納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています
◆村田兆治(ロッテ)…「開幕試合に間に合うだろうか?」 最近の村田の頭に浮かぶのはこの事ばかり。阪急の山田と共に8年連続開幕投手という日本記録更新中のエースの心中には不安が渦巻いている。キャンプ中の村田は「今年は何としても20勝してオフの移籍希望騒動の汚名を返上したい。その為にはじっくりと肩を仕上げたいので開幕投手には拘らない」と話していたが、いざオープン戦が始まりシーズンが近づくにつれエースとしての意地が頭をもたげてきた。
オープン戦で遠征中のチームを離れ3月20日から川崎球場で黙々と投げ込みを行なった。毎日100球前後、多い時は170球を全力投球。山崎投手コーチは「大丈夫、充分開幕に間に合う」と太鼓判を押したが23日に誤算が生じた。余りのハイピッチに身体が悲鳴を上げた。右足太腿を痛めてしまったのだ。「疲れからくる筋肉痛で報道されている肉離れではない。2~3日で治る(河原田トレーナー)」と大事には至らなかったが村田本人のショックは殊の外大きかった。
25日から練習を再開したが球数は50球限定とペースダウンは否めない。「そりゃ不満だよ。でも焦ってもう一度やってしまったらシーズンを棒に振りかねないから慎重にね」と自分に言い聞かせている。ロッテを出る、出さないと大揉めに揉めた騒動のせいでオフ期間のトレーニングは殆ど出来なかった。昨年の5月17日の近鉄戦で肘を痛めて途中降板して以来、はやる気持ちを抑えてジッと我慢に我慢を重ねて7ヶ月間の空白を埋めてきた。1月30日になってやっと川崎球場での合同自主トレに参加し、鹿児島キャンプでは本格的な投球練習はせず遠投のみで身体作りに終始してブルペンに入ったのは途中降板した昨年の近鉄戦から283日ぶりの2月25日だった。
この我慢の調整法で村田の身体はほぼ出来上がりつつあっただけに足の故障以外は「肩の筋肉と肘の状態はほぼ元に戻っている(山崎投手コーチ)」との事で、山本監督ら首脳陣は「開幕投手は村田」の考えで一致している。ただしそれには条件が1つある。村田本人の意志を尊重するという事。若生投手コーチは「兆治が投げたいと言えば投げさせるがこちらから投げろとは言えない。もういい歳だから焦って投げて怪我が再発したら投手生命にかかわるからね」と村田本人の決断次第であると強調する。
◆工藤公康(西武)…新人王最有力候補の声もオープン戦が進むにつれ次第に聞かれなくなった。先発投手として結果を出せず遂に広岡監督も「今年もワンポイント投手止まり」と烙印を下した。にもかかわらず工藤の表情は明るい。これが現代っ子の気質なのか開幕前の4月上旬、「明日の休みはどこに行こうかな?」と野球の事は頭に無い。合宿所がある埼玉・所沢から西武電車に乗って多くの若者が新宿や池袋に遊びに行くが工藤もその内の一人だ。野球は野球、遊びは遊び。やる時はどちらか一方に集中する、工藤の生まれつきの性格がそうさせる。「マウンドに上がったら打者を抑えるだけ。球も投げないのにあれこれ考えたってしょうがないでしょ?」
「打たれたらどうしよう」「どうすれば抑えられるか」…そんな気苦労は皆無の出たとこ勝負。名古屋の高坂小学校時代から「カーブさえ投げてれば打たれなかった(工藤)」そうで久方中学に進学しても投げれば快投の連続で苦労して投球術を駆使しなくても抑えられた。それはプロ入りしても変わらない。「坊やは天性の勝負勘を持っている。だからブルペンで調子が悪くても試合になると強心臓で抑えてしまう」と広岡監督は工藤が新人の頃から見抜いていた。計算は出来なくとも期待をしてしまう投手。キャンプ、オープン戦を通じて不調であっても一軍から落とさなかったのはその為である。
「今年は7勝くらいして7セーブもすれば新人王も獲れるんじゃないかな」と新年冒頭に今年の目標を語っていたがその願いは開幕前に早くも潰えてしまった。オープン戦を迎えても投球フォームが安定せず武器であるカーブの切れ味も鈍くなってしまった。投げては打たれるの繰り返しでとうとう「何をやってもダメ…このまま二軍ですかね今年は」と流石の現代っ子も意気消沈。野球人生で初の試練に途方に暮れていると思いきや「監督さんが今年も中継ぎに起用するって?こんな状態でも一軍に置いて貰えるなんてありがたい。それなら今年も左殺しに専念しますか、新人王はもういいや」と軌道修正する変わり身の早さはやはり現代っ子である。
◆香川伸行(南海)…周辺からの圧力に普段は大らかな香川が珍しく神経質になっている。オープン戦で相手チームの盗塁がフリーパス状態の弱肩ぶりを露呈しスポーツ紙に叩かれまくっている。昨年までの香川だったら「好きに書いて貰って結構」と悠長に構えていたが今年は正捕手争いの真っ只中とあって神経を尖らせ、「僕の肩は本当に大丈夫なのだろうか?」と自問自答を繰り返している。甲子園のアイドルとして脚光を浴びプロ入り後も天真爛漫な振る舞いを繰り返してきた "異端児" に何が起きているのか?
