Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 389 色々ありました 南海ホークス編

2015年08月26日 | 1983 年 
わざわざ面白話を探さなくても穴吹監督やドカベンの姿を追っているだけで面白いのが南海ホークス。それでも記録の方へ目を移せば門田の打点王あり、山内和の最多勝ありと実り多いシーズンだった。そんな偉大な記録に隠れているが珍しい記録にまつわる話…


初体験なんです…開幕から快調に打ちまくりプロ4年目にして本業の野球でようやく注目を浴びたドカベンこと香川選手。5月3日の近鉄戦でプロ入り初の三塁打を放った。体重100kg で走る事が最大の苦手な香川がゴムまりのように転がった。否、走った。プロ入り211試合目にして初体験だった。この先二度とお目にかかれないかもしれない出来事にスタンドのファンは大喝采。当の本人は周囲の笑いをよそに「ハァ、ハァ~、しんどいっスね。三塁打ってこんなに疲れるやね」と三塁ベースに腰を下ろし暫く動けなかった。

記憶にございません…「僕には本塁打はいりません。安打しか似合わないから」と日頃から言い続けている新井。小兵ゆえに「いらない」のではなく「打てない」のだ。ところが異変が起きた。9月15日の日ハム戦で高橋里、高橋一の2人から2打席連続本塁打を放ったのだ。「自分自身が一番ビックリしています。何であんなに球が飛んで行ったのかねぇ」と本人が信じられない以上に周囲が驚いた。普段は顔を見せない永井広報担当が記者席に現れ「新井の1試合2本塁打はプロ入り初。ちなみに法政大学時代以来の珍事」と報告すると「珍事はかわいそうだろ」と記者席は笑いに包まれた。

魔物が棲む球場…とにかく今季の南海は西宮球場で勝てなかった。プロとアマチュアチームが対戦しているかのようにコロコロと負け続けた。そこで誰かが言ったわけでもなく「ここには魔物が棲んでいる。じゃなかったらこんなに負ける筈がない」と。8月25日の試合にも負けて昨季から14連敗…。「こらぁ、エエ加減にせんかい!お前らプロか?たまには勝てや!」と熱心なファンも遂に堪忍袋の緒が切れた。「何でやろ?毎試合準備しデータを分析し試合に臨んでいるんやけどね…ホンマに不思議やわ」と穴吹監督もお手上げ状態。10月14日にようやく連敗をストップしたがこれで西宮球場の呪縛から解かれたかは不明だ。

石の上にも11年…新たな格言?を作ったのが池之上選手。投手で入団するも直ぐに投手失格の烙印を押され野手に転向。しかし野手でも目立った活躍には程遠くすっかり忘れられた存在となりそろそろ首の周りが涼しくなり始めた今季、突然変異とも言える大器晩成ぶりを発揮した。5月3日の近鉄戦で良川投手からプロ入り初本塁打。これを契機に打棒が爆発したのだ。周囲は勿論、本人までも「こんな事ってあるのか?」と不思議がる。プロ入り11年目にしての初本塁打も特筆ものだがここまで諦めずに努力してきた精神力にも脱帽だ。超遅咲きの池之上こそまさに「石の上にも…」の格言に相応しい男だ。

幻の一軍昇格…ベテランの山内新投手が極度の不振に陥り8月19日に二軍落ちし代わりに水谷投手が一軍に昇格した。度胸満点で抑え役にピッタリと期待されての昇格だったが好事魔多し。当日に肝炎を発症している事が判明して昇格当日に即降格の憂き目に会う事に。「お恥ずかしい限り。よし、やったるで!と意気込んだら病気になるなんて情けない…」と意気消沈。約2ヶ月の入院生活で今は元気になったが1日で登録&抹消は前代未聞。

満塁請負人…これぞ主砲の主砲たる所以。本塁打王に輝いた門田選手だが満塁本塁打4本はパ・リーグ新記録だった。5月24日に川原投手(日ハム)、5月27日に工藤投手(日ハム)、7月14日と9月13日は愛甲投手(ロッテ)から放った。通算では9本でこれは田淵(西武)と並ぶ現役最多記録。「たまたまそういう場面で打席が回って来るだけ」と本人は謙遜するがさすがポパイ、やる事がデカイ。
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# 388 色々ありました 近鉄バファローズ編

