Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#137 プロ1年目の牛島・香川の浪商コンビ

2010年09月29日 | 1980 年 
















後にPL学園・清原、桑田の同級生が共に1位指名されましたが、浪商コンビの頃は同じ
高校からドラフト上位指名選手が出るのは珍しい事でした。即戦力は木田・岡田でしたが
ドラフト時はこの2人の方が注目を浴びていました。当時の高卒ルーキーが1軍に上がる
のは稀で、さらに勝ち星(2勝)や本塁打(8本)を記録する事はめったにありませんでした。

高校時代は香川の方がファンやマスコミの人気はありましたが、プロ野球選手としては
牛島の方が大成しました。香川にはプロ入り前から体型を危惧する声が多かったですが
その不安を払拭することは出来ませんでした。香川以降も矢作(日ハム)・山之内(ダイエー)
など同じ様な体型の選手がプロ入りしましたがモノにはなりませんでした。今年も中日に
中田(ぶーちゃん)が入団しましたが、どうなるのでしょうか?
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#136 本塁打が乱舞する極狭球場

2010年09月22日 | 1980 年 



最近は「飛ぶボール」の影響なのか、本塁打が量産され大安売り状態です。東京ドームが
「ドームラン」と揶揄されて叩かれていますが東京ドームが誕生した当時は「広い」「巨人は
本塁打が激減するゾ」などと言われていました。それくらい以前の後楽園球場は狭かったの
でした。何しろ西武球場と横浜スタジアムが広い球場の双璧と言われていた程でしたから。
球場の広さに関する記事がありましたが、ビックリするような数字が載っていますが当時は
話題にならなかったのでしょうかね?観客動員数と同じくアンタッチャブルな問題だったか・・



・・・下田コミッショナーの「各球場の規格は同一の方が望ましい」の発言に端を発した球場問題も
一朝一夕には解決しないのである。せめて「誇大表示」くらいは止めてくれよ、がファンの声だが・・

「実際はね、81㍍しかないんだよ。フェンスを高くして 90㍍にしてるんだ」 マスコミ関係者が声を
ひそめて言った。テレビ中継でおなじみの後楽園球場の両翼のフェンスにはハッキリと 「90m」 と
書かれているけど実際は9 ㍍も短いと言うのだ。あるスポーツ紙が実測したところ 82.08 ㍍だった
などの話も耳にするが、大変な誇大表示である事は間違いない。「でもね後楽園だけじゃないよ。
広島、ナゴヤ、もちろん川崎球場も全てフェンスの高さを計算に入れて表示してる」「横浜や所沢は
実測94㍍だから後楽園とは10㍍以上違う」 これが本当だとすると "青少年の模範となるべき
プロ野球がインチキをしていることになるではないか!" ・・・・下田コミッショナーの「横浜を規格に
したい(両翼94m 中堅122m)」発言を真剣に考える時期に来ているのではないか。



東京ドームは左右中間の膨らみが無いので狭く感じますが両翼100㍍は本当らしいです。つまり
後楽園球場は20㍍も短かった・・米メジャーが王選手の「世界新記録」を無視したもの頷けます。
ならば当時の狭い球場は野球規則違反なのかと言うとそうではありませんでした。公認野球規則
にはこう書かれています。


        ・・・本塁よりフェアグランドにあるフェンス、スタンドまたはプレイの妨げになる施設までの距離は
          250フィート(76.199㍍)以上を必要とする・・・



後楽園球場の「81㍍」は充分、野球規則をクリアしていたのです。ちなみに1970年代以降
プロ球団が本拠地にしていた中で最も狭かったと言われていた 「東京球場」 の形状は後の
東京ドームそっくりで左右中間の膨らみの無い、投手泣かせの球場でした。