オフの間に104kgに増えた体重を自主トレ・キャンプで96kgまで落としたがオープン戦が中盤に差し掛かる頃には100kgに戻ってしまった。本人曰く「意識して痩せようとは思わないけど極力水分は摂らないようにしています」と周囲からの減量命令をやんわり拒否。体重が戻りだした頃に某コーチが遠征先の部屋を抜き打ちでチェックした所「ジュースがわんさかと置いてあったので直ぐに運び出した」そうだ。やはり精神的甘さはそう簡単に克服出来なかった。穴吹監督が最重要視している守りの要に指定された選手なのに期待を裏切ってしまった。
それでも穴吹監督は「香川じゃ不安?じゃ誰を使えばいい?俺はアイツを使うよ」とプロ入り以後、親代わりのように公私に渡り面倒を見てきた香川に賭け、開幕スタメンに起用する腹づもりだ。香川も「監督の期待は痛いほど分かっている。勝って監督と1回でも多く握手したい」と言うがオープン戦を見る限りは数年来の捕手難は解消されていない。ウィークポイントはハッキリしている。香川の弱肩である。二塁への送球が山なりどころかワンバウンドしてしまう事も珍しくないが「僕の取り柄は捕球してから送球までの速さ。確かに強肩じゃないけど盗塁阻止の秘訣は肩の強さだけじゃない」と強気の姿勢は崩さない。
「いよいよ開幕ですわ。去年までと違ってグッと来るものが有りますね、今年は楽しみです」と今季の目標を全試合出場・20本塁打・80打点と掲げたが香川の本職は捕手。打撃センスは折り紙つきだけに全試合に出場出来れば目標クリアは可能だろうが肝心の守りには疑問符が付く。足の有る選手が揃った近鉄、西武、阪急などはどんどん走ってくるだろう。盗塁がフリーパス状態ではいくらバットで活躍してもチームの勝ち星には結びつかない。「ビデオで各チームの研究もしている。打者を塁に出さなければ盗塁の機会も減らせますからね」と明るい表情の香川だが希望と不安を同居させたまま、いざ開幕を迎える。
◆落合博満(ロッテ)…一昨年オフに三冠王宣言をして見事に実現させた落合が今度は前人未到の打率四割を目指すと宣言した。4月1日現在のオープン戦成績は打率.390 と目標達成に調整は順調に進んでいる。三冠王宣言に続く今回の大風呂敷も再び実現してしまうのか?
