Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 724 週間リポート・阪急ブレーブス

2022年01月26日 | 1977 年 



復活したミスターブレーブス
V2チームにしては今一つ波に乗り切れない序盤戦。目下のところは連勝街道を走る南海につかず離れず行くのが精一杯といった感じ。原因は投打のアンバランス、守備の破綻などが指摘されるが、一方で心配ないのが指名打者の長池選手。開幕カードの南海3回戦で今季1号、続く近鉄2回戦で第2号を放ちその後の試合でも安打を打って打率3割台をキープしている。「3割といってもチームが勝ったり負けたりですからねぇ。そう胸は張れませんよ」と長池は謙遜する。昨季は打率.238・12本塁打でプロ入り最低の成績に終わった。「故障(左アキレス腱痛)があったのは確かですけど、それを理由にしたくない。衰えたとは言われたくないので何が何でも今年は見返してやろうと野球生命を賭けて挑んでいます」と意気込む。

なるほど心機一転、昨季の汚名返上に燃えている。「キャンプで走り込んだのが良かったんだと思います。下半身さえしっかりしていれば、そうそう打撃フォームのバランスも崩れませんからね」と。そういえば昨季はからっきし打てなかった外角球にもきちんと対応しヒットを稼いでいる。一時はチーム No,1の高給取りだったが今や上位10人に入るか入らないかまでに落ちてしまった。「給料は下がるし物価は上がってカミさんに苦労をかけっ放しなのでそろそろ給料を上げないとね」とここらあたりが復活を目指す一番の理由かも。


お前もか。 ナニ!お前もか!
投手陣に故障者が相次いでいる。投手陣の台所は火の車となりV3に赤信号が灯り始めた。「苦しいよ。しかしこの急場を乗り越えてはじめてV2を達成したチームだと言える…」と上田監督はあくまで積極姿勢を崩さないが、非常事態の真っ只中にいることだけは間違いない。ベテランの足立投手が左脇腹痛で戦線を離脱したのが事の起こり。足立は近鉄1回戦で今季初登板したが、試合途中で痛みを発症して降板した。この時は16年目のベテランに首脳陣は「ゆっくり調整しろ。後は若手連中で頑張る」と余裕があったが、他の投手も故障を発症するようになると悠長なことは言っていられなくなった。

山口投手が遠征先の博多の宿舎で階段を踏み外して左足首を捻挫してしまった。山口は4月8日の日ハム1回戦で登板したのを最後に雨天中止で二度も登板機会が流れて「いつになったら投げるチャンスが来るのか…」とヤキモキしていた矢先のアクシデントだった。足立、山口に続き稲葉投手が怪我に倒れた。19日の日ハム4回戦に先発した稲葉は岡持選手の放った投手ライナーを左腕に受けた。幸いにも骨に異常はなかったが先発予定を数回飛ばさざるを得なかった。「夜もおちおち寝ていられないよ」と投手陣を預かる梶本投手コーチ。「山田と白石の頑張りで何とか恰好はついているがこれ以上怪我人が出たらお手上げだ」と上田監督の心配は尽きない。

何しろ連戦、連戦が続き首位の南海が快走しているだけにここでウカウカしていたら手遅れになってしまう。第4の先発投手に成長した今井投手を先発・救援の両刀使いで起用し、川畑投手・永本投手といった若手を組み合わせて何とか急場をしのいでいる。幸い足立、山口、稲葉らは軽症で戦列復帰に要する時間も短くて済みそうなのが救いだ。「故障者よ1日でも早く帰って来てくれ」が上田監督や梶本コーチの切なる願いである。


鉄壁どころか今やザルもザル
開幕前に上田監督が胸を張っていた鉄壁の内野守備陣という看板はどうやら取り外さなければならないようだ。今は鉄壁はおろかザルの有様である。一体、シーズンが始まって野手のエラーで何試合負けたか。5月10日のクラウン戦(西宮)がそうだ。首位近鉄と戦った後の取りこぼしのできない大事な試合を4個のエラーで敗北した。今季31試合を消化した時点で失策数は何と「40」で、1試合1個以上のペースである。「みんな捕球体勢の初動が遅い。出足が悪く腰が高いから打球の変化への対応が遅れる。理由?やっぱり基本を疎かにしているからでしょうな」と上田監督は渋い表情で話す。

