Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 853 週間レポート 阪急ブレーブス

2024年07月17日 | 1977 年 



歯切れも悪いインタビュー
2年連続の前・後期制覇の野望に黄色信号が灯った。対南海9回戦(大阪)はちょうど後期シーズン30試合目だったが逆転負けで14勝15敗1分けと勝率5割を切り4位に転落した。上田監督のショックが大きかったのはエース山田投手で負けたこと。山田投手は8回まで南海打線を2安打1失点に抑えていたが、阪急打線も藤田投手に1得点に抑えられ最後は山田投手が苦手の門田選手に17号3ラン本塁打を浴び負けてしまった。前日の試合は足立投手、前々日は稲葉投手とエース級を起用したが同一カード3連敗を喫してしまった。無論、投手陣を一方的には責められない。攻撃陣の3試合の得点が3点・1点・1点で勝てというのは難しい。

「今日は何も話すことはない。こんな不細工な試合を続けていては」と普段は流ちょうにインタビューに対応する上田監督も歯切れが悪い。貧打線に投手陣払底の今こそ文字通り「家貧しくて孝子顕る」を期待したが現れなかった。対南海戦3連敗後、舞台を平和台球場に移した対クラウン4回戦に上田監督はナント三枝投手を先発に起用した。三枝投手はドラフト外で大昭和製紙富士から入団したルーキーだ。カーブとシュートを駆使する中継ぎ投手を先発させる上田監督の奇策だった。3回までは無難にこなしたが一回りした4回に打ち込まれ敗戦投手に。これで4連敗で借金「2」となり5位転落。「ウ~ン…」と頭を抱える上田監督は言葉を失った。


ミスターブレーブス二軍落ち
長池選手が8月16日に一軍登録を抹消され当分の間ファームで調整することになった。痛めていた右手中指突き指の回復がおもわしくないところへ古傷の右足アキレス腱痛が再発した為。故障を発症した後も一軍に帯同し一緒に練習を続けていたがベンチ入りは見送られていて「この際、徹底して治療に専念したい」と長池選手本人から上田監督に申し出て戦列を離れることとなった。過去にMVPが二度、本塁打王が三度、打点王も三度と輝かしい経歴のミスターブレーブスも最近は故障に泣かされている。

偉大な先輩
第59回全国高校野球大会で母校の今治西が強豪の智弁学園を破ってベスト8入りした時、「ワシの後輩はしっかりしとる」と高井選手は鼻高々。高井選手自身の高校時代は今は同じ釜の飯を食うことになった島谷選手がいた高松商に敗れて甲子園には手が届かなかっただけに後輩たちの頑張りに感心しきり。ところでこの高井選手は後輩諸君から「高井先輩はさすが」と感謝されっ放し。というのも練習場探しに四苦八苦していた母校の苦境を知り西宮球場に掛け合って練習の場を提供した。

1回戦が第4試合に予定されていたので高井選手はナイター戦突入必至と考えて、練習開始を日没後にするスケジュールを組む用意周到さを見せた。予想通り試合は試合はナイターとなった。ナイターを経験したことがない相手校の選手たちは戸惑っていたが、事前に照明に目を慣らしていた後輩たちは普段通りのプレーをすることが出来て今治西は2回戦に勝ち進んだ。持つべきは偉大な先輩である。
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# 852 カネやんロッテ

2024年07月10日 | 1977 年 



あの前期のだらしなさがウソのようにカネやんロッテの躍進は素晴らしい。首位街道を突っ走って意気軒昂と思ったらそうでもなかった。意外にオトナシク静かなのだ。どうやらカネやんの変貌なのか、強くなったこととカンケイあるのかな…

夏に強い秘密と再生屋の真骨頂
なんとも鮮やかなロッテの変わり身である。オールスター戦前まで5勝6敗1分けと相変わらず不振をかこっていたが、球宴明けの16試合を10勝3敗3分けと蘇った。昭和49年のリーグ優勝以来の7連勝などで一気に首位に躍り出た。思い返せば前期シーズンは散々の成績でパ・リーグではロッテ以外の球団が観客動員数を伸ばす中、唯一前年同時期と比較し減少した。当然ロッテファンからの風当たりは強かった。それがアッという間にパ・リーグの主役になった。8月9日に首位に立つとカネやんは「ロッテの夏がやって来たんや。これからもドンドン行くで」と怪気炎をぶち上げた。