並みの選手だったら単に夢を追っているドン・キホーテ扱いされるだろうが選手として一番脂の乗っている今の落合だけに「ひょっとしたら…」と考えている球界関係者は少なくない。ただ闇雲に安打数を増やそうとしている訳ではなく落合なりの青写真がある。四球を増やす事で打数を減らそうというのだ。昨年は 150安打・86四死球で打率.325 だったが今年は 170安打・100四死球 を目標としており、これで恐らく打率.380 を超える。そして肝心の安打数を増やせば四割も可能だと目論んでいる。
「ホームランを狙って大振りしたら率が上がらないから(落合)」と四割達成の為に本塁打王は諦めるとの事。更に慣れ親しんだ今の打法を改造する決意をしてキャンプでは徹底的に引っ張る練習に終始した。昨年の150安打のうち本塁打も含めて左方向への打球は 1/3 程度。内角球が来ると本塁打狙いで大振りし、結果として凡打になる事が多かった。今年は得意の流し打ちに加えて内角球は大振りする事なく軽打して率を稼ぐ算段だ。オープン戦では16安打(4月1日現在)中、8安打が左方向と練習の成果は早速現れている。
今年は万全の体調で開幕に臨めるというのも大きい。3月25日の大洋戦で遠藤投手から左上腕部に死球を受けたが僅か1試合の欠場で済んで大事には至らなかった。思い起こせば昨年はオープン戦で左手のマメを潰した影響が殊のほか残り、開幕後しばらく低迷が続いて16試合目でようやく初打点、17試合目で初本塁打を放つ最悪のスタートだった。更に今年は一塁コンバートのお蔭で守りの負担が軽減した。当の落合は「まぁ99%ダメでしょうね。でもやらなければ給料が上がりませんから」といつもの人を喰ったような発言に終始しているが、昨年の今頃も「三冠王?無理無理…」と言っていたのを思い出す。この男、案外アッサリと大仕事をやってしまいそうな気がする。
◆長崎啓二(横浜大洋)…「10年目の突然変異」と揶揄されながらも3割5分1厘で堂々の首位打者に輝いた。ただ終盤で田尾(中日)の猛追に会い醜い四球合戦を演じた為に「ああいう嫌な形で終わっただけに今年は余計にやらないとね」とキャンプを過ごしたがオープン戦が始まった現在でも精彩を欠いている。原因はやる気が災いし無理をした為に「キャンプ終盤に左足太腿の裏側に痛みが出た。最初は大した事ないと思ったけど長引いている。静養せずに九州・大阪遠征に帯同したのが悪かったかな?でも大丈夫、休めばすぐに治りますよ(長崎)」と楽観していたが3月下旬には左膝にも痛みが出るなど更に悪化する事に。
「俺も歳だからねぇ、まいっちゃうよ」と務めて明るく振舞うが顔は笑っていない。それは昨年まで守っていた左翼のレギュラーが阪神から移籍して来た加藤のお蔭で危うくなっているからだ。更に三番打者争いも新外人・トレーシーがオープン戦でトップの7本塁打を放ち猛アピールしていて流動的。トレーシーの活躍の裏で3月9日のオープン戦初戦に代打で1打席登場(結果は三振)した以降は試合に出ていない。「正直、焦ってますよ。でも痛みはすぐに消えてくれないので待つしかないと言い聞かせてます」 チームを離れること10日間、ようやく快方に向かっていて3月29日にチームに合流した。
結局、3月中のオープン戦で登場したのは三振した初戦と合流した翌日30日の四球の二度だけ。首位打者に輝いた昨年のオープン戦は打率5割の高打率を残し、その勢いのままシーズンに突入した。それだけに今年の調整遅れは気になる所だが本人は「さほど気にしてません。もういい歳だし自分の打撃スタイルは把握しているつもり。元々が春男でシーズン途中で失速しがちなので出遅れで丁度いいくらい」と楽観視している。
◆宇野 勝(中日)…「オイ 宇野、今日は1000円だ」3月31日のロッテとのオープン戦後のベンチ裏で黒江コーチが声をかけた。罰金を命じられた宇野は何故か笑顔で「でしょう?今日は少なかったですから」と答えた。罰金を笑顔で払う奇妙な光景こそ「宇野本塁打王計画」だと知る部外者は少ない。話はキャンプでのスタッフミーティングに遡る。昨年は掛布、原に次ぐ30本塁打を放った宇野の育成方針が議題となった。打率よりも40本塁打以上の長距離砲か、20~30本でも高打率を残せるシュアな打者のどちらに育てるのか?
会議は近藤監督のツルの一声で終わった。「ポスト谷沢として四番を打てる打者に育って欲しい。今季の宇野には何としても40発以上を期待している」そして育成担当に黒江コーチが抜擢された。「去年までの宇野は気分屋で打つ時と打てない時の波が激しかった。スランプに陥る最大の原因はボール球を無闇に振ってしまう事。そこを直せば大きく飛躍出来る」と黒江コーチは見ている。ボール打ちの矯正法として採用したのが昨年、上川を開眼させた罰金制度だ。宇野と同じくボール球を振る癖が抜けない上川に「ボール球を振る毎に1000円を徴収」して見事に矯正に成功した。
3月19日の日ハム戦からこの罰金制度を始めた。10試合経過時点で合計金額は1万6千円、最初の頃は3千円を超す日もあったが試合を重ねる毎に減って0円の時もあったほどだ。徴収金額と反比例するように安打数は増えて目標の40本塁打に向けて着実に成長している。谷沢に匹敵するというシャープな腕の出、鞭のようにしなる上半身、加えて天性の思い切りの良さ。「開幕戦の広島バッテリーは驚くと思うよ。昨年までの一発は有るが穴も大きいとのイメージは今年は当てはまらない。特に北別府には面白いようにボール球を振らされていたけど今年は昨年の二の舞とはいかないよ」と黒江コーチ。
開幕まであと16日に迫った3月25日、近鉄・太田幸司(32歳)、石渡茂(34歳)と巨人・大石滋昭(19歳)+金銭のトレードが発表された。一軍選手と昨年にドラフト外で入団した2年目の選手との2対1の交換という明らかにバランスを欠いたこのトレードの裏側に何があったのか?