2015年08月19日 | 1983 年 
プロ初勝利…中継ぎで8勝して一躍新人王レースの先頭に躍り出た住友投手のプロ初勝利は4月24日の南海戦だった。谷崎投手の後を継ぎ二番手で登板して4回 2/3 イニングを2失点で降板した。勝利の瞬間マウンドにいたのは久保投手だったが勝ち投手は住友だった。久保は初勝利のウィニングボールを渡そうと住友を探したが自分は勝ち投手ではないと思い込んだ住友はそそくさとベンチ裏へ引き揚げていた。報道陣から勝利投手だと告げられると「エッ、僕がですか?本当に?」と何度も念を押すが半信半疑。小川に「お前が勝利投手だ、胸を張れ」と言われてセーブを挙げた久保から記念のウィニングボールを大事そうに受け取った。

とここまでは笑い話で済んだがもう一つの初勝利は笑えなかった。6月11日、日生球場での阪急戦でプロ6年目の良川投手が念願の初勝利を挙げた。先発の谷投手が5回途中で降板し二番手で良川が中継ぎ最後の2イニングを住友が投げて勝利した。西武をクビになり苦労した良川にとって待ちに待った初勝利だった。が、なんと住友は自分が勝利投手だと思い込みウィニングボールををスタンドへ投げ入れてしまった。直ぐに良川が勝利投手だと知らされるが後の祭り。急いでボールを探したが見つかる筈もない。「申し訳ない!」と平身低頭する住友であった。


いつも追っ手の足音を感じていた大石…大石が遂に世界の盗塁王・福本の牙城を崩し見事に盗塁王のタイトルを奪取した。昨季はシーズン終盤まで大石は福本をリードしていたが最後の最後で福本が1試合4盗塁の離れ業で逆転しタイトルを死守した。それだけに「5~6個はリードしてないと安心できません」の言葉通り5個差の60個で盗塁王のタイトルを手にした。しかし最終試合直前、得意の人工芝球場で荒稼ぎするまでは福本の足音が気が気ではなかった。来季は一転、最初から追われる立場となる。福本がいる限りゆっくり前だけを見つめて走り回れる事は無さそうだ。

珍プレーで名を上げた羽田耕一…羽田は決して守備が下手な訳ではない。昭和55年にパ・リーグを制覇した頃は大リーグの名手・ネトルズ(ヤ軍)になぞらえて「和製ネトルズ」と呼ばれていた程だ。ところが近頃フジテレビのプロ野球ニュース内の珍プレーのコーナーで羽田がゴロをトンネルする場面が繰り返し放送されると一躍全国区の人気者に。シーズンが終了しても特番に呼ばれ改めて特集を組まれると「羽田=珍プレー」がすっかりお茶の間に定着してしまった。本人は「皆さんに名前を憶えてもらえるのは嬉しいですけど、さすがにもういいですわ」と少々困惑顔の羽田であった。

妻の誕生日に「額の傷」を増やした鈴木啓…7月8日の平和台球場。マウンド上には通算 500被本塁打にあと1本となった鈴木投手がいた。「ワシは打者に真っ向勝負を挑むから一発を喰らう事が多いんや。並みの投手ならここまで打たれる前にクビになっとるで」と常々言っていた。そしてこの日、相手にとって不足はない門田(南海)に右中間席に運ばれ遂に500本目を献上した。試合もこの一発が効いて3対4で敗れた。鈴木は試合終了後「今朝、何気なく新聞の日付を見たら女房の誕生日だった。すっかり忘れてて…」と明かした。誕生日プレゼントは用意しておらず勝ち星で勘弁してもらおうとしたが門田の本塁打でフイに。宿舎に帰り恵子夫人に「大阪に戻ったら食事でも」と詫びの電話を入れた。「ワシにとって被本塁打は男の向う傷や」と胸を張っていた鈴木もこの日ばかりは打たれてガックリ気を落とした。

最後まで口下手だった関口監督…10月21日、藤井寺球場内で辞任の記者会見に臨んだ関口監督。 " 仏のセキさん " と呼ばれているが実は物凄い熱血漢だが口数は決して多くはなく常々「ワシは口下手だから人前で話すのが苦手で…」と言っていた。そんな関口監督がかしこまった場で話す事に。「チーム管理が上手くいかず西武に独走を許した責任は…やはり監督である自分にあり…」と身体の中のたぎる血を抑えながら慎重に " 仏 " を最後まで貫き、静かに35年間も着続けたユニフォームを脱いだ。
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# 387 色々ありました 日本ハムファイターズ編

