Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#157 1981年 キャンプ いろいろ ①

2011年02月23日 | 1981 年 
今年のキャンプも終盤になりオープン戦の時期になりました。メディアは日ハムの斉藤投手を盛んに
追いかけ続け少々飽きてきましたが、1981年のキャンプでの「原フィーバー」は斉藤以上でした。



評論家の評価は原より石毛の方が上で実際に成績は石毛が上回りました




杉本(西武)・大石(近鉄)などはキャンプの段階から注目されていました




武藤(ロッテ)は高校卒業時にもドラフト指名される程の選手だったのに・・

原を外した広島は川口投手で結果オーライでしたが日ハムは高山に入団拒否され踏んだり蹴ったり
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#156 江夏⇔高橋直 トレードの泥沼化 ③

2011年02月16日 | 1981 年 
   



揉めに揉めた「功労金」を巡るゴタゴタがキャンプインが目前となった1月中旬に、ようやく決着しました。
1月10日から日ハム投手陣の合同自主トレが始まり、キャンプに向けて球界が動き始めても膠着状態の
ままで、最悪の場合はトレードが御破算になるのではとの懸念が出始めていました。「あんな純真な男が
ナゼ?(安藤ファームディレクター)」 「誰かに踊らされているとしか思えないよ。功労金が貰えるなんて
考えられない事だよ(丸尾球団顧問)」と球団内から非難の声が出始めた1月14日に高橋が突如として
広島東洋カープの球団事務所を訪れて「お世話になります」と移籍を了承しました。

通告から3ヶ月、今季最大のトレードがこれほど揉めた裏には高橋のある勘違いが原因でした。通告後
スポーツ紙上で「功労金・1千万円」が一人歩きし、本人はもとより夫人までがその気になり周囲までも
巻き込んでしまったり、騒動の最中に不幸にも夫人が流産してしまい感情的になってしまったことなど
本題と関係の無いところで揉めてしまい長引いてしまいました。

丹羽球団社長・三原球団代表が1月10日に都内で高橋と会談し「野球協約に基づいた話し合い」の
形は崩さず、一方で「引っ越し代 50万円に餞別費として500万円」に上積みした譲歩案を提示して
高橋もこれを了承したと言われている。「金銭の事でゴネていると誤解されているけど問題は球団の
態度。2ヶ月も粘っただけあってトレードのあり方や球団の態度に対する一選手の抗議は達成された
これでスッキリした気分で広島へ行ける」と気持ちは既にカープの一員だそうだ。

当時の各球団のフロント陣は主に親会社からの出向社員が就き、数年で定期的に交代する場合が多く
前例を踏襲する「事なかれ主義」が殆んどで、球界を改革しようという球団は有りませんでした。 しかし
日ハムは選手・監督の経験者である三原脩球団代表を起用していて他球団とは状況が違っていました。
三原氏はプロ野球界の悪しき慣習には否定的で今回の騒動は球界浄化を求める三原氏の存在が関係
していたのかもしれません。これだけ揉めて入団した高橋でしたがセ・リーグの水が合わなかったのか
2年間の在籍で僅か2勝に終わり、あっさり西武へトレードされてしまいました。




 

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#155 江夏⇔高橋直 トレードの泥沼化 ②

2011年02月09日 | 1981 年 
  


一方の高橋も日ハムと揉めていました。高橋はシーズン中に球団批判をして罰金10万円を課せられ
周囲ではトレード要員と噂されていましたが10月19日に大沢監督と話し合い、残留が決定しました。
11月5日には翌年用のチームカレンダーの撮影も済ませて、高橋の移籍騒動は決着したはずでした。
ところが11月11日の午前9時、横浜市日吉の自宅で球団から広島へのトレードを電話で告げられて
「裏切られた」が最初の感想だったそうだが、かねてよりセ・リーグ移籍を希望していたので「望まれて
行くのなら」とトレード自体は了承していたのでしたが・・・

表面的には報道されていないが、トレードされる選手へ密かに裏金が支給されている事を他チームの
選手から聞かされていた高橋は「自分はチーム生え抜きのエースとして尽くしてきた」というプライドも
あり、広島へ行くにあたって当然『功労金』が出ると思っていたが野球協約には功労金の事など一言も
触れておらず、もし球団が公然と金を出したら協約違反である。日ハムは高橋との下交渉で功労金の
支給には言及しなかった。

