Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#233 ベンチがアホやから … ①

2012年08月29日 | 1981 年 



「ベンチがアホで野球ができん」…球史に残る名(迷)言が飛び出しました


8月26日、甲子園での対ヤクルト19回戦。先発した江本は8回に3点を取られ降板後、すぐにダグアウトを出た江本はロッカーに向かう途中の通路で「ベンチがアホやから野球ができん」と吐き捨てた。囲みのトラ番記者たちは「いつもの事」として大して気にはせず江本に真意を尋ねる事はなかった。そんな雰囲気を察してか今度は大声で「あいつらはアホや」と叫んだ。「あいつら」とは中西監督であり藤江投手コーチである事は明白だった。私服に着替えた江本を球場出口で記者たちが取り囲んで取材すると再び首脳陣をアホ呼ばわりして溜まった不満をぶちまけた。

「どうせ代えるならもっと早い回に代えるべきやろ。いつもは信じられんほど早く交代させるくせに今日に限って続投や。何を考えているのかサッパリ分からんわ」「今日の俺の球は7回には浮ついていたんや、投手の状態を見極めるのが監督・コーチの仕事やろ」どうやら江本には長い間の首脳陣への鬱憤が積もり積もっていたようだった。7月の北海道遠征では勝利投手の権利を得る寸前に降板させられたりと首脳陣への不満はいつ爆発してもおかしくない状態であった。

江本は翌27日正午過ぎに大阪市北区の球団事務所に呼び出されて事情聴取を受ける事となった。球団は「1週間から10日間の謹慎処分」を科し幕引きを計ったが江本の方が役者が1枚上だった。「発言の責任をとって退団させてもらいたい」この発言に球団は大慌て。午後0時半から始まった事情聴取は延々3時間半ものロングランで球団事務所に詰めていた記者たちは処分に江本がゴネていると思っていたが、あにはからんや実際は江本の退団要求に岡崎球団代表が退団を思い留まるよう説得していたのだ。いつの間にか江本と球団の立場が逆転していたのだ。

結論は岡崎代表が会見で明らかにした。「昨日の試合後の江本君の発言に関して事実関係や本人の気持ちなどを聞き話し合った結果、細かい経緯は略しますが江本君の"発言の責任を取りたい" "この際、阪神を退団したい" との申し出があり球団は受理しました。本日付けをもって任意引退の手続きをとりました」と衝撃発言すると会見場は蜂の巣をつついた状態に。

岡崎代表が会見を終え会場を後にすると江本が記者会見に臨んだ。「言った事は事実だし、責任は取らなイカンという気持ちが強かった。覚悟はしていた」「昨日の発言は1つのきっかけ。今までの事の積み重ねであって突然の思いつきではない」「球団からの慰留?強い引き留めは無かったね」と淡々と会見に応じた。記者からは「3時間半」は謹慎処分の話にしては長いが退団について話し合うにしては短い、日を改めて会談しない理由は何か、会談の中身は何だったのか、何か他に隠されている事があるのではないかと質問が相次いだが江本はノーコメントだった。

そもそも江本孟紀とはどんな男だろうか。昭和22年7月22日生まれ、高知商時代は浜村(西鉄→巨人→太平洋)と共に速球投手として注目された。昭和40年のセンバツ大会に選ばれたが他生徒の不祥事で開会式直前に出場停止処分となる悲劇を味わった。卒業時のドラフト会議で西鉄から指名されるも拒否し特待生で法政大へ進学した。当時は先輩の田淵や山本浩よりも上と評価されていたがエース・山中の陰に隠れ目立たず、さらに4年生の秋のシーズンに松永監督と衝突して合宿所を飛び出し実家に帰ってしまうなど実力を発揮できずにいた。

