Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 780 中継ぎ投手 ❸

2023年02月22日 | 1977 年 



一念発起して
掴みどころがない…の表現がピッタリの成重春生投手。大昭和製紙を経てロッテ入りしたのが昭和47年。プロ6年目だがまだこれといった実績がない。過去5年間で87試合・4勝8敗・防御率 3.88 。それでいてカネやんの期待は大きい。今年は早くも22試合に登板して4S(6月24日現在)と苦難が続くロッテ投手陣の中で気を吐く中継ぎ投手だ。「あいつがもう少し頭を使ったピッチングをすればかなりの活躍をするはずなんや。サイドから出てくるクセ球は威力充分で打者も簡単には打ち込めんピッチャーなんやが」とカネやん。

そんな期待を受けながらもう一つピリッと出来なかった原因はひょうひょうとした性格にあったかもしれない。それが今年は田中投手の台頭と仁科投手の加入で安閑としていられなくなった。それどころか三井投手や成田投手の戦線離脱で人材が底をつき、嫌がうえにも発奮しなければならない材料は揃っていた。このあたりで一念発起しないと忘れられた存在になってしまう危機感が本人にもあったのであろう。「俺にだって意地はある。そうそう兆治(村田投手)ばかりにエエ格好させてはいられんよ」とトレードマークの大きな鼻をピクつかせる。

サイドスローといってもただのそれだけではない。ミラクル投法といったほうが当たっていよう。球の出どころの見分けがつきにくい。ピッチャーズプレート上でバックスイングに入ると、まるでタコが踊っているよう。調子が良い時ほど器用に体をくねらせ、投球モーションは打者にとって一段といやらしいものに映る。しかもインサイドステップからクロスファイヤー気味に投じる球は意外と力強く左打者は手こずる。右打者に対してはカネやんもえげつないと舌を巻くシュートで詰まらせる。


投げないと寂しい
野球で最も難しいのは投手リレーであるのは誰もが知るところ。しかし監督の采配がいかに適切であっても実際に働くのは選手である。中でも中継ぎ投手が引き受ける「二番手投手」の出来不出来が競り合った試合の勝敗を直接左右する。だからこそ強いチームには必ずといってよいほど頼りになる中継ぎ投手が存在する。「行けと言われたらいつだって行きますよ。毎日だっていいよ。今年は充実感でいっぱいだよね。投げない日は何か寂しい気もするんだ」と張りのある日々を送る成重投手。

連日の緊張感で疲労も倍加したがその疲れを癒してくれるのがアルコールだ。成重投手は大の左党で酒には目がなくボトル1本くらい楽に空けてしまう。シーズン中は深酒を慎んでいるが酔えば酔うほど明るい表情になり1日の疲れを吹き飛ばす。気分転換にはアルコールがもってこいなのだ。気分転換といえば競馬も大好きでレース展開を予想するのも成重投手の良き遊びの時間だ。時折、チームメイトに成果を披露する。その額に驚いたチームメイトの先生役をお願いされることもしばしば。

今後は中継ぎに加えて逃げ切り用にも起用すると明言しているカネやん。より緊迫した場面での登板も増える。成重投手のヌーボーとした振る舞いは時には頼りなく見えるものだが、とぼけた味がピッチングに役立ってくれたらシメたもの。少々のことでは動じない性格が何よりの強みだ。加津子夫人、長男の竜一郎くんの為にも腕をぶしている。「オレが掴みどころがないって言われるが、大いに結構。対戦相手には絶対にオレを掴ませないよ」と成重投手の鼻息は荒く自信満々だ。
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# 779 中継ぎ投手 ❷

2023年02月15日 | 1977 年 



ブルペンで完投投手
この2~3年で中継ぎ専門役なら広島の渡辺弘基投手が傑出しているだろう。カープが悲願の初優勝を果たした昭和50年、渡辺投手は全130試合すべてにベンチ入りした。並みの努力や節制ではとてもこんなことは出来ない。先発要員なら一度登板すると中3日の休養が与えられるのが普通だが、渡辺投手のような中継ぎ要員は出番が定かでないから試合展開と睨み合わせて何度かブルペンに走る。仮にその試合に登板しなかったとしてもブルペンで1試合分の球数を投げるのが当たり前。