心の整理がついた11月22日、「納得できる条件を出してくれるのなら」と球団の出頭要請に応じた
高橋は 「功労金は幾ら出すのか」 「コーチとして将来復帰できる約束を」 と切り出したが球団側の
答えは「全く考えてない」とにべもないものだった。逆に「協約によりトレード通告には選手は100%
従わざるをえない」とルール(野球協約)の絶対性を主張し両者の対立内容が表沙汰になりました。



聞き手  もつれた理由は何ですか?
高 橋  一言で言ったら担当の小島さん(球団取締役)が日本の球界の実態が分かっていないという事だろうね
      全て大リーグ式にやろうとするでしょう?日本とアメリカでは違うという事が分かってない

聞き手  具体的には?
高 橋  トレード通告を受けた時に「条件は?」と聞いたら「そんなものは何もない」そして「協約・協約」の一点張り
      下交渉なら電話で済むのに「球団事務所まで来い」と高圧的。日本ではビジネスライクな対応は無理ですよ

聞き手  高橋さんの言う条件とはズバリ功労金ですか?
高 橋  僕の場合は他のトレードとは違う 「江夏がどうしても欲しい。江夏と釣り合うのは高橋直しかいない。チームの為に
      広島へ行ってくれ」 いわば一種の迷惑料ですよ。12年もエースとしてやってきた選手と2軍の選手とでは扱いが
      自ずと違って当たり前でしょ。交渉を何度か重ねるうちに「200万円」という具体的な額が初めて提示されたんです
      最初は引っ越し代も出さないと言っていたんですよ

聞き手  野球協約には功労金などという規則は無いですけど?
高 橋  協約が万全でない事は江川問題でハッキリしたでしょ。契約更改でタイトル料なんて項目は無いけど現実にはまかり
      通っているじゃないですか。大物トレードには常に裏金が動いてますよ、協約はあくまでも目安であって現実とは違う
      なんて事はプロ野球選手全員が知っていますよ

聞き手  お金にこだわり過ぎると高橋投手のイメージが悪くなるのでは?
高 橋  現実的に関東から広島へ移るには相当なお金がかかりますよ。横浜の自宅も手放すわけにはいかないから、たまに
      上京して手入れをしないとけない。僕が要求しているのは当然貰っていいお金だと思っています。日ハムから広島へ
      戻った佐伯投手が「日ハムへトレードされた時はカープが引っ越し代を出してくれたし、今回のカープへの出戻りでも
      カープが費用を出してくれた」と言っていましたよ

聞き手  明るい展望はないですか?
高 橋  中途半端に歩み寄っても自分のプライドが傷付くだけだし僕にも意地があるから、とことんやるつもりです。でも野球を
      辞める気は全く無いですよ、スッキリした気持ちで広島へ行きたいですね



年が明けて両者は何度か交渉を重ねて日ハムは「引っ越し代50万円を含めて餞別として250万円」を
提示したが高橋の答えは「NO」 「1千万円はプロの世界でいう誠意だ」と一歩も引かなかった。江夏の
入団発表会見を1月10日に開くと告知していた日ハムは事態解決に焦り出し、1月7日に再交渉をして
「250万円に若干の色をつける」と譲歩したが高橋は折れず1月10日現在、両者の対立を緩和させる
材料は全く無い。野球協約上、リーグ会長に調停を申請できるのは契約問題に限られておりトレードの
紛糾に関する規定条項は無く、さらに日ハムは野球協約の絶対性を盾にしているだけにリーグ会長に
解決を委ねるわけにもいかず手詰まり状態なのである。  ・・・つづく 



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#154 江夏⇔高橋直 トレードの泥沼化 ①

2011年02月02日 | 1981 年 
  


今シーズン終了後にトレードが成立し両球団から発表されたにもかかわらず、一向に進展せず
ドロ沼化してしまい江夏が移籍をゴネている間に一方の高橋まで揉め出しました。事の発端は
日本シリーズ終了後に江夏が「自分を必要とする球団へ行きたい」と発言し、退団する意向を
表明した事によるもの。さらに言うと江夏の首脳陣不信は前年の日本シリーズまでさかのぼる。
あの「江夏の21球」の際、古葉監督がブルペンに次の投手の準備を命じた事に江夏が「自分を
信用していないのか」と反発し、火種は翌年のシーズン中も燻り続けて遂に爆発したのだった。
日本シリーズ終了後、宮崎・鵜戸神宮へ勝利の報告をチーム全員で出向いた際にトレードを通告
された事に江夏が「時と場所を考えろ」ヘソを曲げたのだが、そもそも言い出しっぺは江夏でした。