完璧に個人的意見ですけど人工芝球場は嫌いです。文字通り「人工芝」の緑は美しくなく
いつ見ても色褪せた感じです。初めて見た野球場は神宮球場で、内野の土は黒色に近く
外野の芝の緑とのコントラストが実に綺麗でした。今も有るかどうか分かりませんが内野の
ダイアモンド部分の人工芝を土色にしている球場がありましたが、アレは無いです・・・。

いま現在、天然芝球場が甲子園と広島だけとは残念です。人工芝に加えてドームとなると
最悪です。たまに守備についている選手がツバを吐いている場面を目にしますが、ドームで
風雨で流されないアレらはどうなるのでしょうか?想像すると気分が悪くなります。定期的に
清掃はしてるんですかね、じゃないと密閉された球場内は悪臭が漂う事に・・・維持費の面で
人工芝を採用しているのでしょうが、選手寿命も考慮してみて再考して欲しいです。



# 744 極狭球場 Part 2 - Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

# 744 極狭球場 Part 2 - Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

本塁打が乱舞する今年のセ・リーグで開幕から38イニングも被本塁打がなかった江本投手(阪神)だったが、4月29日の大洋戦で遂に2本塁打を浴びると試合後「セ・リーグはこ...

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#135 1980年 セ・リーグ投手 タイトル争い

2010年09月15日 | 1980 年 
ハーラーダービー           斉藤(大洋)    福士(広島)   梶間(ヤクルト)

                      山根(広島)        山本(阪神)





防御率争い



当時の投手部門のタイトルは「最多勝」が注目されるくらいで「防御率」も「セーブ」争いも
さほど目立ちませんでした。「最多勝」も1970年代は、20勝以上で争う事が常でしたが
80年代に入ると20勝以下でタイトルを獲る事もしばしば有りました。特に国民的悪役の
江川が16勝で最多勝タイトルを獲った時のマスコミの扱いは「無視」に近いものでした。

江川絡みで言えば当時のマスコミは兎に角、ネガティブキャンペーン真っ只中で江川を
評価する記事は殆んど有りませんでした。例えば江川は失点が多く負け数も2桁でしたが
その割りに防御率は2点台と良くタイトル争いをしていました。味方野手のエラーを挟むと
いくら失点を重ねても防御率は悪くなりません。そんな事は勿論マスコミも承知の上にも
かかわらず、わざわざ「江川の防御率の怪」と銘打って記事にしていました。
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#134 西武・堤オーナーのブラフ

2010年09月08日 | 1980 年 





西武ライオンズのオーナーで、プリンスホテルの社長でもある堤義明氏がプロ野球界へ
投げかけたドラフトに関する発言に注目が集まりました。



聞き手 今秋のドラフト会議ではプリンスホテルの選手も指名の対象になりますが?
堤氏  さぁ、何人が指名されますかね。プロが欲しがるのは2~3人じゃないですか。
     指名されるにしても1位じゃないと入団させませんよ、たとえ西武ライオンズでも。


聞き手 入団拒否という事ですか?
堤氏  プロ球団の経営状態から考えて行かせたくない球団があるのは事実です。
     大学卒でサラリーマン生活を続ける事を計算すれば5千万円以上の契約金で
     なければと見合わないと思いますよ。


聞き手 指名から漏れた選手のプロ入りは無い?
堤氏  ドラフト外入団は有り得ません。


堤氏のドラフトに関する発言は他球団に対する牽制でした
  
  ①西武も含め1位指名でなければプロ入り
させない
  ②ドラフト外入団は有り得ない
  ③契約金は5千万円以上
  ④行かせたくない球団がある



2年前プリンスホテル野球部が誕生した時、堤氏は「オリンピックを目指して強いチームを
作る、プロへは行かせない」と言い放ち、石毛(駒大)・中尾(専大)・堀場(慶大)・金森(早大)
などの即戦力の他にも大学球界の有力選手らをゴッソリ獲得しました。他の球団からは
「プリンスホテルは西武ライオンズへのトンネル野球部」とのやっかみの声があったのも
事実で、前年のドラフトでは高校生左腕 No,1と評されていた盛岡工・田鎖投手をめぐって
一悶着ありました。田鎖投手はプリンスホテル入りを表明し他球団は獲得を見送りました。
しかし 西武が2位指名すると、あっさり前言を撤回して西武入りしました。