渡辺弘基 29歳の左腕投手。亜細亜大学から日産自動車追浜を経て阪急に入団したのが昭和47年。カープに移籍したのは昭和50年。まさに初優勝を果たした年にカープの一員となった。プロ入り6年目だが試合の中で派手に脚光を浴びたことはない。プロ入り通算196試合に登板しながら6勝6敗7Sで、先発登板は五度のみで完投勝ちは勿論ない。そんな渡辺投手らしい記録がある。シーズン73試合登板のセ・リーグ記録(昭和51年)だ。6月24日現在、308試合連続で3年越しで全試合にベンチ入りしている。

投手としては前例がないが「選手にはそれぞれの役割がある。僕の場合は中継ぎだというだけ。自分の能力と合わせれば当然だと思う。この役割を全うするのが全てです」と見事なまでに割り切っている。今年も既に28試合に登板し、チームでは最多登板である。カープに移籍して3年目だが、チーム内で渡辺投手の口から愚痴が漏れるのと聞いた者はいない。常に爽やかで頭の回転が速い渡辺投手に対して「彼(渡辺投手)なら世の中のどんな職業に就いても成功するだろう」と渡辺投手を知る人は異口同音に言う。


救援の喜びと悲しみ
そんな渡辺投手だが今年は今一つ調子が上がらない。「ブルペンでは悪くないのにマウンドに上がると今一つ。今年は気持ちに余裕がなく、自分で自分の頭をポカリと叩きたくなる」そうだ。6月5日の大洋戦(札幌・円山球場)、大洋に3点のリードを許した3回無死一・二塁で左打者の高木選手を迎えた所で先発の望月投手を救援したが、左前適時打を許しその後も自らの野選や3四死球で自滅。チームに迷惑をかけただけでなく若手投手の自信まで壊してしまう。「あんな形になった時は自責の念にさいなまれるよ」と苦悩を吐露する。

勿論、喜びもある。中でも最大のものは悲願の初優勝を果たした昭和50年。渡辺投手は55試合に登板して3勝3敗1Sと特筆するほどの数字ではなかったが、リードしている試合での中継ぎが多くやり甲斐を感じていた。当時の渡辺投手は自分の置かれた立場を踏まえて喜びを次のように言い表した。「僕が一人でも多くの打者に投げて抑えれば宮本さん(現日ハム)の負担を減らせる。次の宮本さんにバトンを渡せればチームの勝利が近づく。チームが勝つことが目標ですから」と。

176㌢・76㌔と決して恵まれた体格ではない渡辺投手。今年は渡辺自身もチームも苦しんでいる。エース外木場投手が右肩痛で戦列を離れ、池谷投手は好調を維持できず勝ったり負けたり。投手陣は先発ローテーションを組むのも一苦労の状態だ。抑えの松原投手に繋ぐのが渡辺投手の役割だが、唯一の左腕投手ということで試合展開によっては左打者封じに試合の中盤に登板することもある。「今までは次の投手にバトンを渡せば自分の仕事は完了だったが今後は最後まで投げ抜く姿勢を押し通さねば」と決意を新たにする渡辺投手だ。
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# 778 中継ぎ投手 ❶

2023年02月08日 | 1977 年 



中継ぎ投手。こんな役どころを黙々と務める男たちの野球人生はどんなものなのだろうか?光が当たらずあまりにも地味な存在だったが、現代の野球では大きな比重を占める。連日のベンチ入りという過酷な任務に生きる男たちの情熱とチームへの貢献度は忘れてはならない。

作り出した個性
かつてのパーフェクト男・高橋良昌投手は今、長嶋巨人の中継ぎ役として連日のように投げまくっている。投手なら誰でも先発を、完投勝利を、と考えているものだが黙々と登板し次の投手にバトンを渡してベンチに消える中継ぎ投手は脇役にすぎない。当然そこにスポットライトが当たることは少ない。だが高橋良投手はいつの間にか中継ぎ投手に新しい個性を作り出した。「いやいや、若手も伸びてきたし先発陣も強固だからそういう連中の手助けになれば充分ですよ」と謙虚。テレビの取材を受けた高橋良投手は「俺がテレビに出るなんて10何年のプロ生活で初めてじゃないかな」と照れた。

