Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 498 開幕 ②

2017年09月27日 | 1985 年 









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# 497 開幕 ①

2017年09月20日 | 1985 年 
1985年のプロ野球の開幕はパ・リーグが4月6日、セ・リーグが12日と別々でした。一足先に開幕したパ・リーグでは初の戦後生まれ監督となった日ハム・高田監督が19歳の津野投手を開幕投手に起用して勝利するなど話題が豊富でした。








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# 496 結末 ②

2017年09月13日 | 1985 年 



江夏投手の大リーグ挑戦は3A降格ですらない " リリース(自由契約)" 即ちクビという最悪の結末となった。「江夏、大リーグ入りならず」の一報は4月4日、日本時間のお昼前に届いた。それはAP通信社の江夏本人のコメントもない209語からなる経緯だけを伝える簡素な記事だった。直近の3試合も精彩を欠き、前日のエンゼルス戦で2回・4安打・2失点の敗戦投手になった時点である程度は予想される結果だった。だがブ軍が発表した内容は江夏の想像を越えたものだった。江夏自身は今回、仮に大リーガーとして契約できなくても3Aチームとの契約は継続されシーズン中に大リーグ昇格を再チャレンジできるものと考えていたが結果は " リリース " 。一縷の望みすら断たれた、まさに首斬り宣告だった。

再チャレンジの機会を与えてくれないブ軍は非情なのだろうか?否、そうではない。日本と米国とでは組織、考え方が違うのである。ルーキーリーグから1A・2A・3Aとピラミッド型に組織されている大リーグでは下部チームは将来、大リーグに昇格する可能性のある若い力を育てる為にあるのであって、江夏のような高齢選手のテストは今直ぐに大リーグで働けるかどうか、の一点に絞られる。ブ軍関係者が度々「とりあえず3Aで様子を見て」と言っていたのは「米国国籍以外の選手が大リーグ入りするには一度下部組織を経なければならない」とした大リーグ独自の規定があるからだ。つまり、大リーグ昇格の可能性があると判断した場合のみ3Aに行ってもらうと言いたかったのである。

思い違い、認識の甘さは江夏の調整法にも現れた。日本での18年間の経験と実績がある江夏は先ずは下半身を鍛えながら肩を徐々に作っていく従来の調整方法にこだわった。だが大リーグのキャンプに参加する投手は初日から打撃投手として投げられるように仕上げてからやって来る。今から2年前、通算300勝を目指すトム・シーバー(ニューヨーク・メッツ)のキャンプを取材する機会があったが、彼は初日からブルペンで全力投球をしていた。当時38歳の大ベテラン投手にもかかわらず。大リーグのキャンプとはそういうものなのである。 " 郷に入れば郷に従え " を実践できなかった事が今回江夏が犯した最大のミスであろう。

否、「できなかった」と言うより「しなかった」と言った方が正しいかもしれない。キャンプイン早々、キャッチボールの相手を務めてくれたテッド・シモンズ選手について「あの『23番』は誰や?」と記者に尋ねた。シモンズは今でこそ指名打者専門だが、かつては大リーグでも指折りの捕手だった。かりにも自分が入団テストを受ける球団の下調べをする事すらしないのだから大リーグ全体のしきたりなど考える気など最初から無かったのであろう。日本では通用する態度も海を越えた米国では通じない。「自分が考えていた野球の常識を超えたものがあるという事を認識した。色々と騒がれたが実際に体験した自分しか分からないものを得た事をこれからの野球人生に生かしたい」と江夏は語る。

江夏が大リーグに挑んだ当初は昨季までの指揮官・広岡監督(西武)は「無駄な挑戦。成功するとは思わない」と冷たい態度だったが、挑戦失敗後は一転して「あの年齢でよくぞ挑戦した。エライよ」と褒めあげ「評論家と称しながら日本の野球界について学ぼうともせず偉そうな連中に比べたら未知の世界に、身一つで果敢に飛び込んだ江夏の方が向上心があって何倍も立派だよ」と感想を述べた。江夏には堂々と胸を張って日本に帰って来て欲しい。今回、江夏が得たモノを甘い体質の中でノホホンとしている日本の野球界発展の為に是非とも生かしてもらいたい。
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# 495 結末 ①

2017年09月06日 | 1985 年 



大リーグに挑む江夏投手に当確のランプが遂に点灯した。難関と思われた夢の大リーガーへ、日本人第2号として江夏が名乗りをあげるのは、ほぼ間違いない。4月4日、アメリカからの朗報を待つばかりである。投げる度に評価を上げ、3月24日のサンシティー球場で昨季のナ・リーグ覇者のパドレス戦に登板した江夏が思わずガッツポーズを作ったのは7回。二死満塁のピンチにケネディ選手を空振り三振に打ち取った瞬間だった。外角低目のチェンジアップで仕留めた。日本を飛び立って50日余り、初めて江夏に自信が溢れ出たようだった。「窮地に立った時にどういう投球をするかで投手の格は決まる。エナツはグレート(すごい)素晴らしい投手だ」と今まで江夏を半信半疑の目で見てきたバンバーガー監督が唸った。

日本を追われ窮地を自分の力だけで脱出し大リーガーへの当確キップを手中にしてしまった。ブ軍の人事権を握っているダルトン副社長は日本人大リーガー誕生を日本の記者から問われると「監督が75%と言うのなら私は76%と言っておこう」と海の向こうからやって来た男に早くもソロバンを弾いている。実はブ軍にとって江夏は縁起の良い選手なのだ。江夏が登板した3試合は全て勝利。今や江夏の存在は日本のマスコミだけでなく全米の注目を集めるようになった。昨夏から妻子と別居し自分の腕だけを頼りに厳しい生き残り競争を勝ち抜いてきた。江夏を直接スカウトしたポイデ・ビント(スカウト部長)も胸を張って「キャンプ当初の50%から今は90%になっている」と明言した。

" 大リーガー・江夏 " の可能性を米国のマスコミもこぞって言い始めた。AP電も当初は日本から来た太った男、くらいに冷ややかに報じてきたが今では投手陣10人の枠に残っていると示唆している。更に米国内では記事の内容が信頼されている雑誌『スポーティング・ニューズ』もここにきて当確のランプを点けている。最初は振り向きもしなかったスポーツマスコミが江夏の左腕に注目し始め「エナツ」の名は日ごとに全米に広がっている。日系人の多い西海岸のロサンゼルス・タイムス紙は4月早々に江夏特集を企画し特別取材体制を敷いている。技術的には通用する事が証明された江夏にこの後、待ち受けている試練はスタミナについての最終確認だ。

大リーグの試合に引き分けはない。そのうえ強行スケジュールが組まれている。試合展開がもつれれば深夜近くまで行なわれ、そのまま移動そしてまた試合が行われる。更に江夏には未体験の時差もある。そうしたものに江夏が耐えられるか否かをテストする。心臓疾患の過去があるだけに間隔を詰めて実施される最終テストをクリアするのは並み大抵ではない。そして例え大リーガーとして契約できても大リーグには「外国籍の選手は必ずマイナーを経由しなければならない」という労使協定が存在する為に晴れて大リーガーとしてマウンドに立てるようになるには時間がかかる。ブ軍の本拠地のミルウォーキーの気温は4月でも低い。江夏の体調を考慮すれば大リーグデビューは5月にずれ込む可能性が高い。
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