Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 811 通算200勝

2023年09月27日 | 1977 年 



4月2日の開幕戦で鈴木啓示投手(近鉄)はロッテを完封し開幕戦通算6勝目となり、別所毅彦氏(南海・巨人)の日本記録に肩を並べた。この勝利で通算198勝となり待望の200勝が目前となった。

スピード第1号スタルヒンの快挙
ひと口に200勝といっても20勝を10年積み重ねて達成できる記録。30勝、40勝が出現した一昔前ならいざ知らず、時には20勝投手がいないシーズンも珍しくない現代では200勝への道はますます遠くなってきた。プロ野球へやって来た投手の数は約2000人と推定される。そのうち100勝に到達したのは昨年現在68人。200勝となると14人というから約150人に1人しか実現できない記録だ。200勝投手の第1号はビクトル・スタルヒン投手。1㍍90㌢の長身から投げ下ろす直球は威力満点で昭和12年は春夏合計28勝、翌13年は33勝。これだけでも驚くべき記録だが14年は42勝だ。15年も38勝したので僅か4年間で141勝した不世出の大投手だった。

その後は胸を病んだりしてペースは落ちたが戦時中最後のシーズンとなった昭和19年は7試合に登板し、オール完投の6勝1分けで通算199勝。戦後の昭和22年10月20日、この年唯一の勝利で200勝を達成した。ただし今ほど記録に関心がなく球界初の200勝投手誕生に世間の反応は薄かった。加えて200勝達成までに要した試合数「313」は未だに破られないスピード記録である。稲尾投手(西鉄)は3年連続30勝やスタルヒン投手に並ぶシーズン42勝を昭和36年に記録するなど入団7年目に200勝を達成したが試合数は「436」でスタルヒン投手には及ばなかった。ちなみに200勝達成に要した試合数最多は「671」の皆川睦夫投手(南海)である。


完投勝利が多い価値ある200勝
昭和41年5月4日の東京対近鉄戦(東京球場)で東京が初回裏に2点、2回裏に1点を得点すると近鉄は早くも投手交代しルーキー鈴木啓投手を起用した。鈴木啓投手は3回・4回は無難に抑えたが5回裏走者2人を置いて森選手に左中間本塁打を打たれKOされると二軍に落とされたが5月8日のウエスタンリーグトーナメント大会の阪急戦に先発した鈴木啓投手は3安打完封。翌9日の中日との決勝戦で8回から登板し無安打・3奪三振と好投し最優秀選手に選ばれると早々に一軍復帰を果たし、5月17日の東映戦で3回二死から山本重投手を救援し9回まで1失点で投げ切った。

5月24日の東映戦(後楽園球場)で近鉄は4回まで0対5と劣勢だったが5回表に一挙6点をあげて逆転するとその裏から鈴木啓投手が登板し、東映打線を西園寺選手に許した左前安打1本に封じて最後まで投げてプロ三度目の登板で初勝利を記録した。「ブルペンでは球の走りが悪く本当は不安だった。勝てたのは全てリードしてくれた吉沢さんのお陰です(鈴木)」というのがプロ初勝利の弁。6試合目の登板となった6月3日の南海戦で先発し完封勝利で2勝目。こうして7月13日までに5勝した鈴木啓投手は高卒新人ながら監督推薦でオールスター戦出場の快挙を達成した。

結局、1年目は10勝12敗と負け越し。しかし2年目の昭和42年から5年連続で20勝投手に。だが昭和47年に14勝に終わると翌年から11勝・12勝と低迷が続き、直球主体の力勝負の投球スタイルに限界が見え始めた。これを契機に技巧派への転向に成功し昭和50年に22勝6敗と4年ぶりに20勝投手に復活した。また鈴木啓投手は完投勝利が多いのも特徴である。198勝のうち完投勝利が159勝。先発して他の投手の助けを借りて勝利したのは11勝しかない(あとの28勝は救援勝利)。それも最低でも6イニングは投げており、責任投球回数の5イニングで降板して勝利投手になったことは1回もない。


同期堀内とのレースにも完勝
鈴木啓投手は昭和40年11月17日に実施された第1回ドラフト会議で近鉄に指名され兵庫の育英高からプロ入りした。同期入団で投手は28人。そのうち今もプロのマウンドで投げ続けているのは鈴木啓投手を含めて白石静生投手(広島➡阪急)、堀内恒夫投手(巨人)の僅か3人(水谷実雄選手はプロ入り後に打者に転向した)だけ。1年目は堀内投手が開幕6試合目の4月14日の中日戦に先発し勝利するなど13連勝を含む16勝2敗で文句なしの新人王に輝いた。一方のパ・リーグは鈴木啓投手は10勝したものの新人王は該当者なしと見送られるなど1年目のライバル対決は堀内投手に軍配が上がった。

