Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 728 週間リポート・日本ハムファイターズ

2022年02月23日 | 1977 年 



やったぞ!4万8千人
何と後楽園球場に詰めかけた観衆は4万8千人。巨人戦ではない。日ハム悲願の「後楽園球場を満員に」というスローガンがとうとう達成された。4月10日の阪急戦だった。この日は「第3回・少年ファイターズの会」が大沢監督の出身地である神奈川県藤沢市片瀬の諏訪神社の神輿が試合前のグラウンド上を練り歩くなどの催しをして、スタンドはプレゼントされた日ハムの球団旗を手にしたチビッ子ファンでジャンボスタンドまでギッシリ大入りの大賑わいだった。「三塁側の席まで埋まったのは嬉しいですね」と営業担当者は大喜び。後楽園球場にパ・リーグの試合で4万8千人が詰めかけたのは史上初の快挙であった。

これまでの後楽園球場での最多は昭和48年の日拓 vs 太平洋クラブ戦の4万人。ちなみにパ・リーグ最多は昭和37年に神宮球場で行われた東映 vs 大毎戦の6万5千人だ。一般内野席に若干の空席があり満員とはいかなかったが、去年に続き観客動員パ・リーグ1位を狙うフロント陣は満足気だ。球場を訪れていた大社オーナーは「実際に観客が多いと球場全体の迫力が違うなぁ」と驚きを隠せない。対阪急戦はこの試合の前まで6連敗中で1勝6敗と劣勢だったがエース・高橋直投手が2失点完投の力投を見せチビッ子ファンを喜ばせた。

勇者にハムは喰わせん!
勝率5割まであと一歩の6勝8敗(4月20日現在)の成績の日ハム。強くも弱くもないがV3を狙う阪急に対しては4連勝中である。今季初対戦となった4月9日(後楽園)は山口投手に抑えられ負けたが2戦目は高橋直投手が好投、3戦目は佐伯投手・宮本投手のリレーで連勝した。「まぁ敵地だから仕方ないか」と敵将・上田監督を口惜しがらせたが、19日からの西京極シリーズも快勝した。勝つには勝ったものの阪急キラーにしては珍しく?4点も取られた高橋直だったが「阪急戦の勝ち方の秘策を知りたいって?いいですよ教えてあげますよ、(高橋直が苦手とする)南海戦の勝ち方を教えてくれたらね。ウフフ」と余裕たっぷり。

翌20日は宇田投手と江田投手の継投で勝利したのだから阪急の日ハムに対する苦手意識は相当なものだ。勝利投手になった江田は昭和48年7月28日のロッテ戦で勝利して以来のプロ2勝目だった。「こんなに嬉しいことはない。やっと報いられて…」とこみ上げる思いを抑え切れず男泣き。「カーブとスライダーで勝負しましたが、こんな良い投球が出来るなんて(江田)」と言っていたが、先発した宇田も変化球を低目に集めて5回を被安打2に抑えた。勝ち星こそ逃したが宇田は「僕は次にまた頑張ればいいさ」と江田の勝利を喜んだ。

この2人は高橋直と同じアンダースロー投手。2人にとって高橋直の " 阪急キラー " の投球が大いに参考になっているのは明らかだ。「とにかくよ、阪急戦になると皆が自信を持っているから、いくらリードを許しても負ける気がしねぇのさ」と大沢監督。だが一方で南海戦は相性が悪すぎる。今季は何と0勝4敗1分けと未だ勝てていない。高橋直が言うように南海戦の特効薬が見つかれば一気に上位進出も可能だ。「阪急は引きずり下ろしたから次は南海を叩く番だぜ」と大沢監督は " 混パ " の演出にやる気満々だ。


お待たせしましたの復活宣言
「開幕から1ヶ月以上も経ってからでは遅すぎるかもしれないけど、もう大丈夫です」と話すのは高橋一投手。開幕戦で高橋直投手がクラウンを抑えて勝利し、連勝を狙って登板した2戦目だったが基選手に満塁本塁打を浴びて敗れチームはその後ズルズルと連敗街道に突入してしまい、その責任を一人で被ったように落ち込んでいたのが高橋一だった。高橋一自身も二度目の登板となった南海戦で1点リードの場面で救援登板したが野村選手に同点ソロ、柏原選手に決勝2ランを浴びて敗戦投手に。「せっかくの勢いを消してしまって申し訳ない」と意気消沈。大沢監督に「アイツは大事な場面で使えねぇ」とまで言われる始末だった。