昭和44年に熊谷組へ入社、2年後ドラフト外で東映入り。東映では結果を出せずにいたが南海・野村監督に見出され移籍し16勝をあげる活躍をし、やがてエースにまで上り詰めた。南海入団3年目のオフに野村監督の「長髪禁止令」を無視してパーマをかけてテレビ出演した事で球団からペナルティを受けるが契約更改で髪を切る事を条件に提示額より50万円アップを勝ち取り話題となった。昭和51年の江夏とのトレードで阪神入りして15勝。以後南海時代から通じて昭和54年まで8年連続2桁勝利をあげた。阪神に入ってからも度々トラブルを起こした。昭和52年9月、巨人戦で降板しベンチに退いた際にグローブを蹴り上げ「投手の立場を軽視する阪神の体質に抗議してやった」と発言、2年後の最終戦で4回KOされると今度はグローブをスタンドへ投げ入れて再び球団批判をし、とうとう今度の大騒動に。
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#232 1981年 ドラフト候補 ②

2012年08月22日 | 1981 年 
野手の方では「右の金村・左の加藤」との事。加藤(都城商)につては「リストの強さはズバ抜けている(巨人・沢村スカウト)」「あのバッティングセンスは天性のもの(日ハム・三沢スカウト)」と高評価。ただし野手に関してはこの2人以外の評価は厳しい。「捕手というポジションは時間がかかるが今のうちに教え込めば将来は面白い存在になりそうなのが山本(名電高)と片平(横浜)かな(ロッテ・三宅スカウト)」程度の評価。野手も甲子園不出場組に注目選手がいる。福島双葉の西山は昨年夏の甲子園で豪快な一発を放って「大杉2世」と呼ばれ、甲子園出場組より早い指名が予想されている。

「最近の高校生はかつての様な大型野手は減って小柄でまとまっている選手が多い(南海・堀井スカウト)」と寂しいのが現状。そこで野手は大学や社会人に目を向けるスカウトが多い。即戦力では平田(明大)・尾上(中大)・山内(大商大)が3羽ガラスだ。ヤクルトは青木、釘谷らの成長で外野陣は固まりつつあり、一・二番を打てる俊足の内野手が補強ポイント。日ハムは捕手と内野手を求めていて「守り」の平田か「攻撃」の尾上かで球団内でも意見は分かれている。

「今年の新人を見ても中田(阪神)や杉本(西武)で分かる通り社会人出は戦力になっている」と過去3年連続で高校生投手を1位指名してきた大洋の湊スカウトは改めてチーム浮上には即戦力が必要だと痛感している。そこで各球団とも社会人ルートの開拓に懸命だ。「社会人ビック3」の藤高(新日鉄広畑)・田中(電々関東)・津田(協和醗酵)らの単独入札を狙っている球団も多い。大学・社会人選手に人気が集まるのは即戦力だからという理由だけではない。最近の高校生はプロ志望が強くなく大学や社会人で実力を試してからプロでやれるかどうかを見極める安全志向型が多くなり、プロ入りを拒否するケースも珍しくないからだ。






高校生野手に関しては事前の予想通り、さらに大学・社会人でもレギュラーを獲得できた選手は殆んどいない不作の年でした。選手一覧を見ても吉村(PL学園)くらいですかね、ただ吉村も怪我で不完全燃焼でしたけど。


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#231 1981年 ドラフト候補 ①

2012年08月15日 | 1981 年 



ロッテの三宅スカウト部長が居並ぶ各球団のスカウト達を前に「金村(報徳学園)はウチのものだぜ。どこも手出しは無用だよ」と叫んだという話が瞬く間に広まった。ロッテには他球団が太刀打ち出来ないルートがあると言われている。今年の甲子園大会は金村に始まり金村に終わったと言っても過言ではない。三宅スカウトが何を言おうが各スカウトは金村の話になると語調は強まる。

「スイングの速さはプロ並み(巨人・伊藤スカウト)」「柔らかさと強さを兼ね備えている所は中西太、王貞治以来(中日・田村スカウト)」「原や石毛の高校時代よりも上(大洋・湊谷スカウト)」「今のままでもファームの中軸を打てる(日ハム・三沢スカウト)」・・いやはや中には眉唾ものの評価もあるが、大打者になれる素材である事に間違いないようだ。投げる方はと言えば「ウチの西本のようなタイプになれる(伊藤スカウト)」「投手でもプラスアルファを持っている(広島・木庭スカウト)」との意見がある一方で「入団したら打者一本で行くように説得する(田村スカウト)」など評価は分かれる。家から見上げる小高い丘に阪急・長池コーチの豪邸があり、「プロに入ってあんな家を建てたい」「阪急のエースになるのが夢」と言った話が流れて阪急関係者がニンマリしたと言う。