「近鉄では自分なりに一生懸命にやってきたつもりです。僕に新しく生きる道を与えてくれた球団に感謝します」前夜にトレードを通告された太田は藤井寺球場の食堂の片隅に設けられた即席の会見場で精一杯の笑顔を見せた。駆け付けた報道陣は約30人、それは14年前の会見とはかけ離れた寂しいものだった。昭和44年の夏、松山商との決勝戦で延長18回を投げ抜き翌日の再試合で敗れたものの三沢高・太田幸司は一躍日本中の人気者となった。その年の暮れの入団発表は佐伯勇オーナー臨席の下、大阪・中百舌鳥の電鉄本社で行なわれた。
集まった報道陣は2百人を超え本社ビル周辺は約2千人のファンが取り囲んだ。球団の渉外担当だった高島雅吉(現営業部次長)が新幹線で大阪に向かう太田に同行し「只今、名古屋を通過しました」「間もなく新大阪に到着します」などと逐一報告をした。極めつけだったのが「太田君は今夜、大阪都ホテルにお泊りになられます」と発言した事が「まるで皇太子殿下のようなVIP待遇だな」と揶揄されて、これ以降「コーちゃん」と呼ばれていた太田のニックネームに新たに「殿下」や「プリンス」が加わった。
近鉄での13年間で三度の2桁勝利を含む58勝を挙げたが、ここ3年は勝ち星なしの30歳を過ぎた太田を放出したのはある意味「温情」である。オープン戦で快進撃を続ける今年の近鉄の原動力は若手投手の台頭だ。ここ数年来、悩まされてきた肩・ヒジ痛もなくキャンプを過ごした太田になかなか出番は回って来なかった。「ブルペンでガンガン投げているのにオープン戦で出番がなかったから、トレードも有るなと思っていた。このまま終わるのも嫌なので巨人でも頑張りたい」と決意を表した。近鉄・山崎球団代表は「戦力面の事よりも巨人に行った方が出番が増えると考えて決断した」また石渡についても昨年の新人王・大石や期待の森脇や金村に加えてルーキーの谷など野手陣にも楽しみな若手が多く出番が減るのは確実で「石渡の将来の為にも他球団を経験するのも大切(山崎代表)」と移籍の理由を述べた。
今回のトレードの経緯を見ると申し込みは巨人からだった。河埜が昨年終盤に故障した左手の回復が思わしくなく、控えの岡崎や鈴木伸らも未知数。そこで目をつけたのが充実している近鉄内野陣で実は石渡の譲渡申し込みが太田よりも先だった。しかし現場首脳陣が石渡放出に反対した為、吹石に変更して交渉を続けたが難航しトレード話は解消しかけた。転機は3月19日のオープン戦だった。巨人・正力オーナーが直々に山崎代表と会って石渡の譲渡を申し入れ、山崎代表から「太田の面倒も見て欲しい」と請われた正力オーナーが確約した事で話は急転直下、決まった。
巨人と近鉄が密接な関係になったきっかけは昭和56年のオフに捕手難に喘ぐ巨人が梨田の台頭で出場機会が減り始めた有田のトレードを申し入れた事だった。このトレードは実現しなかったが両球団の良好な関係は続き、球団レベルを越えて野球のみならず正力オーナーが讀賣興業の社長でもある関係で近鉄興業との業務提携の話にまで発展した。今年から近鉄興業が球団の営業部門を担う事となったのも今回のトレード決定に少なからず関係している。
何故、両球団はこうも接近するのか?そこには西武という共通の敵の侵攻を食い止める必要があるからだ。西武の台頭でプロ野球界内における力関係が崩れて巨人は球界の盟主の座が危うくなりつつあり、近鉄の場合は単にリーグ優勝を西武に持って行かれるという野球の面ばかりではなく大阪・八尾に西武百貨店が進出する事で既存の近鉄百貨店の流通部門にまで影響を与える事が必至となれば、悠長に西武の台頭を見過ごす訳にはいかない。近鉄とすれば先ずは巨人に西武の日本一連覇を阻止してもらう為の戦力補強に協力は惜しまない。「敵の敵は味方」という構図である。