今年から中継ぎ専門になって早くもピッタリのはまり役になった。それがあたかも彼の持ち味であるかのように。しかしこんな悩みもあった。「先発投手として出番が減り続け、川上さんから長嶋さんに監督が代わってオレの野球生命も終わりかなと思ったよ。1年・1年、今年で最後だ悔いのないようにしようと決めたんだ」と過去に栄光がある者のまさに光が消えゆく時の感じを高橋良投手は言う。昭和42年に中央大学から東映に入団し15勝をあげ新人王にも輝いた。華々しい選手生活をスタートし、昭和46年8月21日の対西鉄戦(後楽園)で史上12人目の完全試合を達成した。

これだけの記録を持つ選手はプロ野球界でも少ない。当たり前だろう。新人王は年にセ・パ1人ずつだし、完全試合はプロ野球40年の歴史の中でたった13人しかいないのだから。その輝く野球人が今年で最後かもしれないと思った時は言いえぬ寂しさと野球への愛着が滲み出た。それを高橋良投手は「悔いの残らないように」と表現し、先発投手と若手の成長の谷間にあってどう生き残ると考え込むよりも先に「1球・1球を大事に」と結果よりも内容に目をやることで結論を出したのだ。


30球あれば肩はOK
過去の栄光を捨て、その日だけの燃焼に生きる。たとえ中継ぎだっていい。全力を尽くして忠実に生きていこう、と。それが中継ぎと呼ばれる投手を作ったのだろう。試合が始まるとすぐにブルペンに入り「30球も投げれば出来上がる」と肩を作る。出番が来てマウンドへ向かうクルマに乗る時は「赤いランプも送迎用の音もいらないよ」と係員に言うことにしている。ひっそりとごく自然にマウンドに上りたい。「だって中継ぎっていうのはそういうものでしょ」と33歳の甘さを殺した男の働きが始まる。

試合は毎日のように彼を必要とする。しかもチームがピンチの時がほとんどだ。シュートを投げて引っかけさせてゲッツーに。力む相手をスライダーでかわして凡フライに打ち取る。打球の行方を確認して高橋良投手はマウンドを降りて次の投手に託し、大観衆の前から静かに姿を消す。6月24日現在26試合に登板しながらも2勝1敗2Sと目立った数字ではない。いや、数字で表すことが出来ないのだ高橋良投手の存在価値は。

「勝ち星やセーブ数よりもたくさん試合に出たい。今さら勝利数にこだわらない。それよりもあの球を握った感触を1日でも長く味わえる方が幸せだよ」と中継ぎ投手人生として長嶋巨人の新たなバイプレーヤーの個性を作り出した今でも言う。勝負強く親分肌の高橋良投手は若手選手からの信望が厚い。そしてセ・リーグ連覇、悲願の日本一に向けて長嶋監督は毎日こころの中で手を合わせながら全幅の信頼で高橋良投手をマウンドへ送っていく。
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# 777 飛ぶボール?

2023年02月01日 | 1977 年 



バックスクリーンを越えてスコアボードを直撃したり、あっと言う間に場外へ飛び出したり。今年はもの凄く大きなホームランが続出しているがこれは打撃技術の向上の成すものか、かつてのラビットボールのような飛ぶボールを使用しているのか。

本塁打新記録必至のセ・リーグ
本当によく飛ぶ。ことにセ・リーグは凄い。6月24日現在、170試合で476本塁打。1試合平均 2.76本という大変なホームランラッシュで1シーズン最多のリーグ記録達成は確定的である。対するパ・リーグは179試合で319本でセ・リーグより157本も少ない。この空前のホームランラッシュを選手はどう考えているのか。人工芝になった後楽園球場で昨季から1引き分けを挟んで17連敗中の中日・星野投手は後楽園球場の試合に関して「なんか昨年あたりから急に打球がよく飛ぶようになったと感じる。思うに鉄板のようなコンクリートの影響で気温が上がると上昇気流が発生して飛距離が伸びるんじゃないかな」と。