近鉄との首位攻防戦4試合を2勝1敗1分けでゲーム差を縮めながら直後の試合を落とす。それも相手が日ハムやクラウンなど下位チームで、しかもそれが一度ではないあたりは何をかいわんや、である。対日ハムは2勝4敗、対クラウンは4勝4ではいくら近鉄や南海と互角に戦っても首位には立てない。敗開幕前は絶対本命と言われていただけに余りにも不甲斐ない。「阪急さんもだいぶ苦しんどるな」と敵将の西本監督や野村監督を喜ばせるだけだ。守りの野球を標榜しV3に自信を持っていた上田監督だったが今や見事に自軍の野手陣に裏切られている。
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# 723 沢村栄治 vs 全米オールスター軍

2022年01月19日 | 1977 年 



昭和9年11月20日、静岡・草薙球場で行われた日米野球第10戦は伝説の試合となった。

全日本軍 0 0 0 0 0 0 0 0 0  0
全米軍  0 0 0 0 0 0 1 0 ✖   1


沢村投手が名捕手・久慈選手のリードに安心しきって無我の境地で投球したことは、四死球「1」の記録が表している。全米軍の二番打者から六番打者の5人が後に野球殿堂入りする名選手に対して1つの四球も呈上しなかったことは相手打者に臆して逃げたりしない " 名投手・沢村栄治 " の称号に恥じない見事な投球だった。一方の全日本軍も昭和9年度における優秀選手を網羅していた。二出川、苅田、水原、久慈、沢村の5人が野球殿堂入りする選手であったことで証明できよう。

1回表:二出川・三振、矢島・四球、苅田・三ゴロ、夫馬・投ゴロ
1回裏:マクネアー・左飛球、グリンジャー・三振、ルース・三振
全日本軍の市岡総監督が「沢村のカーブはグググッと三段になって落ちてくる」と表現したがその通りであった。見事な投球だった。京都商時代からの立ち上がりが悪い癖は見られなかった。名捕手の久慈の好リードの賜物であろう。


2回表:山下・三振、水原・三振、久慈・三振
2回裏:ゲーリック・三振、フォックス・三振、エヴィレル・二ゴロ
ホワイトヒル投手は全米軍では主戦級ではないが全日本軍が誇る主軸を三者三振に抑えた。それにしても若き天才投手・沢村の投球はホワイトヒルを凌ぐものであった。大リーグの現役投手でもグリンジャー、ルース、ゲーリック、フォックスら超一流打者を四者連続三振に抑えるのは至難の業であろう。しかも彼ら4人は調子を落としていたわけではなく、前の試合では計5本塁打を放つなど絶好調だった。


3回表:新富・遊ゴロ、沢村・三ゴロ失、二出川・三振、矢島・一二間安打、苅田・遊ゴロ
3回裏:ミラー・右飛、ヘイズ・三振、ホワイトヒル・三振

4回表:夫馬・三振、山下・捕飛、水原・遊ゴロ
4回裏:マクネアー・遊ゴロ、ゲリンジャー・二ゴロ、ルース・中前打、ゲーリック・二ゴロ

5回表:久慈・三ゴロ、新富・二飛球、沢村・三振
5回裏:フォックス・三振、エヴィレル・中飛、ミラー・左飛

6回表:二出川・二ゴロ、矢島・中前打、苅田・遊ゴロ併殺
6回裏:ヘイズ・投ゴロ、ホワイトヒル・四球、マクネアー・左前安打、ゲリンジャー・左飛球、ホワイトヒル・三盗失敗