一軍クラス2人と入団2年目の選手の交換というまるで釣り合わないトレード。一見、近鉄にメリットが無いように見えるが長い目で見れば近鉄にも採算がある。例えば近鉄主催の巨人とのオープン戦を来年以降、これまで以上に組めば1試合当たり1千万円単位の儲けが近鉄に入る。また今後、近鉄が必要とする選手を巨人からトレードしてもらう「貸し」が出来た事も大きい。石渡に関しては「勉強させる意味もある」と近鉄首脳陣は明言している。チーム内でも野球理論では一目置かれている石渡で将来の幹部候補であり、巨人でコーチ業の下準備をさせるのが主目的だという。
太田に関しては前々から阪神が獲得を目指してしるという話が太田の耳にも入っていて「仮に近鉄を出るとしても在阪球団がいい」と近鉄入団と同時に両親を大阪に呼び寄せ、今やすっかり関西の人間となっていただけに東京行きに戸惑う。父親は足が不自由、母親は高血圧とあって病院通いが必要で住み慣れた大阪を離れるのは難しい。「両親の事は心配ですけど一緒に東京へ今は行けない。暫くは寮に入れてもらって落ち着いたら両親を呼び寄せるかどうか決めたい」 両親と東京で再び一緒に暮す為には投手陣が充実している巨人で働き場を見つけなければならない。
契約更改で揉めて昨年12月末に球団から突然の解雇通告を受けた事を不服としてパ・リーグ連盟に提訴し、場合によっては法廷闘争も辞さないと言っていたロッテ・高橋博士選手。パ・リーグ会長もロッテ球団の手落ちを認めて2月18日に今季の契約を済ませたが1ヶ月後に一転して球団は高橋選手の任意引退を発表した。一体何が起きたのか?
契約条件が折り合わず保留選手になっていた高橋を突如、自由契約選手にしたロッテは確かにまずかった。これに対して高橋が弁護士をたてて法廷闘争も辞さないと身構えたのは当然である。ロッテの選手会は当初、高橋と球団の間に入り仲介の労を取ろうとしたが法廷に持ち込みたいとする高橋の意向を知り身を引いた。それは問題が厄介になったから逃げた訳ではなく、選手会としては寧ろこの問題が法廷闘争に発展して欲しかったのである。それはロッテ選手会だけではなくプロ野球選手会の総意でもあった。野球協約には多くの問題点があり、職業選択の自由を奪っている条項もあり選手会は不満を持っている。身近な所ではオールスター戦に出場した際の報酬が少ない事。その理由は収入の殆どが野球機構側に吸い取られているからだ。高橋の件が法廷で論じられるとこうした野球協約の不備にもメスが入る可能性もあり、選手会側はそれを期待していたのだ。
ところが事態は選手会の思惑とは違う方向に進んだ。法廷闘争に持ち込まれたくない連盟側が懐柔策を繰り出し何とかリーグ内で処理しようと動き始めた。ロッテ球団と高橋の間に入り和解するように勧め、2月18日に迷惑料を含めて推定年俸1137万円で再契約し一件落着した。ところが事態はこれで終息しなかった。混乱の責任をとって辞任した石原球団代表に代わる高橋新球団代表、山本監督、土肥二軍監督の三者が3月21日に会合を持ち「今更戻って来て貰っても困る」と復帰に反対したのだ。
この事は直ぐに高橋に伝えられ東京・本郷にある文京綜合法律事務所で代理人の友光健士、安田寿朗弁護士と共に記者会見に臨んだ。復帰反対が現場の意見の総意であれば仕方ないとして、表向きの理由は「キャンプも不参加で体力的に不安である」として任意引退を表明した。高橋球団代表は「それなりの償いをさせてもらう」として当面の生活費や功労金と称して年俸の 2/3 にあたる750万円が支払われたと言われている。本来なら昨年の年末に一銭も手にする事もなくクビとなっていただけに、結果としてそれ相応の額を得た高橋が一番得をしたのは事実。
高橋が復帰を断念した一番の理由は同僚たちの白けた視線だった。今回の問題が選手会は野球協約の不備を、ロッテの同僚は施設等など待遇改善の機会になればと願っていたが何一つ変わらなかった。期待が大きかっただけに落胆度も増した。更に高橋が復帰の為のトレーニングを怠っていた事も不評を買う原因のひとつだった。それよりも今回の件で強く印象づけられたのは選手会が機会があれば野球協約の中身を変えたい(選手側からすれば『改正』、経営者側からは『改悪』)と考えているのが如実となった事。選手会の中には虎視眈々と大リーグのフリーエージェント制度導入を狙っている動きがある事を付け加えておく。