2015年08月12日 | 1983 年 
8月には優勝戦線から完全に脱落し、後は個人記録に目標を絞る事となりチームは3位。個人タイトルは二村と島田誠の2人だけと不甲斐ない1年だった。


320万円の靴で稼いだ34S…宿敵・西武に春先から独走を許し最終的に「20.5 ゲーム差」の3位に甘んじた中で唯一、守護神・江夏の2勝34Sだけは年俸7千8百万円に見合った成績だろう。思い起こせば昨年の西武とのプレーオフで片平、テリーの左打者にプッシュバントを決められ屈辱の涙を流した。苦手のフィールディングを突かれたのを教訓に今季は福本(阪急)や島田誠(日ハム)といった韋駄天が特注しているカンガルーのバックスキンで作られている軽量スパイクを40足もあつらえた。1足が8万円もするので計320万円の出費である。そのお蔭もあってか5年連続最優秀救援投手のタイトルこそ森(西武)に譲ったが2勝4敗34Sは合格点。シーズン終盤まで森とデッドヒートを繰り広げセーブ数は同じだったが最後は勝利ポイントの差で敗れた。「このタイトルだけは死守しようとしたが…来年も逃すようなら潔くユニフォームを脱ぐ」とまで宣言した。

9年目で花開く…プロ8年目の昨季、初めての一軍で4勝を上げた川原投手が今季は一気にチームの勝ち頭(11勝)に登りつめた。昨季同様に中継ぎ、敗戦処理で黙々と登板しているとあれよあれよと言う間に勝ち星がついていた。しかも東尾(西武)とシーズン終盤まで防御率のタイトルを争うまでに成長した。5月末に中指の爪を割るアクシデントに見舞われたが球宴後には破竹の5連勝。8月には6勝1敗1Sで月間MVPに選出された。「本当にやり甲斐のあるシーズンでした。初めて表彰されて終盤には2試合先発させてもらい感謝しています。防御率のタイトルは逃しましたがプロでやっていく自信がつきました」と充実した1年を振り返る。来季は植村新監督の下、先発・中継ぎ・抑えの何にでも挑戦する覚悟でいる。

チャボの快進撃…1㍍68㌢、66㌔ の小兵・島田誠が暴れまくった。先ず昨季までのプロ6年間で通算23本塁打だった非力男が今季は一気に14本塁打の大変身。加えて年間150安打はクリア出来なかったが自己最多となる148安打を放ち打率も三度目の3割を越えた(3割3厘)。更にダイアモンドグラブ賞にベストナインにも選ばれた。「大石(近鉄)に盗塁王は譲ったが来季こそタイトルを獲る」と高らかに宣言した。初の " 後楽園MVP " にも輝いた理由の一つが7年間で通算245盗塁、平均でも35盗塁した俊足である。どうやら切り込み隊長の活躍次第が来季の日ハムの浮沈を握っているようだ。

ここにも原因があった…「不振の原因は何かと問われても…要は力不足って事」と自虐的に話すのは今季まったく精彩を欠いた柏原。独走した西武が春先から両外人や田淵の活躍で波に乗ったのと対照的に日ハムの主砲・柏原の不振は目を覆わんばかりだった。好機に確実に適時打で得点する西武、同じく好機に凡打やゲッツーの日ハムでは勝負にならない。特に柏原は今季21個の併殺打ときては「純一が1本打ってれば状況は違ったな」と大沢監督の嘆きも頷ける。キャプテンの体たらくはそのままチームの低迷に直結したのである。

あと3つ残して…武蔵坊弁慶の " 千人斬りは " 牛若丸によって、あと一人で阻まれた訳だが高橋一投手は史上10人目の2千奪三振の快挙を自らの意志で絶った。プロ19年目、巨人時代から右打者の外角低目に逃げていくスクリューボールを武器に公式戦や日本シリーズで8度も胴上げ投手になった。通算 595試合・167勝132敗12S・防御率 3.18 の数字を残し、あと3個で2千奪三振だったが「もう体力も気力も無くなった」とユニフォームを脱いだ。周囲はまだやれる、せめて三振の記録を達成してからでもと説得したが本人は「もう未練は無い」とキッパリ。いや~惜しい。実に惜しい…
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# 386 色々ありました 阪急ブレーブス編