実は肩痛、腰痛を隠して投げていたのだ。「肩でも腰でも一方を痛めると片方をかばって負担が大きくなってしまう」とドクターストップがかかり戦線離脱。その後3週間の加療&軽いトレーニングを経て5月1日のロッテ戦にテスト登板したが、腰痛を再発し周囲を慌てさせたが大事には至らず一安心。9日の南海戦に先発し敗戦投手にはなったが2失点で完投し「あれだけ投げられたらもう大丈夫でしょう。ご心配をかけました(高橋一)」と明るい表情に。

高橋一の表情が明るくなったのはもう一つの心配事が解消されたからだ。開幕直後に娘の正美ちゃんが鼻血が止まらなくなり緊急入院をした。大量の輸血をするなど一時は命の危険な状態が続き、高橋一と奥さんは3日間ほど不眠不休の看病をした。肉体的にも精神的にも厳しい中で徐々に体調を崩すようになり野球どころの話ではなくなったのだ。正美ちゃんの容態もようやく安定して10日ほど経って退院することが出来た。「お陰様でもう大丈夫です。安心しました(高橋一)」という状態になってきて本人の投球内容も安定し始めたのだ。
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# 727 週間リポート・近鉄バファローズ

2022年02月16日 | 1977 年 



さすがエース言うことが違う
エース鈴木啓投手が開幕試合でロッテ打線を僅か3安打に抑えて完封一番乗りで勝利した。しかも無四球のオマケつき。去年まで開幕投手を2年連続で神部投手に譲っただけに喜びもひとしおだ。「開幕戦で勝つと負けるのでは大違い。その責任を感じながら1球1球丁寧に投げた(鈴木)」と。鈴木が開幕投手の栄誉に輝くのは実に9回目。開幕戦通算6勝は別所毅彦氏と並ぶ日本タイ記録だ。「ここ2年は開幕戦から外れていたが、これで僕が開幕戦に強いということがハッキリしたと思う。やっぱり投手として意地がありますからね」と久しぶりの開幕戦勝利に普段無口の鈴木が饒舌に。

対戦相手のロッテから見た鈴木は?「勢いづかせてしまった。ストレートが速かったよ(有藤選手)」「手も足も出ないという感じではなかったけど、上手に打ち取られてしまった。去年までとは少し配球が違っていた(山崎選手)」「スズキは日本で投げるピッチャーではない。大リーグで投げるべきだ。それにしても凄いピッチャーがいるもんだ(リー選手)」といった具合でロッテ打線はお手上げ状態だ。一方の近鉄首脳陣は手放しの喜びようだ。「あれほど安心して見ていられた試合は最近ではなかった。完璧だった(杉浦投手コーチ)」「言うことなし。やっぱり鈴木や(西本監督)」と100点満点の評価だ。

この開幕戦の勝利で鈴木は通算200勝まであと2勝に迫った。「200勝?僕はあまり記録にはこだわっていない。真面目に、一生懸命にやっていれば数字は自然と後からついて来るものだからね。200勝も目標ではなく、あくまでも通過点であって意識していない。そんな個人的な数字より阪急や南海を倒してウチが上位に浮上することだけを考えています」と自分の記録よりチームのことを考えているあたりは、さすがエースである。


たくましくなったねぇ
太田投手が4月10日のクラウン戦で今季初勝利を完封で飾った。被安打3・無四球という完璧な投球内容だった。この試合の始球式を終えてそのまま観戦していた佐伯オーナーは試合後に太田をつかまえて右手を差し出した。「僕の手は汚れていますけど…」と太田が言うのを遮り佐伯オーナーは太田の手を強く握り締めた。御年73歳の老人と25歳の若者。そこには時を越えた思いが詰まっていた。思い起こせば8年前、夏の甲子園大会で空前の人気者となった太田はその年の暮れに近鉄に入団した。入団発表の会場だった大阪・近鉄本社5階にある会議室に詰めかけた報道陣は320人。その入団発表の場で2人は固い握手を交わしたのだった。