「投打総合のNo,1」が金村なら「投手のNo,1」は松本(秋田経法付)である。「走者が出てから力強い投球をするなどメリハリがある(近鉄・中島スカウト)」「打者の力量に合わせて投球できるスマートな投手(阪神・田丸スカウト)」「15勝投手になれる素材(三宅スカウト)」等々。懸念は松本本人に社会人志向があり、両親は大学進学を希望するなど指名しても拒否される可能性がある事だ。去年の高山や川村の二の舞はゴメンと各球団は身辺調査に懸命だ。

松本に次ぐのが工藤(名電高)・古溝(福島商)・高木(北陽)の左腕トリオだ。工藤のカーブは即プロで通用するというのが各スカウト異口同音のようだ。スカウト界の長老である丸尾顧問(日ハム)によると上半身の使い方が江夏や鈴木啓にソックリらしい。入札競合が確実な金村を回避して1位指名を目論んでいる球団もある。それに渋い顔なのが地元の中日で、隠し玉のつもりが一気に全国にその名前が広まってしまった。高木も地元の南海・阪神・近鉄が密着マークをするなど上位指名の可能性もある。逆に甲子園での出来が今ひとつだった古溝の評価は下がる一方だが、中には「時間はかかるかもしれないが地肩が強いのが魅力。プロでじっくり鍛えればスピードも増すしキレも出てくる。魅力的な素材ですよ(西武・宮原スカウト)」と認める意見もある。

甲子園不出場組にも光る素材が豊富だ。各スカウトが二重丸を付けるのが槙原(大府)、片瀬(榛原)、西岡(法政二)の3投手だ。「何しろ終速で140㌔を出すのだからスピードだけなら高校No,1じゃないかな」と槙原に関して詳細なデータを得ている伊藤スカウトの巨人は上位指名を考えている。もちろん巨人以外の全球団のスカウトも大府詣でを済ませている。全球団という事では片瀬も同じで常時138㌔を出す柔らかなバネの利いた身体使いが魅力で、唯一の欠点は大舞台での経験が無い事くらい。西岡も一部で伝えられた肩痛も大事には至らず3人とも3位指名までには消えている筈の逸材だ。
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#230 ザ・プロ野球選手 ③

2012年08月08日 | 1981 年 

柏原純一 … 前期243打数63安打の2割5分9厘だった男が8月25日時点で2割9分8厘、後期だけで言えば3割6分6厘だ。打点も前期65試合で36打点だったが後期は42試合時点で早くも36打点となった。「調子がいい?そうでもないよ。前期はやたら考え過ぎて失敗したから今は結果を恐れず無心で打席に立っている」と無欲を強調する。

いわゆる "肥後もっこす" でさっぱりした性格。南海時代の育ての親の野村克也氏が「純一に欲が出てきたら鬼に金棒なんだが…」と言うくらいガツガツしていない。そんな男が近頃は欲を持ち始めた。「プロである以上、一度は優勝しなくては選手として一人前とは言えない。その為に自分が何をすればいいのかを考えるようになった」と今年からキャプテン兼選手会長が熱く語る。豪放磊落な柏原が後期に入ると不眠症に悩まされた。個人成績はグングン上昇しているのにチームの牽引車としてのもう一人の柏原は眠れぬ夜を過ごすようになる。

そんな柏原に「意外性のある選手」という新たな称号がついた。観衆をアッと驚かすプレーをやってみせるからだ。7月6日の対ロッテ戦の6回表、ヒットで出塁して2つの内野ゴロで三進すると打者大宮の時にホームスチールを成功させた。また7月19日の対西武戦の6回裏2点リードの二死三塁で柏原、西武ベンチは永射に敬遠を指示し次打者のソレイタとの勝負を選択した。その3球目、柏原が高目の球を飛びつくように打つと打球は左翼スタンドへ消えた。

