Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#169 1981年 春のセンバツ大会 

2011年05月25日 | 1981 年 
   


今も昔も甲子園大会はスカウトが注目する選手の品評会になります。この年は金村(報徳学園)と
槙原(大府)に視線が集まりました。



槙原寛巳(大府)…甲子園は昨年夏に続いて二度目だが昨年は背番号15の控え投手。沢監督は投げさせる機会を探したが
なにしろ投球がどこへ行くか分からない制球難だった為に槙原の登板は実現しなかった。それが僅か半年余りで別人の様に
変身した。球速145㌔は大会No,1。まだスピードガンが珍しかった6年前から球速を測定してきた広島・苑田スカウトによれば
「高校生は勿論、大学・社会人投手でも145㌔を出したのは槙原が2人目だよ。もう一人は法政大学時代の江川だけど、江川が
4年生の時だから槙原は間違いなく本物だよ」と絶賛。巨人・伊藤スカウトは「槙原を見るまでは秋田経済・松本がイチバンだと
思っていたけど槙原が頭一つどころか三つ・四つ抜けてるな」とこちらもゾッコンのようだ。そんな中、浮かない顔をしているのが
大府の地元球団の中日だ。地元の逸材が全国に知れ渡ってしまい痛し痒しなのだ。「これだけ名前が知られてしまうと、運良く
ドラフトで指名できても7~8000万円は必要になる・・」本人は「進路は決めていない。今は夏の大会の事で頭はいっぱい」と
いうことだ。さらに大きくなって夏の甲子園に帰って来て欲しい槙原に周囲の期待は膨らむばかりだ。
           【→巨人】


松本豊(秋田経済)…高校球界では3本の指に入る本格派投手との評価は本当だった。1回戦・丸亀商戦での速球は138㌔で
これは出場30校のエースの中では大府・槙原に次ぐものだ。しかも松本は槙原には無い制球力を持ち合わせている。外角の
コーナーいっぱいに決まるカーブ・スライダーは高校生では簡単には打つことは出来ないであろう。 「精神面でも非常に安定
している。投手に必要な冷静沈着さを身に付けており、強打者に対して速球で勝負を挑む負けず嫌いな点などプロ向き」という
意見で一致するのがスカウト達の松本評だ。学業も非常に優秀で両親は大学進学を希望しているが、夏の大会後には進路を
巡って虚々実々の駆け引き必至の逸材である。
                                【→住友金属→横浜大洋】


古溝克之(福島商)…今大会では数少ない本格派左腕だったが1回戦で御坊商工に破れ早々と姿を消してしまった。「もう少し
見たかった」と評価を下げたスカウトもいたが、多くは「一級品」の評価のまま。福島商・黒沢監督の古溝評は「スピードだけなら
阪急入りした先輩の三浦の方が上だが球のキレなら古溝が数段上」だそうだ。しかも御坊商工戦で記録した136㌔は高校時代に
三浦が出した133㌔を上回っていて、まだまだ球速は伸びる可能性を秘めている。古溝と仲の良いクラスメイトによると 「好きな
プロ野球選手は江川なんです。理由は自分には無い『思い込んだら命懸け』の性格を持っているからだそうです。あんな騒動を
起こしても少しも動じない所が良いんだって」悪役・江川ファンを公言するとは古溝本人こそ動じない心臓を持っていると言える。

                                                                   【→専売東北→阪急】


金村義明(報徳学園)…チームは大府・槙原に屈したが、金村は槙原から本塁打を含む3安打を放ち「打者・金村」の評価は
ウナギ登りだ。河合楽器で外野を守っている兄の広雄さんも報徳学園時代は関西では有名な強打者だったが学校関係者の
話によると「弟の方が柔軟性がありコースに逆らわずに打ち分ける技術もある」と兄より上だそうだ。スカウトの評価も「手首の
柔らかさは天性のモノ。今大会No,1打者」と高い。スカウトの意見は「投手ではプロは厳しいが打者としてなら充分モノになる。
プロ入りしたら三塁か外野へ転向になるだろう」が多勢だ。学校関係者は「あくまでも投手を続けさせる」と断言し、野手転向の
可能性は無い。ちなみに今大会での球速は136㌔と3番目だった事を付け加えておく。
                 
【→近鉄】



             槙原(巨人)                  荒木(ヤクルト)
 
                                 松本(横浜大洋)        竹下(横浜大洋)     古溝(阪急)