この星野投手のコメントを裏付けるように人工芝に衣替えした昨年から後楽園球場の本塁打数は大幅に増えている。天然芝最後の昭和50年は109本だったが、昨年は135本。今年は昨年のペースを上回る勢いだ。それでは人工芝ではない神宮球場を本拠地にしているヤクルトの選手はどう感じているのだろうか?東映フライヤーズ時代の昭和45・46年に2年連続本塁打王を獲得した大杉選手は「そう言われてみれば後楽園球場以外の球場でも今年は打球がよく飛ぶ感じがするね。以前は後楽園や神宮でバックスクリーンを越えるホームランは打てなかった。もしかしたら32歳になってパワーが付いたのかな(笑)」と後楽園球場に限った話ではないようである。

一方でヤクルトの大矢捕手は「僕の実感ですがホームランを打たれた時は完璧に捉えられたと感じます。今年は球が飛ぶのではなく、速球を武器にしてきた本格派投手が年齢と共に技巧派に切り替える時期になり打者も打ち易くなったんじゃないかな」と別の見方をする。これまでチームを支えてきた堀内投手(巨人)、松岡投手(ヤクルト)、平松投手(大洋)、外木場投手(広島)、星野投手(中日)らがピークを過ぎたことがホームランラッシュの原因ではないかという説だ。また星野投手は「球の品質も良くなっているのと同時にバットも飛距離が出るように加工されている。打撃上位の野球になるのは当然だと思う」と話す。


厳正なテストで使用球は決める!
ペナントレースで使用されている公認球は厳重なテストを受けて通過したものでなくては使えない仕組みになっており、各球場によってとかリーグによって使用球が違うということなない。公認球の規格については野球規則で定められていて、複数のメーカーが製作している。大阪の場合は福島区鷺洲にある美津濃大阪工場で反発力テストが行われている。定期的にテスト日があり、各メーカーが自社製品を持ち込んでセ・パ両リーグの審判員立ち合いの下でバウンドテストを実施している。高さ4.12 ㍍の所から厚さ6㌢の大理石に落下させ、1.40 ~ 1.45 ㍍の高さに跳ね返ったものが合格となる。

後楽園球場内にも同様の施設があり在京の製造メーカーが検査を行っている。だから球場によってとかリーグによって「飛ぶ球や飛ばない球」があるということは有り得ない。メーカー側もそれは断言している。美津濃社は「今回の噂話に私どもも驚いています。球の製造工程その他は20数年来同じやり方でやってきている」と言い、ジャイアント社も「球は変わっていないし、変えようがありません」と断言する。だが別の見方がある。タマザワ社の関係者は「球は生き物ですから温度や湿気に影響を受ける。保存方法の違いで飛びやすく変化することはあるかもしれない」と。


バットの向上も要因
メーカー側も今年のよく飛ぶ傾向に驚いているが、それは球のせいではなくバットの方ではないかと考えている。「圧縮バットが原因ではないでしょうか。選手のパワーアップもあるかもしれませんが、それよりも年々圧縮バットの改良がされてますからそちらの方の影響が大きいと思いますよ(ジャイアント社関係者)」「打者はマシン相手に好きなだけ打撃練習が出来ますし、打撃力の向上で打高投低の傾向は増々進むんじゃないですか(美津濃社関係者)」と球ではなく圧縮バットの反発力や打撃技術の向上が飛距離アップの要因との見方だ。

またセ・リーグには3割打者が10人以上いるのにパ・リーグには5人どまりで本塁打数もセ・パで大きく違う。この原因は何か?それは指名打者制にあるという意見が多い。単純に考えると指名打者制の方が攻撃力がアップすると考えがちだが、投手交代の為に投手の打順が回って来るまで投げ続ける必要がなくなり、首脳陣は調子の悪い投手を躊躇なく交代させるようになった。状況に応じて投手をどんどん代える。打者は疲弊していない投手相手に抑えられる確率が増す。その結果、パ・リーグ打者の本塁打数が少ないというのが真相のようだ。
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