腰痛、風邪、不眠症と実は一日として無病息災だった事はない。しかし周囲は柏原の愚痴や弱音を聞いた事がない。だからこそ若手や多くのナインが柏原を信頼しているのだ。「江夏さんにも言われたが後期は最後の最後までシビレる試合が続くだろう。ウチは優勝経験が無くプレッシャーに弱いと言われているけど決してそんな事はない。経験豊富なチームにだって "初めて" の時はあった。皆が通る道なのさ」 べらんめぇ口調の大沢監督が親分なら柏原はさしずめ次郎長一家の「大政」だろうか。



田淵幸一 … 後期の西武は走者をためて一発ドッカ~ンという場面が減ってきた。単打をつなぎバントやエンドランを絡めるソツのない攻撃が売りだ。12試合ぶりに先発復帰した田淵だが、四番を外されて阪神時代にも経験しなかった六番に据えられた。今の打順を見るとチームにおける田淵の存在価値が薄くなったと言わざるを得ない。5月22日の近鉄戦から田淵が欠場するとチームは10連勝。8月12日の日ハム戦からの5連勝も田淵をベンチに温存した時だった。

田淵が先発で出場すると打線のつながりを欠き得点力が低下し勝てないのは単なる偶然ではない。象徴的な場面が8月20日のロッテ戦だ。ロッテは7回と9回のピンチを二度ともクリーンアップを敬遠し田淵と勝負して逃げ切った。離婚・再婚問題と今年の田淵はグラウンド外での活躍?が見られるが、現在の不振の原因はそうした精神的な事より肉体的な衰えにあると見る専門家が多い。

ここへ来てトレードや引退を取り沙汰されるようになった。もちろん田淵本人は来季も西武でプレーするつもりでいる。だが田淵の四番復帰構想は現在の根本体制にはない。それどころか立花が復帰すれば大田が指名打者に戻り、田淵は再びベンチの控えに逆戻りだ。「今のウチは個人の名前で野球をするチームではない。常にチーム全体を見渡して適材適所の起用で勝利を優先させる」と根本監督は断言する。球団内から「やはりパ・リーグの水が合わないようだ。慣れ親しんだセ・リーグに戻してやるのが本人の為でもあるのではないか」とトレードを模索している情報が漏れ伝わって来る。現に解雇が決定的なスパイクスの後釜に中日が調査を始めたとの話もある。

人気面でもNo,1の座は今や石毛に明け渡した。確かに新球団旗揚げの際に興行面で貢献したのは田淵だった。それもあって球団は田淵の処遇を邪険に扱う事はしないだろう。あくまでも本人の意向を優先するつもりだが来季も西武に残っても先発出場の確約を与える事はない。残留か移籍か引退か、吹き始めた秋風の中に立ち尽くす田淵にとって残り試合は、まさに選手生命を賭けた挑戦と言える。
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#229 ザ・プロ野球選手 ②

2012年08月01日 | 1981 年 



福本豊 … 一時は打率が2割5分台まで落ち、66kgしかない体重が60kgにまでなった。どんな時でも明るさを失わなかった男がヤツレきっていた。「俺はフィーリングで打つタイプ。打席での構え方やスイングの形など気にした事なんて無かった。これまでにもスランプはあったけど今度のはいつものとは違っていた。そのうち…と楽観してたけど一向に調子は上がらず焦るばかりでドロ沼にはまり込んでしまった」「打てなくなると藁にもすがるようになり、普段は気にしないフォームをいじって事態はさらに悪化してしまった」と本人が振り返るスランプによる精神的落ち込みはプロ入り最大の危機だった。打撃不振は守備にまで影響して凡ミスを連発して上田監督から名指しの批判を浴びた事もあった。