「オレの広島での役目はもう終わりだ。野球の奥義を窮める為にもユニフォームを変えてみたい」と親しい新聞記者に
洩らしたのは今季のシーズン途中での事。そして日本一達成翌日の一部スポーツ紙に 「野球以外に出来る事は無い。
広島に拾われてここまで来れた。広島が要らないと言えばユニフォームを脱ぐかチームを変えるしかない」と発言したと
掲載された。これに対し古葉監督は「要らないなどと言った覚えはないし江夏は来季も戦力として考えている。 しかし
1人の為に他の59人を犠牲には出来ない。カープはナインの和をもってやって来れた。ウチで今以上のモノを求めて
いるのなら無理だ」と言い切った。江夏はスポーツ紙の報道を「あんな事は言っていない。言ってはいないが、仮りに
球団がいらないと言うなら去るしかない」と全面否定はしなかった。問題解決の為に江夏と直接会って話さないのかと
記者に問われた古葉監督は「何も言っていないという人間に会う必要があるのか。言ってもいない事を書かれたのなら
本人がハッキリと(報道陣の)皆さんの前で否定するべきだ。それを見て判断します」と突き放した。


広島が江夏を放出する。救援投手を求める球団は色めき立ち、特に日ハムは早々にラブコールを
送った。「ここぞという時に信頼できる抑え投手が一人いてくれたら、幾つ勝ちゲームを拾えたか」
「小物はいらん。あくまで大物狙いでいく」 そんな矢先に舞い込んで来たのが江夏の放出情報で
大沢監督・小島担当重役は間髪入れず獲得を宣言しました。ただし、江夏獲得を考えていたのは
日ハムだけではありませんでした。西武は大田卓司外野手、ヤクルトは井原慎一朗・西井哲夫の
両中継ぎ投手を交換要員に交渉を進めていました。出遅れた日ハムは大沢監督自ら広島へ単身
乗り込み、広島・松田オーナーと古葉監督の2人相手に直談判しました。松田オーナーの自宅で
交渉が始まり、セ・リーグへは出したくない広島は日ハムとのトレードをその場で決定しました。

「江夏君は日ハムへ預けたい。その代わり高橋直樹投手をウチに譲ってください」と古葉監督が
切り出しました。江夏は欲しい、しかし高橋直は出せない・・大沢監督は決断できずにいた。実は
数週間前、高橋に“優勝するために投手陣のリーダーになって引っ張ってくれ”と大社オーナーの
自宅で5、6時間も話をしたばかりだった。オーナーは高橋夫妻の仲人もしていて可愛がっていた。
「他の選手なら誰でも譲る。ナオだけは勘弁してくれ」 と懇願したが、松田オーナーも古葉監督も
高橋以外はダメだと引かなかった。

すでに日付は変わっていた。悩みぬいた挙句、大沢監督は独断で高橋放出を決めた。「ストッパーが
いれば今の戦力なら優勝できる。江夏以上の抑えは今の球界にいない。高橋は惜しいし約束を破る
ことになるが二度と悔しい思いはしたくない」こうして球団間の話はつき、後は本人に通告するだけと
なった段階でマスコミに漏れてしまった。あくまでも新聞辞令だが、高橋直と交換トレードが成立との
記事に江夏が噛み付いた。江夏の言い分は 「自分は金銭トレードで広島へ来たから今回も金銭で
トレードして欲しい。自分の我が儘で移籍させられる相手が気の毒だ」と。この発言に広島がキレた。
「トレードに選手の意思は反映されない、あくまでも球団間の事務的手続きに過ぎない」と応酬。再び
江夏と球団は対立しトレード話は中座、進展のないまま越年し長引いている間に一方の高橋投手も
日ハムと揉めだしたのでした。   ・・・つづく

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