7回表:夫馬・四球、山下・犠打、水原・右飛、久慈・四球、新富・投ゴロ

水原の後日談では「僕が打った右飛は低く右翼線に向かって飛んで『ヒットだ。1点取れる』と思ったら捕球されてしまった。ライトのミラーがライン際に守備位置を変えていたんだな。もしもだよ、もしも得点していたらアメリカの選手も焦っただろうし、沢村の調子だったら完封していたかもしれない。一生忘れられない一打だった」と。

7回裏:ルース・投ゴロ、ゲーリック・右本塁打、フォックス・中前打、エヴィレル・一二間安打、ミラー・遊ゴロ併殺
ルースをカーブで当たり損ねのゴロで仕留めたので捕手の久慈は試合前の組み立て通り決め球はカーブでと再確認したのではないか。ただ沢村がゲーリックに投じたカーブが高めに浮いたしまったのは誤算だった。沢村に疲れが見え始めて思い切って直球勝負するにはスピードが落ちていると久慈が感じていたのかもしれない。

8回表:沢村・三振振り逃げ、堀尾・犠打、矢島・右飛、苅田・二飛
8回裏:ヘイズ・三振、ホワイトヒル・三振、マクネアー・遊ゴロ失、ゲリンジャー・中飛
沢村が大投手である証明がこの8回裏の投球である。ゲーリックの本塁打後に連打を許したが後続を抑えて追加点を防いだ7回裏に続いて8回裏も気持ちを入れ替えて押せ押せの全米軍から2奪三振した投球は既に大投手の風格そのものだった。

9回表:杉田屋・遊ゴロ、井野川・左前安打、水原・二ゴロ併殺 ・・・試合終了


その夜、蒲郡ホテルで全米軍監督のコニー・マックから全日本軍の通訳をしていた鈴木惣太郎は「沢村にその気があれば契約するよ」と打ち明けられたという。沢村は17歳にして日本一の投手と認められた。草薙球場を埋め尽くした2万人のファンもマック監督同様に沢村が日本一の投手だと思ったに違いない。沢村の快投は超一流選手揃いの全米軍にも大きな影響を与えた。2日後の22日に名古屋の鳴海球場で行われた第11戦に全米軍は沢村ショックが尾を引き大苦戦を強いられ、6対5と辛勝だった。
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# 722 学生時代の江川と原

2022年01月12日 | 1977 年 



今年の大学野球の見所の一つは東京六大学の怪物・江川と首都大学のプリンス・原の対決。学窓最後の年の江川、新人の原ということでこの両者の対決は今年だけに限られるが、意識する・しないは別として両者はいよいよスタートしたのである。

コンピューター付き怪物の貫禄十分
発足13年目の首都リーグ。原はさしずめ若々しいリーグを象徴する若大将のムードを漂わせる。片や半世紀以上の歴史がある六大学リーグは伝統を誇り、まさに老舗と考えれば江川は格式高い大店の若旦那といったところか。この若旦那は滅多なことでは期待を裏切らない。「これほど順調に調整できたのは初めてです」と江川は開幕前に言っていたが立大戦でそれを実証して見せた。初回から岡安、植木を共に空振り三振。長谷川は見逃し三振と僅か15球で仕留めた。ネット裏にいた12球団のスカウトは改めて江川の凄さにうっとり。「モノが違うね。このままプロへ行っても10勝はするよ」と巨人の中尾スカウト部長。

ところがこの調子でぶっ飛ばさないのが江川らしい。2回になると途端にペースダウンし打たせて取る投球に一変した。「個人的な記録のことなど全く意識していない。試合に勝つことが最優先です」と江川はリーグ戦開幕前の報道陣との応対で繰り返しこの言葉を口にし続けた。48勝の通算最多記録やノーヒットノーランも関心がないそうだ。今さら新しい " 名誉の勲章 " は必要ない。勝つ為のピッチングに徹する。江川の頭の中には性能の良いコンピューターがある。無類の制球力、打者との駆け引き、プレートさばき、フィールディングなど勝つ為に必要な項目をコンピューターが計算をして最善の答えを出している。

