年11月14日 | 1985 年 



東京・港区にある日本鋼管の高輪クラブで事実上の巨人入りを決定した桑田は11月23日、午後7時半からPL学園野球部長の高木氏と共に会見に応じ、ドラフト会議後の経緯と早大受験断念についてを語った


記 者…長い話し合いでしたが何を話したのでしょうか?
高 木…早稲田大学を受験するつもりで上京しましたが、到着後に桑田君から心中を打ち明けられました。明日の試験は取りやめました
記 者…それは本人の決断ですか?
桑 田…はい。自分の初志を貫徹したということです。巨人から1位指名されたらプロ入りしよう、巨人以外だったら早稲田に行こうと
    決めていました。いつまでもモヤモヤした気持ちよりもスッキリしたかった。早稲田の方々にも中途半端な気持ちで受験され
    ても困ると言われましたので、受験はしませんと頭を下げて謝りました

記 者…巨人ならプロ入りと決めたのはいつですか?
桑 田…今年のセンバツ大会が終わった頃です
記 者…でもずっと早大進学と言い続けてきました。公然と嘘をついていたのですか?
桑 田…そう思うのならそう思ってもらってもいいです。ただ僕は絶対にプロ入りしないとは言ってはいない。巨人が指名したら
    どうする、と聞かれたら巨人は清原君を指名するのでは、と言い続けていました

記 者…父親の泰次さんの発言では昨日(22日)の時点で結論は出ていたようですが?
桑 田…いいえ。決めたのは今日です。今まで迷っていたので一度、早稲田大学の方に話を聞いてから決めようと思ってましたから
記 者…巨人から指名される予感はありましたか?
桑 田…予感というか新聞に投手が欲しい巨人は伊東さん(ヤクルト1位指名)を指名するのではと書いてあったので、もしかしたら
    僕が指名される可能性も1%くらいあるかなと思っていました

記 者…こうした桑田君の気持ちを高木部長は知っていましたか?
高 木…いいえ知りませんでした。(巨人に指名されて)桑田君も苦しんだと思います。一昨日、涙を流して巨人に入りたいと
    言った彼の姿を見てそれが分かりました

記 者…清原君に対してはどんな思いですか?
桑 田…3年間一緒にやってきたので気の毒だという気持ちです。お互いの進路が別々になっても一生友達でいようと話しました
記 者…桑田君に裏切られたという気持ちはありますか?
高 木…どうお答えしたらいいか・・悩み苦しんだ男の決断ですから立派な野球人になってもらいたい
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# 556 KKドラフト ③

2018年11月07日 | 1985 年 



それを駆け引きと言うのなら、これほど見事な駆け引きはない。顔色ひとつ変えず対応する桑田を見ていると、なるほどあの甲子園のマウンドで修羅場を潜り抜けてきただけのことはあると逆に感心してしまう。11月20日、パ・リーグ広報部長の伊東一雄氏の声で「第1回選択希望選手・読売 桑田真澄・17歳・投手・PL学園」のアナウンスで始まった今回の騒動。事態は二転三転したが、どうにか巨人入りに向かって動き出した。鳥取国体が終了した10月23日、桑田は「100%進学です。僕は早稲田に行きます。巨人?巨人は清原君を指名するのでは」と表明した。野球部へ退部届を出さなかったのでプロ球団関係者との接触を絶ったまま運命の日を迎えた。

桑田はプロへは行かない。それが既定路線だった。だがルール上は桑田を指名する事は禁じられてはいない。アマチュア規定の庇護下にある為に桑田本人と直接交渉は出来ないが学校関係者や親族を介しての交渉は可能。いま振り返ると父親の泰次さんの言動は一貫している事に気づかされる。ドラフト会議後には「巨人から1位指名されて喜ばない選手はいない。向こうが会いたいと言ってきたら会ってもいい」と。翌21日になると「ここまでくると全てが上手く丸く収まることはないでしょう。どこかに迷惑かかると覚悟しています」と巨人入りに一歩踏み込んだ発言。22日には巨人・長谷川球団代表が来阪し学校関係者と泰次さんに挨拶を済ませた後には「息子は明日、上京しますが受験を断る為だと思う」とほぼ巨人入りを認める発言をした。

一方、PL学園研志寮では中村監督と高木野球部長が自らの進退をかけて桑田に早大進学勧告を続けていた。22日の午後9時という異例の時刻から始まった会見で高木野球部長は「桑田君は早大を受験することになりました。明日(23日)上京します」と発表した。しかしこの会見を受けて報道陣から「これで巨人入りは無くなったと理解していいのか?」と問われると「そう願っています(高木)」と如何にも歯切れは悪かった。翌23日の大阪空港でも会見をする予定だったが急遽中止に。追いすがる報道陣に桑田は「僕を信じて下さい。気持ちは変わっていません」とだけ言い残して機上の人となり、舞台は大阪から東京に移った。

羽田空港に降り立った桑田は更に思いつめた表情に見えた。この時すでに気持ちは決まっていたのであろう。同行した高木野球部長と別れ、早大野球部の佐野マネージャーとPL学園OBの加藤外野手と共に日本鋼管の高輪クラブに向かった。そこには早大・飯田監督が待っていた。到着した桑田は自ら東京六大学野球連盟事務局長・長船騏郎氏(早大OB)に電話をした。桑田は飯田監督と駆けつけた長船氏を前に「巨人に行きたい。でもそうすると早大にもPL学園にも迷惑をかけてしまう」と思いを吐露した。長船氏が「早大を受験したら巨人には行けない。私たちからこうしろ、とは言わないので最後は自分で決めなさい」とアドバイスすると桑田は「はい、分かりました」と答えたという。

そして出した結論は早大受験断念。退部届を提出していない為、巨人入りを表明することは出来ないが事実上の巨人入りが決まった。桑田の気持ちは千々に揺れた。一度は早大進学を言い張った桑田が「センバツ大会の頃から巨人なら…」と前言を翻すとは思わなかった。ドラフトには進学を希望する選手を指名してはいけない、とのルールはないが道義的に見てやはりおかしい。かねてからドラフト制度に反対している巨人とすればこれも一つの戦術だろうが、裏取引があったと疑われても仕方ない。人気球団がその人気に便乗してとった行動が一人の愛すべき17歳の野球少年の周りに多くの敵を作ってしまった罪は重い。会見を終えて重圧から解放された桑田が笑顔で「自分で決めました。後悔はしていません」と言ったのが唯一の救いだった。
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