「お・い・あ・く・ま」不振のドン底で福本が思い出したのはプロ入りしてすぐに中田(現二軍監督)から教わった教訓だった。"おごるな・いばるな・あせるな・くさるな・まような" との教えだった。今の自分にあてはまる事ばかりだと気づいたのだ。職人肌の福本は元来チームの順位には無関心だった。上位にいる事に越した事はないが、まずは自分の成績重視だった。「チームの事が気になったのは自分が打撃不振に陥って暫くしてから。俺が打てなくなってからチーム成績も一緒に落ちていった。いかに自分の不振がチームに迷惑をかけているのかを気づかずにいたのが恥ずかしかった」と振り返る。これを機に福本は変貌する。宿舎ではバットを振り続け、休みを返上して特打ちに出向いた。

きっかけさえ掴めば実力があるだけに結果はすぐに現れ、8月21日からの近鉄3連戦では11打数6安打・7打点と切り込み隊長の実力を如何なく発揮した。生涯目標は1000盗塁。今年中に王の本塁打数に並ぶ868盗塁が目標の福本の足は打撃復活と共にスピードアップしてきた。上田監督は言う「前期は本当に動きが悪かった。名指しで叱った事もあったが、それはチームにおける彼が占めるウェートがいかに大きいかという事の裏返し。現に今は彼が打って走ればベンチはグッと活気づく。不振脱出よりもその事に彼自身が気づいてくれた事の方が大きい」と。

「若い時は自分が精一杯やれば良いと考えていた。でも今はどんな形でも、他の誰が活躍してもいいからもう一度優勝したいと切実に思うようになった」自分の成績ばかりを追ってきた男がチームを考えるようになってきた。今季のパ・リーグは東高西低が顕著で、何とか阪急が上位を狙える位置にいる。「確かに日ハム・ロッテ・西武は強いけどウチもまだまだ諦めていない」この11月で34歳になるベテランが牽引する阪急が混戦の後期に割って入る。






門田博光 … 昭和46年、120打点で打点王のタイトルを獲得して以来10年ぶりにチャンスが訪れた。7月に王を超える月間16本塁打の日本記録を達成し、8月になっても勢いは衰えを見せない。山口県に生まれた門田は幼い頃に奈良県に引越し、五条中学~天理高という野球人生をスタートし、名門・天理高時代には甲子園に四番打者として1度出場した。今の身長172cmは高校時代と同じ。門田は「背が伸びないのなら筋力をつけよう」と我流の筋トレをやるようになった。2つのバケツにセメントを流し込み持ち上げる原始的?な腕力養成法を高校の3年間続けた。

社会人のクラレ時代には合宿の大鏡の前で1年中、毎晩素振りをして鏡の前の板の間に門田の足型が残ったというエピソードがある。1つの事をやり始めると、とことんやり続ける性格は昔から変わらない。昭和54年のアキレス腱断裂という大怪我を克服する為にリハビリをこつこつと地道に続けられたのも彼の不屈の闘魂あればこそだろう。「俺の生きて行く上での信条は "自分に嘘をつかない人生を" だ。負けたと思ったらそこで終わり。大好きな野球を辞めたくないという気持ちに正直に、まだまだ終われんという気持ちを持ち続ける事が大事なんだ」と苦しかった時を思い浮かべながら充実したシーズンを門田は送っている。

本塁打と打点部門でソレイタ(日ハム)とテリー(西武)と争っている。「チームはここ数年低迷していて、そういう環境で緊張感を維持し続ける事は難しい。でも今年は上位に食い込むチャンスがあってチームも俺もモチベーションは近年になく高い」喜怒哀楽を表面に出さず内に秘めるタイプの人間は一度燃え始めると手のつけられない爆発力を発揮する。門田は決して自分から前にシャシャリ出ようとはせず控えめに振舞う。爆弾を抱える門田の両足の為に純子夫人は手製のサポーターを編んでいる。鮮やかな色とりどりのサポーターを家では着用しているが、球場へは地味な色のを選んで行くのも門田らしい。そんな地味な男が二冠を目の前に派手な働きを続ける。


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