しかし翌年に21勝した鈴木啓投手に対し堀内投手は12勝で立場は逆転し、そのまま鈴木啓投手が5年連続で20勝投手になった。堀内投手が20勝投手になったのはプロ7年目で両者の差は広がり、通算勝利数も鈴木啓投手の方が25勝リードしている。堀内投手が200勝に到達するのは来年以降に持ち越されそうだ。この両者に続く200勝候補は成田投手(ロッテ)166勝、江夏投手(南海)165勝、平松投手(大洋)134勝あたりである。しかしこの3人は今季ともに開幕前から故障がちで安定感を欠いている。彼らが栄光の記録に到達するのはだいぶ先のことになりそうだ。
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# 810 週間リポート 大洋ホエールズ

2023年09月20日 | 1977 年 



恐怖の野球規則 8.04
大洋投手陣内で今、 " 20秒の恐怖 " なるものが広まっている。野球規則八・〇四 (塁に走者がいないとき、投手は球を受けた後20秒以内に打者に投球しなければならない。投手がこの規則に違反して試合を長引かせた場合には球審はボールを宣告する) を徹底化することになり、ルールを厳しく適用するとなった。「僕はキャッチャーから球を受けたらすぐにサインを見て投げるから影響はないね」という平松投手をはじめ、杉山・根本投手らは平然としているが、「周りから間合いが長いと言われる。でも20秒以内だと思うけど…」と間柴投手は不安げだ。

20秒といえばタバコを二・三服ふかせば経ってしまう。一般的な投球動作の時間はマウンドを足でならすと5秒、サイン交換は3秒、帽子を被り直したりズボンを上げたりで7秒、ロージンを手にすると5秒と意外と時間を消費する。「スコアボードに大時計でも設置してもらってそれを見ながら投げたい心境だよ」と間柴投手。だが一方で「な~にマウンドでいらない事を考える時間なくなって逆にプラスだよ」とか「マシ(間柴)のペースが狂う前に打者の方のテンポが狂って苦労するよ」など気にし過ぎを指摘する声も少なくない。


夜霧よ今夜も有難う
6月26日、仙台宮城球場での大洋対阪神のダブルヘッダーの第2試合で珍事が起きた。1対3と阪神がリードした大洋の攻撃中に霧が出て試合は中断した。6分後に試合は再開したが再びの濃霧でまたも中断。仙台管区気象台によると2~3時間は晴れそうもないという見解だった。規定では気象状況で中断した場合は30分様子を見て試合中止か中断を継続するか判断すると記されている為、30分が経過したところで大洋の近藤コーチが外野へノックして線審に中止するべきかどうか判断を仰いだ。鈴木審判員は「思ったよりひどい。自分の方向に飛んで来た打球は見えるが反対方向は見えない」と中断を続行した。

30分後、霧もだいぶ晴れてまた近藤コーチがノックをし、審判団は試合再開を決めた。結局1時間5分後に阪神ナインが守備に就き試合は再開した。ところが江本投手が投げる前にレフトの川藤選手が「見えない」とアピールし、吉田監督は「選手が見えないと言っている以上ゲームは出来ない」と抗議している間に再び霧が出始めて1時間18分の中断の末に試合は阪神リードのままコールドゲームとなった。収まらないのは別当監督で「審判団が出来ると判断して再開したのだから阪神側の抗議はおかしい」と不満気だった。阪神打線を3安打に抑えながら藤田選手の3ラン一発で負けた平松投手もガックリ。まさに夜霧に感謝感謝の阪神だった。


細い目が何ともいえないワ
このほど首都圏の国電・地下鉄・私鉄のワイド版車内広告にオバQが登場した。親会社の大洋漁業が新発売する鰹の缶詰「シーエース」のポスターに田代選手を起用した。大洋漁業の製品ポスターに大洋の選手が起用されるのは今回が初めてで「俺の顔で大丈夫ですかね」と田代選手は心配顔。だが本人の心配をよそに大好評なのだ。「田代さんって親しみやすい顔をしているワ。特にあの細い目が可愛い」と女学生の間では大変な人気なのだそうだ。

今年から大洋ナインは自身のヘルメットに本塁打の数だけシールを付けている。田代選手を売り出す為の「ホームランスターキャンペーン」の一環である。このシールが子供たちの間で大変な人気をよんでいる。そこで球団は封筒に返信用50円切手を入れ大洋漁業のシーエース係に郵送するとシール10個が必ず貰えるようにした。さらに抽選で200名に子供用ヘルメットが当たり、2000名にキーホルダーがプレゼントされるという。ファンにとっては堪らないキャンペーンを実施中だ。
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# 809 週間リポート ヤクルトスワローズ