「ひょっとすると延長戦もあるかもしれない」立大先発の木村投手の調子が良いと判断した江川は2回表から省エネ投球に切り替えたのだ。江川は法大打線が昨秋のリーグ戦で木村投手に3安打完封に抑えられキリキリ舞いさせられたのを憶えている。「中盤はカーブを多投してセーブしました(江川)」と計算され尽くした投球に立大打線は対応できない。だが法大打線も点が取れず回が進むと江川は突然ピンチに見舞われる。両チーム無得点のまま7回表、先頭の長谷川選手に右翼線二塁打を喫した。続く宇地原選手は送りバント。江川は猛ダッシュし三塁へ送球しタッチアウトでピンチの拡大を防いだ。「袴田の指示通り投げただけ」と江川は涼しい顔。

このプレーにネット裏の記者連中も「あんなフィールディングが出来るのはプロでも堀内(巨人)くらいじゃないの。もうあれは天性のセンスと言うより他ないよ」と。気の毒なのは立大で宇地原選手のバントも長谷川選手のスタートも悪くなかった。相手が悪かったと言うしかない。江川には打者としての顔もある。7回裏、先頭打者の江川は左前安打で出塁し、金光選手の二塁打で生還し決勝のホームを踏んだ。結局、試合は2対0で快勝。江川は5安打・9奪三振で完封勝ちを収めた。「開幕戦にしては上々(江川)」と謙遜するが、初回は3者三振、8・9回はギアチェンジして6個のアウトの内、4奪三振と見事な締め括りだった。恐るべし怪物は健在なりだ。


若大将人気でリーグの救世主へ
若大将・原辰徳のデビュー戦となった川崎球場には5,000人の観客が詰めかけた。父親でもある原貢監督の「15,000人は入る」との見込みは外れたが、それでも画期的な大入りだった。首都リーグは誕生して日が浅く注目される選手もおらず、せいぜい200人も入れば御の字だったのだから浜田事務局長も興奮気味に「ええ、連盟タイ記録です」とまくし立てた。昭和49年春のリーグ戦で初優勝をかけて明治学院大と帝京大が神宮第2球場で対戦した時以来の観客数だった。連盟では原人気を当て込んで色々な手を打っている。従来の駒沢球場の1日の使用料は1万5千円だが川崎球場だと16万円に跳ね上がる。それでも連盟は客席数が多い川崎球場を選んだ。

その為、連盟の年間予算も昨年比倍増の1300万円に組み替えた。原人気を追い風に連盟は入場料を大人300円を400円に値上げした。周囲にはこうした強気の運営方針を危惧する声もあったが、蓋を開けてみれば原のデビュー戦は諸経費を差し引いても黒字だった。首都リーグの試合で黒字になったのも史上初の出来事だった。さて原はリーグ戦前のハワイ遠征で真っ黒に日焼けして高校球児だった頃の甘さが消えて精悍な顔つきになった。練習試合では18試合・打率.288 をマークするなど正三塁手として恥ずかしくない堂々たる成績を残した。とはいえ原も人の子、デビューの日の朝は6時前に目を覚ましてしまい、朝食もいつもより少なめだったそうだ。

緊張をほぐすには体を動かすのが一番で球場へ出発する前の僅かな時間を利用しランニングをして汗を流した。ちょうどその頃、原のデビュー戦を見ようと女子高生3人組が川崎球場の入り口に一番乗りしていた。江川と比べればファン層は明らかに違う。人を寄せつけない大人の雰囲気を持つ江川とは対照的に原の周囲には明るい躍動感が漂い、若い女性やチビッ子のファンが圧倒的に多い。物怖じせずに自分を表現するところも繊細な江川とは異なる。大らかな振る舞いや物言い、都会的センスに溢れたアイドルに女学生の熱っぽい視線がストレートに注がれる。