2015年08月05日 | 1983 年 
今季は2位になったと言っても優勝した西武には大差をつけられた。低迷と言っていい今季だったが暗い話題ばかりではなかった。水谷の打点王、蓑田の快記録など明るい話題もあった1年を振り返る。


2人の息子のお蔭です…打線の主役は水谷だった。広島から移籍1年目で初めてのパ・リーグ投手を相手に打点王を獲った。水谷を支えたのが長男・一郎くん(4歳)で西宮球場で土・日曜日に試合がある日は欠かさず駆けつけ声援を送った。水谷パパは「息子にあれだけ応援されたら打たん訳にいかんやろ。それに加えて今年はもう1人 " 息子 " が増えたからな」と。" 息子" とは5月に購入したベンツ(ちなみにお値段は1千万円也)。まるで愛おしい我が子のように可愛がり西宮球場に乗って来る。ところが買って1ヶ月も経たないうちに心無いファンに傷をつけられ大ショック。修理代は100万円ほどかかり「野球の方は上手い事いったのに…ホンマ、今思い出しても頭にくるワ」と怒りは治まっていない。来季プロ15年目を迎えるベテランは通算1500本安打と250号本塁打を是非とも達成したいと目論んでいる。

夫人の理解あればこそ…水谷に負けず劣らずの活躍を見せたのが蓑田。史上4人目となる「3割・30本塁打・30盗塁」の快挙を成し遂げた。奇遇にも蓑田も5月に水谷同様に新車を購入した。こちらはボルボでお値段は1千万円を少し越える。知人の紹介で購入したのだが実は真実子夫人には事後承諾だった。「プロ入りを決めた時も女房には相談しなかった。男の決断に女は関係ないよ」と亭主関白ぶりをチラリ。少々格好つけ過ぎかもと思われるがこれが蓑田の生き方なのだ。5年前に購入した我が家(5千万円)のローンに加え借金が増える事となり「借金は全然減らんわ。でもこれが俺の原動力で追い込まれた方がやる気が増す」と一笑に付す。苦手の夏場は鹿角霊芝なる漢方薬を服用しベスト体重を維持、加えて真実子夫人お手製の鍋料理で暑い季節を乗り切った。夫人の内助の功があればこその大記録達成だった。

贅沢は禁物です…弱体投手陣と言われた中で奮闘した一人が今井投手。シンカーを駆使して6月には月間MVPに選ばれる活躍だった。好調の秘訣は恵美子夫人の手作り料理。子供や奥さんたちの朝食はパン中心だが今井は「特に好物はないけど米にはうるさい方やね。味噌もやっぱり故郷(新潟)のがいい。贅沢して美味いものばっかり喰ってちゃ良い成績は残せんのや」と頑固一徹ごはん党。そんな今井を恵美子夫人に採点してもらうと「100点」との答え。「皆は俺の事を大酒飲みと言うけど家では大人しいもんやで。ビール1本でエエ気分になる」と100点は当然とばかり大きな顔。もっとも酒好きなのは相変わらずでブランデーを緑茶で割った " 雄ちゃんカクテル " なるものを考案して山田や松永に盛んに勧めて「これを飲めば次の日は必ずエエ結果が出る。山田なら完封、松永なら猛打賞やで」と底抜けに明るい今井だった。

オフの主役は懲り懲り…今季は主役になれなかった山田投手だがオフに突入するや主役に躍り出た。阪神や巨人をはじめ数球団からトレード話が舞い込んだのだ。開幕から7試合連続完投しつつも1勝6敗と勝ち運に見放された。これだけ出足しの悪いシーズンは経験していない。「私が球場へ行くと勝つ確率が高いのに主人は『来るな』の一点張り。素直じゃないんだから」と幸枝夫人はその頃しきりに山田を説得したが山田は「夫が苦しんでいる姿を女房に見せてどうする」と頑として受け付けなかった。更に6月には右肩痛で1ヶ月間の戦線離脱。「1ヶ月間何もしなかったのが良かったのか後半戦に7連勝出来たけどトータルで見たら今年ほど苦しいシーズンはなかった」と振り返る。オフシーズンはゴルフ三昧の毎日を過ごし「トレード話もそろそろ落ち着くだろうし後はノンビリさせてもらう。来年こそ200イニング・20勝してシーズンの主役になりたいね。オフの主役はコリゴリや」と山田は苦笑いする。
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