2023年09月13日 | 1977 年 



喜んでばかりはいられません
6月4日から15日まで1分けを挟んで球団記録タイの9連勝を記録したヤクルト。だが好事魔多しの格言通り、サッシーこと酒井投手とエース・松岡投手が揃って二軍落ちとなった。10年ぶりの9連勝となった阪神戦に先発した松岡投手は初回一死一・二塁の場面でラインバック選手に3球目を投げたところで左腹部に痛みが出て僅か21球で緊急降板。試合は勝利したもののチームに暗雲が漂い始めた。翌日になっても痛みは引かず病院で診察を受けると胸部挫傷で全治10日と診断された。今季は決して好調とはいえない成績の松岡投手だが、何といっても投手陣のエースで戦線離脱はチームに与える影響は大きい。

5月1日の巨人戦で左太腿の肉離れを発症した酒井投手の予後も芳しくない。2人の故障にチームの貯金はまだ「5」あるじゃないかと周囲は強気だが「勢い・ムードに乗って勝ってきたチームだけに予期せぬアクシデントは怖い」と広岡監督の表情は厳しい。6試合で0勝2敗・防御率 6.63 の酒井投手はまだしも松岡投手の不在は首位躍進を狙うチームには痛手である。しかも序盤戦で5連勝と好調だった会田投手が最近は勝ち星に見放されてリリーフ役に配置転換されている。首位巨人を追撃するには投手陣では安田投手、鈴木投手、梶間投手の踏ん張りと打撃陣では両助っ人の爆発が不可欠である。


演技過剰だとこうなります
首位巨人にゲーム差「3」まで追い上げての対巨人12回戦を前に「先発はオレだ」と吹聴していた安田投手。雨で3連戦のうち2試合が中止となり是が非でも勝ちたいヤクルトとしては中4日で休養充分の梶間投手が先発だと誰もが思っており、前述の発言は安田投手の三味線だと報道陣には本気にされず試合前の練習時から緊張気味の梶間投手の登板が固いと思われた。巨人も先発は梶間投手と予想して相性の良い柴田選手を五番打者に起用した。ところがイザ、蓋を開けるとマウンドには梶間投手ではなく安田投手が上がったのである。安田投手としてはしてやったり。まんまと裏をかいた会心の演技だった。

ところが良かったのはそこまで。調子に乗ったのか本来技巧派の安田投手が「打たれた球はみんな直球(安田)」と5回途中でKOされ降板の憂き目に。「安田は単調すぎた」と広岡監督も渋い顔。「ヤクルトが2位にいる間はウチは安泰だ」と巨人の某コーチが発言したようにヤクルトが巨人の栄養剤になっていることを安田投手も知っている。だからこそ周囲に先発は自分しかない、と演技したわけだが上手くいかなかった。過剰な演技はいらぬところで神経を使い本来の投球を忘れる結果に。安田くん、自然体が一番です。


とにかくいろいろあったなぁ
首位巨人に大差をつけられているとはいえ前半戦をAクラスで折り返したヤクルト。そこでヤクルト担当記者が選んだ前半戦10大ニュースを紹介しよう。❶Aクラス:9年ぶりの9連勝もあり貯金3(7月20日現在)での折り返しは球団初。❷観客増:100万人の大台にあと一息の98万5500人。昨年同時期の72万8000人を大きく上回るリーグ2位。❸サッシー人気:予告先発三度、郷里長崎でのお披露目も結果を出せず二軍落ちとなったが、サッシー人気のお陰で「契約金(推定3000万円)は軽く取り戻したでしょう(某スカウト)」と球団はウハウハ。➍外人管理:不振のロジャー、マニエル両助っ人をベンチに下げた広岡監督の起用法が評価された。

❺故障者相次ぐ:松岡・若松・大矢・安田など主力がバタバタ離脱。右手首骨折の大矢以外は戻って来たが「皆が元気だったら今頃…」と広岡監督が悔やむのも頷ける。❻若手の活躍:梶間投手は新人王へまっしぐら。➐巨人コンプレックス:目下3勝12敗と巨人に勝てない。二軍も3勝7敗と兄弟そろって巨人が苦手?➑門限破り:大阪遠征中に宿舎を抜け出し麻雀をしていた槌田・中村・松村・上水流選手は即刻二軍降格。➒球宴初選出:若松選手が張本選手(巨人)を抜きファン投票初選出。「六度目の出場だが今年が一番うれしい(若松)」➓セ・リーグで初出場:大杉選手が監督推薦で通算7回目の球宴出場。セ・リーグ移籍3年目で初。
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# 808 週間リポート 中日ドラゴンズ

