
いつかは定位置のBクラスに落ちると見られていたヤクルトが巨人には離されてはいるが堂々と2位を維持している。このまま行けば来春のブラジルキャンプも景気の良いモノになるだろう。このヤクルトの強さはやはり硬骨漢・広岡監督の頑固なまでの新イズムの浸透にあるようだ。
王と真っ向勝負を厳命した姿勢
広岡監督の背筋はいつもシャキッとしている。" 名は体を表す " 通り、広岡監督の姿勢はそのまま人間・広岡達朗を表している。最近の例で言えば756号騒ぎがあった先月末の対巨人3連戦(神宮)。投手にとっては新記録に名前を残されるのは嫌で、出来れば避けたいのが本音だ。しかし広岡監督は「逃げずに勝負しろ」と厳命した。先発投手に会田・松岡・安田と主戦級を起用し、安田投手には初戦と2戦にもリリーフ登板させた。例え打たれてもそれはそれで良し。打たれて悔しい思いをしたくなかったら打たれないように考えて投球しろというのが広岡監督の考えだ。だからこそ第3戦の最終打席で四球を与えた西井投手に不満をぶつけたのである。
明らかに勝負を避けた投球ではなかったが「堂々と向かって行けば球場のファンもテレビ中継を見てるファンも西井を評価してくれたのに残念だよ」と広岡監督は落胆した。それ以上に広岡監督が悔しかったのは大騒ぎの観衆を前にしてヤクルトナインが委縮して自分を見失うプレーをしたこと。合格点を与えたのは安田投手くらい。若松選手でさえフォームを崩し悪球に手を出してしまった。大杉選手や外人選手までもが雰囲気に飲まれて普段通りのプレーが出来なかった。「浅野を見てみなさいよ。ウチから巨人に移籍して1年も経たないのに堂々としているじゃないか。情けない話ですよ」と歯がゆくて仕方ない。
昨シーズン途中に荒川前監督を引き継ぐ形で指揮を執り始めると、さっそくヤクルトナインの意識改革に着手した。しかしそれは容易なことではなかった。それまでのヤクルト球団は成績不振を監督のせいにし、毎年のように監督のクビをすげかえてきた。これがいつしか選手らに責任逃れの観念を植え付けることになる。厳しさから逃避し不平不満だけは一人前のヤクルトナインは広岡監督の手法に猛反発した。「門限はやめてほしい」「試合後に麻雀をして何が悪いのか」「酒を飲むことは悪いことではない」などなどチーム内に広岡監督への不満や反発が充満した。某コーチなどは麻雀復活を広岡監督に直談判したくらいだ。
不満分子を納得させた論より証拠
広岡監督がいくら説明しても納得せず「ウチと巨人は違う」「ずっとこれでやってきたので今さら変えるのは無理」と従わなかった。業を煮やした広岡監督は「ならば好きにやってみて好成績を残せたら私は何も言わない」と選手らに一任した。結果は52勝68敗10分けの5位に終わり、ヤクルト生え抜きの某コーチは「監督、僕らが間違っていました。どうか監督のやり方でチームを強くして下さい」と頭を下げた。「いくら言っても分からん人には、いっぺん好きにやらせてみるしかないんだ。自分の頭でこのままじゃダメだと気がつかないといくら練習したって身につかない」と広岡監督は言い切った。
昨年オフに広岡監督が秘密裡に動いたのが巨人から土井選手を借り受ける交渉だった。ヤクルトに欠けているのは守備力とインサイドベースボールの思考力と判断し、この2つを土井選手なら実践しながらチーム内に浸透させることが出来ると考えたからだ。しかしこの金銭トレードは長嶋監督が許可せず頓挫した。代わりに浅野投手と倉田投手の交換トレード交渉となったが今度は広岡監督が難色を示した。すると巨人側は上田選手を追加し1対2でのトレードはどうかと言ってきた。だがこれも広岡監督は拒否した。その理由が背筋がシャンとした広岡監督らしかった。付け足しの印象が強くなる上田選手が気の毒だと。結局、浅野⇔倉田の投手トレードに落ち着いた。
若松コンバートと松岡2軍の野球観
若松選手はもともと実績のある選手である。その若松選手が今シーズンひと皮むけたのはレフトからセンターへコンバートされた影響が大きい。中堅手は捕手が出すサインや構えの位置で飛んでくる打球を推測することが可能で、それを左翼手や右翼手に伝える役割がある。自然と野球に対する心構えが変わり若松選手の野球観は深くなった。過去の名前だけで起用しない広岡監督は開幕からピリッとしない安田投手や松岡投手を先発ローテーションから外し、代わりに鈴木康投手や新人の梶間投手を重用するようになった。安田投手は自ら打撃投手を務めるなど奮起し先発陣に戻ったが、松岡投手は処遇に不満を表わした。
6月末に脇腹痛の診断書を添えて負担軽減を広岡監督に申し入れた。これが広岡監督の逆鱗に触れた。「そんなに状態が悪いなら徹底的に治す必要がある」と松岡投手の二軍落ちを即決した。先発投手陣の層が薄く台所事情が苦しいヤクルトにとって1人が欠けるだけでも大変なのに、たとえエースであってもバッサリ切り捨てる非情さを広岡監督はチーム内に示した。助っ人のマニエル選手とロジャー選手も例外ではなかった。広岡監督は両助っ人の弱点を指摘し改善するよう命じた。まさか自分らが標的にされるとは考えていなかった2人は慌てて奮起し現在の好成績を残すようになったのである。
2年後の優勝に照準合わす計算
現在のヤクルトが人材不足なのは誰の目にも明らかである。ならばトレードは不可欠なのだが前述の土井選手や上田選手の獲得は難しい。ならば狙いをパ・リーグ球団に変更しようと模索している。広岡監督の持論は「同じ位の力量なら強豪チームの選手の方が基礎もしっかりしていて野球に対する考え方も間違いない。パ・リーグなら阪急や南海がそれに適している」である。巨人との差はまだ大きいが、目標は2年後の1979年のシーズンに置かれている。その頃には酒井投手も成長し投手陣の柱になっているだろう。単に投げて打って走るだけでなく頭脳の方も広岡イズムに磨かれている筈。今は優勝を問われて苦笑いする広岡監督が胸を張れる日も近い。
