Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 9 観客動員

2009年03月29日 | 1977 年 
それまで水増しが当たり前であった観客数を正しく発表するとしましたが、去年 "ぴあ総合研究所"が
各球場の実態を調査してみると・・・ <週刊ダイアモンド 2008-8-2 号より>


             公式発表   ぴあ総研   水増し数     %
       阪神     43,669    33,317    10,352     31.1
       巨人     40,436    27,107    13,329     49.2
       ソフト     32,044    22,567     9,477      42.0
       中日     33,202    22,417    10,785     48.1
       日ハ     25,459    18,045     7,414      41.1
       ロッテ     21,645    15,214     6,431     42.3
       横浜     17,111    11,546     5,565     48.2
       ヤク     18,517    11,436     7,081     61.9
       楽天     15,519    10,258     5,261     51.3
       広島     15,681     9,768     5,913      60.5
       オリ      15,794     9,067     6,727      74.2
       西武     15,817     7,762     8,055      74.2



球団によっては年間予約席をカウントしているからと言いますが、それは「観客」=「来場者」ではないですね。
水増しは昔から恒常的に行われている根が深い問題で、30年前には既に公然の秘密でした。

記事では、「日本シリーズやオールスターのように入場者は実数で発表すべきだ」に対し「そんな事をすれば
入りの良い球団はともかく2千人や3千人では、かえってイメージダウンの方が大きくなる」と公言しています。
水増しを是としているだけでなく、球団によって水増し率が異なるのは不公平だから全球団が一律の割合で
観客数に上乗せして発表すべきと提案する球団上層部すらいたそうです。

プロ野球界では、この様な考え方が今の時代まで脈々と受け継がれてきました。それを反省し正直に
発表しようと12球団で合意しても遵守しているとは言えないようです。球団の親会社はマスコミ・食品・
流通と、コンプライアンスを重要視する企業が多いのに自分達で決めたルールすら守らないなんて・・・
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# 8 年俸 (金額は推定)

2009年03月27日 | 1976 年 
                       2009年 野手・投手別 年俸トップ10
             ① 金本 5億5千万     ① 岩瀬 4億3千万
             ② 松中 5億         ② 藤川 4億
                ラミレス 5億       ③ 岩隈 3億
             ④ 小笠原 3億8千万    ④ 石井一 2億8千万
             ⑤ 高橋由 3億5千万    ⑤ ダルビッシュ 2億7千万
             ⑥ ローズ 3億2千万    ⑥ 三浦 2億5千万
             ⑦ 小久保 3億        ⑦ 清水 2億4千万
             ⑧ 和田 2億8千万     ⑧ 和田 2億3千万
             ⑨ 阿部 2億7千万        杉内 2億3千万
             ⑩ 青木 2億6千万     ⑩ 豊田 2億1千万
                村田 2億6千万
       ※ラミレス・ローズは日本人扱い

当時の一流選手の目安は「1千万プレーヤー」 村田兆治、山田久志、堀内恒夫 等 各球団の
エース達も揃って1千万台でした。 ちなみにトップ5は
 ①王 5,700万  ②ジョンソン 3,900万 ③田淵 3,800万 ④野村 3,400万 ⑤張本 2,800万

南海・山内投手は3年前に20勝をあげた投手ですが、それでも年俸は300万。そして自身2度目の
20勝をあげたこの年の目標が1千万だと言っています。ロッテ・村田投手は21勝&2年連続で獲った
防御率1位の成績を引っ提げて契約更改に臨みましたが、1千万が50% UP の1千5百万の提示に渋々
サインしました。

チームは巨人を倒して日本一になった阪急のエース山田投手はMVP&26勝と大活躍でしたが
1千3百万を2千万にするのが目標だと実に控えめです。巨人・堀内投手は1千80万を維持して
「1千万プレーヤー」を守りたいとコメントしていたので、エースの働きが出来なかったのだろうと
思いましたが、実際は14勝6敗と今なら確実に増額する成績でした。

今回のWBCで活躍した岩隈投手の昨季1億1千万が今季は3億で1億9千万のUP額や
昨オフにFAで10億だ15億だと騒がれた横浜・三浦投手の年間キャリアハイが12勝だと
いう事に山田や村田はどう思っているのでしょうか、生まれて来るのが早過ぎました・・・。
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# 7 ドラフト ②