2023年09月06日 | 1977 年 



後楽園17連敗は監督の責任?
人工芝の後楽園球場でまたしても負けた。昨シーズンから勝ち星ゼロの17連敗。しかも負けたのがエース・星野投手とあってショックは大きい。「連敗ストッパー役はオレだ!今度こそ勝つ。負けたら名古屋に帰れん」と背水の陣で19日の対巨人9回戦のマウンドに上がった星野投手だったが2回裏に滅多打ちされ7失点降板。投球数はたったの45球。青ざめた顔はKOされたボクサーそのものだった。1週間前の甲子園球場で阪神相手に4安打完封した同じ投手とは思えなかった。気持ちばかり独り歩きし肝心の球のキレを欠いた。だが星野投手を責めるのは気の毒だ。もともと登板予定の初戦が雨で流れ次戦にスライド登板した。

これが普通のカードなら精神状態もそれほどでもなかったが「今度こそ巨人には負けられん」と人一倍責任感の強い星野投手にとって2日間の緊張感が如何に耐え難いものであったか。チームのペナントレースでの立ち位置、後楽園球場で昨年から勝てないなど中日を取り巻く雰囲気がさらに悪化してしまう状況に空回りしてしまった感じが強いのだ。地元名古屋の新聞社やテレビ局には試合中からファンの怒りの電話が鳴りっぱなしで応対した社員は「俺たちの責任じゃないのに何で怒られなきゃならんのだ」と愚痴った。中日OB評論家は「当然、与那嶺監督の責任だ。1日でも早く休養させない限りチームの立て直しに妙案はないですよ」と切り捨てた。


結論が出た。谷沢は常時一塁
「外野から一塁に変わって何となく落ち着かない」と当初は話していた谷沢選手。だが周囲の評判は「ライトより一塁の方が動きがいい。水を得た魚じゃないか」と " 一塁手・谷沢 " に軍配を上げる。6月26日の広島戦で不振のマーチン選手をベンチに下げ、谷沢選手が一塁に起用された。すると谷沢選手は反撃の狼煙を上げるタイムリー二塁打を含む2安打。29日の試合では通算1000本安打をマークした。「不思議なもんですねぇ。一塁だと投手に声をかける機会が増えてゲームに参加している意識が外野手の頃より強くなりました」と最初は一塁転向に戸惑っていた本人も今では肯定的だ。

打率が一時は3割を切り、昨年の首位打者が情けないと批判されていたが現在は打撃ベスト10に戻って来た。もともと谷沢選手を一塁に起用したきっかけはマーチン選手がスランプになり気分転換の意味でポジションを谷沢選手と交換し外野に戻したのが理由だった。つまりマーチン選手の調子が回復すればマーチン選手が一塁に、谷沢選手はまた外野に戻る予定だった。谷沢選手は口にこそしないが本音では「俺はマーチンのせいで一塁や外野を掛け持ちさせられたらかなわん!一塁なら一塁に固定してくれ」という無言の怒りで打棒が爆発したのだという見方はあながち間違っていないだろう。


おらが選手にファン歓喜
「中日にいて本当に良かった!」と藤波選手は心の底から振り絞ったように叫んだ。静岡・草薙球場での対大洋14回戦。終盤1点リードで登板した鈴木孝投手が打たれて5対5の同点に。9回表二死一・二塁の場面で打席には藤波選手。マウンドには新人の斎藤明投手。2球目を捉えた打球は左中間への三塁打となり勝ち越した。「どんな球だろうと、どんなコースだろうと直球一本に絞り思い切り振ることだけ考えた(藤波)」と。続く大島選手の適時打で藤波選手も生還しチームは勝利した。試合後には静岡出身の " おらがヒーロー " ・藤波選手を地元ファンが取り囲んだ。

その様子はまるで昨年末に藤波選手のトレード話が勃発した際に中日ファンが藤波選手を放出するなと球団に抗議した時さながらの大騒ぎとなった。「よかった、よかった。よく頑張った。これで球団も藤波選手の力を再認識しただろう。フルに使えばこんな活躍はいつでも出来る選手なんだよ」と地元ファンは声を大にする。藤波選手の実家は静岡市内で海鮮物商を営む。この日は店を早終いして母親・まつえさん(55歳)をはじめ親類縁者が中日ナインにスイカなどの差し入れを持参し球場で声援を送った。トレード話で暗い雰囲気だった身内の人たちに久しぶりに明るい表情が戻った。
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