翌10日、宿敵の阪急戦で1点リードを許した9回二死一塁から登板した速球王・山口投手を攻め満塁とし、新井選手の右前打で逆転サヨナラ勝ちを収めた。スタンドを歓喜の渦に巻き込む快進撃の秘密はどこにあるのだろうか?確かにロッテは人々が暑さでウンザリする夏場になると強さを発揮する。日本一になった昭和49年も、前・後期シーズンともに3位で優勝を逃した昨年も8月の声を聞くと勝ちまくった。「ロッテ名物の死のランニングは何の為やと思う?伊達や酔狂で走っているわけじゃないんやで。夏の暑さに負けないスタミナを養う為に走っとるんや」とカネやんは胸を張る。

戦力面では投手陣の再整備、特に三井・成田投手の立ち直りが大きい。両投手はキャンプの時点で右肩痛を発症し出遅れが必至だった。それを見込んだカネやんは勝負所は後期シーズと設定し、前期シーズンではエース・村田投手を酷使せず温存した。オールスター期間中の休みに三井投手をマンツーマン指導し、自らの目で回復ぶりをチェックして三井投手の復活を確信した。「完投してくれとは言わん。2イニングでエエからピタッと抑えてくれるリリーフの切り札になって欲しかった。三井にはそれが出来ると思った」とカネやん。

前期シーズンの死んだふりは後期シーズンを前にしての作戦だったのだろうか。三井・成田投手が戦列に復帰すると戦い方が変わった。好例が8月4日の対クラウン5回戦だ。5人の投手を惜しげもなく継ぎ込んで珍しい5投手による完封劇を果たした。後期シーズンに入り好回転しだした中で移籍選手の活躍も目立った。クラウンから来た白選手は指名打者をガッチリ掴み、実績が乏しかった安木投手は中継ぎ投手どころか先発ローテーション入りしそうな勢いだ。中日を自由契約となりテスト入団した末永選手も持ち味を発揮している。「再生屋はノム(南海・野村監督)ばかりやない。どんな選手もワシの言う事ことを聞けば蘇るで」とカネやんは得意顔。


いい意味でのカネやん離れ
ともすれば余りにパーフェクトを求める監督に対し距離を置く " カネやん離れ " がチーム内で起きていた。またカネやん自ら文字通り陣頭指揮によるムード野球に慣れが生じていた。どの世界でも慣れは怖い。慣れることで思わぬところで墓穴を掘ってしまうケースが多々ある。気性の激しいカネやんが檄を飛ばしても慢性から選手たちは踊らなくなっていた。加えて報道陣の前でミスをした選手をヤリ玉に挙げる回数が増えたことでチーム内にシラケたムードが漂うようになった。こうなるとチーム力は自ずと減じていくものである。前期シーズンではカネやんが雷を落とせば落とすほど勝てなくなった。

チームのカネやん離れが後期シーズンでは好結果に結びついている。監督就任5年目にして「ようやく選手自身がプロフェッショナルとして自立し始めた」というのが外部の声だ。選手が自分のするべきことは何かということを割り切っているのがこれまでと異なる点。各自が己の立場で持てる力を出せば良い、というムードが漂い始めている。それがバラバラのものではなくチームの勝利に向けて結束している。このままいけば後期シーズン優勝も不可能ではない。まさに選手が大人になったことでチーム力が急上昇したのだ。誰かれとなしに優勝という2文字に向かって動き出した気配が濃厚となった。


監督のジンクス打破実現へ
かつてのようにラッパを吹かなくなったカネやんだが、それは計算してのことだ。「ムード野球じゃ勝てん」と監督就任時のムード野球を自ら否定し地道な野球に変わりつつある。タレント監督として前面に出るよりあくまでロッテナインの自主性を重んじる効果に勝負をかけている。チーム内からは「監督がこれまでと全く変わったとは思わないが、それでいて勝負への気持ちはこれまで以上に伝わってくる」という声が聞こえてくるのはカネやんの変身が成功した裏付けだろう。社長業やタレント業を放棄したわけではないが、それ以上に野球に対する熱量が上回った結果だろう。

カネやんは「ワシは何もせんでええのや。コーチ陣が全てやってくれている」と軽くいなすがナインに向ける視線は強烈だ。何もせんでええ、は大袈裟だがその姿勢こそカネやんの視野を広げる一因になろう。信頼関係を構築し自主性がチーム力を後押しすることになる。5年前の監督就任会見での第一声「 " 名選手必ずしも名監督にあらず " などというジンクスは信用せんでくれ!」を実証する絶好のチャンスであることは間違いない。ロッテファンならずともそのジンクス打破に大きな期待を寄せているのだから。
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# 851 サダハル・オー ②