2009年03月25日 | 1976 年 
前回、触れた原を巡る騒動について時系列でまとめてみると
 ・11月15日 家族会議で大学進学を確認する 
 ・11月16日 父 貢氏の東海大学野球部監督就任を発表
         原、津末、村中の進学予定を発表 「プロ入りは100% 無い」
 ・11月19日 ドラフト会議で原は指名されず、ドラフト外獲得対象選手となる
 ・  同    ドラフト会議終了後、長嶋監督が「オーナーにお願いして交渉してもらう
         あれだけの選手を放っておく手はないでしょう」
 ・  同   正力オーナー 「長嶋君がもう喋っちゃったのかね、交渉しますよ
        自信は半々だが手は打ってある」 この「手は…」で騒動に火が点く
 ・ 同 夜  中尾スカウト部長が電話で交渉を申し込むが原側は断る
 ・11月21日 長嶋監督の親書が届けられたとする一報
 ・11月22日 巨人側が東海大総長・松前氏に近い人物A氏に仲介を依頼と報道
         A氏は自信満々に「2~3日後には巨人入りの結論がでるだろう」
         この発言で世間に巨人との密約説が出始め東海大学も批判の対象となる
 ・11月24日 松前総長自ら会見し「もしプロ入りしたら、あの会見は何だったということになる
         そんなことをしたら大問題になる」
         「プロ入りさせたいなら私を殺さなくちゃダメです」「天皇陛下が来てもダメです」

    この松前発言で原騒動はあっけなく終息へと向かったが巨人側は未練タラタラ・・

この後に書かれている記事は今の週刊ベースボールでは考えられない裏付けの無いもので
まるで日刊ゲンダイを読んでいるようです。「~らしい」 「~だろう」 「かもしれない」  等々…
推測・憶測・伝聞 ばかりです。確かなのは巨人はこれに懲りず「空白の1日」 「K・Kドラフト」に
やがて突き進んでいくということです。
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# 6 ドラフト

2009年03月22日 | 1976 年 
    この年のドラフト会議では71名が指名されました。

          12球団1位指名選手
  B 佐藤義則(日本大)     C 山崎隆造(崇徳高)
  H 武藤一邦(秋田商)     D 都裕次郎(堅田高)
  O 森繁和 (駒沢大)      T 益山性旭(帝京大)
  F 黒田真二(崇徳高)     S 酒井圭一(長崎海星)
  Bu 久保康生(柳川商)     W 斉藤明雄(大商大)
  L 立花義家(柳川商)     G 藤城和明(新日鉄)



 1位で指名したものの、南海・ロッテ・日ハムは入団を拒否されました。

その後の成績を見ると佐藤・斉藤はタイトルを獲得、久保・山崎も主力となり
他の選手も一応は一軍を経験したので、まぁ成功の部類には入るでしょう。

2位以下では中日・宇野、近鉄・山本カズ、ロッテ・仁科、日ハム・大宮
巨人・松本らが下位指名から主力選手に這い上がったと言えるでしょう。
指名されなかった原(東海大相模)を巡ってドラフト後にヒト騒動ありましたが…
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# 5 韓国プロ野球

2009年03月21日 | 1976 年 
今回のWBCでも日本のライバル 韓国代表の中心を成すプロ選手が誕生するまでには
紆余曲折があったようです。当初は1976年にプロ野球を開幕させる計画でしたが、実際は
1982年まで実現しませんでした。日本のプロ野球誕生は1935年ですから、50年遅れての
プロ化でした。遅れた要因の一つが兵役でした。韓国でも高校・大学・社会人野球が
存在しますが、兵役によって最盛期を過ぎた選手による社会人野球はレベルが低く人気は
ありませんでした。兵役がある以上 プロ化しても状況は同じであるとして気運は盛り上がらず
開始が遅れたうえ、始まっても予想通り低迷期が続きました。