  松本        西川(南海)                               吉村(巨人)  佐藤(阪神)    荒木

              金村(近鉄)                             石井(阪急)    槙原      古溝

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#168 1981年 ペナントレース開幕 

2011年05月18日 | 1981 年 

石毛は開幕戦でロッテ・村田から猛打賞、原は開幕2戦目に中日・小松から初本塁打で上々デビュー



優勝請負人として期待された日ハム・江夏は救援失敗で黒星発進




中日・スパイクスは自打球を左ヒザに、巨人・定岡は打球が頭を直撃して負傷退場の憂き目に・・




田淵が怪我で離脱したとたんにチームは連勝街道を驀進の皮肉・・



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#167 ドーム球場は素晴らしいと勘違いをしていた時代

2011年05月11日 | 1981 年 
   


初めて東京ドームで観戦した時の印象は 「体育館の中で野球をやっているみたい」な違和感と言うか
妙な感覚でした。実際に見るまではドーム球場は梅雨が有り試合中止を余儀なくされる事が多い日本に
とっては絶対に必要な施設だと思っていました。「天然芝から人工芝へ」「雨の心配が無いドーム球場」
などは、近未来の野球の象徴だと勘違いをしていました。日本で初めて人工芝を採用した後楽園球場へ
コンサートを見に行った際にグラウンドへ降りた事があり、敷いてあったシートの隙間から人工芝を直に
触わりましたが、とても薄い素材であることに驚きました。ドーム球場自体は選手の体調に直接は影響
しませんが密閉式の場合は必然的に人工芝を採用せざるを得ません。膝への負担を減らす為に、より
柔らかい素材に改良しても所詮は人工芝であって怪我の要因になる事に変わりは有りません。先人の
MLBが反省を踏まえて天然芝球場へ回帰していて、今やドーム球場は全30球団中わずか2球団のみ。
それも寒さや多雨といった気候理由でドームが必要な地域に限られています。天然芝は維持・管理費の
面での負担が多くなるでしょうが、選手の為に是非とも天然芝を採用する球場が増えて欲しいものです。



・・・大阪と北海道から屋根付き球場の狼煙が上がった。まず大阪市の計画は市自身が立案しているもので、同市住之江区の
南港埋立地の12万平米に昭和59年の完成を目指しているとの事。オープン式ではなく密閉ドームで 「直径140㍍の円形で
野球だけではなく多目的ドーム」とするなど計画は既に進行中だ。しかも完成後は在阪4球団(神・近・南・急)全てが使用する
野球のメッカにする予定だ。大阪市は既に下田コミッショナーに建設を伝えて完成後の協力を求めている。 北海道の計画案は
札幌近辺の真駒内か厚別に「地下10㍍の半地下型で地熱を利用して寒さ対策が万全の密閉式」との事。ただし計画は始まった
ばかりで、未だ土地選定前の段階で大阪に遅れをとっている。



実は大阪や北海道よりも先行していたのは名古屋でした。1979年に名古屋の陶器メーカー「ノリタケ」が
中心となり名古屋の財界がバックアップして5年後に「ノリタケ・ドーム」を完成させると「発表」したのだ。
名古屋の財界・マスコミが正式に乗り出した事で日本初のドーム球場は名古屋で決まりと誰もが思った。
しかし事態は一変する。建設資金・環境問題・完成後の維持管理費 etc・・などを理由に「建設中止」が
あっさり決定し発表された。特に維持管理が最大のネックとなったのだ。最低でも年間180日は催しを
行なわなければ維持費を捻出できないと分かったのだが、中日が試合を組めるのは最大65日で残りの
100日余りをこの先何十年に渡ってドームを使用してくれるイベントが見つからなかったのだ。有力視
していた名古屋が頓挫した事で、日本でのドーム球場誕生は当分ないのかと多くの人が落胆しかけた
時に登場したのがまたしても西武ライオンズでした。この当時の西武はまさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」で
球界に常に新しい風を起こしていて「西武なら実現させるかも…」と皆が期待しました。



「所沢スタジアムを手がけてもらった早大理工学部・池原教授に研究を依頼してあります」 今年の1月1日、故堤康次郎西武鉄道
創業者の墓前で堤オーナーが公式に発言した。建設予定地は現所沢スタジアム近くの西武車両工場と朝日ヘリコプター基地を合わ
せた80万平方㍍の土地だという。早大・池原教授も西武からの依頼を認め「エネルギー節約時代にマッチした開閉式ドームを提案
している」とコメントしている。西武は当初、所沢スタジアムを改造してドーム球場にする案だったそうだが堤オーナーの鶴の一声で
2つ目の本拠地球場を作るというのだ。「80億円もあれば出来るでしょう(堤オーナー)」には恐れ入るばかりだ。実はこの話には
さらに驚くべき情報がある。新球場の建設地は所沢ではなく東京の新宿区であるというのだ。 「物々交換ですよ。早稲田大学を
所沢に移転させ、大学跡地にドーム球場を建設する話があるんです」早大OBの堤オーナーが動いていると大学関係者は言う。



結局どのドーム球場案もすぐには実現しませんでした。ただ大阪・札幌・名古屋もドーム球場建設は
実現しましたから、これらの話も100%ウソであった訳ではなさそうです。早稲田大学も1987年に
所沢キャンパスに人間科学部を移転させましたし・・話に多少の尾ひれが付いた感じでしょうか。

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