2024年07月03日 | 1977 年 



前人未到の756号ホームランへ挑戦する王選手。その記念アーチが架かるのも間近だ。ひとくちに756号といっても、そこには王選手のみが知る長い苦労の道がある。今日はその苦労話をじっくり聞いてみよう。

苦しんだがゆえに達した世界への道
聞き手…今年のキャンプの時から心がけていた集中心の具合はどうですか?
王選手…集中心というのはやっぱりある程度、結果が伴っていないと持続できないと思い知らされました。
    バッティング練習の集中とは全く違う。

聞き手…持続ね。実際の試合で投手に相対する場面はその都度違うので難しいですよね。
王選手…ハイ、だから一生懸命集中しているつもりでも打てないと弱気になりますね。状態が悪い時は
    気持ちが守勢に回って、どんどん技術的な事ばっかり考え込んでしまうんです。

聞き手…考えれば考えるほどがんじがらめになってしまうような?
王選手…そうなんです。今年ほど相手投手のストレートが速く感じたことはなかった。去年までと相手の
    顔ぶれは変わらないのにおかしいなって、また考え込んじゃう悪循環ですね。

聞き手…そういえば見ていて今年はボール球に手を出す場面が多い気がします。
王選手…ええ、焦って悪球に手を出してしまうんです。
聞き手…君ほどの選球眼が良い選手がそうなるなんて余程の事ですね
王選手…ツーストライクになるのが怖いんです。だから早いカウントで打ちにいっちゃう。
聞き手…苦しんだ度合いから考えたら今シーズン前半が一番だったんじゃないの?
王選手…そうですね。変な話ですけど幻影に怯えたというか、自分の年齢を意識しましたね。これまで
    スランプになっても技術面の事は考えたけど年齢や体力面を考えたことはなかった。でも今年に
    なって体力の衰えを意識したことが一番イヤでした。

聞き手…なるほどね。

キングを獲ることの効用
聞き手…ホームラン打者というのは悪い時期があっても打ち出したら続いて打てるもんでしょ?
王選手…ハイ、普段はそうですね
聞き手…それが今シーズンは良くなったと思ったらまた途切れることが多い。一番苦しんだんじゃないの?
王選手…本当に歯がゆかったですね。今シーズンみたいな感覚は初めてです。
聞き手…初めてなんだ
王選手…数字だけ見ても最初は田代(大洋)が走ってブリーデン(阪神)が続き、それをコージ(山本浩二)が
    追うという争いに自分は加われない状態に忸怩たる思いでした。

聞き手…でも現在はトップを走っているわけだから
王選手…でも安心は出来ません
聞き手…あくまでも個人的な意見だけど今年は何が何でも本塁打王にならなくちゃダメだよ
王選手…やはりそう思いますか
聞き手…ダメというのはアーロンを抜いて世界記録を更新した年に日本の本塁打王が大リーグの
    中古品であるブリーデンじゃ締まりがないでしょ。せっかくの世界記録が色褪せる。

王選手…肝に銘じておきます.
聞き手…それにタイトルを獲ることで選手寿命も延びると思う
王選手…そうですね。来年も頑張ろうと気持ちにハリが出ますから

日本中が沸く756号はいつか?
聞き手…僕が現役で一緒に巨人でプレーしていた頃の君はよく寝ることで有名だったけど今もそう?
王選手…睡眠時間はだいぶ短くなりましたね。昨夜も寝たのは夜中の2時頃で10時には起きました。
    自然と目が覚めてしまうんです。睡眠に関しては明らかに歳をとったと感じますね(苦笑)

聞き手…若い頃は体を揺すっても起きなかったからね。遠征で寝台車に乗って駅に到着しても起きなかった。
王選手…今じゃ起こされる方から起こす方に変わりましたよ(笑)
聞き手…本題の世界記録更新について、いつ頃達成しそうですか?
王選手…雨でだいぶ試合が流されましたが順調にいけば9月頃じゃないですか。
聞き手…例年の調子ならね
王選手…連覇に向けてチームの調子も良いし僕もそのリズムに便乗してなるべく早く達成したいです。
聞き手…記録を達成したらまた話を聞かせて下さい。今日はありがとうございました。
王選手…ありがとうございました。頑張ります。
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# 850 サダハル・オー ①

2024年06月26日 | 1977 年 



先日、大リーグコミッショナーのボウイ・キューン氏が「大リーグ組織外のサダハル・オーがハンク・アーロンが持つ通算755本塁打記録を抜いても世界一とは認めない」と発言して注目された。アメリカの選手や国民の王選手に対する評価はどうなのだろうか?