田鎖投手の前例があるだけに今回の堤氏の発言も有力選手から手を引かせるブラフでは
ないのかと不信の声が多くありました。実際、田鎖投手以外にも日ハムの1位指名を拒否
した後、プリンスホテルを経て西武入りした高山投手(現ホークス・投手コーチ)などの例も
ありました。ただ、両選手とも大成はしませんでしたが・・・

堤オーナーは元々ドラフト制には否定的で、度重なるプロ球団の買収を持ちかけられても
参入しなかったのはドラフトで選手を自由に獲得出来ずチーム強化が出来ないからと常々
公言していました。今回のブラフはドラフトに対する精一杯の発言だったかもしれませんが
そんなブラフが必要なくなるのはライオンズ監督・根本氏が管理部長を兼任してフロントに
入り「寝業師」と呼ばれるほどの辣腕を発揮するようになってからです。工藤(愛工大名電)
伊東(熊工)・森山(ONOフーズ)・渡辺智(NTT四国)・・・。特に伊東は熊工を卒業する前に
埼玉の定時制校に転校させ、球団職員として囲っておいてドラフト指名する手法を使って
他球団を出し抜きました。この手法はその後、大豊(中日)や中込(阪神)に使われました。

根本氏が本領を発揮したのは、監督の座を自ら招聘した広岡前ヤクルト監督に禅譲して
管理部長に専念してからで、ロス五輪で「オリエント・エクスプレス」と評された郭泰源を
獲得できたのは根本氏がいたからこそでした。当時すでに海外まで情報網を張り巡らせ
いち早く郭泰源の家族の中まで食い込み、他球団の付け入る隙は全くありませんでした。
争奪戦参入に遅れをとった讀賣は、「虎」ならぬ台湾の英雄「王貞治」の威を借り猛烈に
アタックしました。契約金も白紙小切手を提示したとの話が漏れ伝わるほどでしたが郭家は
根本氏との信頼関係は「たとえ王さんが来ても崩れない」と言い切ったそうです。

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#133 プロ野球選手の大学時代

2010年09月01日 | 1980 年 
         西田(当時は投手)→広島                  野口→西武

           仁村・兄→巨人     木戸→阪神







立教・野口投手は六大学に久々現れた大型左腕で、西武・阪急・中日に重複指名され
抽選で西武が引き当てました。即戦力No,1&新人王の有力候補と言われた程の逸材
でしたが、プロでは芽が出ずに期待に応えられませんでした。







西田はPL学園のエースとして甲子園優勝投手の看板を引っ提げて入学して来ましたが
すぐに野手転向しました。小早川はPL学園~法政大~広島と1年先輩西田を追うように
野球人生を歩む事になります。



昭和55年に早稲田大商学部入試で、事前に入試問題が漏洩する不正事件が発覚し
逮捕者が出るなどして世間の大学を見る目が厳しくなり、有名スポーツ選手と雖も
無条件で進学させる事が難しくなり各大学、特に六大学野球部は選手集めに苦労して
いました。学力が伴わないのに一般学部へ進学させる事が問題なわけで、いっその事
「野球学部」でも創設して堂々と有力選手を掻き集める方がスッキリします。

学力に関係なくスポーツで大学に進学するのは全然ありだと思いますけどね。難解な
物理の問題を解くのと、100㍍を8秒で走れるのを比べたら後者の方が人類にとって
貴重な人間だと思いますけど・・人間工学の研究材料としてだけでも大学へ行く価値は
有ると思いますが。まぁ鞠投げ・棒振りだけに長けているだけじゃ大した価値は無いか・・
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