打球の速さは抜群
注目のデビュー戦は第1打席・四球、第2打席・左前安打、第3打席・三振、第4打席・左前安打、第5打席・三振 だった。ヒットが出れば『キャーッ』、三振すれば『キャーッ』と球場内は女性ファンの悲鳴が轟いた。いつもなら選手らの野太い掛け声がこだまする球場もこの時ばかりは黄色い声援で賑やかなことこの上なかった。「去年の甲子園大会以来ですね緊張したのは。でもやはり緊張するのは気持ちいいです。これでようやく大学生になった気分です」と原は普段より幾分オクターブ高い声で試合を振り返った。一方、対戦相手の明学大・島田投手は「打たれちゃいましたね。打球の速さに驚きました。さすがです」と脱帽。

観客5,000人を集めた原人気の余波は意外なところにまで及んだ。原が登場する前の第1試合の途中から観客が詰めかけ始めた。試合中の大東大と日体大の選手らはどんどん増えるお客さんに何事かとビックリ仰天。最大の被害者は大東大のエース・石井投手。「こんなに沢山のお客さんの前でプレーするのは初めてなんで力んでしまいました」と本来の力を出し切れず苦笑い。しかし多くの選手は「これでプレーするやり甲斐が出てきました」と発奮材料になったようだ。その意味でも原は首都リーグの救世主と言える。江川の貫禄、原の初々しい躍動感で今年の大学野球がスタートした。お互いについてのコメントは無かったが、これからも無言の戦いは続きそうだ。



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# 721 サダ坊

2022年01月05日 | 1977 年 



3年前、" 巨人の星 " といわれた定岡正二投手が晴れて一軍入りを果たした。「定坊」といわれたあの童顔もすっかり逞しくなって。先ずはファン待望のニュースと言いたいところだが、さて大喜びしていいのかどうか。

まだ不安があるのに昇格した背景
定岡投手の一軍入りは先ずはご当人にとっては大喜びであろう。人気に溺れずよく頑張り一軍の切符を手にした定岡に拍手を送ろう。しかしである、定岡の代わりに二軍落ちした小川投手との入れ替えに果たして必然性があったのかは疑問である。担当記者の間でも「定岡が直ぐに戦力として期待できるのなら分かるが、二軍の首脳陣も太鼓判を押していないのだから時期尚早なのではないか。言ってみれば一軍昇格の試験だと考えるのが正しいだろう」という意見が大勢だ。九州・中国地方に対ヤクルト戦遠征中の長嶋監督が岩本二軍監督に電話を入れたのは5月4日の深夜のことだった。定岡は次のような経緯で昇格したのである。

長嶋監督  「岩本さん、このところ定岡の調子が良いようですね?」
岩本二軍監督「ええ、だいぶ良くなってきました」
長嶋監督  「そうですかそれは結構な事で。ところで定岡をコチラに送ってもらえませんかね」
岩本二軍監督「定岡を一軍にですか?」
長嶋監督  「ええ、一軍もご承知の通り投手陣が苦しくて」
岩本二軍監督「まだ一軍は厳しいです。コントロールが不安定でストライクとボールとの差が大きいので」
長嶋監督  「そこを何とか…。若くて活の善い投手が欲しいんです。頼みます」
岩本二軍監督「分かりました。監督がそこまで定岡に期待してくれているのなら」


小川は悪くないのに
こうしたやりとりの後に定岡の一軍昇格が決まった。若い力、しかも人気抜群の定岡だけに各スポーツ紙は大きく報道した。しかし一方でこの人事に長嶋監督の早合点、慌てん坊らしい面が出たとの評があったのも事実。それはあながち意地悪な見方ではなく、至極まっとうな意見だという声も多い。というのも開幕当初は調整不足の為に二軍にいた小川投手を一軍に戻したのが4月下旬。中継ぎとして貴重な存在であるばかりでなく、大洋戦で先発するなど戦力として欠かせない。キャンプから好調を維持していたがオープン戦の途中で風邪をひき、太ももに軽い肉離れを起こして離脱した後に再昇格したばかりだった。