佐伯オーナーは「8年前に会った太田君はひ弱そうで期待よりも心配の方が大きかった。しかし今は逞しくなったねぇ。完封はお見事でした」とその成長ぶりに目を細めた。太田にとっても嬉しい握手だった。「(四度目の)完封より、(二度目の)無四球の方が嬉しいですね」とこれまで四球を連発して自滅するケースが多かっただけに収穫は大きかった。4月5日の対阪急1回戦では井本投手をリリーフしたが終盤に突如制球を乱して四球を連発して無残な結果に終わっていた。「あの試合でだらしない投球をして監督の信頼を失くしていたので今日は気合が入りました」と肩の荷を下ろし、ホッとした表情の太田。

太田は過去7年のプロ生活で10勝以上をマークしたのは僅か二度で昭和49年の10勝(14敗)、昭和50年の12勝(12敗)のみである。そんな太田が目指す勝ち星は「15」。果たして可能な数字なのだろうか?在阪の評論家は「突如コントロールを乱して自滅する悪い癖を直して、完投できるスタミナをつければいけるだろ」と見ている。課題の制球力は今回の無四球試合で分かるように、徐々にだが改善されつつある。あとは佐伯オーナーが「逞しくなった」と感心していたスタミナに期待しよう。太田にとってこの完封勝利は何にも負けない財産になった筈なのだから。


もし新聞を拾わなかったら
テスト生で入団して苦労を重ねてきた佐藤文男投手が4月25日の対日ハム4回戦(後楽園)でプロ入り初勝利を飾った。先発した板東投手の後を継いで5回裏から登板し被安打5・無失点に抑えた。佐藤文と聞いても知らないファンも多いだろう。入団したのは昭和47年で初登板は4年後の昨年だった。しかも僅か1試合・1イニングのみだったので知らなくても当然だ。そんな佐藤文が今季は開幕から一軍入りを果たし開幕3試合目の阪急戦で今季初登板し、勝利した日ハム戦は四度目の登板だった。

さて冒頭で述べたように佐藤文はテスト入団だが広島・戸手商からプロ入りする動機が面白い。高校3年生の時に道端で拾ったスポーツ紙に近鉄の入団テストの記事が掲載されていたのを見て「テストを受けてみるか。もともと野球は好きだし腕試しだ」と思って応募し見事に合格した。もしもスポーツ紙を拾わなかったら今の佐藤文はなかった。「今まで頑張ってきて本当に良かった。これまで何度やめてしまおうかと考えたことか。でもその度に自分で決めた道だからと踏みとどまった。今日の勝利は一生忘れません」と佐藤文はプロ入り7年目の初勝利に目を潤ませた。
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# 726 週間リポート・ロッテオリオンズ

2022年02月09日 | 1977 年 



今はジッと我慢の子
カネやんロッテが開幕直後の4日間で「勝ち・負け・雨天中止・引き分け」と放棄試合以外の有り得る試合結果4種類を記録した。連勝、連敗を続けるのは珍しくないが勝敗のフルコースを短期間でマークするのは珍しい。実はカネやんにとって雨天中止が一番嬉しかった。三井投手や成田投手が故障で戦線離脱し、先発・救援区別なく駒不足が甚だしい投手陣だけにお天道様に味方してもらわないと先発ローテーションの遣り繰りもつかない。その上に不動の五番打者である白選手が練習中に膝に死球を受けて開幕戦から欠場を余儀なくされ、投打共にカネやんを悩ませている。

カネやんは口にこそ出さないがベストメンバーが組めるまでは1試合でも雨で流れた方が…と思っているのではないか。幸いにもチーム内の士気は落ちていない。それだけにここ暫くは阪急や南海に大きく離されないように我慢の日々が続きそうだ。いつもなら強気一辺倒のカネやんだが、今では周囲がビックリするような神妙な台詞を吐く。「あと10試合は踏ん張り続けにゃイカン。投手陣が崩れてワンサイドの試合が続くようだとチームのやる気が落ちてしまう。同じ負けでもボロ負けしない格好のつく試合をせんと」と。弟分の長嶋監督が率いる巨人が開幕4連勝の好スタートを切ったのを横目にカネやんは何とも辛いジッと我慢の子を決め込んだようだ。