王は神様、日本の最高の人気者
アメリカで最も著明なスポーツウィークリー誌「スポーツイラストレイテッド」8月15日号に王選手の特集が掲載された。それによるとミスター・オーが日本で最高の英雄にのし上がった理由は2つある。1つはバッティングフォームの特異性。2つ目はオーに優る人気者がいないことだという。「日本でのプロ野球は絶対的なものだ。バスケットもフットボールもプロ組織はない。有名なプロボクサーやテニスプレイヤーもいない」というわけだ。「和製ロバート・レッドフォードもいない」と芸能界にも王を超える人気スターがいないことを、いかにもアメリカ人らしくユーモラスに表現している。

この特集記事を書いたフランク・デフォード記者は6月下旬に来日すると一週間にわたり神宮球場、後楽園球場で巨人戦を観戦し、王選手や一本足打法の師匠である荒川博氏にインタビューする傍らライト投手(巨人)やロジャー選手(ヤクルト)などを取材した。神宮球場のヤクルト戦では会田投手から通算742号を放ちハンク・アーロンが持つ記録更新まで14本となった。昨年の7月に樹立した大リーグの金字塔が半年足らずで王選手に塗り替えられるのだからデフォード記者もアメリカ国民も快いはずはない。「日本の野球の歴史はまだ100年余り。体のちっぽけな男が我々の国技を追い抜くだなんて考える方がバカげている」と正直にジェラシーを吐露する。


王へのビーンボールは冒とくだ
なぜ王選手の代名詞でもある一本足打法を崩す為のブラッシュボールを投じないのかというのが大リーグの投手たちの疑問だ。現在の大リーグでは頭を狙ったビーンボールは禁止されているが、実際にはビーンボールまがいのブラッシュボールを投じる投手はいる。投手のテクニックのひとつであるブラッシュボールをなぜ使わないかという疑問も頷けるが、デフォード記者は「そもそも日本ではブラッシュボール自体容認されていない。人気者のサダハル・オーにぶつけたら彼に対する冒とくで大変なことになる」と解説し、「それほどサダハル・オーは日本人にとって代替の効かない唯一無二の存在なのだ」と力説する。

デフォード記者は王選手に対する印象を「飛びぬけてハンサムでもないが人懐っこい顔だ。後で分かったことだが実に模範的な性格の人だった」と語っている。この特集号の中では長嶋監督についても触れているが「ハッとするくらハンサムガイ」と王選手と対照的に描かれているのが面白い。その長嶋監督は王選手を「一言で表すなら非常に親切なジェントルマン。いつもチーム全員のことを考えている選手で和製ベーブルースだ」と評する。かつて巨人軍に在籍していたデーブ・ジョンソン選手(フィーリーズ)は「ミスター・オーはスーパーガイだ。私の知る限り彼以上にハードな練習をする選手はいない」とコメントしている。


98%は王と巨人に味方している
日本における巨人軍の独占的人気ぶりからデフォード記者は巨人の武勇伝は庶民文化のバロメーターと穿った見方をしている。巨人人気が垂直降下すれば大半の日本国民の最もシンボリックな失敗になり、人々は球場に駆けつけて気の毒な長嶋監督や王選手に必死に声援を送る。長嶋監督1年目の最下位になった時がまさにそうであったと指摘する。王選手個人も33本塁打と不振続きで連続本塁打王のタイトルも途絶えた。励まされた巨人軍は翌年は優勝し、王選手も49本塁打・123打点・打率 325 と復活を遂げた。この記事の中で注目されるのは判定が微妙な時は98%までが巨人や王選手に味方すると書いている事だ。

王選手とチームメイトのライト投手は来日前に巨人軍の投手として投げればストライクゾーンが広くなると言われたが、今これを素直に認めている。それを踏まえてデフォード記者の見解は次のようになる。「日本人が権威者を尊敬するのは勿論で野球の審判員も権威者に属する。彼らも調和を大切にする日本人の特性で難しい判定を下す時に巨人を勝たせたいファンに同調する傾向が強くなる。ミスター・オーも以前、『僕は4ストライクが許されている』と語ったことがあった。つまり三振ではなく四振だったということ。ただし現在ではその発言は否定しているがミスター・オーの輝かしい記録に影を差しかねない」
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# 849 デッカイ変身 ③