しかし、その兵役を逆手にとって国際試合で好成績を収めれば免除するという制度によって
優秀な選手がプロ入りするようになり、韓国プロ野球の実力は徐々に上がり始め 今では
日本と互角 あるいはそれ以上の強豪国になりなした。五輪で野球が除外されて国際試合が
アマチュア中心の世界選手権とWBCくらいになってしまい兵役免除のチャンスが少なくなり
これまで以上に韓国選手は必死になってくるでしょうね。
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# 4 甲子園球児

2009年03月20日 | 1976 年 
高校時代の江川と松坂はどちらが上?と聞かれたら、凄みなら江川・力量なら松坂と答えます。
もし同時期に存在していたら松坂の方が上だと思います。江川の「凄み」とは打者との相対的な
力の差が圧倒的だったという事ですが当時の打撃練習は同じ高校生が投げる球を打つくらいで
ピッチングマシーン相手の練習で打撃技術が上達した頃だったら、A級の投手である事には違い
無いが"怪物"ではなかったと思います。

'70年代の高校生は甲子園出場校レベルでもプロとの力量差は大きく、高卒プロ入りしていきなり
一軍はもちろん、清原・松坂・マー君らのように主軸になる事は皆無でした。それは高校生自身も
自覚していたようでドラフトで指名されてもプロ入り拒否した選手が多数いました。

'76年のドラフトの目玉は投手は酒井(長崎海星)、打者は原(東海大相模)でしたが、全指名71人中
高校生は40人 そのうち13人が拒否しました。特に大洋は指名した6人のうち5人が高校生でしたが
4人に拒否されました。
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# 3 プロ野球人気・今昔

2009年03月18日 | 1976 年 
最近は視聴率低下やファン離れなど暗い話題が多いですが、30年ほど前は今では
考えられないくらいプロ野球人気は高かった(正確に言うと巨人人気)。 記事によると
この年にフジTVの"プロ野球ニュース"が始まり、パ・リーグの試合中継を望む声もあり
NHKを含め巨人戦以外を中継する局があったが視聴率は軒並み低く、民放はすぐに
撤退したそうです。民放の巨人戦は午後7:30~8:54 迄で延長は無く、途中で番組が
終わると苦情が殺到しました。当時はTVK(テレビ神奈川)などのU局がリレーナイターを
やっていて、視聴率はU局としては異例の15%を超えていました。

またチケットも入手は難しく前売り券を求めて銀座のプレイガイドに午前10時発売のために
出勤途中のサラリーマンが6時から行列を作っていました。「切符よこせデモ」が起きかねない
狂乱状態であると記事は結んでいます。
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# 2 選手とファンが殴り合い?

2009年03月16日 | 1976 年 
記事によると '76.4.16 広島-巨人 戦
広島1点リードの9回表 ランナー2塁で中前打、ホーム上でクロスプレー 判定は「アウト」
これに巨人側が猛抗議、ここまではよくあるシーンだったが、1人の広島ファンが乱入して
長嶋監督らに飛びかかった。それに続いて約30人程が乱入し暴徒化した。中には鉄棒を
振り回す輩もいたそうです。それに対し巨人の選手・コーチも応戦しグラウンド内は大混乱に陥り小競り合いで流血したファンもいた。事態はこれで収まらず選手らを待つバスを約2000人の
ファンが取り囲み選手は球場に足止めとなっていたが警護されながらバスに乗り込んだ。
ここで再び小競り合いが起き広島ファン2人が頭と腹に重傷を負った。乱闘は事件へと発展し
警察は巨人の選手・関係者を事情聴取した。



この事件は巨人選手は被害者だとする読売新聞と加害者だとする朝日新聞の代理戦争へと発展したそうです。

# 607 広島市民球場乱闘事件 参照
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# 1 お宝 or ゴミ?

2009年03月15日 | 1976 年 
        


納戸の中を整理していたら昔、せっせと買っていた週刊ベースボールが大量に

出てきました
   今は野球に興味が失せてしまったので、捨ててしまおうかと


思いましたが読み返していたら懐かしい写真・記事もあったので投稿してみようと


いうことになりました
  貧乏ヒマなしのサラリーマンですので毎日更新は無理ですが


少しずつでも投稿していきます
  著作権など権利関係は大丈夫かな?


全部を確認してませんが今のところ一番古いのは 1976年モノです
 
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