打てない、投げれないでは…
珍現象とでも言たっら失礼だが三・四番コンビの有藤選手とリー選手が打撃ベスト10の1位と2位になったのは4月19日のことだった。有藤が打率.362、リーが打率.348という高数字だった。「ウチは有藤の活躍が全てや。ヤツが打ちさえすりゃ得点力は倍増する。こと打線に関しては心配していない」と言い続けてきたカネやん。まさに願ったり叶ったりの開幕スタートだった。ところがそうは上手く問屋は卸してくれなかった。有藤・リー以外のレギュラー陣が揃いも揃って打率1割台という惨憺たる状態に。打撃30傑の最後尾にやっと1人が名を連ねているようでは、いくら有藤らが打っても得点倍増とはいかない。

リードオフマンの弘田選手が体調を崩し、五番打者の白選手が開幕直前の練習中に受けた死球の後遺症で出遅れたのがチームにとって痛かった。河野守備走塁コーチの代わりに二軍から吉田打撃コーチを引き上げて徳武・吉田の2人体制で打撃陣の総点検を行ったが効果は見られなかった。投打共に不振という二重苦にさすがのカネやんも頭を抱える。珍現象と言えば昨季はあれほど得意にしていた後楽園球場(12連勝を含む17勝5敗)で今季は何と開幕から5連敗。物の怪に取りつかれたように勝ちまくった昨季がウソのようだ。「今はジッと我慢や」と耐えるカネやんに秘策はあるのだとうか。


朗報だ!成田が帰って来る
ロッテが開幕から10試合経過後に最下位になるのはカネやんがロッテの監督に就任して以降では初のこと。就任1年目に開幕から4連敗したが、その後に10連勝して息を吹き返したものだった。それが今季は九分九厘勝利を手中に収めていたのを逆転負けになった試合が2つや3つでは済まない。その原因は投手陣にある。何せ駒不足で逃げ切りどころか先発投手を決めるのにも一苦労している。そんな投手陣に4月も終わりに近づいた頃、やっと朗報が舞い込んだ。右肩痛で投球練習すら出来なかった成田投手に明るい兆しが見えてきた。4月26日の対大洋の二軍戦の試合に先発できるまでに回復してきたのだ。

初回立ち上がりに小金丸選手に2ラン本塁打を浴びて敗戦投手になったものの、キレのあるストレートにスライダーを小気味よく投げ込み試運転としては上出来だった。5回を投げ切り痛みもなく本人は安堵の表情で「責任を感じているんです。僕さえちゃんとしていたらチームもあんな無様な醜態を晒さなくて済んだ(成田)」と。今季の成田にはロッテの部門記録を更新する励みがある。あと8勝で " 和製火の玉投手 " の異名を持つ荒巻淳投手(昭和25年~36年)がマークしたチーム最多勝記録の「173勝」を追い越す。最近5年間の勝利数が「11➡21➡9➡15➡10」と良し悪しを交互に繰り返しているだけに例年通りなら今季は好調の年に当たる。

またあと87奪三振で小野正一投手(昭和31~39年)が持つチーム最多奪三振数「1657」も超える。当然成田自身もそれらは承知しているが「個人記録より先ずは一軍に戻ることが先決です」と話す。現在は高木二軍監督の猛ノックを受けることを日課にして、復活まであと一歩のところまで来た。「もう一度、二軍の試合に投げて最後の調整をする予定です」と話す成田の表情は明るい。また成田以上に頬を緩めているのがカネやんをはじめとする首脳陣だ。「今の調子だとゴールデンウィーク明けには一軍へ行けそう」と高木二軍監督。「ウチは最下位にいるようなチームじゃないんや。成田さえ帰って来れば後期は優勝や!」とカネやんは成田復活を心待ちにしている。
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# 725 週間リポート・南海ホークス

2022年02月02日 | 1977 年 



果たして古葉監督の胸の内は
少々物騒だがミサイルばりに言えば " 対阪急用ミサイル " 。広島から譲ってもらった秘密兵器・金城投手が見事に本領を発揮し、開幕シリーズの阪急戦勝ち越しを決めた。9回・被安打5・奪三振11、長池選手の本塁打による1失点だけで完投勝ち。「金城があれだけ投げてくれるとは。大きな収穫やで、一番うれしいなぁ」と野村監督はご機嫌そのものだった。それもそうであろう、V奪回のカギは対阪急戦をいかに勝利するかで、キャンプから打倒阪急を旗印に取り組んできた。昨年の日本シリーズで小林投手(巨人)を打てず、阪急打線は下手投げに弱いというデータから金城を広島から獲得したのも対阪急戦を睨んでの事であった。