2024年06月19日 | 1977 年 



パンチで勝負、とっつぁん人生変える
川崎球場のロッカールームでこのところ「あんたホントに元サラリーマン?」などとキャプテンの松原選手が高木選手を冷やかすことが増えている。ロッカーが隣同士の山下選手も「高木さんは相模原市役所時代はサボってばかりでしたんでしょ。それでなくちゃこんなに野球が上手いわけがない」とチクリ。5年前まで神奈川県相模原市役所収納課に勤務し、税金滞納者に対する差し押さえ業務をしていた高木選手。そんな高木選手を大洋ナインが冷やかすのも頷ける。プロ入り前は野球漬けだった他の選手を尻目にテスト入団の高木選手が突然の開花で打率3割3分6厘 で打撃十傑5位(8月19日現在)だ。シピン選手は11位、山下選手は17位と後塵を拝す状態。

特に後半戦に入ってから13試合で4割ジャストと高木選手は大当たり中。ひところはナント5割を超えていた。固め打ちも4安打が1回、3安打が2回と打ちまくった。知名度も急上昇中で「高木」といえばほとんどの人が中日の高木守道を思い浮かべるが最近は「アッ、大洋の高木だ」と言われることが増えてきた。大洋に入団してから3年間で一軍出場は21試合。昨年ようやく94試合出場した。そんな高木選手が大変身を遂げた理由は、もちろん本人の努力もあるが別当監督の存在が大きい。別当監督の好みは長距離砲だ。パンチ力がある選手なら少々の難があろうが別当監督は見事に変身させる。田代選手がその良い例だ。


愛称は " とっつぁん "
とっつぁんの愛称で分かるとおり、高木選手の動作はちと鈍い。富山での巨人戦で右ヒザを痛めたのも実はスライディングでやったもの。外野での守備となるとベンチをハラハラ、ドッキリさせる場面が幾度もある。そのうえ走塁も下手くそときている。だがパンチ力は売り出し中の田代選手に引けをとらない。そこに目をつけた別当監督の英才教育が始まった。「僕が前に大洋の監督をしていた最後の年(昭和47年)にテストに合格して入団し7試合ほど起用した。久しぶり会ってここまで伸びていたのに驚いた。この5年間相当努力したのが分かったよ」と別当監督。とはいっても監督自ら教えるチャンスはなかなか巡って来なかった。

だが何が幸いするか分からない。巨人戦での故障で試合に出られないブランクができた間、別当監督は直々に高木選手の打撃フォーム改造に乗り出した。「それが功を奏しましたね。それまで両ヒジを締め過ぎていたんです。それと構えた時に必要以上に右肩を内側に入れ過ぎていたんです。それを注意されて楽にスイングできるようになったんです」と高木選手は振り返る。以降の活躍ぶりはご存じの通りで、長嶋監督の目に留まり遂にオールスター戦にも出場することに繋がった。オールスター戦では自分と同じテスト入団の野村監督に挨拶をして野村監督から「お互いテスト入団の意地を忘れないように」と激励され感激したという。


一度死んだと思えば何だってやれるさ
これからの課題は左腕投手対策だ。新浦投手のような速球派だけでなく安田・梶間投手のような軟投派も苦手である。「球は速くないから打てそうなんですけどタイミングが合わなくて…(高木)」と苦手意識を認める。別当監督は「高木のような器用さが無い打者は軟投派を苦手にする。むしろ左対左のハンデじゃなくてタイミングの取り方や投手の心理を読むことを研究する必要があるね。今後も左腕投手が出てきても引っ込めないからそのうち慣れて打ち出すんじゃないかな」とのんびり構えている。

プロ入りして5年目、ただ今28歳。川崎市生田のアパートで妻・妙子さん、長女・愛子ちゃん(2歳)と3人暮らし。そして妙子さんのお腹には赤ちゃんが宿っている。「10月29日が予定日。家族が増えると今のアパートは手狭になるから一家の主人としてはそろそろ家を建てなきゃと考えてます」という。そして高木選手は感慨深げにこうも言う。「慢心しそうになるとあの時のことを思うようにしているんだ。入団した昭和47年のオフに球団から自由契約になるかもしれないと電話があったんだ。結婚したばかりで慌てたよ。実際に次の就職探しもしたし。一度死んだ身だと思えば何だってやれるさ」と。
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