確かに昇格後の小川は調子よくなかった。定岡との入れ替えを決定づけたのは5月4日の大洋戦。先発した西本投手の後に登板したが、田代選手の13号2ランなど5点を献上。球威はもちろん小川独特の球のキレもなかった。" 大洋キラー " である男が逆にカモにされ一軍失格の烙印を押された。だが他の試合では好投している。ブルペンで小川の球を受けている捕手も調子は悪くないと証言している。4月28日の阪神戦は王選手が池内投手から押し出しの四球を選んでサヨナラ勝ちしたが、その試合で先発した新浦投手が一死しか取れず5失点降板後に登板して阪神の追加点を防ぐ好投をしたのが小川だ。ネット裏では「長嶋監督の見切りが早すぎる」といった意見が大勢だ。


" ひらめき " で引き上げた長嶋監督
さて実際のところ定岡の実力はどうなのか?確かにイースタンリーグで3連勝しているし数字だけを見るなら一軍に昇格しても不思議ではない。だが投球内容を吟味すると物足りなさを感じざるを得ない。岩本二軍監督が言うように球離れの位置が一定ではない為に微妙な制球力を欠き安定しない。「タイプから言うと力で押す方。リリーフではなく先発型(木戸二軍投手コーチ)」らしいが一軍での活躍には疑問符が付く。二軍なら球威があれば少々甘い球でも抑えられるが一軍ではそうはいかない。制球を気にして四球で自滅する可能性も高そうだ。打たれた時の精神的ダメージを考えれば何も急いで一軍に上げる必要はない。

悲観的な材料が揃っているのにどうして一軍に上げなければならなかったのか?ある担当記者は「(小川と定岡)同じダメなら将来性のある定岡に賭ける方が良いのではないか、というのが長嶋監督の考え。それに長嶋監督は定岡のような華やかなスター性のある選手が好みだからね」と。また別の担当記者は「中村二軍投手コーチに対する不満からだよ。定岡はオープン戦まで一軍に帯同していた頃より二軍に行ってから投げ方がおかしくなった。今のままでは悪くなる一方だから手元に置いて鍛えようと判断したと某コーチから聞いた」と。確かに一軍に合流した定岡を見た首脳陣は「二軍で何をしていたのか。進歩していないどころか悪くなっているではないか」と落胆した。


藤城らに負けたくない定岡の決意
新外人に投手ではなく野手のリンド選手が決まったのも定岡昇格の一因がある。リリーフ投手を獲得していたら抑えの浅野投手を先発に回せ投手陣の起用法は楽になっていた筈だ。こうした声がある中で当の定岡はファイトを燃やしている。「このチャンスを絶対にモノにしてみせます。自信はあります。見ていて下さい」と頬を紅潮させて決意を語る。巨人に入団して抱き続けてきた一軍入りの夢が叶ったから当然だが、入団時の浮ついた雰囲気がまるで影を潜めてきているのも心強い。これまでは「サダ坊!」と呼ばれると即座に「ハイ!」と返事をしていたが、今では「そんな呼び方は止めて名前で呼んで下さい」と反発するようになり成長が伺える。

あの坊や然とした顔つきも確かに大人の表情に変わりつつある。目つきも鋭くなり長嶋監督のヒラメキに応えてくれそうな雰囲気はある。「ストレートのスピードは充分に一軍レベルである。登板を重ねていけば度胸もついて打者を圧倒できるようになるだろう。要はコントロールだが経験を積めば良くなるだろう。巨人の救世主になる可能性もある(巨人担当記者)」といった好意的な意見も少なくない。次代の巨人投手陣を背負う投手として入団した定岡。そのスタートとなった今回の一軍入りなので不安視する周囲の声を吹き飛ばす快投を見せて欲しい。「初勝利を上げた藤岡らには負けない(定岡)」。サダ坊を卒業した " 定岡投手 " の登板が楽しみである。
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