「ストレートの威力もコントロールも申し分なしや。ワシの要求通りに投げてくれた」と目を細める野村監督。金城自身にとっても久々に味わう勝利の味だ。新天地での初登板が昭和49年以来3年ぶりの完投勝利となった。11奪三振は実にプロ入り初勝利以来というオマケつきだ。「阪急には広島時代の日本シリーズ(昭和50年)で負けてますから特に勝ちたかった。それ以上にこの試合の出来不出来で僕の評価が決まると思っていましたから一生懸命に投げましたよ。本当に勝てて良かった」と金城にとっても色々な意味で意義のある勝利だった。片や開幕からつまづいて苦しんでいる広島・古葉監督の思いや如何に?


柏原 春の椿事、出来すぎです
" どえらい " という表現がピッタリの七番打者が出現した。今年プロ7年目の柏原純一選手だ。何しろ打席に立つ度に面白いように快打を連発するのでクリーンアップの面々も顔色なしだ。「監督に言われたミートすることだけを心掛けています。でも春の椿事じゃないですかね、出来すぎですわ」と周囲の人間以上に本人も驚いている。長い下積み生活から這い上がって来ただけに春の椿事で終わりそうにない。昭和45年のドラフト会議で指名され入団。同期には人気者の島本講平(南海⇒近鉄)が1位指名、柏原は8位指名で目立たない存在で八代東高時代は甲子園大会に出場したが人気では島本の足元にも及ばなかった。

キャンプに島本を見に来た某評論家が柏原をチラリと見て「あの選手もルーキーか?早いとこ郷里へ帰らせて仕事を見つけてやった方がいいんじゃないか」と言い放った。この某評論家は今でも活躍しているが果たして7年前に自分が言ったことを憶えているだろうか?今や柏原は島本をすっかり抜き去り驚異の七番打者になっている。今年の1月に幼なじみの美貴子さんと結婚したが自主トレ・キャンプが迫っていた為に新婚旅行はお預け状態だが「優勝旅行はハワイらしいので是非とも実現したいですね。頑張らなくちゃ」と目を輝かせる柏原だ。


1ヶ月ぶりに投げたものの
6イニング投げて5安打・4失点。忘れかけていた?江夏投手が遂に今季初登板を果たした。3月16日のオープン戦以来、実に1ヶ月ぶりに4月18日の対近鉄3回戦にマウンドに上がった。2日前に先発を告げられた江夏は「プロ初登板の時のように感激した」という。しかし結果は前述のように納得できるものではなかったが本人は「自分ではあそこ(7回途中)まで投げられるとは思わなかった」と悲観的ではなかった。それは一種の満足感であった。江夏がマウンドに上がるまでには苦悩と焦りがあった。 " 待てど暮らせど… " と歌の文句じゃないが一向に回って来ない出番に首を長くして待ち続けた。

黄金の左腕と言われる江夏の腕に異変が現れ「神経炎」と診断されたのはキャンプ開始前のことだった。必死に治療とトレーニングに専念してきた。風邪を引いたこともあったが「すこぶる順調(江夏)」で開幕を迎えることが出来た。だが登板指令が来ない。当初はチームの好調さや自分の負担軽減の為かと思っていたが、先発ローテーションの一角であった佐々木投手が右足を痛めて戦線離脱し、大黒柱の山内投手の調子が今一つな状況でも自分の出番が来ないことに不安は増すばかりだった。「去年はもっと悪い状態でも投げていたんや。その当時に比べたら今は大丈夫なのに…」と不満げ。

前期優勝に向けて好調に飛び出した現在、野村監督は「江夏をテスト登板させる余裕は今のウチはない。それにシーズンは始まったばかりやし、江夏の力が必要になる時は必ず来る。焦らずじっくりやっていけばいいんや」と江夏の意気込みをサラリとかわした。野村監督にしてみれば大きな賭けであろう。「中途半端な形で投げさせるのは本人の為にならない。もう少し我慢する方がチームの為でもある」というコーチ陣の意見もあって江夏がフル回転するのはもう少し先になりそうだ。



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